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●だから日本のマンガ出版社は早急にコミックス・コードを取り入れて、従わぬマンガ家には自社で仕事をさせぬようにするのだ、ヘイル、出版社! な日々。

2015.01.30 Fri

 なんだか、ブログの閲覧者がいつになく伸びてるので(棒読み)、この機に乗じて個人的にコミックス・コードとか表現の規制について思う所を語ってみようかしら、というアサマしきエントリ。

 その、『有害都市』のアメリカン・コミックス業界の描写を批判すると「表現規制派」と見なされるらしいので(デマです)、いっそオレは表現規制派よりももっと狭量な「コミックス・コード推進派」になろうと思った。思ったのだ!

 そんなワケで。


▼本日のコミックス・コード:

 その、個人的な意見なのですが、現代日本のマンガを扱っている出版社はね、コミックス・コードを導入すべきだと思うのですよ。

 ですよ。(エコー)


 っつーても、このコミックス・コードってのは、かつてのアメリカに存在していたような、

「外郭団体による」「表現規制のための」コミックス・コードではなく、

 現在のアメリカの大手コミック出版社が導入している(<ここ本当に大事)ような、

「各出版社独自の」「表現に応じたゾーニング/レーティングのための」コミックスコードね。

※マーベル・コミックス社が現在取り入れているレーティングについてはウチの昔のこのエントリで触れてた。ヒドいエントリだけど。


 要は、集英社は集英社の、小学館は小学館の、秋田書店は秋田書店の、双葉社は双葉社の(エンジェル出版はエンジェル出版の<おい)、コミックスコードを導入して、

「ウチではこのような表現は、15歳以上のレーティングになります」

「ここまでの表現なら、両親の監督の上で読んでも大丈夫な本になります」

「このような表現は、表紙に“成人向け”の表記をさせていただきます」

 といった「表現に応じてのゾーニング/レーティング」を行おうよ。

 ただし、ゾーニングするだけで、表現に関しては規制しない方向でいこうよ(自社のコードに照らし合わせて、「この作品はウチのコードでは出せません」という判断はするにせよ、作者の意思を尊重して、無理に作品内容の変更を求めたりしないのが理想)。

 そしてそのレーティングを親御さんにも分かりやすく周知させようよ、というハナシね。


 でー、無論、

「ウチはコミックス・コードはあえて導入していませんので、作家さんは好きなものを描いてください」

 あるいは、

「うちのコミックス・コードは、このように、かなりユルめになっておりますので、よそのレーティングに不満をお持ちの作家さん歓迎です」

 という出版社は存在すべきです。それが自由というものです。

 「レーティングなし」もまたレーティングなのです(上手いこといった風な顔で)。

 その様なレーティングであることを、広く明示する限りは、ですが。──誰にも基準を伝えず、野放図な本を出すのは、商業出版ではなく、アンダーグラウンドです。

 故にそうした出版社も、単行本の表紙には“この本はある程度の極端な表現にも対応できる、成熟した大人向けの本です”的なシンボル(要するに成年マーク)や、「この本はウチ独自のレーティング基準によって、このような表現を含むものであります」的な、買う前に読者が自己責任において判断できる、なにかしらの表記・アイコンを載せるべきですね、と。


▼何故にコードなのか、というハナシ:

 そのね、「日本にはアメリカのようなコミックス・コードがなかったから、現在のように多様なマンガ文化が発生した」という言説は、ある程度は正しいと思うのね。

 規制しなかったことの恩恵は確かに、存在します。

 ただ、それは、昔の話よね、と。

 2015年現在、マンガというメディアが成熟を迎えて、以前のような爆発的なジャンルの拡大が行われなくなっている、拡大よりもむしろ細分化が進みつつある現在は、「マンガの多様性をコードで縛るな」っていうこの言説って無意味でしょ、と、思うのね。

 広がりが緩やかになってきてる今だからこそ、ひとまずコードで表現に「ワク」を作るタイミングだろうと(無論、コードは必要に応じて、折々の現状に即して、改定ができる柔軟さを持ったワクであるべきです)。

 何より、マンガ家さんから作品の出版権を預かり、それら作品を「商品」として送り出している出版社が、自社の利益を守るためにも、コミックス・コードを導入して、自社が送り出している商品の表現に、企業自体が自覚的になるべきだろう、と。

 その、ややもすれば、複数の企業が関わって、数百億円のカネが動く「産業」に発展する可能性を持った作品に対して、担当編集者や、その上司の編集長といった「個人」が、表現に関して責任を負うとか、負担がでかすぎるでしょ? 出版社が、会社組織が、責任を引き受けなきゃでしょ。

 そうすることで、自社の出版物が地方自治体に有害図書類の指定を受けても、「うちの会社は、このようにクオリティ・コントロールをしているので、あなたがたに表現について云々されるいわれはありません」って、毅然といえるじゃないですか。


 ……そもそも地方自治体にとっては、「たかがマンガ」に税金を費やしてられないから、有害図書類の指定も、少ない人材で、少ない時間で、サッサと済ましてるわけじゃないですか。

 でも、出版社にとっては「されどマンガ」で、自社の利益を代表する商品なのだから、充分な時間と資金を投じるべき対象じゃないですか。レーティングやゾーニングを用いて、表現の自由を審議し、周囲の批判に対して理論武装するのは、出版社の仕事ですよ。


 ていうか、マンガに関するレーティングが、基準のあいまいな自主規制コードである「成年マーク」しか存在せず、かつ「成年マーク」ってのは事実上「エロス」に関するレーティングでしかなく、「バイオレンス」に関しては全く野放しであるという現状、

 大手出版社が「うちの会社の出版物に成年マークをつけるのは恥だ」という風潮(並びに、自分の作品がゾーニングされた売り場に置かれることを恥とする作家側の風潮)、

 結果として、児童向けのマンガ、青少年向けのちょいエロマンガ、青年向けの裸体描写ありマンガ、それから小規模出版社の出すインパクト重視のお下品なマンガが、ゾーニングも何もなしに、書店はおろか、コンビニエンスストアとかにも全く等価値に並べられる状況、

 その辺の微妙な雰囲気を、そろそろ整理して、各出版社に責任を負わせるべきでしょう、と。


 んでマンガ家は、「自分が表現したいもの」のレーティングと、「自分の求めるゼニの金額」を天秤にかけて、

「大手出版社だけど、(大手にしては)そんなに部数の出ない成年向けマンガとして、ある程度コードの縛りも受けつつ、それなりに描きたいものを描く」

「大手と部数のケタが2つ3つ違うけど、レーティングはユルい中小出版社の、成年マークつきの本で、自由気ままな内容の作品を描く」

 等々のチョイスをすればいいかと。表現の自由を求めるのなら、対価としてレーティングとか金銭とかの、別の不自由を受け入れるべきです。


 んで、コミックス・コードは、できれば現場出身の人間が中心に、マンガ家さんの意見も取り入れつつ、なるべくマンガ家さんがマンガを描く上で、参考になるような実際的なものにすべきかなぁ、と。

