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●最近のDCの人事。

2010.02.19 Fri

▼エンターテインメント、な日常:

 ここ数ヶ月のDCコミックス社の人事についての覚え書き。

※適切な訳語を考えるのが面倒くさいので、肩書きに関しては英語表記のままで行きます。

・2009年9月9日:

 ワーナー・ブラザーズ、DCコミックスのライセンス諸々を統括する新会社DCエンタテインメント(以下、面倒くさいときはDCEと略す)の発足をアナウンス。DCコミックス社はDCEの子会社になる。

 DCEおよびDCコミックス社のPresidentとして、ダイアン・ネルソン(※女性)が就任。ネルソンはそれ以前はワーナー・プレミア社にて『ハリー・ポッター』のライセンス業務等を統括。

 これに伴い、DCコミックスのPresident兼Publisherであったポール・レーヴィッツは降格し、DCEのContributing Editor兼Overall Consultantとなる。

 あとついでにレーヴィッツは、『アドベンチャー・コミックス』誌を皮切りに、DCのライターとして復帰することもアナウンス。

・参考:
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90003009&sid=adzR2d3o1vIs
http://eiga.com/buzz/20090911/2/
http://www.comicbookresources.com/?page=article&id=22870


・2010年2月4日:

 ポール・レーヴィッツが降格したことで、Senior Vice President兼Executive Editor(当時)のダン・ディディオが『ウォッチメン』のフランチャイズ化を進めている? とかいう怪しげな記事が出る。

 オリジナルの『ウォッチメン』の制作当時、アラン・ムーアと親しくしていたレーヴィッツは、これまで「『ウォッチメン』の続編とかスピンオフを作ろうぜ!」とかいう声が挙がるたびに、「あれは、あれ単体で完結してるものだからさ」的に却下していたのですが。今回の人事でレーヴィッツのDCコミックスへの影響力がなくなったために、ディディオが動き出してるらしいぜ、とかなんとか。

・参考:
http://www.empireonline.com/news/story.asp?NID=26914


・2010年2月18日:

 DCコミックス社が、ジム・リーとダン・ディディオをレーヴィッツの後任のPublisherとすることを発表(ていうかパブリッシャーが2人なんで、肩書き的には双方とも「Co-Publisher」になりますが)。

 加えて、ジェフ・ジョーンズがChief Creative Officerに。この役職は、ジョーンズいわく、
"Diane's asked me to take our comic book world, embrace it (as I do) and use it to lead the creative charge on bringing it all to film, toys, television, video games, animation and beyond."
 な、感じだとか。

 大ざっぱに言えば「DCのコミックの世界を他のメディア展開でお金がもうけられるぐらいに豊かなコンテンツにするためにがんばる仕事」。

 ま、ディック・ジョルダーノがVice Presidentになっただかの頃に、「お前の仕事はDCのコミックをもっともっと面白くすることだよ」とか言われたのと同じですな。

・参考:
http://dcu.blog.dccomics.com/2010/02/18/for-immediate-release-dc-entertainment-names-executive-team/
http://www.comicbookresources.com/?page=article&id=24897
http://www.comicbloc.com/forums/showthread.php?p=1574423
  
  
・個人的な感想:

 まあ、ディディオとジョーンズが偉い人になるのは、いいんじゃないでしょうか。DCのコミックスが、今まで以上に「ディディオ&ジョーンズ・ユニバース」になる様な気がしないでもないですが。

 ディディオにせよ、ジョーンズにせよ、オンゴーイング・シリーズでライターを務めつつ、これらの職を務めるのは、どうなんだろ、大丈夫かしら。

 つか、「偉い人がライターをしてるので打ち切りしません」とか、「TPB化の順番は偉い人優先で」とか、「偉い人の読みたいアンソロジーのTPBをバンバン出します」とかいうことになったら、それはそれで面白いかもしれぬ、と思った(俺が、ジェフ・ジョーンズのファンであったことに幸あれ)。


 あと、ジム・リーってパブリッシャーに昇格するほどの業績あげてるか? ってのが、疑問なんですが。絵はお達者だけど、管理職としてはどうなん?

(ちなみにアーティストからパブリッシャーに就任した先例としてはカーマイン・インファンティーノがいますな。この人の経歴や功績は、あんまりきちんと調べてはないので、比較とかはできぬのですが)

 とりあえず、まぁそんな感じで、今後を見守っていきたいですね、とか、適当にシメてみる。


 とりあえず、5月に新創刊される『リージョン・オブ・スーパーヒーローズ』のライターが、ポール・レーヴィッツなんで、買ってみようと思った。


・ポール・レーヴィッツ作品とか。

 近年、1980年代の『リージョン』やレーヴィッツ担当期の「JSA」などが続々とTPB化されてるので、容易に読めるのが嬉しいですね。
  
  
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タグ:俺メモ 編集者

●最近読んだマンガについて思ったこと。

2010.02.16 Tue

▼最近読んだマンガ:

『魔法なんて信じない。でも君は信じる。』 西島大介(太田出版・刊)

「描き下ろしマンガ原稿が、出版前に67ページまるまる紛失!! この史上最大規模の原稿紛失事件の当事者が、顛末そのものをマンガ化!!」という宣伝文句がつけられてた本。何をもって「史上最大」なのかは知らぬが、とにかく凄い自信だ。

