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●だから日本のマンガ出版社は早急にコミックス・コードを取り入れて、従わぬマンガ家には自社で仕事をさせぬようにするのだ、ヘイル、出版社! な日々。

2015.01.30 Fri

 なんだか、ブログの閲覧者がいつになく伸びてるので(棒読み)、この機に乗じて個人的にコミックス・コードとか表現の規制について思う所を語ってみようかしら、というアサマしきエントリ。

 その、『有害都市』のアメリカン・コミックス業界の描写を批判すると「表現規制派」と見なされるらしいので(デマです)、いっそオレは表現規制派よりももっと狭量な「コミックス・コード推進派」になろうと思った。思ったのだ!

 そんなワケで。


▼本日のコミックス・コード:

 その、個人的な意見なのですが、現代日本のマンガを扱っている出版社はね、コミックス・コードを導入すべきだと思うのですよ。

 ですよ。(エコー)


 っつーても、このコミックス・コードってのは、かつてのアメリカに存在していたような、

「外郭団体による」「表現規制のための」コミックス・コードではなく、

 現在のアメリカの大手コミック出版社が導入している(<ここ本当に大事)ような、

「各出版社独自の」「表現に応じたゾーニング/レーティングのための」コミックスコードね。

※マーベル・コミックス社が現在取り入れているレーティングについてはウチの昔のこのエントリで触れてた。ヒドいエントリだけど。


 要は、集英社は集英社の、小学館は小学館の、秋田書店は秋田書店の、双葉社は双葉社の(エンジェル出版はエンジェル出版の<おい)、コミックスコードを導入して、

「ウチではこのような表現は、15歳以上のレーティングになります」

「ここまでの表現なら、両親の監督の上で読んでも大丈夫な本になります」

「このような表現は、表紙に“成人向け”の表記をさせていただきます」

 といった「表現に応じてのゾーニング/レーティング」を行おうよ。

 ただし、ゾーニングするだけで、表現に関しては規制しない方向でいこうよ(自社のコードに照らし合わせて、「この作品はウチのコードでは出せません」という判断はするにせよ、作者の意思を尊重して、無理に作品内容の変更を求めたりしないのが理想)。

 そしてそのレーティングを親御さんにも分かりやすく周知させようよ、というハナシね。


 でー、無論、

「ウチはコミックス・コードはあえて導入していませんので、作家さんは好きなものを描いてください」

 あるいは、

「うちのコミックス・コードは、このように、かなりユルめになっておりますので、よそのレーティングに不満をお持ちの作家さん歓迎です」

 という出版社は存在すべきです。それが自由というものです。

 「レーティングなし」もまたレーティングなのです(上手いこといった風な顔で)。

 その様なレーティングであることを、広く明示する限りは、ですが。──誰にも基準を伝えず、野放図な本を出すのは、商業出版ではなく、アンダーグラウンドです。

 故にそうした出版社も、単行本の表紙には“この本はある程度の極端な表現にも対応できる、成熟した大人向けの本です”的なシンボル(要するに成年マーク)や、「この本はウチ独自のレーティング基準によって、このような表現を含むものであります」的な、買う前に読者が自己責任において判断できる、なにかしらの表記・アイコンを載せるべきですね、と。


▼何故にコードなのか、というハナシ:

 そのね、「日本にはアメリカのようなコミックス・コードがなかったから、現在のように多様なマンガ文化が発生した」という言説は、ある程度は正しいと思うのね。

 規制しなかったことの恩恵は確かに、存在します。

 ただ、それは、昔の話よね、と。

 2015年現在、マンガというメディアが成熟を迎えて、以前のような爆発的なジャンルの拡大が行われなくなっている、拡大よりもむしろ細分化が進みつつある現在は、「マンガの多様性をコードで縛るな」っていうこの言説って無意味でしょ、と、思うのね。

 広がりが緩やかになってきてる今だからこそ、ひとまずコードで表現に「ワク」を作るタイミングだろうと(無論、コードは必要に応じて、折々の現状に即して、改定ができる柔軟さを持ったワクであるべきです)。

 何より、マンガ家さんから作品の出版権を預かり、それら作品を「商品」として送り出している出版社が、自社の利益を守るためにも、コミックス・コードを導入して、自社が送り出している商品の表現に、企業自体が自覚的になるべきだろう、と。

 その、ややもすれば、複数の企業が関わって、数百億円のカネが動く「産業」に発展する可能性を持った作品に対して、担当編集者や、その上司の編集長といった「個人」が、表現に関して責任を負うとか、負担がでかすぎるでしょ? 出版社が、会社組織が、責任を引き受けなきゃでしょ。

 そうすることで、自社の出版物が地方自治体に有害図書類の指定を受けても、「うちの会社は、このようにクオリティ・コントロールをしているので、あなたがたに表現について云々されるいわれはありません」って、毅然といえるじゃないですか。