「裸体を描いても乳首を描かなければ児童向けマンガとして出版できます」

「乳首を描いてもトーンを張らなければ少年向けマンガのレーティング内です」

「乳首にグラデトーン貼って、ケズリでハイライトとか入れてるのは成年向けじゃ、このエロス野郎!」

 とか(待て)。

 同様に、バイオレンス描写も、ピロリとまろびでたモツをきちんと描写するかしないかとか、ギャグマンガでリアルじゃないモツなら少年向けで済ませられるとか、とか(そろそろ脳味噌が疲れてきた)。

 あと、出版社内で自社作品が自社のコミックス・コードを満たしているかを審議する部署は、現場あがりを要職に据えて欲しいですねー、とー。

 とー。

 ……書きたいことを一気に書いてったら、脳がスカスカになって、これ以上、紡ぐべき言葉が思いつかなくなったので、終わります。

<完>(こればっか)


▼余談:

 こう、昨今の少年マンガでよくある「無尽蔵の権力を持つ神っぽい存在によって、無作為にバトルフィールドに集められた主人公たちが、失敗すると無意味にグロテスクな手法で、無慈悲にブチ殺されるデスゲームを、無駄に延々と戦わせられる」系の過剰な表現のヤツって、そろそろ自制すべきじゃねぇかなぁ……とかいう一文を文中のどこかに潜り込ませようと思ったけど、割とこの一文、本筋からズレてる私的な感想に過ぎないし、余談的なギャグとしても盛り込みづらいし、もはやそういう構成を考えるには脳がスカスカなので、諦めてここに書いてみる。
  
  
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●最近のコミックス・コード。

2015.01.29 Thu

▼最近のアクセス解析:

 こう、昨日(1/28・水曜)の閲覧者が、「174人」と、うちにしては多い数字だったんで、久々にアクセス解析などをしてみたら、「フレデリック・ワーサム」のキーワードで検索して、ウチの「●フレデリック・ワーサム、な日々。」のエントリにたどり着いた人がゾロゾロいた模様で。

(あと、『ディスクウォーズ・アベンジャーズ』にローニンが出てきたらしくて「マーベル ローニン」のキーワードで検索して、そっちのローニンとは全く無関係な『5ローニン』の紹介記事にひっかかる人もボチボチいましたがそれは余談)


 でー、なんでイキナリ「フレデリック・ワーサム」で検索してくる人が増えたのかを調べてみたら(※Twitterを「ワーサム」で検索しただけですが)、Webマンガ誌「となりのヤングジャンプ」に連載されている『有害都市』というマンガで、フレデリック・ワーサムとコミックス・コードの話をしてたから、みたい。


▼とりあえず、『有害都市』を読んでみた(以下ネタバレ大いに含む):

 見た。

 『有害都市』の大まかなストーリーとしては、国会で「有害図書類指定制度に関する新法案(通称・健全図書法)」が可決されて以降、もろもろの文化の「浄化」が進む2020年の日本が舞台な、緩やかなディストピア話で、主人公のマンガ家さんがマンガを描く上で、「自主規制して」っていわれたりして、色々不自由な思いをするけど、なるべく描きたい作品を描いてくぜ、みたいな内容。

 でー、水曜に更新された第7話の内容は、主人公のマンガ家が描いたマンガ(規制を受けにくいウェブでの連載)に可能性を見出したアメリカ人の出版エージェントが来日して、海外版の翻訳出版の権利を獲得しに来て、ついでに「アメリカンコミックが多様性を失ってしまったのは 『コミックスコード』という取り決めがあったからだ」とかいう話をする、という感じ。


 感想としては……マンガ翻訳の会社を立ち上げたばかりの出版エージェントが、単行本も出ていないマンガの権利の取得のために、いきなり来日するとか、ウェブマンガとはいえ集英社の「ヤングジャンプ」の連載作品を、ポッと出の出版社が権利を獲得できちゃうとか、あまつさえ、エージェントがマンガの作者本人&担当編集者と直で対面して、契約成立しちゃうとか、リアリティなくね? と思った(論点そこかよ!)。

 ……まあ、主人公のマンガが連載されてるのは、実際には「ヤングジャンク」という架空のマンガ誌(の、ウェブコミック)で、出版社も集英社じゃない架空の出版社だし、第一、この物語はフィクションですので、

「この世界では、海外の出版エージェントは、出版社内の版権管理の部署とかすっ飛ばして、マンガ家本人といきなり交渉して、権利を獲得するのです!」

 とかいわれたら、「はい、そうですか」と納得せざるを得ないのですが。

 ……だったら作中で、フレデリック・ワーサムとか、コミックス・コードみてぇな実在の人名と実在の規制コードを挙げて、実際にアメリカであった出来事を語るのはアンフェアじゃね? 近未来SFとして、ズルくね? 第4話に出てきた架空の事件「松本事件」みたいに、こちらの事件も、フレデリック・ウォルサムみてぇな架空の人名で、架空の事件として描くべきじゃね? と思った。

 あと、第7話のラストで、エージェントの人が「少年ジャンプが大好きで、『北斗の拳』や『シティハンター』をよく読んでたよ」とかいってたのだけど、そこは誌名は「少年ジャンク」にして、フィクションの作品名を挙げるべきじゃね? そこで現実の作品の「判りやすさ」に頼るの? とか思った。


 それと、作中で描写されているコミックス・コード関連の話がね、ところどころに現実とは異なる描写があるのですが。

 ──例えば、

「今のアメリカの商業コミックには二種類の作品しか存在しない 一つは能天気なヒーローもの もう一つは能天気じゃないヒーローものだ」

「アメリカンコミックが多様性を失ってしまったのは 『コミックスコード』という取り決めがあったからだ」

「唯一存在を許されたのがヒーローものだ それもマーベルやDCコミックのような星条旗に忠誠を誓うヒーローでなければならなかった」

 みたいな、現実のアメリカン・コミックス史とは異なる状況を示唆するセリフ。

 あるいは、「この馬鹿げた騒動を作り出したのは1954年 フレデリック・ワーサムという精神科医が著した一冊の本だった」とかいうセリフや、ワーサム博士がテレビに映っているコマなど、あたかもコミック規制運動がフレデリック・ワーザム博士1人を中心に行われたものであるかのような印象を持たせる描写。

 この辺って、まあブッチャケ、「作者がコミックス・コードの歴史を誤解してウッカリ描いてしまった誤り」なのではないかと思うのですが、あるいは、「『有害都市』というフィクションの中では、そのような歴史があった」という可能性もあるので、ツッコミしづらくて非常に居心地が悪いなぁ、と。

 現実世界の事件を描くなら、なるべく正確に。それが徹底できないなら、描かないか、「架空の事件」にすべきだと思います。


 個人的に一番引っかかったコマ。



 まず、「星条旗に忠誠を誓う」というセリフが恣意的に過ぎると思います。

 あと、シルエットでスパイダーマン、キャプテン・アメリカ、ハルク、アイアンマンが描かれていますが、キャプテン・アメリカ以外のキャラクターは1960年代以降に生まれた方なので、コミックス・コード施行の話の流れで出すのは不適切でしょう。