 まぁ、そんな感じで、「原稿がなくなったんで単行本が出せないんで、他社でも出る単行本あわせの連動企画をどうするか」ってのを思案しつつ、「結局、原稿出てこないので、どのように補償するか」というのを版元と話し合ってくってのを、赤裸々に語ってるドキュメントっぽいマンガ。

 業界の慣例としてだいたい「原稿料の10倍」とされる原稿紛失の際の補償額に対し、クダンの原稿は描き下ろしマンガなので原稿料がそもそも存在しないというレアなケース、しかも版元はマンガ出版の経験値がロクにないので、無論、こうしたことに対するマニュアルもない。
 ……っつー具合なヤッカイな背景から、版元と作者がおそるおそる補償額を決めていくというのが、まぁ野次馬的な読者にとってのヤマ場。

 この交渉の経緯や結果は、「ま、本を読め」とか言う感じですが、最終的に版元は「印税」「部数」を根拠にした計算式で、補償額の基礎となる「原稿料(ページ単価)」の数字を割り出し、作者との合意を得ますわ。


 でー。

 個人的にはね、この原稿料の「計算式」がね、どうにも納得いかないというか。

 正直、出版社側が「作者に支払った金額を、総ページ数で割ればページ単価が出ねぇ?」的な、もっともらしいけれど、実際の現場では通用しない理屈を元に割り出した数字が、たまたま「作者が何となく評価していた自分自身の原稿料の値」と近似値だっただけに過ぎないと思うのですよ。このケースの場合。

 ブッチャケ、本書の作者と異なるキャリアの作家が似たような被害にあって、この計算式を元に原稿料を計算された場合、かなりデタラメな数字になるですよ。

 試しに、ページ数や定価は作者と同じ値で、部数のみ7500部/10万部に変えて計算してみると、かなりアリエナイ数字になります(特に後者はどこの本宮ひろしかと思うような額になります)。

※ちなみに計算式に用いられる部数は「初版部数」でなく「累計部数」。


 個人的には、印税とか部数とかの変数の多い計算式を導入するんじゃなく、シンプルに「作者の他社のページ単価を聞いて、それに幾分か上乗せした数字を原稿料の基本の値とする」とかでよかったんじゃないかと思うのですが。


 まあ、この計算式は作者自身も作中で「かなり例外的な算出方法」といってはいますが。こう、今後、他社で仕事してる作家が、なんらかの事件に遭った際に、このケースを根拠に原稿料の値を決める、なんてことはあり得ないでしょうし。

 ……ただ、今回の件で作者にこの計算式を根拠に保証金を支払った版元のみは、今後こうした事態が再発したら、この計算式を根拠に補償金を算出する、ということをアピールしたも同然じゃないですか。その、それが「根拠ある計算式」として出版社が提示し、作家の合意も得、しかもその経緯が印刷物として残されてる以上。

 それって、凄く怖いことじゃね? と思うのですが、どうでしょうか。

 とりあえず、ご友人などに「マンガの編集者」を生業としてる人がいましたら、この本を投げつけてやると、かなりドンヨリとした顔で返されて、下手をするとマンガの現場についての、どうにもならない愚痴を延々聞かされると思いますのでレッツ・トライ(毎度ナゲヤリなシメ)。


 あ、書き忘れてましたが、このマンガ自体は、非常に面白い本でした。主観を交えてることを自覚しつつ、冷静に事態の推移を伝えようとしてるトコが好感持てた。

 あと(1巻だけ読んでた)『トリポッド』の続きを読もうかなぁ、と思った。
  
  
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タグ:編集者

●編集者、な日々。

2010.02.12 Fri

▼以下は、余談(司馬遼太郎風):

 その、前回のエントリで語った、ミラー、ムーアのケースでは、担当編集者やその上の人間に作家経験があり、作家サイドへ理解があったことが共通してるのですが。

 こう、「作家から編集者に転じる、あるいは編集者から作家に転じる人間が多い」「中には編集者をしながら(時には出版社の重役を務めながら)作家として作品を発表する人間もいる」といった具合な、作家と編集者とが割合シームレスな位置関係にあることは、アメリカのメインストリームのヒーローものコミックスの現場の特殊性(※日本の現場と比較しての)として、念頭におくべきやもしれない、と、思った。

 あと、マーベル・DCの大手出版社ですら、「コミックス専門の出版社」であり、必然的に最初からコミックの編集者になりたい(あわよくば作家にもなりたい)人材が集まってる点は、日本の「大手総合出版社のマンガ部門に配属されてるサラリーマン」な編集者と比べてみると面白いかもしれない、と思った。

 印象論だけど、「出版社・編集者・作家」という関係において、日本の編集者はより会社に近い立ち位置なのに対して、アメリカのヒーローもののコミックスの編集者は、作家により近いのではないかしら。

 いやまぁ、「そんなん個人個人で違うがな」って結論にしか、なりゃしないのですが。向こうにだってサラリーマン編集者はいるだろうし。
  
  
 あともいっこ。その、日本においては「編集者の視点からマンガ史を語る」って行為が、割と困難ですが。主に「資料が残されてない」という、至極単純な理由で。

(あと日本のマンガは作家個人に権利が帰属してることから、「作家本位」の史観が、呼吸をするように当たり前になってるのでは、とか考えてみたがどうだろか)

 一方で、アメリカにおいては、1950年代頃からコミックに作家と編集者のクレジットを入れることが普遍化してることで、ある程度「どの作品を、どの編集者が担当していたのか」の足跡が追えるようになっているですわ(1950年代以前のクレジットに関しても、メジャーどころは出版社に残されていた記録や、当時の担当者の持っていた資料などで、ある程度補完されてますし)。

