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●『ゴーストライダー2』を見た。

2013.02.19 Tue

▼『ゴーストライダー:スピリット・オブ・ヴェンジャンス』を見た:

 見た。

 南船橋のららぽーとのTOHOシネマで、土曜のレイトショーで、見た(どうでもい)。

 開場45分前に劇場に行って、座席指定席を買ったら、全席が空いてて微妙に嫌な予感がする。

 その後、松屋でマーボーカレーなぞ喰って暇をつぶして、微妙に遅れ気味に入場。

 予想通り、観客オイラだけ。

 だよなぁ。この手のアクション映画好きは、今日(2月16日)は『ダイ・ハード』見に行くよなぁ、とか思いつつ、半ばヤケ気味に「俺専用シアター」でくつろぐこととする。

 左右の席にドカリと荷物置いて、上着も投げて、ひじ掛けも独占。周囲を気にせずスナック菓子を噛み砕き、コーラを飲み、寒くなったんでおもむろに立ち上がって上着を着る……空しい。


 ああ、いっときますが、以降のテキストでは、『ゴーストライダー』を2作とも見てる人を対象に、ネタバレとか全く気にせずに書いてますので、「見てない人」は読まない方がいいと思います。



▼映画の感想:

 手短にいうと、「オイラも『ダイ・ハード』見ればよかった」。<待て。

 まあその、『ゴーストライダー1』よりは、退屈しない映画だった。

 なんつーか、前作は要所要所が退屈で──極論してしまえばゴーストライダーがバイクに乗ってるシーン以外の全てが退屈で──ヒマな時間に「なぜこの映画はつまらないのか」というのを冷静になって考え込んでしまい、ミルミル冷めた鑑賞態度になる、って感じでしたが、今作は、その、突っ込みどころの多い脚本ですが(<ここ大事)、とりあえず何かしら事件が起きてるんでそんなに冷静になる、ヒマなシーンは少なかった(<「少なかった」であって、ゼロではない)と、思う。


 ……けど、冷静になってみると、個人的には『ゴーストライダー1』の方が好き、かもしれぬ。<待て待て。


 確かに、『ゴーストライダー1』は、「ゴーストライダーがバイクに乗ってるシーン以外」の全てが退屈な映画ですよ。この際、そういい切りますわ。けど、あの映画の「ゴーストライダーがバイクに乗ってるシーン」は、それ以外の退屈なシーン全てを補って余りあるほどカッコいいのね。

 要するに、

「『1』のゴーストライダーがバイクに乗ってるシーン」>『ゴーストライダー2』>『ゴーストライダー1』のバイクのシーン以外

 という感じなのよ、個人的には。暴論なのは自覚してる。


 もいっこ暴論いっとこう。本作の最大の見せ場である、ゴーストライダーが地獄のバスケットホイール・エクスカベーターで大暴れするシーン。

 ビジュアル的にすげぇインパクトあるのは認める。あのアイデアを考え付いた人には、ノーベル・エクスカベーター賞をあげていいと思う。

 ……認める……けど、アレはゴーストライダーじゃねぇと思う。

 ゴーストドライバーだ。

 つか、アレがアリなら、戦車でも戦闘機でも乗ればいいじゃん。バイクいらんだろ、と。


 最後の暴論。本作の最大の魅力は役者バカ、ニコラス・ケイジの怪演なのは疑いようはない。ないけれど、その、ミもフタもないことだけど、やっぱりオイラには、ジョニー・ブレイズとニコラス・ケイジを同一視できない(<お前、この映画を根底から否定したぞ)。


 あと、突っ込みどころ、適当に。

・ゴーストライダーの設定:

 前作が、メフィストの呪いでゴーストライダーになったのに、「ペナンス・ステア」が使えるという点が、とても納得いかなかったのですが、今回のゴーストライダーは、ペナンス・ステアを持ってなくって胸をなでおろしました。

 今回のゴースティは、悪人の魂を吸い取るぞ、というのが悪魔的でいいですね……と、思ったら、中盤「ザラトスは元天使だったのだ!」とかいう適当な設定が出てきてアゴを外す。じゃ、ペナンス・ステアOKじゃん! 前作にその設定を分けてやれよ!