 キャプテン・アメリカはコミックス・コード施行当時に、『キャプテン・アメリカ・コミックス』誌がリバイバル刊行されていましたが、同誌は再開からわずか3号で休刊したので、「唯一存在を許されたのがヒーローもの」という例で挙げるには全くもって不適切ですし。

 ていうか、DCコミック社(社名表記は正確に)のヒーローがいませんが……。


 それと、巻末に今回の話の参考文献として、『有害コミック撲滅!―アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』が挙げられてるけど、あの本って、「コミック規制史」の資料としては最良の部類に入るけど、「コミック規制」に特化した資料であるが故に、「規制されるようなコミックや事件の話」しかしてないじゃない。

 故に、あれだけ読んで「アメリカン・コミックスの歴史」を語られるのは、いささか問題があると思うのね。他にもっとスタンダードな資料も読んだ上で参考にすべき資料だろう、と。

 ……その、1990年代初頭の「成年コミック」マークの話をするにあたっては、『ANGEL』とか『いけない! ルナ先生』とか『IKENAI! インビテーション』とかの作品とそれらの引き起こした事件の話に集中せざるを得ないけど、当時のマンガ雑誌にはそういうマンガしか載ってなかったわけじゃないでしょ? みたいな(分かりづらい)。

 あと、『有害コミック撲滅!』って、「各州でコミックブックを対象にした州法が制定され、更にコミックス・コード・オーソリティが組織され、コミックス・コードが施行され、中小の出版社は次々に会社を畳み、多数の作家が職を失いましたとさ」というドン底で終わってて、その後の、犯罪・怪奇コミックスを出してなかった大手コミック出版社を中心とした、コミック業界の復興については「他の資料を当たってください」って態度なのがズルいよね……(以下略)

(※編註:この後、『有害コミック撲滅!』は要所で恣意的な書き方してるのがどうも気になる、とかいう批判がもう少し続いたのですが、読み返してウザいし、本題と関係ないので消しました)


▼まとめらしきもの:

 ていうか、『有害都市』の主人公のマンガ家は、ゾンビものっぽいジャンルのマンガを描いてて、グロテスクな表現を規制されて四苦八苦してるわけですが(作中では表現規制の関係で「ゾンビもの」にさせられるので、ここでは「ゾンビものっぽい」と形容しました)。

 作者の筒井哲也さんは、同ジャンルの『ウォーキング・デッド』とか、ご存じないのかなぁ。現在、アメリカで刊行されているコミックスの中でも屈指のグロテスクな作品で、なおかつ全米屈指の売り上げを誇っていて、そのくせヒーローものでもなんでもない作品なのですが。


 まあ、結論としては、アレ。 いつもの奴。

 TPPとか著作権とか都条例とか、二次創作同人誌のガイドラインがどうとか、表現の規制が取りざたされるときに、アメリカン・コミックスのことをロクロク知らないのに「このままじゃ、マンガがアメコミみたいになっちゃう!」とかいう、失礼な物言いでコミックス・コードを引き合いに出してた人々に投げかけてたのと同じ結論。

「自国の文化を守るために、他国の文化を貶め、それらの文化に関する誤った情報を拡散して、それで何が残るっていうの?」

 以上。


<完>


 どうでもいいけど、第5話で、2人のマンガ家が「表現の規制との戦い」に関して熱い意見を戦わせてるシーンがあるのですが。

「マンガ家の収入は単行本の印税が頼りだ」

「原稿料は経費とアシスタント代でほぼ消える」

 という、マンガ界の抱える致命的な経済構造には、双方とも「そうでしょう」「そうですね」と、「納得している当たり前のこと」として話してて、「そことは戦わないのか」と、素朴な感想を抱きました(いや、戦わねぇだろ)。
  
  

●突発的 コミックス・コードな記事、の巻。

2014.08.25 Mon

▼前書き:

 こう、他の書くべきエントリを書き上げるまでの繋ぎとして、こないだ発作的に翻訳したテキストを、貼り付けてみるエントリ。

 ネタは2013年のニューヨーク・コミコン(NYCC)のコミックブック・リーガル・ディフェンス・ファンドのパネル「The Secret History of Comics Censorship」についてレポートした、CBRのこちらの記事を、まあ、いつものように勝手に日本語に訳したもの(フェアユース! フェアユースなのです!<むしろ そーいうこと言うなや)。

コミックブック・リーガル・ディフェンス・ファンド:通称CBLDF。「わいせつ図書販売」で訴えられたコミックショップ店主や、パロディ作品を描いて訴えられた作家など、コミックブックに関連するケースで、合衆国憲法修正第一条(「合衆国議会は、国教を制定する法律もしくは自由な宗教活動を禁止する法律、または言論・出版の自由もしくは人民が平穏に集会して不満の解消を求めて政府に請願する権利を奪う法律を制定してはならない」)の保障する権利に抵触する裁判において、各個人を援助する非営利団体。

 とりあえず、以下翻訳。


■NYCC:コミックス検閲の秘めたる歴史

 1950年代に起きたコミックスの検閲の歴史はデビッド・アイドゥー(David Hajdu)の『ザ・10セント・プラグ(The Ten Cent Plague)』などにまとめられている。しかしイリノイ大学助教授の研究者キャロル・ティリー(Carol Tilley)はこの物語にいくらかの新たな角度を発見した。それも意外な場所──ドクター・フレデリック・ワーサムの文書から。ワーサムは言うまでもなく、1954年に刊行された、コミックスの害悪について仮定し、それらに対する警告を発した『無垢への誘惑』の著者である。

 1954年、ワーサムは彼の視点から見たコミックスというものの概要について、米上院で証言した。これを受け、ECコミックスのパブリッシャー、ビル・ゲインズは読者に反応を求めた。その結果、200人以上のティーンエイジャーがワーサムに手紙を送り、彼がいかに間違っているかを指摘した。

 ニューヨーク・コミコンの「CBLDF:コミックス検閲の秘めたる歴史」パネルにおいて、ティリーはこれらの書簡を紹介し、また1950年代の反コミックス運動のより私的な側面についての洞察も披露した。
 コミックブック・リーガル・ディフェンス・ファンド(CBLDF)の事務局長チャールズ・ブラウンスタイン(Charles Brownstein)はティリーとエイブラムス・コミックアーツ(Abrams Comicarts)の編集ディレクター、チャールズ・コークマン(Charles Kochman)とのディスカッションの司会を務めた。