 加えて、スタン・リーやジュリアス・シュワルツといった名編集者は伝記を出してますし、その他の「一時代が築かれた当時に最前線にいた」ようなクラスの編集者は、ファンジンやコミック情報誌、あるいはコミック評論誌で、繰り返しインタビューに答えてるし。

 あとコミック・コンベンションにパネリストとして招かれて、その発言の記録が、やはりファンジンやコミック情報誌(『アルター・エゴ』とか『バック・イシュー!』な)に掲載されて、資料として残されてたりします(っつーか、1960年代のコンベンションでのパネルの記録とか残してるの、凄いよ。オープンリールデッキかなんかで録音してたんだろうか、それとも速記してたんだろか)。

 ……また本題から逸れて長々と書いちまいましたが、要するに、アメリカのメインストリームのヒーローものコミックだと、編集者という視点からコミック史の流れを追うことができる程度に、資料が残ってるわけですわ。

(この傾向は日本とは逆に、出版社に作品の権利が帰属してることが諸々起因してるんじゃないかと思う)
 
  
 でー、ね。

 その、日本ではマンガ史を語る上で、「編集者の視点で語る」という行為が、割とナチュラルに抜け落ちがちになってるが故に、逆に、海外のコミックのことを日本で紹介する際にも、ナチュラルに編集者という視点が切り捨てられて、作家本位でコミック史が語られてないかしら、と、思った。

 まぁその、単体の作品を語るんだったら「作家本位」でも別にいいと思うけど、「大人向けコミックの発展・成熟の歴史」とか「1980年代半ばのDCコミックスの奇跡」とか「マンガ・スタイルの流入」みたいな「時代の流れ」を語る際、あるいは「ゴールデン・エイジ~モダン・エイジ」までの「歴史」なんてぇのを語る時などには、要所で「編集者史観」を取り入れれば理解しやすくなるケースもあると思うのですよ。

 ──つか、単体の作品を語る上でもね、編集者史観を入れることで、その背景に奥行きだの多面性だのが出せますよ。

 例えば「何ゆえブライアン・ボランドは『キリング・ジョーク』を描くのに2年も費やしたのか」ってコトを語る場合。

 第一の理由としては、そら「ボランドという作家が凝り性だったから」ですが、企画の初期に担当編集者がレン・ウェインからデニス・オニールに変わったこと、そしてこのオニールがアーティストに関しては放任主義だったこと(なにせ2年間で1回しか打ち合わせをしなかったらしい。ミラーとは週に2、3度打ち合わせてた癖に)も、割と大きな理由だと思うのですよ。

 と、まぁ、そんな感じで、結論としてはコミックブックの流れみたいなのを語りたくなった時には、資料系のページで、該当の時期の各誌の編集者も気にしてみると、意外なつながりが見えてくるかもしれないぜ、とかいう取って付けたような感じのソレでどうか。

(……そろそろ自分でも何を語りたいのか分からなくなってきたので、唐突にオワル。<もう少し、書きたいことを頭の中でまとめてから書き出せよ!)
  
  
 こう、1990年代の邦訳コミックスが隆盛していた当時の日本におけるコミック史の紹介のされ方が、割合に編集者という視点が抜け落ちていて。それ故、「出版社・作家」という二極化した関係で語られてしまい、結果、例えばイメージ・コミックス創立のエピソードが「作家が作家性を獲得するための出版社との戦い」という聖戦・美談として(日本人って権力に立ち向かうプロフェッショナルって構図が好きだし)紹介されていた……とかいうことも考えたけど、まとまらないので書き捨てる。

(ていうか、「編集者という視点」とかどうでもよくなって、単にマクファーレンへの長々とした誹謗中傷になったので消した)  
  
  
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タグ:編集者

●アラン・ムーアとフランク・ミラーについてのどうでも良いハナシ。

2010.02.11 Thu

▼瑣末なことに対して、長々と書いてみる日々、つまりいつものタワ言――あるいは「アラン・ムーアとフランク・ミラーについてのどうでも良いハナシ。」などというタイトルで読者の気を引いて下らぬ長文を書き連ねる行為に潜む悪意について:

 こう、昨年末に出した『トワイライト・オブ・ザ・スーパーヒーローズ』の同人誌の原稿を書いてた際に、なんとなく、アラン・ムーアに言及してる日本のサイトを諸々見て回ってたのですわ。

 その1つが下記のブログのエントリでして。

●フランク・ミラーやアラン・ムーアの「作家性」への違和感[The Red Diptych]

※毎度、トラックバックの送り方がイマイチ分かってないのですが、送れてるのかしら。

 で、ですな。

 この記事の主題である「『ウォッチメン』とか『ダークナイト』単品でムーアやミラーを語るな」ってな意見には、大いに同意するのですよ。

 ただ、1箇所、引っかかるくだりがありまして。
 具体的には以下に引用する部分になるのですが。

 だから、フランク・ミラーの『ダークナイト・リターンズ』や、アラン・ムーアの『ウォッチメン』が、いきなり単独の作品として紹介されることはおかしいのだ。彼らは、最初から作家的自由を保証されていたわけではない。彼らは、「自由」などどこにも存在しない場所で、意識的に作家としての自由を勝ち取った。そして、そのことを理解するためには、ミラーなら『デアデヴィル』、ムーアなら『スワンプシング』を読む必要がある。彼らはいきなりオリジナルな独立作品を手がけたわけではなく、月刊二十数ページのコミック・ブックでの連載という、極めて不自由な環境を通過してきたのだ。