 あと、「魂を吸い取る」っつーから、てっきり『スペースバンパイア』みたいに口からCGの魂をヒュゴゴゴって吸い取るような派手な絵があるのかと思ったら、なんか、悪人と長々見つめ合うだけで、特に吸われてなくね? って感じで拍子が抜けました。

 つか、「恥ずかしい告白をして、変な部屋に入ったら、呪いが解けたよ!」とかいうあの展開さ。

 なにあれ。

 なにあれ。

 なにあれ。

 そんな軽くていいのか、ゴーストライダーの呪いが(真顔で)。


・ゴーストライダーのビジュアル:

 ぶっちゃけ、前作の方が好き。

 つか、今回、「ゴーストライダーの炎で革ジャンが焼け焦げてる」とかいう無駄なリアリティを取り入れてるけど。

 あれさぁ、単なるケシズミにしか見えない。

 スゲェカッコ悪い。個人的に。

 つか、「ゴーストライダーの炎は地獄の炎かなんかだから、革ジャン焦げないのだよ!」とかいう開き直りでいいと思うのよ、そこは。

 だってさ、ゴーストライダーからジョニーに戻ったら革ジャンが元に戻ってるとか、ラストのゴーストライダーがダニーを抱きかかえてるシーンで、革ジャンがプスプス焦げてるのに、ダニーはぜんぜん熱そうじゃないとか、変じゃん? 1個リアルを追求したら、別の箇所に無数のアンリアルが生じちまってるのは、どうかと思う。


・中ボス:

 前作の良く分からない四天王みたいな雑魚キャラに比べたら、キャリガン/ブラックアウトさんはシブトく頑張ってたと思います。

 個人的には、コミック版のブラックアウトの超能力「自分の周囲の光を奪って真っ暗闇にできる」というソレを無駄に凝った映像表現で再現してるのは、すばらしいと思う。

 けど、あの超能力について、劇中でなんら説明されてない(なかったよね?)のは、製作者の正気を疑う。

 アレ、知らない人が見たら、超能力じゃなくて、演出的な何かで周囲が真っ暗になってると解釈すると思う。

 今作が割とスローモーションとか、早回しとか、解説アニメとか、ビジュアル的な演出を多用してるだけに、「その1つ」だと思っちゃうだろ、アレは。


・ラスボス:

 ロアークさん、全体的に、ショボイ。

 キャリガンを蘇生させて、ブラックアウトにしただけで、魔力オシマイとか、どうかと思う。

「実は部分的にダニーに憑依してました! フハハ、手が出せまい!」とかいう展開を期待してたら、「儀式に失敗したので逃げます」とかいうラストバトルのショボさはどうにかならなかったのか。

 つか、ロアークさん、儀式に失敗してるのに、何でダニーを連れて逃走するのか。もういらんやろ。

(人質? でも本作のゴーストライダーが人質が通用する相手じゃねぇってのは、ロアークさんが一番良く知ってるよね?)


・オチらしきもの:

「こんなツッコミどころばかりの、アホウな脚本を書いたのは誰だ」とか思いながらスタッフロール見たら、ディヴィッド・S.ゴイヤーだったので「ゴイヤーじゃしょうがねぇや」と思いました。


・フォロー:

 まあ、色々とツッコミを入れましたが、そうやってツッコんで楽しむことのできる、憎めないB級映画ということ、ですよね?(棒読み)
  
  
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●どうでもいいフキダシのハナシ

2013.02.13 Wed

▼最近の日常:

 こう、あれです。

 日常の仕事で「きちんとしたテキストを書くための諸々のリソース」が削られてるのと、昨年末に出した同人誌に「趣味のテキストを書くための意欲」みたいなモンを結構注ぎ込んじまったのがまだ尾を引いてるとかいう感じで、このブログ用のテキストをまとめるのにリソースが割けてない感じです。