エイブラムス・コミックアーツ:大雑把にいうとオシャレでアート志向のサブカル系インディーズ出版社。

「年長者を驚き恐れさせることは、若者たちの使命です」
 パネルが開始されるとブラウンスタインは聴衆にこう言った。
「一方で、年長者である我々の使命は、何故我々が恐れたのか、そして何故子供たちがそれを好んだのかについて子供たちと対話すること、もしくは、それらを規制することです。──現代においては、ビデオゲームの分野で、今正に喧々囂々の議論が行われています」
 ビデオゲームには規制の試みを押し返す強力なグループが存在しているが、1950年代当時のコミックスにはそのような支持者はおらず、業界はモラル・パニックに手ひどくやられた。

「どこかで誰かを殺した奴がいて、それはそいつがコミックブックを読んでたからだ、なんてのは、単細胞のバカ野郎です」
 ティリーは11歳のブライアン・アーサー・マクラフリン少年がワーサムに書いた手紙の引用から始めた。
 彼はこうも書いた。
「バカげてますか? あなたの本もバカげてますよ」
 そしてこう結んだ。
「僕はあなたがコミックブックスを、僕と同じくらい理解してくれることを望んでいます、それから僕はいつかの未来に、みんながコミックブックスの良いところ、悪いところを理解してくれることを望みます」

 今や主として反コミックス運動によって人々に記憶されているワーサム博士だが、往時の彼は、無数の先進的な観点を持った、尊敬するに足る精神科医だった。1940年代、彼はハーレムにある教会の地階に小児科医院を共同で設立し、また彼はベルビュー病院の医療所のディレクターを務めた。そこでの彼の患者の多くは、児童裁判所から派遣されていた。

※ベルビュー病院:マンハッタンのイーストリバー沿いに築かれた公立病院。

「それら“非行少年”らの多くは単なる問題児で、学校が嫌いだったり、過度に妄想にふけっていたり、あるいは学習障害を持っていました」ティリーは言った。
「中には肉体的に、精神的に、あるいは性的に虐待されていた患者もいました。それら少年たちのいくらかは軽犯罪者であり、また精神的な問題を抱えていると診断された者もいました。そしてワーサムは、彼らのほとんどがコミックスを読んでいたという点から、コミックスと少年犯罪が密接な関係にあるのだと主張したのです」

 ティリーによれば、1950年代初頭には児童の95%以上、高校に通う世代のティーンエイジャーの80%以上がコミックスを読んでいた。1954年度には10億部近いコミックスが合衆国内で売られており、これは国民1人あたりに30冊のコミックスが行き渡る計算となった。第2次世界大戦後、コミック出版社はスーパーヒーロー・コミックスだけでなく、ホラー、クライム、ロマンスなど、様々なジャンルに手を出していた。それらのコミックスは本来は成年層をターゲットとしていたが、若い読者の手にもたやすく渡っていった。

 ワーサムが始めて公共の場で反コミックスの主張をしたのは1947年、郵政委員会で証言した時だった。この時ワーサムは、裸体主義者(ヌーディスト)の専門誌のパブリッシャーを擁護し、同誌に掲載されている裸体の量は、コミックの読者がさらされている害毒に比べれば遥かに無害であると主張した。この公聴会を新人レポーターとして取材したジュディス・クリスト(Judith Crist)は、記事中に彼の言葉を引用した。
「明白な話です。半裸の女性は全裸の女性よりも蠱惑的なのです。我々精神科医はもとより、単純な米軍兵士ですらも、そう認識しています」
 クリストは続く数年間、雑誌「コリアーズ(Collier's)」にて、「子供部屋の恐怖(Horror in the Nursery)」なる題名でワーサムの研究についての記事を書き、ワーサムの視点を広範な読者に広めた。

 当時ワーサムは、フォークロア研究者にしてパブリッシャーであるガーソン・レッグマン(Gerson Legman)の援助でコミック業界の内部情報を集めていた。
「レッグマンは、ワーサムの業界内部の情報への渇望を満たしました」とティリーは言う。
「レッグマンは彼にクライム・コミックスのリストを送り、号数を維持したままタイトルだけを変えるコミックスのからくりについて説明し、製紙業も営んでいる出版社など、業界内の疑わしいビジネス上のつながりについてのあらましを述べました。彼はまた、ニューヨーク大学の教授ハーベィ・ゾーボー(Harvey Zorbaugh)による、コミックスのワークショップ(研究集会)についての報告書も共有しました」
 ゾーボーはコミックスを教育に用いるワークショップを主催しており、レッグマンはこのワークショップについての書簡をワーサムに送った。“(ワークショップの)初期の17人の参加者のうち、15人はコミックブック出版社に雇用された代理人だ”と。
 実際、この情報は、コミックス業界がティリー言うところの“お抱えの弁証者(paid apologist)”を雇っているとのアイデアをワーサムに与えた。
「彼はまた、DC/ナショナル・コミックス、フォーセット、ヒルマンその他の会社に顧問として雇われている人々についての更なる情報を探って行きました」とティリー。
「やがて彼の怒りはDC/ナショナルとその指名顧問であるロレッタ・ベンダー(Lauretta Bender)とジョゼット・フランク(Josette Frank)らに集中して行ったのです」

 ベンダーはワーサムと同じくベルビュー医院で働く精神科医だった。彼女の2番目の夫であるポール・シルダー(Paul Schilder)(彼もベルビューの精神科医だった)とワーサムの間に意見の対立があったことが、ワーサムが彼女を好ましく思っていなかった一因ではないかと思われる。

 一方のフランクは、ティリーいわく“熱心な、キャリア志向の女性”で、両親へ子育ての指導を行う組織「チャイルド・スタディ・アソシエーション(Child Study Association)」の相談役であり、DCコミックス社のアドバイザーも勤めていた。彼女は書評を書き、またDCのラジオショーやコミックスへの指導も行っていた。
「フランクとチャイルド・スタディ・アソシエーションはワーサムの格好の標的となりました。彼は同組織がコミック業界との癒着を隠し、腐敗した出版人らのための太鼓持ちになっていると責めたのです」ティリーは言った。
「……癒着を隠すといっても、彼女の名前と、彼女がチャイルド・スタディ・アソシエーションに所属していることは、1941年以降にDCが刊行した全てのコミックスのクレジットに記載されていたというのですがね」
「彼はまた、友人がフランクの主催したパーティに出席したときの話を、克明に記録しています。その友人は、ジョゼットは“ちっぽけで、地味で、ぞんざいに”見え、そのパーティでお茶を供していたロレッタ・ベンダーは“魔女のバァさん”の様だったと述べています」
 ワーサムはまた、チャイルド・スタディ・アソシエーションのフランクの上司シドニー・グルーエンバーグ(Sidonie Gruenberg)を軽蔑していた。

 おそらくは、そうした私的な嫌悪が、1954年に米上院で開催されたキーフォーヴァー公聴会にワーサムが出席した直接的な原因となったかと思われる。この時ワーサムは、エレン・ウェールズ・ウォルポール(Ellen Wales Walpole)なる第三者を通じて会に招かれたが、ウォルポールはエステス・キーフォーヴァー上院議員と近しい女性で、彼女自身の私怨を抱えていた。

