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●最近のトランスフォーマーズ。

2012.05.23 Wed

▼どうでもいいつぶやき:

 こう、ノーススター以前にメインストリームのコミックで描かれた同性婚というと、『オーソリティ』のアポロ&ミッドナイター、アーチー・コミックスのケヴィン・ケラーあたりが思いつくけど、他にはいたかしら。

 ……アポロらにしても、ケヴィンにしても男性同士だけど、女性同士ってのは、メインストリームではまだないのかね。……いや、ピーター・ディヴィッドの書いた「女体化したマーシャン・マンハンターがアマゾンの女王の愛人にされそうになる」話はおいといて。

 個人的にはオブシディアンにも幸せになって欲しかったけど、リランチのおかげでゲイ設定(1990年代の『ジャスティスリーグ・アメリカ』が初出)どころか、オブシディアンの存在自体がアレなことになってて(涙)。

 以下、本題。


▼最近のクラシックス:

 なんかマーケット・プレイスで安かったので、IDWの『トランスフォーマーズ・クラシックス』第1巻を買ってみた。

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1980年代のマーベル・コミックス版『トランスフォーマーズ』の第1~13号までを収録。

 でー、パラパラめくってたら、『トランスフォーマーズ』第3号(マーベル・ユニバースからスパイダーマンがゲスト出演してる)が普通に収録されてたので、冒頭のクレジットを確認したら、マーベル・エンターテインメント社のコピーライトが入っていて。なるほど、きちんと許諾を取っているのだなぁ、と、思った(いや、当たり前のことではありますが)。


 ちなみに、この第3号の冒頭に挿入されてる解説によると、当時(1984年)はマテルが「マーベル・スーパーヒーローズ:シークレットウォーズ」のアクション・フィギュアを展開していたために、マテルのライバルである所のハズブロ原作の『トランスフォーマーズ』のコミックに(マテルでフィギュア化されてる)スパイダーマンを出演させるのはどうか、ということで、一旦は却下されたんだと。

 けど、マーベルの編集者がマテルにかけあって「御社の出しているスパイダーマンのアクションフィギュアとは“異なるデザインのスパイダーマン”を登場させるから」という条件で許諾を得て、スパイダーマンのゲスト出演を実現させたんだってさ。

 で、この“異なるデザインのスパイダーマン”ってのが、マテルの玩具とタイアップしたコミック『マーベル・スーパーヒーローズ:シークレットウォーズ』の作中でオリジンが描かれた、ブラック・コスチューム版スパイダーマンだったりするのが、面白ぇなぁ、と思った。

※クダンの交渉が行われた時点では、マテルの「シークレットウォーズ」シリーズではスパイダーマンの「いつものコスチューム」しか商品化されてなかったのよ。

 まぁ、1980年代当時は玩具とコミックスとのメディアミックス自体が黎明期だったんで、こういう現場レベルのトンチで色々切り抜けられてたのだろうなぁ、と、『トランスフォーマーズ・クラシックス』自体の感想を語ることなくオワル。
  
  
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●割と最近のライフェルド。

2012.05.16 Wed

▼最近のロブ:

 2月頃のニューザラマに掲載されてた、「イメージ・コミックスが20周年を向かえるに当たって、ロブ・ライフェルドに当時を回想してもらったよ」インタビューを、適当に訳した(どのくらい適当かというと、長々と書かれていた前書きをザックリ省略したくらい)。

 とりあえず、「ロック雑誌のアーティスト・インタビュー」風というか、インタビュアーが馴れ馴れしい口調で語りかけて、ロブがフレンドリーに答えてる感じで訳してみた。どうでもいいですが、ロブの一人称は個人的には「僕」なのです。

 しかし、過去の栄光を語る段になると、ロブがやたらと「僕の(my)」を多用するのね。これはとてもロブらしいなぁ、と思った。ウザイので微妙に削ったけど。


 今回訳しながら思い出したんだけど、オイラの初めての海外通販はロブ率いるエクストリーム・スタジオのバックナンバーを全部揃えるためだった。そして、初めて出したコミックの同人誌は『ヤングブラッド』本だった。どんだけ好きだったねん、当時。

 つか、当時そんだけ好きだったんで、今もロブを割と本気で支持してて、出されたコミックは漏らさず買ってんだけどね。

 オイラ的には、1990年代にイメージで精力的にクリエイター・オウンの作品を発表していたロブ・ライフェルド(当時もデッサン的には難はあったしスワイプもしていたけど、とにかくエネルギッシュで勢いのある絵を描いていた)という作家が大好きであったので、現状のロブに関しては「DCでの仕事をとっとと打ち切られて、『ヤングブラッド』他に集中してくれないかなぁ」と思う次第。

 ともあれ。




●ロブ・ライフェルド、1992年を回想し、クリエイターの権利を語る

ニューザラマ:やあロブ、まずは君らがマーベルを辞める直前を振り返ってみようか。君がマーベル/DC式のシステムを去り、イメージ・コミックスを創設するに至った最大の動機はなんだったんだい?