 ともあれ、そろそろ前回のエントリから1ヶ月が経とうというので、年始から適当に書き散らしてた文章のうち、賞味期限がそろそろギリギリの奴をまとめてみる。


▼本題:

 正月に竹熊健太郎がTwitterで、「日本のマンガはアメコミに比べてフキダシの表現が非常に発達している」ということを発言して、アメリカン・コミックスの読者から「そんなことないがな」って突っ込まれた一件があったですが(<賞味期限過ぎてね?)。

※ここでいう「アメコミ」「アメリカン・コミックス」は狭義の「メインストリームのヒーローもののコミックス」を指している/いたことはあらかじめ指摘しておきます。

 でー、オイラ個人は、他のツッコミを入れた方々と同様に「フキダシの“形”の表現に関しては、マンガと同程度のものがアメリカン・コミックスにもある」と思うのね。

 その、「具体例と頻度を示した論考」とか上げる気はないですが、どうしても具体例の欲しい人は、comixologyにでもいけば、タダで読めるデジタルコミックスが数百冊ありますので、無作為に100冊ほど抽出して読めばいいんじゃないでしょうか。

 でー、その上で、メインストリームのヒーローもののアメリカン・コミックス(以下、アメリカン・コミックスと略させてくださいな)はフルカラーであるが故に、モノクロのマンガに比べてフキダシの表現はより豊かになっている、と思うのね。

 まあ、一応噛み砕いて話しておきますと、仮にマンガのフキダシの「形」の表現が10種類で、アメリカン・コミックスのフキダシの形の表現も10種類だとする(仮にね)。でー、マンガはモノクロなので、色の表現は黒と白ヌキの2種類しかないので、10種類×2色で、20種類。一方で、アメリカン・コミックスは、すごく大雑把にCMYKの4色+白ヌキの5色しか使えないとしても、10種類×5色で50種類。ね? 当たり前だけど、フルカラーとモノクロじゃ、フルカラーの方が表現が豊かでしょ? と。


「色がついてるだけで表現の幅が広がったとかゆーな」とかいうツッコミがきそうなんで、身近な類例なぞを挙げてみると……こう例えば現在、実写映画も公開中の『ゴーストライダー』(まだ見に行ってないんだよな)。復讐の精霊であり、燃え盛る炎をまとった頭蓋骨という、インパクトの強いビジュアルを持った彼は、そのフキダシの輪郭も「燃え盛る炎」の形をしてます(面倒くさいので画像の引用はしないけど、本当よ?)。

 こういうキャラクターに合わせてフキダシに「形」をつけることは日本のマンガでもあることですが、アメリカン・コミックスの場合、これに「色」をつけることで、更に表現を深化させます。ゴーストライダーの場合は、赤い炎のグラデーションをフキダシにかけたりしまして、よりヘルファイヤーなヒーローの個性を際立たせるフキダシとしています。

 でー、ゴーストライダーの弟のゴーストライダー2号のパワーが変質して、頭で燃え盛る炎の色が「青」になったというストーリーのときは、この人のフキダシにかけられてるグラデの色味は「青」になったりします。──キャラクターの個性が変質したので、フキダシもそれにあわせて変質する。意味のある、いい表現だと思いますが、どうでしょうか。

 でー、ゴーストライダー1号(赤い炎)とゴーストライダー2号(青い炎)が、その後競演したときですが、この2人は炎の色以外のコスチュームのデザイン(革ジャン)が割りと似ていて、一見見分けがつきにくいのですが、これが、フキダシの色を見れば、どちらがどちらなのか容易に区別がつくわけですね。

 あとは、まあ、日本でも知名度の上がっているデッドプールさん。実は彼はマーベル・コミックス社のヒーローの中で唯一(多分)「地の色が黄色いフキダシ」を持つキャラクターです。

※2/15追記:ツイッター見てたら、このエントリを読んだNOB-BONさんが「実はロケットラクーンもフキダシが黄色い」旨をつぶやいていたので、「唯一」じゃないです。申し訳ない。