 その、オイラ的に引っかかる部分は、ですな。

 まず「月刊二十数ページのコミック・ブックでの連載」は、本当に「『自由』などどこにも存在しない場所」なのか? という点。

 それと、ムーアとミラーはそれぞれの出世作『スワンプシング』と『デアデビル』において作家性を獲得するために戦っていたのか? という点。


 前者は、その、アメリカのヒーローものコミックブックのオンゴーイング・シリーズを、こう、割りと恒常的に読んでらっしゃる人なら、「“『自由』などどこにも存在しない”ってほどでもないよね」と、感じるんじゃないかと思う次第ですが、どうでしょか。少なくとも、オイラは、作家に才能がある限りは、自由に作家性を発揮させてもらえる場であると、思います。

 ……つかむしろ、DCコミックスの現行の看板作家、ジェフ・ジョーンズ、グラント・モリソン、ジェームス・ロビンソンや、彼らのフォロワーな作家たちが、作中で好き勝手にやってる──マイナーキャラクターはザクザク殺し、メジャーキャラクターは腕をもいだり、トラウマ与えたりのヒドイ目に会わす──のを見るだに、「編集者はこいつらの創造性をもう少し抑えつけろよ」とか思わないでもないのですが。

 で、上記のように「今」を例にして「コミックブックって作家フリーダムじゃん! 自由だよ!」ってなことを書きますと、読んでる方におかれましては「それは今のことであって、ミラー、ムーアが『デアデビル』と『スワンプシング』を書いた当時は、事情が異なっていたんじゃないの?」ってな、しごく当たり前の反応が、脳裏に浮かんでるのではないかと思います。浮かばない方は、まぁ、今ここで浮かべてみてください。さあ。(強制かよ)

 ですが、個人的には、ミラー、ムーアが彼らの出世作を書いた当時の体勢も、現在に負けず劣らず、というかむしろ当時の方がフリーダムだったのではないかと思っております。


 具体的に例示してきましょうか。

 まず、ミラー。

 彼は1970年代後半にプロの作家(ペンシラー)としてデビューし、ゴールドキー・コミックスなどの当時のメジャーマイナー系の出版社で作品を発表してました。
 やがて1978年、ミラーは『ピーター・パーカー:スペキュタクラー・スパイダーマン』誌の第27~28号(カバーデート・1979/2-3)のアーティストを担当し、マーヴルでのデビューを飾ります。

 で、その後『デアデビル』誌のアーティストだったジーン・コーランがマーヴルを辞して、同誌のアーティストの座が空いたことを知ったミラーは、当時のマーヴルの総編集長ジム・シューターに直訴し、『デアデビル』誌第158号(カバーデート・1979/5)から同誌の新アーティストとなります。

 この総編集長のジム・シューターという人物は、まぁ、一言でいえば「伝説の敏腕編集長」というか(安っぽい表現ですが)。
 こう、若干13歳でDCコミックス社でライターとしてデビューした後、マーヴルに移って編集者兼ライターとして活躍、あっという間に総編集長の位置に上り詰め、当時コミック出版界ナンバー1の位置についていたマーヴルの玉座を盤石なものとした……ってな感じの、立志伝中の人物ですわ。

 ま、敏腕な人だけに同僚や作家との対立も尽きない人で、前述のジーン・コーランがマーヴルを辞した理由ってのも、とどのつまりは編集者時代のシューターと幾度かやりあってたコーランが、シューターの総編集長職就任により「今まで以上に仕事がしづらくなる」と悟って身を引いたためだったりしますが。

 ともかくもミラーがアーティストの座を得ました、この『デアデビル』誌ですが……ブッチャケ当時はマーヴルでも最悪の売り上げを誇り、いつ休刊になってもおかしくない雑誌だったりしました(だからこそミラーのような新人をいきなりメイン・アーティストに起用できたのですが)。

 そんな訳で、当時のマーヴルの営業からは「とっととこの不人気雑誌を休刊させろ」との突き上げがあったそうですが、シューターは「このミラーという新人のアートには見所がある」として、頑として休刊に応じなかったとのことです。泣ける美談ですね(まぁ、後年のインタビューでシューター自身が語ってることなんで、多少の脚色は入ってるでしょうが)。


 やがて、この『デアデビル』誌の担当編集者が代わります。それが、デニス・オニールでした。

 この人、元々は新聞記者でして。新聞にコミックスについてのコラムを幾度か書いてたのを、マーヴルのライター兼編集者だったロイ・トーマスに見いだされ、マーヴルでライターとしてデビュー、とかいう風変わりな経緯で作家になった人であります。

 で、その後オニールは、トーマスがDCに移ったために、あまりマーヴルから仕事をもらえなくなり、三流出版社として名高いチャールトン・コミックス社をメインに活動するようになりまして。
 やがてチャールトンの名編集者、ディック・ジョルダーノがDCコミックス社に引き抜かれたのを期にDCで仕事を開始し、1970年からライターを担当した『グリーンランタン』誌(正確な誌名は『グリーンランタン コ・スターリング グリーンアロー』。長いので略す)では、前職での経験を生かし、人口増加や人種差別、公害、若者に蔓延するヘロインの害などの社会問題を取り扱った一連の作品群を送り出して、一躍ライターとしての名を高からしめました。
 ほんでもって、1980年初頭にマーヴルに戻ったオニールは、アル・ミルグロムの後任として『デアデビル』誌の担当編集者となりまして(第163号:1980/3から)。