ロブ・ライフェルド:1992年にマーベルを去ろうとした動機かい? まず、僕のクリエイターとしての次なる発展の段階を求めて。それと僕の創作物を所有して、それらの行く末を僕自身が決められるように、ってところだね。
 仮に僕が『ニュー・ミュータンツ』と『X-フォース』のコミックスを数百万部売った後もマーベルに残っていたとしたなら……僕のキャリアは下る一方だったろうね。
 当時の僕はまだ23歳だった。僕は会社に僕の最高のストーリーとアート、それに創造物を送りだしていて、会社と僕は持ちつ持たれつの関係だった。
 僕はマーベルの雇用者として、やれるだけのことをやった。だからその次の段階として、僕の創作物をきちんと管理できる場で、僕の創造的なエネルギーを集中させるべきだと思ったんだ。
 僕は適切な場所、適切な時、適切な機会を求めていた。幸運なことに、僕には同様のことを感じていた仲間たちがいた――創造的な閃きを生みだすために力を合わせ、今でもそうあろうとしている仲間たちだ。

※仲間たち:一応解説しておくと、ライフェルドと共にイメージを創設した6人(計7人)のアーティストのこと。ロブ・ライフェルド、ジム・リー、トッド・マクファーレン、ジム・バレンティノ、エリック・ラーセン、マーク・シルベストリー、ウィリス・ポータシオ。


ニューザラマ:それは今もイメージ・コミックスの存在する動機であり続けてるのかい? それとも、“使命”は変わった?

ライフェルド:全くもって、今も同じ動機さ。
 15年前にキャピタル・ディストリビューションが消滅したことによる流通の条件と状況の変化によって、イメージのような会社の再来は不可能になった。とはいえ、僕らが作り出したレーベルは、次の段階に進もうとしているグループや個人にとって重要な意味合いを持つものとして存在しているよ。

※キャピタル・ディストリビューション:正確には「キャピタル・シティ・ディストリビューション」。イメージ設立当初は、業界第2位のコミックス流通業者だった。1996年に経営が破綻し、業界第1位のダイアモンド・ディストリビューションに買収された。長くなるので詳細は巻末のオマケを参照。


ニューザラマ:コミック業界にとって、イメージ・コミックス創設の伝説はどんな意味を持ってると思う?

ライフェルド:イメージの伝説は、創作の幅を拡げることを望む作家らが2大出版社に対して取りうる重要な選択肢になったね。


ニューザラマ:うーん、とてもシンプルだね。話を戻すけど、イメージの創設は君のキャリアにとってどんな意味合いがあったと思う?

ライフェルド:全てさ。あれは僕のキャリアにおいて唯一にして最も重要な決断だった。


ニューザラマ:さっき、イメージ・コミックスが唯一無二であり、キャピタル・ディストリビューションの消滅がそれに大きく関与してるといったけど、その理由を説明してもらえるかな?

ライフェルド:キャピタルは倒産する前までは業界第2のコミックス流通業者だった。彼らはイメージのような人気出版社のコミックスの流通を確保できるよう、僕らに扶助金を出してくれてたんだ。ただ、起業を考えてる作家たちにとって残念なことに、この扶助金はもはや得られない。イメージの再来はないというのは、僕の私見じゃない。単なる事実だ。
 ビジネスは変わってしまい、そうした扶助はもはや存在していない。だから、次世代のイメージは、今のイメージ・コミックスを通じて誕生することになるだろう、なぜなら、イメージの条件は、業界でもベストだからだ。

※イメージ・コミックスは、ずいぶん前から「自分のコミックを出版したいけれど、出版社を立ち上げるほどではない」作家のオリジナル作品の出版・流通を代行している(もちろん有償だが、ライフェルドいわく「業界でもベストな条件」らしい)。ライフェルド的には、そうしたイメージを通じてコミックを発表している作家たちから、次世代のイメージ・コミックス的な存在が生まれると考えている模様。


ニューザラマ:OKわかった。つまりは君の動機ってのは、君が次の段階に行く準備ができてたからだった。ところで君は、大会社での創作の自由の限界については感じていたかい? 僕らがトッド・マクファーレンにインタビューしたとき、彼は「1992年より前のマーベルとDCでは、クリエイターらがコミックスの編集方針に関わることは希だった」といっていたんだ。そうした決定は、作家抜きで行われてきた、とも。それは本当かい? 今はどうなんだい?

ライフェルド:時にイエス、時にノーだね。そもそも僕とトッドでは状況が異なるしね。
 僕は大概、新規のキャラクターの舵取りに関わっていた――そう、誰もケーブル、デッドプール、シャッタースター、ドミノ、フェラル、ケーンのことなんか知らなかった。それらは全て僕の頭からあふれ出した創造物で、故に僕はとてつもなく自由に彼らを動かせた。
 一方でトッドは会社で最も重要な、古典的なキャラクターを担当していた。なにせ彼は「スパイダーマン」を担当してたんだぜ? そりゃ、山ほどの不自由があったに決まってるさ。
 とどのつまりは、僕とトッドは異なる道を歩んできて、同じ場所に着地したってことさ。
 それで、僕のイメージでのゴールは、僕の次なるキャラクターを所有することだった。それまでの僕は既に充分すぎるほどの創造の自由を享受していて、そいつはとても素晴らしいものだった。だから僕は、もっとそれらに深く関わりたかった。そういうことさ。


ニューザラマ:ではロブ、イメージ創立以降、2大出版社での創造の自由は前進したと思うかい? 具体的にいえば、それらの変化は、君ら7人が1992年にしたことに影響されてると思うかい?