 ……そもそも地方自治体にとっては、「たかがマンガ」に税金を費やしてられないから、有害図書類の指定も、少ない人材で、少ない時間で、サッサと済ましてるわけじゃないですか。

 でも、出版社にとっては「されどマンガ」で、自社の利益を代表する商品なのだから、充分な時間と資金を投じるべき対象じゃないですか。レーティングやゾーニングを用いて、表現の自由を審議し、周囲の批判に対して理論武装するのは、出版社の仕事ですよ。


 ていうか、マンガに関するレーティングが、基準のあいまいな自主規制コードである「成年マーク」しか存在せず、かつ「成年マーク」ってのは事実上「エロス」に関するレーティングでしかなく、「バイオレンス」に関しては全く野放しであるという現状、

 大手出版社が「うちの会社の出版物に成年マークをつけるのは恥だ」という風潮(並びに、自分の作品がゾーニングされた売り場に置かれることを恥とする作家側の風潮)、

 結果として、児童向けのマンガ、青少年向けのちょいエロマンガ、青年向けの裸体描写ありマンガ、それから小規模出版社の出すインパクト重視のお下品なマンガが、ゾーニングも何もなしに、書店はおろか、コンビニエンスストアとかにも全く等価値に並べられる状況、

 その辺の微妙な雰囲気を、そろそろ整理して、各出版社に責任を負わせるべきでしょう、と。


 んでマンガ家は、「自分が表現したいもの」のレーティングと、「自分の求めるゼニの金額」を天秤にかけて、

「大手出版社だけど、(大手にしては)そんなに部数の出ない成年向けマンガとして、ある程度コードの縛りも受けつつ、それなりに描きたいものを描く」

「大手と部数のケタが2つ3つ違うけど、レーティングはユルい中小出版社の、成年マークつきの本で、自由気ままな内容の作品を描く」

 等々のチョイスをすればいいかと。表現の自由を求めるのなら、対価としてレーティングとか金銭とかの、別の不自由を受け入れるべきです。


 んで、コミックス・コードは、できれば現場出身の人間が中心に、マンガ家さんの意見も取り入れつつ、なるべくマンガ家さんがマンガを描く上で、参考になるような実際的なものにすべきかなぁ、と。

「裸体を描いても乳首を描かなければ児童向けマンガとして出版できます」

「乳首を描いてもトーンを張らなければ少年向けマンガのレーティング内です」

「乳首にグラデトーン貼って、ケズリでハイライトとか入れてるのは成年向けじゃ、このエロス野郎!」

 とか(待て)。

 同様に、バイオレンス描写も、ピロリとまろびでたモツをきちんと描写するかしないかとか、ギャグマンガでリアルじゃないモツなら少年向けで済ませられるとか、とか(そろそろ脳味噌が疲れてきた)。

 あと、出版社内で自社作品が自社のコミックス・コードを満たしているかを審議する部署は、現場あがりを要職に据えて欲しいですねー、とー。

 とー。

 ……書きたいことを一気に書いてったら、脳がスカスカになって、これ以上、紡ぐべき言葉が思いつかなくなったので、終わります。

<完>(こればっか)


▼余談:

 こう、昨今の少年マンガでよくある「無尽蔵の権力を持つ神っぽい存在によって、無作為にバトルフィールドに集められた主人公たちが、失敗すると無意味にグロテスクな手法で、無慈悲にブチ殺されるデスゲームを、無駄に延々と戦わせられる」系の過剰な表現のヤツって、そろそろ自制すべきじゃねぇかなぁ……とかいう一文を文中のどこかに潜り込ませようと思ったけど、割とこの一文、本筋からズレてる私的な感想に過ぎないし、余談的なギャグとしても盛り込みづらいし、もはやそういう構成を考えるには脳がスカスカなので、諦めてここに書いてみる。
  
  
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●最近のコミックス・コード。

2015.01.29 Thu

▼最近のアクセス解析:

 こう、昨日(1/28・水曜)の閲覧者が、「174人」と、うちにしては多い数字だったんで、久々にアクセス解析などをしてみたら、「フレデリック・ワーサム」のキーワードで検索して、ウチの「●フレデリック・ワーサム、な日々。」のエントリにたどり着いた人がゾロゾロいた模様で。

(あと、『ディスクウォーズ・アベンジャーズ』にローニンが出てきたらしくて「マーベル ローニン」のキーワードで検索して、そっちのローニンとは全く無関係な『5ローニン』の紹介記事にひっかかる人もボチボチいましたがそれは余談)


 でー、なんでイキナリ「フレデリック・ワーサム」で検索してくる人が増えたのかを調べてみたら(※Twitterを「ワーサム」で検索しただけですが)、Webマンガ誌「となりのヤングジャンプ」に連載されている『有害都市』というマンガで、フレデリック・ワーサムとコミックス・コードの話をしてたから、みたい。