 さて、当時の『デアデビル』誌はミルグロム時代からライターを担当していたロジャー・マッケンジーが引き続き担当していたのですが、やがてオニールは「『デアデビル』誌が不人気なのって、このマッケンジーがあまり面白くないシナリオを書いてるからじゃね?」とかいうことに気づきます。
 他方オニールは、『デアデビル』のアーティストのフランク・ミラーから「『デアデビル』のバックアップ短編を書きたい」と直訴されます。

 とりあえず「ま、まずくとも俺が残業して書き直しゃいいか」的な軽い気分でミラーに書かせてみたオニールでしたが、ミラーから提出された脚本は、存外によい出来でした。

 そんなわけでミラーに脚本を書かせるのもアリだと考えたオニールは、まずはミラーとマッケンジーとの「共著」という形でコミックを送り出し(『デアデビル』第165、166号:1980/7, 1980/9 ※当時の『デアデビル』誌は人気がないので隔月刊だった)、その後『デアデビル』第168号から脚本・作画:フランク・ミラーという体制を始動させます。

 なお、ミラー本人が語ったところによると、実際には『デアデビル』第167号からミラーの脚本でスタートする予定だったらしいのですわ。
 ただ、この時ミラーが書いた脚本がドラッグをテーマにしたものだったために、コミックス・コード・オーソリティに拒否されまして。結局、デヴィッド・ミッチェリーニの書いた別の脚本にさし替わったんだとか(この回もアートはミラー)。
 ちなみにこの時ミラーが書いた脚本は、その後『デアデビル』第183、184号(1982/7, 1982/8 ※この頃は人気がアップしてたので月刊になってた)にてリメイクされてます。この時は無論、コミックス・コードは通っています。


 閑話休題。


 でー、この初の単独脚本となった第168号に、ミラーは女性暗殺者エレクトラを登場させまして、いわゆる「ミラーによる『デアデビル』黄金時代」な感じのソレが始まるわけですが。それ以降は、まぁ「みんな知ってるだろ?」って感じなんで省略します。知らない人は知ってる人に聞いてください(<ナゲヤリ)。

 ちなみに、『デアデビル』誌の脚本においてミラーが指向していたハードボイルド調の物語ってのは、ライターとしてのオニールの作風とも共通しておりまして。
 そんなわけで、ミラーの書く作品と波長があったオニールは、特に自分の意見を押しつけるでもなく、ミラーに自由に書かせたようです。
 後年のオニールのインタビューに曰く「我々は数多く打ち合わせをした。時には週2、3回も。私は提案し、促し、指摘し、拡張させたが、作品は彼らのものであり、私のものではない。私の仕事は彼らの内にあるビジョンに気づかせる手伝いだった」そうで。
 多分、ライターとして先輩なオニールが、まだ駆けだしのミラーに作劇のノウハウなどを伝授したりもしてたんじゃないかと思いますが。
 ……ちなみにミラーが『デアデビル』誌を降板した後、オニールは同誌の編集職を辞した上で『デアデビル』誌のライターに就任してます。自分でも書きたくなったんでしょうかね。


 ……と、まぁ、ミラーが『デアデビル』を担当した当時の同誌の環境は、こんな具合だったのですが。
 どうでしょ、「『自由』などどこにも存在しない場所」で、「意識的に作家としての自由を勝ち取った」ってなのとは、いささか具合が違うとはと思いませんでしょうか。

 個人的には、当時の『デアデビル』誌は、自由を保証されていた場であり、ミラーは作家としての居場所を得るために「アーティストになりたい」「脚本を書きたい」といった志願をする、ってな「戦い」はしたけど、その結果得られた居場所では、作家性を得るために「戦う」必要はなかったと思うのですが、どうでしょか。
 ていうかそもそも、ジム・シューターもデニス・オニールも、ミラーがその作家性を発揮する限りにおいて、彼に自由な場を与えてた訳で、「まず作家性ありき」だったと思うのですが、どうでしょか。


 さて一方でアラン・ムーアの場合。

 彼の場合は、すでにイギリスでデビューしてキャリアを積み、『マーヴェルマン』あたりでその作家性を遺憾なく発揮した上で、DCコミックス社のエグゼクティブのディック・ジョルダーノ、編集者のレン・ウェインらに乞われてアメリカでデビューをしたわけで。
 まぁ、この時点で作家性は保証されてたりしてた訳ですよ。ええ。

 しかも、彼の担当編集者のレン・ウェインは、ムーアに(アメリカデビュー作となる)『スワンプシング』を書かせる上で、「君が不都合だと感じるなら、これまでの設定はなかったことにして、新たな設定を作ればいい」と、事実上、『スワンプシング』の作品世界すべてをムーアに託してます。
 実に、全面的にムーアに作家性を発揮させようとした訳ですね。

 つか本来は、当時のムーアのような(アメリカでは)何ら実績のないライターに、自社のキャラクターを丸投げ、なんて真似はいくらベテラン編集者のウェインでもできないんですが。

 なぜ彼にそんなことができたかっつーと、まあ、1つには当時の『スワンプシング』が、やはり人気が最悪で、思い切った展開をする必要があった(逆にいえば、思い切り過ぎた展開をしても、割と許された)って背景があります。