ライフェルド:100%その通りだ。特にマーベルは。彼らは作家らに気前よく振る舞わねばならなくなった。結果、マーベルで仕事をしている奴らは、よりよい報酬を与えられている。ま、僕はDC出身じゃないから、DCについてはどちらともいえないけれどね。


ニューザラマ:イメージ・コミックスの創設はコミック業界でのクリエイターの権利にどのような影響を与えたと思う?

ライフェルド:イメージの創設は、コミックスの歴史において最も成功したクリエイター・オウンの運動だね。


ニューザラマ:現状のコミック作家の権利についてどう思う?

ライフェルド:これまで通りさ。「創造して、自分で所有する」「創造して、他者と共有する」そのどちらかさ。――他の作家と共有するか、会社と共有するかはさておいてね。


ニューザラマ:本当に、その2つに帰結する?

ライフェルド:選択肢は、いつだって同じさ。


ニューザラマ:アラン・ムーアが、DCと結んだ契約によってクリエイティブな権限を“だまし取られた”と考えていることは、とても重大なことだと僕らは思うんだ。それで、例えばアラン・ムーアの『ウォッチメン』や『V・フォー・ヴェンデッタ』が1992年以降に生みだされていたなら――もしかしたらイメージから出版されていたなら――、状況は異なっていたと思うかい?

ライフェルド:僕は 『ウォッチメン』での彼の実際の契約がどんなものか詳しくない。それらを見たり読んだりしたこともない。でも僕は、彼が『スプリーム』『ヤングブラッド』『グローリー』それに『ウォーチャイルド』を書く上でサインしてくれた1996年の雇用契約書については知っているつもりだ。
 アランは雇用者の立場で、物凄く沢山の作品を書いてくれた――おそらくは彼がクリエイター・オウンで書いたものよりも多く。そしてそれは、彼が申し出たことなんだ。
 彼は初期のイメージでの仕事で、新たな『ウォッチメン』や更なる『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』を生みだすこともできた。でも彼はそうしなかったんだ。
 彼が僕にしてくれた仕事は非常に素晴らしい。僕はかくも長きにわたって彼と一緒に仕事ができたことが嬉しいよ。

※アランは雇用者の立場で、物凄く沢山の作品を書いてくれた:この場合、それらの作品の著作権をムーアは持たず、彼と雇用契約を結んだライフェルドのスタジオ側に権利が帰属する。


ニューザラマ:最近のクリエイターの権利についての話題といえば、ムーア以外にはゲーリー・フリードリヒがコンベンションで「ゴーストライダー」の関連商品を売る権利について論議されているね。これは雇用者としてコミックを描く作家につきものの問題だと思うかい? 自分が生んだキャラクターを他の誰かが所有してるってのは、どんな具合だい?

※ゲーリー・フリードリヒ:「ゴーストライダー(ジョニー・ブレイズ版)」のオリジナルのクリエイター。劇場版『ゴーストライダー』の公開に前後して、同キャラクターの権利を巡りマーベルを訴えた。“コンベンションで「ゴーストライダー」の関連商品を売る権利”というのは筆者は知らないが、まあ、書かれている通りのことをして、揉めたか何かしてるのだろう。

ライフェルド:ゲーリーの権利については、僕は完璧に同情しているし、彼の苦境を憎んでもいる。クリエイターが被害をこうむっているところなんて、見たくないさ。やはり僕は「ゴーストライダー」についての彼とマーベルとの契約については詳しくない。その当時はもっとファジーだったろうしね。
 僕がケーブル、デッドプール、シャッタースター、ストライフ、ドミノ、X-フォースその他を生みだしたときにサインした内容はキッチリ覚えている。それで僕は、作品に関与できた範囲、関与できる範囲を知った。同時に、それらのキャラクターらを僕が所有できないという事実も知ったのさ。
 だから、僕が『ニュー・ミュータンツ』に新キャラクターらをもたらし、成功したことは、結果的にイメージの設立へ向けての燃料ともなった。それらの経験は常に僕と共にある。
「サインしようとするものを良く読んで、理解して」ってのが、僕の与えられる最大限のアドバイスさ。


ニューザラマ:80年代後半や90年代前半にコミックブック・アーティストと作家たちの組合を作ろうとした動きがあったそうだけど、映画業界やTV業界の作家組合に似た感じの「コミック作家組合」ってのは成立しうると思うかい?

ライフェルド:いいや、さほど希望は持てないね。あの頃が(組合が成立する)最大の機会だったんだろうけど、その頃ですら成功する望みは薄かった。抵抗が多すぎたよ。
 そしてキャラクターが人々の意識を支配している現代においては、クリエイターへの信頼は、あの頃以上に低くなっている。故に今後も成立することはないだろうね。


ニューザラマ:話はまた戻って、イメージがいかにして集ったかについて聞きたいんだけど。そもそも君ら7人はどのようにして集まったんだい? そして君個人はいかにしてその運動に加わることになったんだい?