 故に、例えばデッドプールさんがピーター・パーカー(スパイダーマンの中の人ですね)に変装してて、偶然、本物のピーター・パーカーと出会ったときでも、読者は「こっちの黄色いセリフをしゃべってるピーターがデッドプールの変装している方だ」と分かるわけです(懐かしの『デッドプール』第12号ね)。

 また、小指ほどの大きさで描かれた無数のモブが、思い思いにセリフを言い合ってるような、ゴジャゴジャしたコマにおいても、黄色いフキダシを探すことで、「どこにデッドプールがいるのか」を認識できます。これらは物語を語る上で、表現の幅を広げてくれると思いますが、どうでしょうか。

 あと、これは特定のキャラクターではないですが、「重大なセリフはフキダシのフチを赤く囲む」とか、「重要な単語は赤いフォントで書く」といった具合に、フキダシの中外に色をつけることで、さらにフキダシの表現を深化させられます。

※「フチを赤く囲む」「赤いフォントで」というのは、こないだ読み返した『デアデビル:フォール・フロム・グレース』で多用されてましたし、それ以外にも類例は容易に見つかるごく一般的な用法ですが、そろそろ面倒くさいので、「具体例と頻度を示した論考」とかを細ゴマ上げるの辞めます。


 そんな訳で、アメリカン・コミックス(メインストリームのヒーローものコミック)と、日本のマンガ(<この場合は狭義に「週刊マンガ雑誌に掲載されている一般的な少年マンガを代表とするメジャーなマンガ」とかいうべきなのだろうか)とでは、「カラーであるか」というその1点において、「アメリカン・コミックスの方が表現が豊か」だと思うのですわ。

 ああ、一応いっておきますが、表現技法のごく1部が「表現が豊か」だから、すなわちアメリカン・コミックスの方がマンガより優れている、とかいう気はないです。──その、北国に住む人たちの使っている言語が雪の状態を表現するのに、非常に多様な語彙を誇っていたからといって、その言葉が南国に住んでる人たちの言葉より優れてるワケじゃないでしょ?

 そんな感じで。


 ……すんません、この後、件の竹熊先生のツイートのうちで、個人的に一番気になった以下の発言、

吹き出しの違いは一例だが、この違いは、明らかに(本来集団制作が前提になる)ストーリー漫画を、1人の作家が執筆することで生まれたものだろう。アメコミは、最初から分業だから、バルーンには「台詞がその人物から発せられた意味を表す記号」以上のものにはなりにくい。


 をダシに、「この発言は、アメリカン・コミックスの分業体制を侮っているし、何より、レタラーと呼ばれる作家たちを侮っている、と思う」的にアジテートする原稿が続く予定でしたが、長くなるのでまた今度にします。

 手短にいうと、

・コミックスにおいてフキダシとその形状、使用するフォント、文字組み、文字詰めといった一切を取り仕切っている「作家」(<ここ大事)であるレタラーの仕事

 と、

・マンガ家が書いたネームを編集者が書き写して、何の疑いもなく「アンチゴナ」とかで写植屋に起こしてもらってる十年一日な仕事

 とでは、どう考えてもレタラーの方が創造性を発揮してるよね、というごく当たり前の指摘と、

「つか、マンガの表現技法において、フキダシってこの何十年か、ロクに発達してない分野じゃね?」とかいうツッコミを入れる予定ですね。

 あと、「1990年代のアメリカン・コミックスというメディアの“良い方への発展”を『1990年代にアニメ・マンガが北米地域で広まったから』という“たまたまタイミングが合っただけ”の事象と結びつける人って、正直、どうかと思う」という言説をどこかに忍ばせたく思う。


 ……いや、本気でいるのよ。「アメリカン・コミックスがコミックス・コードを脱したのは1990年代にアニメ・マンガが北米地域で広まったから」とか「アメリカン・コミックスのフキダシの表現技法が発達したのは1990年代にアニメ・マンガが北米地域で広まったから」とか、本気でいってる人って。

 とりあえず、今日はここまでで。

 そのうち続く。

 かもしれぬ。
  
  
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