 また一方で、編集者のウェインがスワンプシングというキャラクターの“オリジナルのクリエイター(ライター)”で、スワンプシングの扱いに関して暗黙の権限を持ってたから、というのもあります。

 そして何より編集者であるウェイン自身が、いい作品のためなら自分が過去に手がけた成果をブチ壊しても良しとするだけの度量のある人間だった、というのも大きいでしょう(普通、「俺の作ったキャラクターなんだから、俺の気に入らない作品はボツにする」とかいうことになります)。

 あと、ディック・ジョルダーノをはじめとする、当時のDCのエグゼクティブ陣(ジョルダーノ、ジャネット・カーン、ポール・レーヴィッツ)が、いずれも現場たたき上げの人間で(ジョルダーノはアーティスト兼編集者で、エグゼクティブをやりながらもインカーとして活躍。ジャネット・カーンは児童向け雑誌の編集者出身。ポール・レーヴィッツはDCのアシスタント・エディターからエグゼクティブに上り詰めた生え抜きで、1980年代後半まで月刊誌でライターも務める)、現場に理解があったことも大きく影響してるかと思います。特にジョルダーノはムーアを招聘して以降、常に彼のことを気にかけてたようで。

 そんな感じで、ムーアがライターに就任した当時の『スワンプシング』誌にしても、意識的に作家としての自由を勝ち取らずとも、普遍的に作家性を発揮することを保証されてた場所だったと思う次第でありますが。

 どうでしょか。


 あー、ちなみに上記のテキストは、「ミラー、ムーアの出世作である『デアデビル』『スワンプシング』は、別に不自由でも、作家性を獲得するために自覚的に戦わなければならない場でもなかったのではなかろうか」という点のみを指摘したいだけですので念のため。

 あくまでこの2例に限定した話ですので。「アメリカのヒーローものコミックスの現場すべてが自由に作家性を発揮させてくれる場である」とかいう訳ではありませんので。
「俺が考えたように書けば売れるんだからそうしろ」とかいえちゃう編集者、そういわれて作家性を発揮せずにいるライターなんざ、アメリカにだって普遍的にいます。

 あと、「ミラー、ムーアが己の自由に作品を書く上で戦ってない」とかいうことも言いたい訳ではありません。ただ、「戦っていた」事例として『デアデビル』『スワンプシング』をあげるのは不適切ではなかろうかと指摘したいだけです。
 つか、両者ともにコミックス・コードなんてぇ権力と幾度か戦ってましたし(ただ、毎月毎回コードと戦ってた訳じゃないし、戦うときは大概は編集者も一緒になって戦ってたことは忘れてはならんと思います)。


 以上、言いたいこと言ったので、オワル。



  
   
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タグ:編集者

●プレビューズっぽい日々@マーヴルとか4月の巻。

2010.02.03 Wed

4月のデッドプールさん 4月のマーヴルのプレビューっぽいソレ:

 引き続き、4月のマーヴルのプレビューズを見て、まぁ、ダラリと語ろうかという。

 4月のマーヴルっつーと、『シージ』全4号が完結しますね、と。

 っつーか、『シージ』タイインのワンショットのアラスジが全部「秘密!!!!!」とか書かれててウザったいですね(DCもちょっと前に『ブラッケスト・ナイト』で似た様なことをやってるのは気にしない方向で)。

 ま、俺個人は、『シージ』本編はおろかタイインも買ってやしないので、どうでも良いのですが。

 あと、4月はX-メン・タイトルでも「セカンド・カミング」クロスオーバーが始まってるけど(せめて5月からにしない?)、これもオイラはパス。通常買ってるタイトル以外は買わぬ方向で。

 今年の目標は「新刊の点数を極力削る」「買っても読んでないタイトルは単行本でいんじゃね?」とかいう感じなのです。

 てか、この辺は多分、日本国内のマーヴルの好きな人がブログなりにスキャン画像付きでアラスジ紹介をしてくれるんじゃないかと思うので、ソレを見て読んだ気になりますぜ(ナゲヤリ)。

 そして、アラスジだけしか読んでないのに、どこぞの掲示板で得々と作品論らしきナニカを語り出したり、あまつさえアラスジ書いてるブログのコメント欄に「これで買わなくても済みます!」とか嬉々として書いたりする、カッコいい「通なマンガ読みサマ」を目指そうと思うのだぜ(ナゲヤリ)。
  
  
 ……さて(シレッとした顔で)、先月(3月)は、3つのオンゴーイングシリーズに加えて『デッドプール・コーズ:タンク&フォウル』ワンショットと『プレリュード・トゥ・デッドプール・コーズ』第1~5号(1ヶ月で全5号のミニシリーズを終わらすなよ!)と、実に1ヶ月に9冊ものコミックが出てたデッドプールさんですが、今月はレギュラーシリーズ3誌+イレギュラー3誌と、ホンの6冊しか出ないので、一安心ですね。

 レギュラーシリーズのうち『デッドプール・チームアップ』は、「どうしてこうなった」で話題の「フランケン・キャッスル」さんとチームアップ。

 ちなみにこないだ気付いたんだけど、『デッドプール・チームアップ』誌って、号数のカウントを「899、898、987、986……」って具合に、逆から数えてるんですが、ソレを受けて、本来の「NEXT ISSUE」のページが「PREVIOUS ISSUE」になってるのな。うん、実にどうでも良い。