ライフェルド:うーん、僕はその運動に参加したんじゃないんだ。なにせ、僕が運動を始めたんだからね。
 元々は、僕とエリック・ラーセン、それにジム・バレンティノがインディーズ・レーベルを作ろうと集まったんだ。トッドは僕らのそうした動きを最初から把握してて、僕らが準備を進めていることを知っていた。かなり早い段階で、彼は僕らに相乗りしてきて、僕らの運動に更なる燃料を注ぐこととなった。
 やがて、ジム・リー、マーク・シルベストリ、それにウィリスがこの舟に乗ってきて、この運動はモンスターと化した。
 で、僕は我慢できなくなって、マリブ・コミックスと提携して『ヤングブラッド』を出版してレーベルを始動した。いわば僕はモルモット、実験台、そんな感じだった。『ヤングブラッド』の初動が約50万部という結果が出て、僕らは僕らのしていることが成功しうることを証明した。

※マリブ・コミックス:当時、精力的に活動していたインディーズ系出版社。複数のレーベルを持ち、資金の少ない作家らのオリジナル作品の出版・流通の援助も行っていた。最初期のイメージの作品は、このマリブの出版・流通サービスを利用していたので、表紙にマリブのロゴが印刷されている。

 いいかい、僕は仲間たちの中じゃ、とびきりの若造だった。僕には嫁さんもなかったし、子供もなかった。……住宅ローンもね。
 一方トッドは数ヶ月前に最初の子供が産まれたばかりで、バレンティノは、その、5人ほど子供を抱えてた。ジム・リーは奥さんが妊娠中だった、エリックも……もう結婚してたんじゃないかと思う。そう、僕以外の面々は、その当時の僕には関係のない、様々な日常の問題に苦労していたのさ。
 僕は単に若く、精力的なクリエイターで、自分の機会を最大限に拡げる時をうかがっていた。あの頃の僕は、狭き門を正に見つけたところで、飛びこもうとウズウズしていた。30代のロブなら、そんな20代のロブに“思いとどまれ”って説得してるところさ――もちろん40代のロブでもね。
 で、仲間たちは、僕のセールスを途方もないものだと思ったけど、一方で彼らもそれに匹敵するか、それ以上のセールスを挙げられるという確信も持った。――本当さ、みんなそう思ったんだ。“俺ならもっと売れる”ってね。で、実際その通りになった。そう、僕が“フォース”を束ねるのは運命だったんだ。


ニューザラマ:ふーむ、君の“『ヤングブラッド』が7人の絆を結んだ”話を聞くに、その後君らがマーベルのオフィスに押しかけ、会社を辞めたのは自然な流れだったんだね。でも例えば、マーベル側がいくらかの要求を呑むことで、君がマーベルに残留していた可能性なんてのはあったかい?

※マーベルのオフィスに押しかけ、会社を辞めた:イメージ・コミックス創立のきっかけとなった伝説のイベント。1991年12月のある夜、当時のマーベルの社長テリー・スチュアートのオフィスにライフェルド、リー、マクファーレン(ついでにマクファーレンの奥さんワンダと生まれたばかりの長女サイアンもいたらしい)が押しかけて、「僕たちがクリエイター・オウンの作品を描ける体制を作ってくれ、さもなくばマーベルを辞める」と直談判した(そして交渉決裂した)。

ライフェルド:いや、全く。さっきもいったように、僕はマーベルにとどまっていたら、下り坂にしか向かえなかったんだ。彼らは僕に次なるタイトルを創刊させる準備にかかってて、アセテート・カバー(※プラスチック製の表紙。1990年代中頃に流行った)で100万ドルの売上げを生み出せるのかを検討していた。
 強調しておきたいんだけど、ジム・リー、トッド・マクファーレン、それにライフェルドだけが、マーベルで100万部ものコミックを売ることができたんだよ。僕らはファンに偉大なる経験を、コミックブックの新しいフレーバーを与えることで、それを達成したんだ。
 当時はみんな、全てはマーケティングの成果だっていってた。それらは簡単に操作でき、再現できるものだって。だけど、再現なんてできはしなかった。確かにマーケティングも大事さ。けれど僕らは単なるコミックが、より大きな熱狂を生み出せることを証明したんだ。

※ジム・リー、トッド・マクファーレン、それにライフェルドだけが、マーベルで100万部ものコミックを売ることができたんだよ:この3人の部数の話についてはウチのブログのこちらのエントリも参照のこと。