「彼女の共通の友人たちの証言によれば、ウォルポールは、ある種の精神衛生上の問題を抱えていたようです。ともあれ彼女は疑いなくチャイルド・スタディ・アソシエーションに恨みを抱いていました」とティリーは言った。
「どうやら1940年代後半に、子供たちの感情について論じたウォルポールの一連の書籍に対して、シドニー・グルーエンバーグは辛らつな批評を行っていたらしいのです。この話については、まだ全容はつかめていないのですが、結果としてウォルポールはチャイルド・スタディ・アソシエーションへの恨みを積み上げ、復讐への筋道を築いていたのです」

 1950年、ウォルポールはワーサムがキーフォーヴァーと対面できるよう手配し、彼女はワーサムに、キーフォーヴァーが委員長を務める「組織犯罪に関する特別委員会」が開催する公聴会用に質問を発案するよう勧めた。ワーサムは1950年に開催された公聴会にはさほど関心を持たなかったが、1954年にキーフォーヴァーが主催した新たな一連の公聴会では、彼は望んで証言した。要は、ティリーに言わせれば、「その子供向けの本へのネガティブな書評さえなければ、キーフォーヴァーとワーサムは出会いすらしなかったかもしれません」ということだ。

※正確には1954年度の公聴会はキーフォーヴァー主催ではなく、ロバート・C.ヘンドリクセン主催かと(キーフォーヴァーも出席していたが)。

 この1954年の公聴会では、デル・コミックスの副社長ヘレン・メイヤーズ(Helen Meyers)、新聞マンガ『ポゴ(Pogo)』のクリエイターにしてナショナル・カートゥニスト・ソサエティ(National Cartoonists Society)代表のウォルト・ケリー(Walt Kelly)、それにビル・ゲインズら100人以上の証人が証言した。ティリーは公聴会の証人の中にあって、ワーサムは極めて保守的な立場にあったと指摘する。また彼女は、その数年後に撮られたキーフォーヴァーと彼の子供たちがコミックスを読んでいる写真を見せた。

 公聴会の後、ゲインズはECコミックスの読者らを招き、彼らの側の事柄について書いた手紙を委員会に送るよう求め、およそ200人が実際に手紙を送った。ティリーはそれらティーンやプレティーンからの手紙のいくらかを読み上げ、彼らがいかなる大人に育ったかの情報も添えた。

 14歳の少年フィリップ・プロクターからの手紙にはこうあった。
「僕らがそれらの雑誌を買うのは、血に飢えているからではありません。僕らが買う理由は、それらの物語のため、ビックリするオチや、アートワーク、そしてもちろんそれらが見たこともないものを見せてくれるからなのです」
 成人したプロクターは風刺コメディを演目とする劇団「ファイヤーシアン・シアター」の創設者の1人となった。彼はティリーに言った、彼が風刺に傾倒したのは、コミックスを攻撃してきた“堅苦しく、ケツの穴の小さな検閲者ども”を、嘲笑いたかったからだと言う。

 13歳のリン・クロフォードはこう書いた。
「あなたは論説で、コミックブックス (ホラー、セックス、ラブ、クライム)が非行の増加の原因だと主張されていました。私はそうは思いません。私はあなたが例に挙げた子供たちは、コミックブックを見る前から既に非行に走っていたのだと思います」
 ワーサムはクロフォードの手紙に返事は書かなかった──彼は、彼の見解に異議を唱えた手紙の大半に返事を書かなかったのだが──。だが彼は、手紙のスペルや文法の誤りを赤インクで印をつける時間はあったようだ。

 15歳のブライアン・マルホランドはこう書いた。
「僕はこの数ヶ月、EC コミックスの編集者たちに最近のコミックブックを取り巻く状況について書くよう促されてきました」
「僕には出来ませんでした。なぜなら合衆国政府が無害なマンガを全廃したいだとか、そもそも全廃できるなんてことは、馬鹿げていると思ったからです。けれど、ちょうど昨日、僕はECコミックスが5誌のコミックを休刊せざるを得ないという記事を読みました。理由は、合衆国中の卸売業者や小売業者が、犯罪やホラーを扱ったコミックブックスを取り扱わないよう強要されたからだそうです。こんなことはロシアで起きることです。アメリカで起きてはなりません」
 ティリーは昨年マルホランドと話している。彼はちょうど地区検事長という重職を退職したばかりだった。

 その後、いくらかのコミック・クリエイターらもワーサムに手紙を書いた。ゴールデン・エイジのヒーロー、『スピード・セントール(Speed Centaur)』のクリエイター、マルコム・キルデール(Malcolm Kildale)は当時施行されていたコミックス・コードについての不平を述べるため、1950年にワーサムに手紙を送った。彼は、パブリッシャーが身内を取締まっているに過ぎないコミックス・コードに効果はないと考えていた。
「僕は皆と同様、検閲を好みません」彼はそう書いていた。
「ですが僕はコミックブック業界には取締まりが必要だと思います。おそらくは野球界と似たような。コミックスにもランディスが必要なのです」
 ──ここで挙げられているランディスは、「ブラックソックス事件」後に野球界を浄化したMLBの初代コミッショナー、ケネソー・マウンテン・ランディス(Kenesaw Mountain Landis)のことである。
 ワーサムに手紙を書いた最も有名なクリエイターは、スーパーマンの創造者の1人ジェリー・シーゲル(Jerry Siegel)だろう。彼はワーサムに2通の手紙を送ったそうだが、ティリーはそれらの内容についての詳細は述べなかった。

 1954年、『無垢への誘惑』と上院の公聴会によって盛り上がった動きに対する反応として、コミックス ・パブリッシャーらは「コミックス・マガジン・アソシエーション・オブ・アメリカ(Comics Magazine Association of America)」を創設し、コミックス・コードを公布した。ティリーによれば、ビル・ゲインズがライル・スチュアート(Lyle Stuart)を介してワーサムに接触し、コミックス・コード・オーソリティを率いる立場になるよう提案した可能性があるという。この件に関する明確な証拠はないが、確かにスチュアートはワーサムに、新たに作られたコミックス・コード認可章の着いたコミックを送りっており、同封した手紙の中で、オーソリティの頭であるチャールズ・マーフィー判事(Judge Charles Murphy)を手厳しく評した。

※ライル・スチュアート:当時のECの編集者。ゲインズが公聴会で読み上げたスピーチは、公聴会の前日に、スチュアートとゲインズが夜を徹して書き上げたものになる。

「あなたもお気づきかもしれませんが、マーフィー判事はさして聡明でもなく、政治的な点から雇われた人であり、おおよそはその信心深さ故に選ばれた方です」そう、スチュアートは書いた。
「大して驚くべきことではありませんが、彼のコードは、さながらスペルマン枢機卿(Cardinal Spellman)の承認した教会の法典のようで、 普通のコミックスではさして抗議を受けない類の事柄について禁じています。ビル・ゲインズは欠点の多い人間ですが、真正直で、誠実な人間です。その彼が、いまや自身の誠実さの犠牲になろうとしているのです」