 で、イレギュラーのうち1誌『デッドプール・コーズ』は、ライフェルド先生がペンシラーということで(『イメージ・ユナイテッド』もまだ書き終えてないだろうに)、非常に4月に出るのかどうか、出てもマトモなアートになってるのかが不安ですね(無論、そういうグダグダさを楽しむのも、ライフェルド・ファンのあるべき姿勢ですね)。

 つか、『コーズ』って、レギュラーじゃなくて、ワンショットかミニシリーズのタグイだよね? さすがに第4のオンゴーイングシリーズとかだったら、単行本派に切り替えるぞ、俺は。

 あと、謎のワンショット、『キャプテン・アメリカ:フー・ウォント・ウィールド・ザ・シールド?』は、どうやらデッドプールさんが主役らしいですね。

 とりあえず、新刊情報のテキストを適当に訳してみた。

『キャプテン・アメリカ:フー・ウォント・ウィールド・ザ・シールド?』
 作:ひみつ/ペンシル&カバー:ひみつ
 スティーブ・ロジャースが帰ってきた! っつーか、野郎ときたら、あんまり急ぎすぎたんで、『リボーン』が完結する前に帰ってきちまったぜ! ま、俺が思うに誰も気付いてねぇだろうから、いんじゃね? なんにせよ、バッキー・バーンズが今のキャプン・アメリカじゃん? でもって奴は、『キャプテン・アメリカ』の編集者のトム・プレボートいわく「英文学史上、最上の文字と絵のマリアージュだぜ! 他の文学なんざクソ喰らえだ!」な同誌のストーリーにおいて、己の居場所を見つけつつある訳だ。
 さあ、バッキーはウィンター・ソルジャーに戻ってしまうのか? 他に候補者はいるのだろうか? てか、どうでもよくね?! 俺らが興味があるのは、そう! 誰があのヴィヴラニウム合金だかの丸っこい粗大ゴミを受け継がないか、そして続くマーヴルの一大イベントについてだ! 誰がシールドを受け継がないのか? もしかしたらそれは、君じゃないかも知れない!(みんなの不人気ヒーロー、デッドプールが特別出演するよ! ついに! デッドプールが! コミックに!)


 ……どんな内容になるかは、大体予想がつきますね。

 でもって、第25号で休刊となる『ケーブル』が、何故だか最終回だけタイトルを『デッドプール&ケーブル』に変えて、デッドプールさんが再びケーブルとタッグを組むとかで。……っつーても、『セカンド・カミング』のタイインではなく、その前の『メシア・コンプレックス』の外伝的な話で、ケーブルさんが赤ん坊のホープちゃんを救助した際に、実はデッドプールさんが協力してたのさ! とかいうアラスジ。

 っつーか、『セカンド・カミング』のまっただ中だというのにその中心人物である所のケーブルさんのオンゴーイングの本誌で『セカンド・カミング』と関係ない話をする、そのカブキっぷりには脱帽せざるを得ませんね。

 っつーか、最終回を迎えた今だからいうけど……『ケーブル』オンゴーイングシリーズって、総合すると「あまり面白くはない」話じゃなかった?
 その、X-タイトルのクセに、X-メンの世界と全く関係ない世界をウロウロするだけで、メジャーな敵はビショップただ1人っていう基本設定からしてアレだし。未来世界に登場するキャラも魅力ないし。
 こう、サービス的に『2099A.D.』に繋げてみたり(<繋げて喜ぶのはお前くらいだがな!)、マーヴルの未来を舞台にしたタイトルとか、時空間旅行系のキャラをゲスト出演さしたりすりゃいいのに(『X-ファクター』の未来編でトレヴァー・フィッツロイが出てきたのは凄ぇ嬉しかったよね?<「よね」っていうな)、実に硬派にオリジナルなディストピアを描き続けてて。
 ケーブルとホープのドラマは時々「うむ」とうなずかせるものはアルにはあったけど、それ別に「オリジナルのディストピアな世界」を舞台にしなくても描けるものだったし、っつーか、「うむ」とうなずかせる箇所以上に「ケーブルさん、人の親としてそれはどうなのよ」と思わせるシーンが多くて……(以下略)


 閑話休題。


 その他、デッドプールさんは『ワールド・ウォー・ハルクス』第1号とその後日談『H.O.H.』第1、2号、『ヴェンジャンス・オブ・ムーンナイト』第7号にもゲスト出演するようです。大人気ですね。

 ……『ハルク』関係のタイトルは買いたくないなぁ……買うけど。
  
  
 あと、『マーヴル・ゾンビーズ5』ミニシリーズが来やがりましたね。こないだのエントリで「さすがにもうないだろ」とかいってた俺さん、いい面の皮です(涙)。

 アラスジとしては、『マーヴル・ゾンビーズ3』の主人公のマシンマンが、ゾンビ・ウィルスの解毒剤を求めて西部劇風な平行世界に行って、ツー・ガン・キッドやキッド・コルトらのゾンビと戦うとかなんとか。

 ……とりあえず、単行本で買うことにしよう。さすがにみんな飽きてるだろうから、すぐにTPB出んじゃね(ナゲヤリ)。
  
  
 オイラ的に興味があるのは、こんなモンかね、と。

 いじょう(ナゲヤリ)。
  
  
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タグ:デッドプール プレビューズ

●プレビューズっぽい日々@DC4月の巻。

2010.02.02 Tue

▼4月のプレビューズの巻:

 っつーわけで、2月に入ってそろそろ4月発売分のプレオーダーも始まるので、DCの4月分の新刊について語りつつ、自分のオーダーについて検討するぜ、とか言う次第。

 とりあえず、DCの大きなイベントとしては、『ブラッケスト・ナイト』の完結を受けて、隔週で刊行される全26話のマキシシリーズ(っていうのか、この場合)、『ブライテスト・デイ』が開始。まあ、『ブライテスト・ディ』自体は、4月はプレビューである第0号が出るだけですが、いくつかのレギュラーシリーズで、タイインが行われる模様。

 まずは当たり前というか、『グリーンランタン』『グリーンランタン・コーズ』両誌がタイイン。4月は『コーズ』の方もジェフ・ジョーンズがライティングを担当。
『グリーンランタン』は『ブラッケスト・ナイト』において、7色のコーズの代表者らによって結成された「ニュー・ガーディアンズ」が、今後どうするのかしら、とか言う話。
『コーズ』は、『ブラッケスト・ナイト』で大ダメージを受けたGLCが今後どうしようかしらね、とかいう感じ。
  
  
 でもって、ミニシリーズ『フラッシュ:リバース』の完結を受けて創刊された、新『フラッシュ』オンゴーイング・シリーズも『ブライテスト・ディ』とタイイン。こちらもライターはジェフ・ジョーンズ。
 アラスジの「ローグスの誰かが、不可解な状況で死んだよ!」とかいう一文で、「あぁ、ジェフ・ジョーンズの第1話だ」というイワク言い難い感慨を抱く。

 もう、何ベン書いたか知らないけど、ジェフ・ジョーンズとジェームズ・ロビンソンは、新シリーズの第1話でとりあえず1、2人殺すのは辞めてください、本当に(涙)。
  
  
 でー、ジェフ・ジョーンズの師匠スジ(多分)の、ジェームズ・ロビンソンがライターを務めてます、『ジャスティスリーグ・オブ・アメリカ』第44号も、『ブライテスト・ディ』タイイン。ゲストにジャスティスソサエティ・オブ・アメリカ。

「『ブラッケスト・ナイト』最終話で登場したキャラクターがJLAに加入するよ! 謎の新ヴィランもでて、誰かがチームを移籍したりするよ!」とかなんとか。
  
  
 あと、『ブラッケスト・ナイト:ディレクターズ・カット』が80ページのボリューム出でやがるようで。カットされたシーンのスクリプトだとか、各作家のコメンタリーとか、イースターエッグとか諸々が収録されてるよ、とかで、裏話大好きな俺的に買わざるを得ぬ。
  
  
 4月のバットマン・フランチャイズは、まぁ、特にクロスオーバーもなく静かですね。割と個々の作家人気でもってるタイトルが多いので、別にクロスオーバーとかするよりゃ、普通に各誌の話を進めてるのがいいんでしょうね。


 でもって、バットマンとは対照的に、スーパーマン・フランチャイズではイベント「ラスト・スタンド・オブ・ニュー・クリプトン」が進行中。

 核となる全3号のミニシリーズ『ラスト・スタンド・オブ・ニュー・クリプトン』は4月にゃ第2、3号を刊行して一気にケリをつける感じ。

 ブレイニアックの最終計画を阻止するためにスーパーマン&リージョン・オブ・スーパーヒーローズが奮戦するけど、リージョンから犠牲者が出るかもよ! とかいう感じ。ライターはジェームズ・ロビンソン(また殺す気か!)。
  
 でもって、『アドベンチャー・コミックス』第10号、『スーパーガール』第52号、『アクション・コミックス』第888、889号(こっちも4月は月2回刊行)、『スーパーマン』第699号が、それぞれ「ラスト・スタンド・オブ・ニュー・クリプトン」とタイイン。ストーリーはまぁ基本「ブレイニアックと戦うよ!」とかいう感じですな。

『スーパーガール』で、現行版(っつーかジェフ・ジョーンズ版っつーか)リージョンのブレイニアック5とスーパーガールが初対面するけど、実はブレイニアック5的には初対面じゃない、とかいうパラドキシカルなストーリーがちょい気になる感じ。スーパーガールとリージョンは面倒くさいなぁ。ていうか、現スーパーボーイ(コン・エル)とリージョンの関係も、ややこしいことになってるけどな!

 あと『スーパーマン』第699号のアラスジの「Things look bleak for the Man of Steel and his people, but for all Brainiac’s knowledge, he still has one lesson to learn: Superman. Never. Gives. Up.」が、いい感じ。


 バットマン、スピリット、ドク・サヴェイジ、ジャスティス・インク、ブラックホーク他のパルプ小説のヒーロー&パルプ小説の後塵を浴びたコミックブックのヒーローらが共演する『ファースト・ウェーブ』は順調に第2号が。
 合わせて、『ドク・サヴェジ』、『ザ・スピリット』の新オンゴーイングシリーズが創刊。ライター、作家共に力の入ってることが解るメンツで面白そうですが、俺的には『ファースト・ウェーブ』だけ買うことにしてみる。

 その他は「まぁ、いつも通り」とかいう感じで、いつも通りに買う(ナゲヤリだ)。普段買ってない『グリーンアロー』およびミニシリーズ『アーセナル』は、『JLA:クライ・フォー・ジャスティス』とのタイインが続いてるんで、引き続き買うか。

 ……ていうか4月は『タイタンズ』は出ないのね。

 いじょう。

 次回はマーヴルのプレビューズの話になるんじゃないかと。
  
  
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タグ:プレビューズ

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