 その良い例が『ニュー・ミュータンツ』第100号だ。こいつは18ヶ月も前から瀕死の状態で、生命維持装置に繋がれてたシリーズの最終号だった。僕らには何のギミックもなかった。カバーはビカビカしてないし、ヴァリアント・カバーもなしだ。単なるコミック、単なるカバーさ。
 でもこいつは、馬鹿みたいに売れた。――およそ60万部だったかな。売り切れて、3度も再刷された。ゴールド、シルバー、ブロンズ・エディションと出て、100万部を超した。これは、僕らがこの本の中、ストーリー上で築いたものが――新チームと新鮮なアイデアが、エキサイトを生み出したんだ。蛍光塗料のカバーかなんかから生まれたもんじゃない。
 事実をいおう。ジム、トッドと僕はイメージでも100万部の売上げを連発した、一方マーベルは、あれ以来(100万部を)出していない。彼らが映画で莫大な成功を収めている現在において、この事実はより重大な意味を帯び始めると思うね。
 当時の僕らは創造的な活力を持っていて、門戸は開かれていた。――ここで在野の若き才能に僕から助言させて欲しい。まず、「開かれた門戸ってのは、さほど長くは開いてない」ってこと。それと、ちょっとしか開いてないんだから、「開いてたら飛び込め」ってことさ。
 僕はこの10年の間、少なくとも1ダースの才能が完璧に開かれたチャンスを無駄にしているのを見てきた。彼らは次の創造的な飛翔を前に、非常に怖じ気づいてたか、あるいは見せかけの安寧に陥っていた。
 ああ、いつだってリスクはあるさ。でも、門戸が開いた時には、リスクを負わなきゃならないんだ。僕にとっては、1992年の時点でマーベルにとどまるってのはありえない選択肢だった。僕は僕のキャリアの次の段階を築かなければならなかったからだ。


ニューザラマ:トッドは、あなたたちがDCのオフィスも訪れてたといってたんだけど……。DCが適切な契約で君らを引き抜けた、ってことはありえた?

ライフェルド:僕はDCのオフィスに行ったことはないよ。多分、それには僕は呼ばれてなかったんだろうね。面白そうな話だけど、僕は知らないよ。当時僕らはDCと、彼らのキャラクターを扱った企画について話したことはある、でも、ほんの短い期間さ。


ニューザラマ:あれから20年がたつけど、イメージ創立当時の経験で、何を一番覚えているかい? 20年前を振り返るに――何が頂点だったと思う?

ライフェルド:あれは僕が今までコミック業界で経験した中で、もっともエキサイトな出来事だった。イメージの団結は空前絶後の嵐を生みだした。僕らは業界の誰もが忘れられないエキサイトに達したんだ。特にファンがね。
 僕らはファンのためのコミック出版社だった。彼らが僕らのキャリアを支え、僕らの成功を導き、僕らを頂点に押し上げてくれたんだ。
 そう、実にとてつもなかったよ。ゴールデン・アップル(※ロサンゼルスにある、著名なコミックショップ)で開かれた僕のイメージ・コミックス初のサイン会はね、1000人以上もの人が建物をぐるりと囲んで、店の裏手、隣のブロックまで伸びていったものさ。会は6時間もかかって、実にクレイジーなお披露目パーティだった。イメージは全てを変えてしまったんだ。
 このエキサイトが僕にとって最高潮だった。コミックに関わる全ての人々から受けたあの熱気……。あれはコミックスにとって真にスペシャルな時だったね。


ニューザラマ:当時のコミック業界からの反応はどうだった?

ライフェルド:うーん、イメージは、いわば“逆転サヨナラホームラン”で、業界の全てを変えてしまったんだ。そう、1992年8月に、7人の男たちが7つのコミックスを生みだしたことで、業界ナンバー2のコミック出版社が誕生してしまったのさ。
 そこに満ちていたのは疑念(僕らのね)、パニック(僕ら以外の出版社のね)、そしてファンと小売業者からのエキサイトだった。
 僕らは当時のイメージが到達したようなレベルの成功は想像だにしていなかった。本当さ。現実に対して、僕らの創造していたものは、遥かにちっぽけだったよ。そう、あれは、その一部であったことを誇りに思える、偉大な旅立ちだった。

※“逆転サヨナラホームラン”:原文では「the shot heard 'round the world」。まあ、意味は各自ググれ。


ニューザラマ:イメージとクリエイターの権利双方において、次なる20年に何を望むんだい?

ライフェルド:その辺の似たり寄ったりのコミックスよりも、よりエキサイティングなコミックスを見たいと思うね。お定まりの、教科書通りのもろもろにはもう飽き飽きしているんだ。
 単に、良いコミックブックが見たい。そしてそれらがクリエイター・オウン発だったなら、うん、そいつは実にファンタスティックだね。
 僕はコミックブックを愛している。それだけだ。僕はスコット・スナイダーの『バットマン:ザ・コート・オブ・オウルス』が、DCから出てるからといって嫌いにはなりはしない。そして、ブライアン・K.ヴォーンの『サガ』なら、どんなとこから出てようが愛せてたと思う。僕は単に良いコミックブックを求めてるんだよ。
 もしも作家らが自由な創造の場を与えられたなら――スナイダーやヴォーンのように――それは僕らの仕事全てにおいて良きことだ。委員会だか何だかから出るようなコミックは大概クズだよ。

※ブライアン・K.ヴォーンの『サガ』:『Y:ザ・ラストマン』他でおなじみ、ブライアン・K.ヴォーンが2012年から開始した新作。イメージ・コミックスから出ている。


ニューザラマ:では最後に……ロブ、イメージ・コミックスが20周年を迎えるにあたって何かいいたいことは?

