●限りなく、どうでもよき日常。
2011.09.30 Fri
▼実にどうでも良いことばかり書くことをここに宣言するものナリ:
いつまでも同人誌なぞのことをトップに載せ続けるのもアレなので、雑記を書いてエントリにするぜ、とか思うのですが、書くことが何もない。
アメリカン・コミックス読んでないのよ、最近(読みやすいんで邦訳は読んでるけど)。
そんなわけで、今日は開き直って、コミックスと関係ない、実にどうでもいいことを書き連ねてみたい。
▼カレーうまい:
オイラの作るカレーは、まあ、おいしいのですが、今ひとつお店のカレーのような、ピリリとした辛みがないのが、最近の課題なのである(どうでもいい)。
やはりこう、ルーの代わりに使いかけのパン粉とカレー粉を放り込んだり、その場の思いつきで牛乳だの豆の缶詰だのキャベツだの冷凍モツ鍋(コンビニで売ってるアルミ製容器のアレ)を放り込んだりと、適当極まる調味をしているからだろうか。
……今度は辛みや苦みに注目して、インスタントコーヒーとか漢方薬でも放り込んでみたく思う。
▼『ゆるゆり』面白い:
何となく気になってた『ゆるゆり』の原作を4巻まで読んだ。
面白かった。
個人的にはあかりさんが好きだなぁ。
こう、卒業したり引退したりして、部員が1人だけになった「ランタン部」の最後のランタンなカイルちゃんが、部員を増やそうと奮闘する部活百合マンガとか、どうか(どうか、じゃねぇ)。
▼『エグゾスカル零』第1巻読んだ:
まあ、連載第0回から「チャンピオンRED」で読み続けていたのですが。単行本を買おうかどうか悩んで、結局、発売日に買った。
やはり、おれらは無意識に少年マンガ『覚悟のススメ』の延長線上にある作品を求めてしまっているのだけど、作者的には、青年マンガ『シグルイ』の延長線上にある作品として、本作を描いている、という1点の齟齬が、本作に対する微妙なわだかまりとしてそこに存在しているよなぁ、と思う。
その辺りは作者も理解しているようで、第1巻の巻末にて、きちんと本作を執筆するに当たっての姿勢を表明していて。この後書きを読むことで、ようやくこちらも読む上での姿勢を正された、というか。その意味で、単行本を買ったのは正解だった。
掲載誌「チャンピオンRED」では、次号でようやくヒロインが登場するそうだけど、まぁ『覚悟のススメ』的なヒロインを期待してはいけないのだろうなぁ、とも思いつつ。
でー、少年マンガと青年マンガの姿勢の差、みたいなものをツラツラと考えてて、
「少年マンガには、割と丁寧に状況や主人公の行動について説明してくれる“解説役/ツッコミ役”が必須である」
「なぜならば、対象読者層が未成熟な少年であり、時にエキセントリックな行動を取る少年マンガの主人公の倫理観などを伝えるには、そうした噛み砕いた解説が必要だからだ」
「対して青年マンガは、ある程度成熟した人間が読むものなので、読者自身がツッコミ役に回れることもあり、そうした解説役/ツッコミ役が不在でも成立しうる」
といったことを考えてみた。
すなわち、『覚悟のススメ』では、「ムム、全裸!」「脱いでどうする!」といったツッコミが常に存在していたのに対し、『エグゾスカル零』では、そうしたツッコミ役のサブキャラクターが不在で、ナレーションも簡潔なことしかいわないという、この作劇の差は、すなわち、前者が少年マンガで後者が青年マンガだからという、対象読者の差なのだ、とか書くと、なんかそれらしくきこえはしまいか。しまいか。
▼11月分のコミックスの発注忘れてた:
死のう。
さようなら。
いつまでも同人誌なぞのことをトップに載せ続けるのもアレなので、雑記を書いてエントリにするぜ、とか思うのですが、書くことが何もない。
アメリカン・コミックス読んでないのよ、最近(読みやすいんで邦訳は読んでるけど)。
そんなわけで、今日は開き直って、コミックスと関係ない、実にどうでもいいことを書き連ねてみたい。
▼カレーうまい:
オイラの作るカレーは、まあ、おいしいのですが、今ひとつお店のカレーのような、ピリリとした辛みがないのが、最近の課題なのである(どうでもいい)。
やはりこう、ルーの代わりに使いかけのパン粉とカレー粉を放り込んだり、その場の思いつきで牛乳だの豆の缶詰だのキャベツだの冷凍モツ鍋(コンビニで売ってるアルミ製容器のアレ)を放り込んだりと、適当極まる調味をしているからだろうか。
……今度は辛みや苦みに注目して、インスタントコーヒーとか漢方薬でも放り込んでみたく思う。
▼『ゆるゆり』面白い:
何となく気になってた『ゆるゆり』の原作を4巻まで読んだ。
面白かった。
個人的にはあかりさんが好きだなぁ。
こう、卒業したり引退したりして、部員が1人だけになった「ランタン部」の最後のランタンなカイルちゃんが、部員を増やそうと奮闘する部活百合マンガとか、どうか(どうか、じゃねぇ)。
▼『エグゾスカル零』第1巻読んだ:
まあ、連載第0回から「チャンピオンRED」で読み続けていたのですが。単行本を買おうかどうか悩んで、結局、発売日に買った。
やはり、おれらは無意識に少年マンガ『覚悟のススメ』の延長線上にある作品を求めてしまっているのだけど、作者的には、青年マンガ『シグルイ』の延長線上にある作品として、本作を描いている、という1点の齟齬が、本作に対する微妙なわだかまりとしてそこに存在しているよなぁ、と思う。
その辺りは作者も理解しているようで、第1巻の巻末にて、きちんと本作を執筆するに当たっての姿勢を表明していて。この後書きを読むことで、ようやくこちらも読む上での姿勢を正された、というか。その意味で、単行本を買ったのは正解だった。
掲載誌「チャンピオンRED」では、次号でようやくヒロインが登場するそうだけど、まぁ『覚悟のススメ』的なヒロインを期待してはいけないのだろうなぁ、とも思いつつ。
でー、少年マンガと青年マンガの姿勢の差、みたいなものをツラツラと考えてて、
「少年マンガには、割と丁寧に状況や主人公の行動について説明してくれる“解説役/ツッコミ役”が必須である」
「なぜならば、対象読者層が未成熟な少年であり、時にエキセントリックな行動を取る少年マンガの主人公の倫理観などを伝えるには、そうした噛み砕いた解説が必要だからだ」
「対して青年マンガは、ある程度成熟した人間が読むものなので、読者自身がツッコミ役に回れることもあり、そうした解説役/ツッコミ役が不在でも成立しうる」
といったことを考えてみた。
すなわち、『覚悟のススメ』では、「ムム、全裸!」「脱いでどうする!」といったツッコミが常に存在していたのに対し、『エグゾスカル零』では、そうしたツッコミ役のサブキャラクターが不在で、ナレーションも簡潔なことしかいわないという、この作劇の差は、すなわち、前者が少年マンガで後者が青年マンガだからという、対象読者の差なのだ、とか書くと、なんかそれらしくきこえはしまいか。しまいか。
▼11月分のコミックスの発注忘れてた:
死のう。
さようなら。
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