※スペルマン枢機卿:この当時のカトリック教会のニューヨーク大司教。

 翌年、ECの編集者アル・フェルドステインはワーサムの妻ヘスケス(Hesketh)と電話で話し、その後、手紙を書いている(フェルドステインは後にこの件は記憶にないと言っているが、ティリーは手紙に書かれたサインは彼のものだと確信している)。その手紙でフェルドステインはコミックス・コードが実施されたやりかたへの憤りを述べている。その手紙に添えられた鉛筆による走り書きにはこうあった、「ドクター・ワーサムはその理由についてけして答えはしないでしょう。彼はマーフィーの就任に関わる全てが、適切であると考えてはいません」

 最後にティリーは、コミックス・コードは過去の遺物だが、コミックスの規制の試みは形を変えて継続していることを指摘した。
「私の住んでいるイリノイでは、昨年『ペルセポリス』(マルジャン・サトラピ作のバンド・デシネ)を巡って大変な騒動がありました」と彼女は言った。
「イリノイの学校図書館の司書が、ある種の本を彼等の図書館の蔵書として購入すべきか悩んでいるという話も聞きました。例えばホモセクシュアリティについて言及したレイナ・テゲルマイヤー(Raina Telgemeier)の『ドラマ(Drama)』や、ハッキングを扱ったエド・ピスコー(Ed Piskor)の『ウィジー・ウィグ(Wizzywig)』 などをです。私の住んでいるコミュニティでは、公立図書館の司書がアラン・ムーアとメリンダ・ゲビー(Melinda Gebbie)の『ロスト・ガールズ』のような書籍を購入し、後に上司から該当書籍の撤去を求められる結果に終わっています」

 ワーサムは1970年代にホラーコミックス編集者アラン・ヒーウェットソン(Alan Hewetson)に贈った手紙の中で彼の成果を擁護している。
 いわく、
 「『無垢への誘惑』の刊行以降、事態は変化した。いまや全てのマスメディアの中でコミックブックはマイナーな影響しか持ちえていない。私の主たる成果は、マスメディアで起きていることは、社会を反映するだけでなく、社会に影響を与えてしまうものだと指摘することにあった。私はコミックス・コードを推奨したこともなければ、支持したこともなく、認めたこともない。私はもっとも惨たらしい類のクライム・コミックブックスを13歳以下の子供たちに直接見せるべきではないと提案したに過ぎない。そもそも検閲とは1つの機関が他の機関に対して行うものだ。コミックス・コードは“検閲機関”などではない。あれは業界内の協定に過ぎない」

「検閲への道程は、往々にして直接的ではありません」ティリーは言った。
「その道程は曲がりくねり、入り組んでいますが、時に個人的な動機や、私的な復讐、傲慢な倫理観によってその舳先を変えます──ちょうど、私が本日皆さんに話した物語のそこかしこに見られた様に。フレデリック・ワーサムの様な人々を含む“検閲者たち”は、自身が検閲者であると認識していません。ですから、我々は彼らに意見し、抵抗しなければなりません。ワーサムに手紙を書いた子供たちとティーンエイジャーたちのような個人や、1950年代の上院議員らは、各人の主張を彼らに発しました。CBLDFのような組織もまた、そうあるべきです。我々全員が、そうあるべきなのです」

 ティリーはボブ・スチュアート(Bhob Stewart)からワーサムへの手紙でパネルを終えた。彼は地元の図書館に『無垢への誘惑』を入れるよう要請し、同書を読破した。後に作家、カートゥニストとなるスチュアートは、既に1954年にECのファンジン「Potrzebie」を刊行していた。彼はワーサムにも1部を送り、他のECのファンたちも彼ら自身の雑誌を出版していると指摘した。
「結果、正にそれらECのファンたちは、合衆国全土を覆う文通ネットワークを作り上げているのです」と、彼は書いた。
「貴殿は、コミックブックスの文学的価値について論じ、時に罵り合うために集った、彼らティーンエイジャーが、非行少年たちよりも上等な存在であると認めるべきです。……貴殿が検閲に反対の立場を採っているということは、ジェームズ・ジョイスを再来(James re-Joyce)させるに充分な事実でしょう。なぜならひとたびコミックスが非合法化され、廃止されたなら、それはブラッドベリが『華氏451度』で描いたような焚書への近道となるからです」

※ジェームズ・ジョイス(1882/2-1941/1)はアイルランド人の作家。代表作の『ユリシーズ』は、当初アメリカにおいて掲載誌の没収、悪書追放教会による告訴、合衆国内での発売禁止処分などが行われた(こちらのリンク先の「出版」の項目などを参照)。ちなみに1954年の公聴会に証人としてたったM.C.ゲインズは、壇上でのスピーチに『ユリシーズ』の発売禁止処分が解除された際のエピソードを引用しており、当時のアメリカでは書籍の検閲について語る上で、『ユリシーズ』がそうした処分を受けていたことは、ある程度の共通認識があったと思われる。
 ちなみに「re-Joyce」は、ジョイスの再来(re-)的な意味合いと、「rejoice(喜ぶ、祝賀する)」を引っ掛けたシャレ。
  
  
 以上。

 こーいう、歴史的な出来事の背景に、実は個人の好き嫌いとか、過去の出来事に関しての私怨とかがあったかも知れぬ、っていう話、好きなのね。「かも知れぬ」で留めておくのが大事ですが。


・ワーサム博士をご存知ない方に置かれましては、ウチの以下の過去記事も読んでおくと、いいかも知れぬ。

●フレデリック・ワーサム、な日々。
  
  

●コミックス・コード施行当時のハナシとか。

2014.07.16 Wed

▼ずるいぜ、ナショナル・コミックスな日々:

 ふと思い立って、コミックス・コードの施行開始(1954年秋頃)から、シルバーエイジのブームが本格化するまで(まあ、『フラッシュ』誌が創刊(1959/2)されるぐらいまで)の、4年少々の期間に、ナショナル・コミックス社(後のDCコミックス社ね)が創刊した/休刊させたタイトルについて、大雑把に調べてみた。

 まあ、要するに、当時のナショナルはコミックス・コードに対応するため、何かしらバタバタしてたのかなぁ、ということが気になったのね。

 したら、コミックス・コードが施行された後も、ナショナルって、全くもって通常進行というか、コミックス・コードに抵触しそうなコミック誌を休刊させるとかいう、「対応に追われてる様子」はサラサラないのよね、これが、

 まあこれは、ナショナルが、当時のホラーコミックと犯罪ものコミックの流行にほぼ乗ってなかったから、対応する必要とかないし、というソレもあるのですが。

(一応ナショナルは、犯罪ものコミックの流行には乗っていたのですが、『ビッグ・タウン』のような、当時人気だった「犯罪もののラジオ/テレビドラマ」のコミック版を出してただけで、中身は非常に健全だったのよね)