ライフェルド:僕はイメージが導いてきた全てを、心の底から誇りに思う。イメージが1992年に在ったことは、業界全ての人々にとっての偉大なる成果だ。




▼オマケ:キャピタル・シティ・ディストリビューションの解散の流れ:

 キャピタル・シティ・ディストリビューションは、1990年代初頭までは、ダイヤモンド・ディストリビューションと並ぶ業界第2位のコミック流通業者だった。
 そのキャピタルが、何故にツブれたかというと……これが、当時のマーベル・コミックス社の行動が遠因だったりする。

 順を追って話すと、まずこの当時バブル景気に沸いていたコミック業界の中でも、ひときわイケイケだったマーベルが、1994年に業界第3位の流通業者「ヒーローズ・ワールド・ディストリビューション」を買収して、「自社で流通までも行っちゃおう!」としたのがそもそもの始まりになる。

 マーベルが自社流通を行うということは、従来の流通業者はマーベルの商品を扱えなくなる、ということだ(扱うにしても、卸値はマーベル側よりも高くなるので小売店に避けられてしまう)。この当時、マーベルはコミック業界で実に1/3ほどのシェアを誇っていたので、同社の商品を扱えなくなると、単純にいえば売上げが1/3減ることになる。

 実に、ひどい話だ(あまりにひどいので、後にキャピタルはマーベルを訴えたりもしている)。

 そんなわけで、売上げが激減することととなったダイヤモンドとキャピタルは、残った売上げを確保するために、DC、イメージ、ダークホースといったマーベル以外の出版社に対して諸々の便宜を図ることで、「販売特約」を結ぶ、という動きにでる。

 ――インタビュー中で、ライフェルドがいっていた、キャピタルから得ていた「扶助金」も、おそらくは「販売特約」のためにキャピタルがイメージに計っていた便宜の一環だろう。

 このダイヤモンド、キャピタルによる「販売特約」合戦は、最終的にダイヤモンドがマーベル以外の大手(DC、イメージ、ダークホース)と「販売特約」を結んだことで、キャピタルの敗北が確定する。

 結果、キャピタルは経営が破綻し、1996年にダイアモンドに買収された。

 しかも翌1997年、ヒーローズ・ワールド・ディストリビューションの経営も立ちゆかなくなり、マーベルはコミックの自社流通を辞めた(キャピタルにはいい迷惑だ)。

 そんなわけで、コミック流通業界はダイヤモンド1強になり、今に至る。

 なお、インタビュー中ではライフェルドはキャピタルを「倒産した(out of business)」といっているが、実際には上記のように買収されたのであり、倒産はしていない。
  
  
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●追記、的なもの。

2012.05.12 Sat

▼本題と全く関係のないつぶやき:

 こう、日本の同人誌文化ってば、「マンガ」でかつ「二次創作」なソレにウェートを置く形で、固有の発展をしてきたじゃないですか。

 でー、アメリカのコミックのファンジン文化ってのは、SFファンジン文化(テキスト主体)を色濃く受け継ぐ形で誕生してきた、全く異なる背景を持つ文化なわけで。一方でアメリカには、商業ベースでなくコミックスを描く「アンダーグラウンド・コミックス」という文化も、ファンジンとはパラレルに発達してきたるわけで。

 その辺の、見た目同じに見えるかもしんないけど、内実は異なるアメリカの文化を、日本的な尺度だけで測るのはナンセンスじゃないのかなぁ、と。

 いや、なんか最近、日本の同人界隈の識者らしき人が「アメリカの二次創作は出版社にコントロールされているんだッ(キリッ」的な、理解しづらい発言をしているのをそこかしこでみかけたもので。

 ていうか、アメリカ文化に通じた方がアメリカの同人誌文化について語ってるのも見かけたけど、ぶっちゃけ、それらの人が語っているのって、「その人が見た範囲での出来事」じゃないですか。「アメリカ全土の同人誌文化の傾向」なんてのを把握できてる日本人なんていないだろうに、と。

 いかん、余談が長くなった。


▼本題:

 前回書いたエントリに対して、くだんのテキストを書かれた高木亮氏が、ご自身のブログにて、多少、言及されていまして。

 で、そのテキスト中で、「ただ、文章の後半が、会ったこともない僕の性格を想像して、それに基づいて攻撃しているのは残念ですが」との指摘がありまして、自分の描いたテキストを読み返すだに「まったくもって、該当箇所は指摘のとおりに、勝手な憶測に基づいている」と、同感いたしました。

 そういったわけで、くだんのエントリ中の一部において、根拠なく批判的な言説を行ったことを、自覚し、深く反省したく思います。同時に、攻撃の対象となった高木氏にも、「申し訳ありませんでした」「残念がらしてしまい、すみません」と、謝意を表明したく思います。


 なんであの箇所を書いてしまったかを回想するだに、「勢いづいて筆が走った」としかいえないわけで、その辺、抑制の効いたテキストを書くように、今後精進したいな、と思う次第で。割と最後の最後で変な感情に押されたテキストを書くよなぁ、俺は、というあたりを自覚したく。


 そういや、前回のエントリに関して、オイラが「私怨」だの「嫉妬」だのであれらのテキストを書いたのだとか述べてる方がおられましたが、それらの方に対して、オイラが「会ったこともない僕の性格を想像して、それに基づいて攻撃しているのは残念です」と、コメントしてもよろしいでしょうか。

 いや正直、対象への怨みとか嫉妬とかの感情なしにああいうテキストを書いてしまうこと、すなわち相手の人格とかどうでもよくて、相手が書いたテキストだけにしか興味がない、というこの俺の「情報偏重」な態度をこそ問題にすべきだと思う(他人事のように)。
  
  
関連記事

●最近のブラックグローブとか。

2012.05.10 Thu

▼前書き:

「月1回は更新する」「ブログ上段に“30日間更新しないと出る広告”を出さない」が秘かな目標のこのブログですが。

 気づけば上段に広告が出やがってたので、イソイソと更新するモノなり。

 でー、こう、いつもの様な雑記をまとめてたら、雑記のネタの1つに過ぎなかった「邦訳版『バットマン:ブラックグローブ』掲載のテキストに対する批判的なテキスト」が長くなったので、これを独立したエントリにすることとする。

 ……こう、かつての「クオリティや訳の好き嫌いをいえるほどに出てない」状況下ならばいざ知らず、潤沢に邦訳アメリカン・コミックスがリリースされている昨今に置いては、我々読者も、個々の本の内容・クオリティの是非についても論議をしていける段階に来ているのではないだろうか? ……とか書くと、以降に続くテキストが「正統な批評」にすり替わりませんか。どうですか(<投げやり)。

 そんなわけで。


▼最近のブラックグローブとか:

 邦訳版『バットマン:ブラックグローブ』を読んだ。

 モリソンのあの時期のバットマンの中でも、オイラ的に買えてなかったあたりなので、日本語で読めるのは楽しいし楽だし、略して楽楽だなぁ、と思った。

 ヒーロークラブの話とか、モリソン的にはきちんと時系列とかトリックとか考えてるんだろうけど、その辺きちんと説明せずにすっ飛ばして結果だけ描いてるあのスピーディーさが良いなぁ、と。


 で、巻末に翻訳者の人が「コメンタリー」と題して1ページ2段組で延々と書いてるテキストが、個人的に今ひとつな文章で、「これはコメンタリー(注釈・論評)ではなくインプレッション(感想)であるなぁ」という感慨を抱いた。

 ただ「まいうー」「まいうー」と連発してるグルメレポーターじゃあるまいし、「驚くほど豊かな想像力」「想像力の限界に挑戦」とかいう、実感に乏しい形容詞で1950年代の「バットマン」諸作品を持ち上げられても、あんまりこっちの心に響かないというか。

 そうした翻訳者の「感想」めいた、無邪気な美辞麗句を並べただけのテキストを載せるくらいなら、きちんとしたライターに「解説」を書いてもらった方が、単行本としてのクオリティは上がるし、読者にとって1950年代のバットマンの古典に対する「重み」も増すのではないかなぁ、と思った。


 個人的に、このテキストで一番気になったのが、「1950年代の大衆文化でSFが流行していた」理由としてあげられてる、「おそらくはウェルズが撒いたSFという種が、後世の作家によって大切に育てられ、50年代という戦後の開放感のなかで大きく花開いたのだろう」って箇所ですが。

 ……その、正直、この説明、視点がマクロすぎて、なんでも当てはまりますよね。

 何でも当てはまるが故に、何ら説明になってないですよね。この文。

 例えば、「1930年代のアメリカでSFがゴールデン・エイジを迎えた理由」。これも、「おそらくはウェルズが撒いたSFという種が、後世の作家によって大切に育てられ、大きく花開いたのだろう」といえるじゃないですか。無論、説明になってないですが。

(てか、このテキスト書いた人にとって、1930年代のSF黄金時代は、「大きく花開いて」ないんですかね)

 あるいは、ニューウェーブSFやサイバーパンク・ブームといった時代ごとの流行も、「おそらくはウェルズが撒いたSFという種が、後世の作家によって大切に育てられ、大きく花開いたのだろう」っていえますよね。

 ヤマトとかガンダムとかエヴァンゲリオンのブームも「おそらくはウェルズが撒いたSFという種が、後世の作家によって大切に育てられ、大きく花開いたのだろう」。

 昨今のSFっぽいラノベが続々アニメ化されるのも「おそらくはウェルズが撒いたSFという種が、後世の作家によって大切に育てられ、大きく花開いたのだろう」と。


 というか、これはオイラ個人の憶測ではありますが、このテキスト書いてる方は、多分、1950年代のDCのSFブームを語る上で割と外せない要素である、

・戦前~1950年代に至るまでのアメリカSFの流れ

・1940年代~1950年代のナショナル・コミックス(DCコミックス)社の歴史

 の2点をあんまり調べていないと思うのですよ。

 ……そのね、1950年代のDCでのSFなコミックスのブームって、とどのつまりは、当時の同社の編集者であるモート・ワイジンガーとジャック・シフ、それにジュリアス・シュワルツの3人の影響が大じゃないですか。

 ご存じない方に説明しますと、この3人は、当時のDCの有力な編集者であると同時に、戦前(1930~40年代前半)のアメリカSF界において重要な役割を果たしていた人物なのですよ。

 シュワルツはH.P.ラヴクラフトやエドモンド・ハミルトンといったSF作家の代理人をしていたし、シフはパルプ雑誌出版社スタンダード・パブリケーションズの編集者として辣腕を振るってた人物で。ワイジンガーは、そのシフに雇われて「スタートリング・ストーリーズ」や「ワンダー・ストーリーズ」の編集長を務め、ハミルトンと共に『キャプテン・フューチャー』を生みだしてます。