 こう、同時期のECコミックスは、ホンの数ヶ月で、

「……くそう、コミックス・コードのおかげで……流通業者がうちのコミックブックを扱ってくれない……しょうがない、ホラーコミック誌3誌と犯罪もの2誌を休刊しよう……!!(血涙)」

 的に(※誇張してます)、自社の人気タイトルを打ち切らざるを得ない状況に追い込まれつつ、

「そうだ……! 大判の雑誌なら、コミックス・コードの認可を得る必要は無い!」

「待てよ、活字主体の雑誌なら、コミックス・コードも適用外だ!」

 的に、コミックス・コードに抵触しないスタイルの新雑誌を創刊させてくという、「コードとの戦い」を繰り広げてたわけですが。


 一方その頃のナショナルってば、

「アーチー・コミックスの芸風をパクッたユーモアコミック『ヒアズ・ホーウィー』がテコ入れ(※主人公の大学生が、第5号から唐突に陸軍に入った)してもイマイチだから打ち切っちゃおうぜー」

「ディズニーの『ディビー・クロケット』が流行ってるから、うちらも実在の登場人物が主役の西部劇コミック誌を2誌創刊しようぜー」

「やっぱ、西部劇はウケなかったから休刊させようぜー」

「TVアニメに読者取られてるから、動物もののユーモアコミックはバッサリ打ち切ろうぜー」

「コミック1個も載ってない、パズルオンリーの雑誌って斬新じゃね?」

「斬新過ぎたから6号で打ち切るぜー」

「TVのコメディが人気だからライセンス取ってコミック版出そうぜー」

 的に、別にコミックス・コードと戦うことなくい、ごく普通にウケそうなタイトルをアレコレ創刊して、ダメだったタイトルを休刊させてって感じの通常営業なのよね。

(※ちなみにこの当時はヒーローもののコミックスはジャンルとして恐ろしく縮小していて、スーパーマン/スーパーボーイ、バットマン、ワンダーウーマン、アクアマン、グリーンアロー程度しか連載が続いてなかった時期ですので、“コードに対応した動き”なんてものは見受けられません。よくいわれる「コミックス・コードのおかげでコミック出版社はヒーローものしか描けなくなった」というのは、無根拠な風説です)

 まあ、一応ナショナルもコード委員会から「この娘のスカート、短すぎるから描き直して」みたいな「コードとの戦い」はしてましたが、ECに比べれば些細なものですし。

 それどころか、ECのホラーコミック誌が休刊したのに合わせて、『テールズ・オブ・ジ・アンエクスペクテッド』と『ハウス・オブ・シークレッツ』というホラーコミック誌を創刊して(もちろん、コミックス・コードは通る内容で)、ついでに既刊の『マイ・グレーテスト・アドベンチャー』誌をホラー誌に路線変更する、とかいうことまでしてるのよ。

(ちなみにこれらの3誌は、1950年代後半に宇宙開発ブームが到来すると、アッサリSFコミック誌に路線変更しました)

 ズルいなぁ。実に、ズルいなぁ(小学生以下の感想)。

 まあ、そもそも、コミックス・コードの条文自体が、大手出版社がそんなに困らないように作られた(一方でECのような中小の出版社が凄く困るように作られた)、「スゲェ ズルい」代物でしたしね。

 大企業ってやぁねぇ(もう少しマシな語彙はないのですか)。


▼漢前だぜ、デル・コミックスな日々:

 ちなみに、コミックス・コードの施行前後の各社の対応で、割と話題にされないけど、とてもカッコいいのが、当時の大手出版社の1つ、デル・コミックスですが。

(デルは1953年に「世界最大のコミック出版社」を自称してて、まあ、自称するだけの規模を誇っていた会社でした)

 こう、1940年代後半頃から親御さんたちの間で勃発していたコミックブック・バッシングに対し、1948年に著名なコミック出版社が連合して、「アソシエーション・オブ・コミックス・マガジン・パブリッシャー(コミック雑誌出版社協会)」とかいう団体を創設し、業界内にコミックスの表現規制コードを作ろうという動きがあって、その代表者にデルの社長が選ばれたのですが。

 がが、その後デル・コミックスの副社長がね、「俗悪なコミックブック出版社どもの傘下になど入る必要はない」って言って、デルをこの協会から脱退させちゃったのよ(脱退ではなく協会への招待を断った、という説もあり)。なにそれカッコいい。

 でー、1950年代初頭に、フレデリック・ワーザム博士がクライム・コミックバッシングに加わって、コミックブック批判の波が更に高まると、デルは新聞広告を出して、自社のコミックスがいかに健全であるかを打ち出したりするイメージ戦略活動なぞも行うのね。

 一方で、自社のライセンスもののコミックブックの権利元(ワーナー・ブラザーズ、E.R.バローズ社、ローン・レンジャー社)と連合して、ワーザムが1954年に出した、例の『無垢への誘惑』の版元に抗議の手紙を送るという活動もしてるのさ。

 結局、1950年代後半にコミックス・コード委員会が成立して、コミックス・コードが施行されるのですが、この時もデル・コミックスは、「うちの出しているコミックスは御両親に誓って健全で、良質なものだから、コードとかで規制する必要はありません」「うちのコミックブックでは不健全な題材は規制ではなく、排除しています」とか言い放って、コミックス・コードへの参加を拒むのよ。イカス。

 んで、コミックス・コードの認可章がない(けれど親御さんが安心して子供に買い与えられる)コミックブックをガンガン出し続けてったとさ。

 大企業ってカッコいいねぇ、漢前だねぇ(だからその貧困な語彙をどうにかしなさい)。


 以上、発作的に書きたいことだけ書いたエントリなので、オチなど存在せぬ。
  
  

●続・最近の著作権とか。

2014.07.15 Tue

▼例の件についてやっぱり書こうかどうしようか……な日々:

 これまでのアラスジ:ニトロプラスの二次創作ガイドラインについて何か書こうかと思ったけど、別にアメリカン・コミックと関係がないので辞めた。


 だがその後。

 今回のガイドラインの一件で、二次創作側の立場でTwitterなどで発言してて、おそらく二次創作サイドで最も矢面に立ってるであろう、水龍敬さんのブログのエントリ「ニトロプラスのガイドラインに見る同人の今後」で、ちょっとだけアメリカン・コミックスについて触れていた。

 ので、そこにだけ言及しようと、思った。


 ……けど、引用した文章が、ホンの数行の文章ではあるのに対して、こちらのツッコミがかなり長くなって、「それはどうなのか」と自己批判。

 そんなわけで、やっぱりやめた。

<完>
  
  
▼と、自己完結しててもショウもないので:

 一応、ツッコンでみる(以下、結構な長文ですが、元の文章はもっと長かったのです)。


 その、具体的には、以下のリンク先の、

「ニトロプラスのガイドラインに見る同人の今後」

 中程にある以下の文章なのですが。

>そもそもが「非営利の二次創作活動に限ってこれを認める」ことで同人が健全化されるのなら
>フェアユースの抗弁権のあるアメリカがまさにそのもので、それならアメリカにもコミケがあっていいはずです。
>しかし現実には表現規制や法律の厳しさゆえに、一度生まれかけた商業コミック市場ですら壊滅し、
>子供の読み物として細々残存するのみです。日本の将来的なコンテンツ産業の在り方としては、最悪の見本です。