 あとハミルトンやアルフレッド・ベスター、それにオットー・バインダー(イアンド・バインダー)といったSF作家が、1940年代から1950年代にかけてDCでコミックのライターをしてたのは、この3人とのツテがあったからなわけで、いわばこの3人が、当時のSF業界とコミック業界の橋渡しをしていたんですよ。

 そんなわけで、1950年代のSF系コミックスの小ブームは、「1930年代からのSF黄金時代」と、その流れの中心にいた編集者らが、「1940年代のコミック黄金時代」にコミック業界に転身したという流れを踏まえて語るのが至極当然なのですね。

 だのに、このテキストでは、それらの事象には全く触れず、「19世紀のH.G.ウェルズの撒いた種が、1950年代に花開いた」ですよ。

 これ……やっぱり、当時のSF/コミックス界隈について、あんまり調べずに書いてますよね?



追記:以降の記述に関しては、くだんのテキストを書かれた高木亮氏から「ただ、文章の後半が、会ったこともない僕の性格を想像して、それに基づいて攻撃しているのは残念ですが」との指摘がありまして。
 筆者(たけうち)当人も振り返ってみるに「その指摘はもっともであり、カサにかかって勝手な文章を書いてしまっている」と、同意・反省をするものであります。
 そういった訳で、以降の文章ですが、上記のような指摘が成されていて、筆者もそれについて自覚しているのですが、今から文章の改訂や削除を加えることは余分な混乱を招くのでそのままにしている、ということを踏まえて読んで頂ければ幸いです。




 で、ね。

 オイラが思うに、この人は、書くテキストの起承転結や「自分のいいたいこと」をキチンと設計してから文章書くタイプで、余計な枝葉とか寄り道を嫌うのだろうな、と。

 で、予定の起承転結を書ききった上で、文字に余裕があったら、「1950年代の有名なSFのタイトル」とかの例示を盛り込むなりして、あくまで既定の起承転結はブラさないタイプ。

 ……多分、この人、文字数が今の倍あっても、もしくは半分でも、内容の濃さや・構成的には今のと何ら変わりないテキストを挙げてくると思う(むしろ、文字数を今の半分くらいにした方が、密度のあるいい文章になるかも)。

 いや、そういう書き方のスタイル自体は、悪いことではないのね。この手法だと、内容がブレない文章が書けるし。多分、このテキスト書いてる人って、そういう内容のブレとかを嫌う生真面目な性格だと思うし。

 ただ、今回みたいに「自分のいいたいこと」の根本の理屈が「おそらくはウェルズが(略)だろう」みたいな、あまりよく調べず、裏付けに乏しいものだった場合、本文が長くなればなるほど、内容は空虚な文章になるのね。

 その辺の中身の虚ろさが、今回このテキストに対してオイラの感じた「今ひとつ」な感じの原因であるな、と。


 それとこの人、生真面目に「自分のいいたいこと」「伝えたいこと」を読者に伝えることに一生懸命で、読者がその伝えられたことを「面白がるか」という根本的なトコは、割と二の次になってると、思う。

 こと邦訳アメリカン・コミックスのテキストにおいては、石川裕人氏という、きちんと裏付けのある知識に基づいた上で、サービス精神にあふれたテキストを書ける人が「基準」として在るのが、まぁ、ある意味で不幸なことなのかも知れませんが。


 ――今気づいたけど、「日本人によるアメリカン・コミックスについて語るテキスト」の批評において、石川裕人氏を引き合いに出すのは、割と卑怯ですね。このカードを切ってる限り、相手の反抗をかなりく封じられるという意味で。

 以上。
  
  
 ――あとこのテキスト書きながら、もう1個、「今ひとつ」と感じた理由に気づいたのですが。……その、非常にミもフタもないことなのですが、この人、毎回テキストの構成が同じなんですよね。

 こう、1段落目は、「人間から想像力を奪ったら何が残るのだろう」みたいな、一見、コミックスと関係ない語りかけとかで。

 その後、「本書に収録されている作品群はおおむね1950年代に発表されたものである」的なコミックの説明が続いて。

 で、ひととおり説明を書き連ねたら、「グラント・モリソンという作家が彼らのアイデアを加工して、バットマンの世界を新たな次元へと高めた、すごい」的な、「感想」でまとめに入って。

 その際に、1段落目で言及した「想像力」というキーワードを繰り返すことで、それらしいシメにするという、まあ毎度そんなスタイル。

 その、冒頭に本題とはズレてるっぽい話をしつつ、文章のシメで冒頭に語ったことに繋げるってスタイルは、割とこう、読者に強い印象を残せるし、書いてる方も「俺って技巧派だぜ!」っていう自己満足に浸れる(<ヲイ)、お得な手法なんですが。

 ――ただ、邦訳アメリカン・コミックスがコンスタントに刊行されている昨今、この方のテキストを読む機会も増えてるわけで。でー、どのテキストも同じスタイルで書かれていると、さすがに新鮮味はなくなるよね、と。


 以上(2回目)。
  
  
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