 まず、前段の、

>そもそもが「非営利の二次創作活動に限ってこれを認める」ことで同人が健全化されるのならフェアユースの抗弁権のあるアメリカがまさにそのもので

 という、日本語の意味が分からないのですね。

 何が「まさにそのもの」なのか、も少し噛み砕いて書いてはいただけないものか。

 ……こう、アメリカには著作権がらみの法律にフェアユースの概念があるから、非営利であれば二次創作同人誌は成立しうる……ということが言いたいのですかね。推測ですが。

 個人的には非営利であっても、図版の引用とかじゃなく、二次創作である以上、フェアユースにはならないと思いますが、まあ、オレが推測したことにオレがツッコミいれてもしょうもないですね。


 で、仮にアメリカの著作権にフェアユースがあって、非営利の二次創作同人誌が成立する、として、なぜそこから「それならアメリカにもコミケがあっていいはずです」という論旨に繋がるのかも、理解できないです。

 推測するに(推測ばかりですね)、

 非営利なら同人誌沢山作っていい→同人誌たくさん出る→同人誌を流通させる受け皿がいる→コミケが誕生する

 ……的な論旨でしょうか。いや、自分で書いてて論理展開おかしいから、推測間違ってるんだろうなぁ。

 ていうか、ここで言ってる「コミケ」ってのは、コミック・コンベンションとは違う意味合いなのかなぁ。

 ……とまあ、そんな感じで、言葉少なに書かれた文章から推測を重ねないとツッコミが入れられないので、できればもう少し噛み砕いて、論旨を解りやすくしていただきたいなぁ、と。


 で、後段の方、

>しかし現実には表現規制や法律の厳しさゆえに、一度生まれかけた商業コミック市場ですら壊滅し、
>子供の読み物として細々残存するのみです。日本の将来的なコンテンツ産業の在り方としては、最悪の見本です。

 という文章。

 ……ここ、何でアメリカの「同人誌の市場」の話じゃなくて、「商業コミック市場」(狭義には「メインストリームのコミックブックの市場」)の話をしてるのですかね?

 その、「コミケがあっていいはずです。しかし現実には~」って具合に文章が続く場合、普通は「現実にはアメリカにはコミケが成立していない」ことと、その理由となるアメリカンの同人誌界隈の状況を書くと思うのですが。なぜ突然、同人誌とは関係ないコミック業界の話になるのか。話が繋がっていません。

 水龍敬さんの中では繋がっている事象であるというなら、やはり、もう少し噛み砕いて説明して欲しいところです。


 というか、ここで語られてる「現実のアメリカのコミック業界」の話ですが、ブッチャケ、例の「アメコミはコミック・コードによって市場が壊滅し、子供向けのヒーローものしか残存していないのだ」とかいう、「使い古されたデマ」を元に書かれていますよね。

 文中の「しかし現実には表現規制や法律の厳しさゆえに」という一文を読むだに、下手をすると水龍敬さんは、コミックス・コードを「法律」だと思っているのではないでしょうか(違っていたらすみません)。


 水龍敬さんは、著作権について、二次創作のあり方について、同人誌を取り巻く産業について、きちんと見聞して、他人の話も聞いて、論理武装したうえで、理路整然と、エントリを書いておられる様なのですが。

 その水龍敬さんにして、アメリカのコミックの歴史とか1950年代のロイ・トーマスから連綿と続くファンジン文化とか、コミックス・コードと表現規制の歴史について、この程度の認識しか持っていない、興味がない。

 その事実が、わたくしの心を萎えさせるのであります。


 あ、いや、「アメリカン・コミックスについて勉強しろ」と言いたいわけじゃないですよ。

 単に、「知らないなら、無理に語らなければいいんじゃないかな」と言いたいだけです。

 ていうか、そもそも今回の水龍敬さんのエントリにおいて、上記の文言は本論とは関係のない枝葉の文章です。バッサリ削除しても成立する文言なんですよね。

 そんな語る必要の無い枝葉をいい加減に書いてしまって、どこぞの狂犬のようなアメリカン・コミックスのマニアに噛み付かれる隙を作る、実に面倒な話です。バッサリ削るべきでした(他人事のように)。


 よく知らないなら触れなければいいのに、なぜ半端な知識で語りたがるのか/語れると思うのか。

 語りたいのなら、最低限のことは調べる。

 調べるのが手間なら、最初から言及しないければいい。

 ただ、それだけのことなのに。


 都条例のときも、TPPのときも、「日本の偉大なるマンガ文化を守らなければ!」とかいう使命感に駆られて、長文でアジテートして、で、筆の勢いに乗って、「アメコミのコミック・コードみたいに、日本のマンガが規制されてしまう!」的な、半可通な知識で、アメリカン・コミックスという文化を無自覚に馬鹿にした文章をウッカリ書き飛ばした人々を見かけました。

 自国の文化を守ろうとして、大掴みでしか知らない他国の文化を腐して、「それに比べて日本の文化は偉大であることだ」という最初から用意していた結論で締める。

 どうなんでしょう、それは。


 自国の文化を守るために無数の人に己のアジ文を拡散し、結果、無数の人に他国の文化についての誤解を広める。

 正直、ウンザリです。


※一応フォローしておくと、「ウンザリです」は水龍敬さん個人に対してのものではなく、「なんか規制についての話題になると、半可通の方々がコミックス・コードについて語りたがる流れ」そのものにウンザリしております。


▼余談その1:

 こう、「何故アメリカでコミケが成立しなかったのか?」という命題について考えてたですが(※ここでの「コミケ」とは、「二次創作同人誌の巨大なマーケット」的な意味合いで書いております)。

 理由としては単純に、「アマチュアよりもプロの方が儲かるから」で、アマチュアに留まる理由は少なくて、故に、アマチュアの創作物のマーケットが必要以上に育たなかった、ということかと。

 むしろ、アマチュアの二次創作が全国規模で流通していて、半端なプロの収入を凌駕する市場を形成していて、「プロになるよりもアマチュアに留まっていた方が儲かる」ことすらある日本の方が、奇妙な発展を遂げていると思いますが、みなさまはどう思われるでしょうか。


▼余談その2:

 よく考えれば、アメリカのコミッション文化って、「著作権者から黙認されてる」「営利の二次創作活動」であり、同人誌に似てなくもないですよね(すいません、強引な論旨なのは承知してます)。

 でも、コミッションは、「プロとしての技量と知名度に応じて値段が上がる」わけで。いくら技量があってもアマチュアのコミッションは二束三文にしかならないわけで。やっぱり「プロの方が儲かる」構図になってるんですよね、と。


 以上、トリトメなく。
  
  

タグ:同人誌

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