▼とりあえず、『有害都市』を読んでみた(以下ネタバレ大いに含む):

 見た。

 『有害都市』の大まかなストーリーとしては、国会で「有害図書類指定制度に関する新法案(通称・健全図書法)」が可決されて以降、もろもろの文化の「浄化」が進む2020年の日本が舞台な、緩やかなディストピア話で、主人公のマンガ家さんがマンガを描く上で、「自主規制して」っていわれたりして、色々不自由な思いをするけど、なるべく描きたい作品を描いてくぜ、みたいな内容。

 でー、水曜に更新された第7話の内容は、主人公のマンガ家が描いたマンガ(規制を受けにくいウェブでの連載)に可能性を見出したアメリカ人の出版エージェントが来日して、海外版の翻訳出版の権利を獲得しに来て、ついでに「アメリカンコミックが多様性を失ってしまったのは 『コミックスコード』という取り決めがあったからだ」とかいう話をする、という感じ。


 感想としては……マンガ翻訳の会社を立ち上げたばかりの出版エージェントが、単行本も出ていないマンガの権利の取得のために、いきなり来日するとか、ウェブマンガとはいえ集英社の「ヤングジャンプ」の連載作品を、ポッと出の出版社が権利を獲得できちゃうとか、あまつさえ、エージェントがマンガの作者本人&担当編集者と直で対面して、契約成立しちゃうとか、リアリティなくね? と思った(論点そこかよ!)。

 ……まあ、主人公のマンガが連載されてるのは、実際には「ヤングジャンク」という架空のマンガ誌(の、ウェブコミック)で、出版社も集英社じゃない架空の出版社だし、第一、この物語はフィクションですので、

「この世界では、海外の出版エージェントは、出版社内の版権管理の部署とかすっ飛ばして、マンガ家本人といきなり交渉して、権利を獲得するのです!」

 とかいわれたら、「はい、そうですか」と納得せざるを得ないのですが。

 ……だったら作中で、フレデリック・ワーサムとか、コミックス・コードみてぇな実在の人名と実在の規制コードを挙げて、実際にアメリカであった出来事を語るのはアンフェアじゃね? 近未来SFとして、ズルくね? 第4話に出てきた架空の事件「松本事件」みたいに、こちらの事件も、フレデリック・ウォルサムみてぇな架空の人名で、架空の事件として描くべきじゃね? と思った。

 あと、第7話のラストで、エージェントの人が「少年ジャンプが大好きで、『北斗の拳』や『シティハンター』をよく読んでたよ」とかいってたのだけど、そこは誌名は「少年ジャンク」にして、フィクションの作品名を挙げるべきじゃね? そこで現実の作品の「判りやすさ」に頼るの? とか思った。


 それと、作中で描写されているコミックス・コード関連の話がね、ところどころに現実とは異なる描写があるのですが。

 ──例えば、

「今のアメリカの商業コミックには二種類の作品しか存在しない 一つは能天気なヒーローもの もう一つは能天気じゃないヒーローものだ」

「アメリカンコミックが多様性を失ってしまったのは 『コミックスコード』という取り決めがあったからだ」

「唯一存在を許されたのがヒーローものだ それもマーベルやDCコミックのような星条旗に忠誠を誓うヒーローでなければならなかった」

 みたいな、現実のアメリカン・コミックス史とは異なる状況を示唆するセリフ。

 あるいは、「この馬鹿げた騒動を作り出したのは1954年 フレデリック・ワーサムという精神科医が著した一冊の本だった」とかいうセリフや、ワーサム博士がテレビに映っているコマなど、あたかもコミック規制運動がフレデリック・ワーザム博士1人を中心に行われたものであるかのような印象を持たせる描写。

 この辺って、まあブッチャケ、「作者がコミックス・コードの歴史を誤解してウッカリ描いてしまった誤り」なのではないかと思うのですが、あるいは、「『有害都市』というフィクションの中では、そのような歴史があった」という可能性もあるので、ツッコミしづらくて非常に居心地が悪いなぁ、と。

 現実世界の事件を描くなら、なるべく正確に。それが徹底できないなら、描かないか、「架空の事件」にすべきだと思います。


 個人的に一番引っかかったコマ。



 まず、「星条旗に忠誠を誓う」というセリフが恣意的に過ぎると思います。

 あと、シルエットでスパイダーマン、キャプテン・アメリカ、ハルク、アイアンマンが描かれていますが、キャプテン・アメリカ以外のキャラクターは1960年代以降に生まれた方なので、コミックス・コード施行の話の流れで出すのは不適切でしょう。

 キャプテン・アメリカはコミックス・コード施行当時に、『キャプテン・アメリカ・コミックス』誌がリバイバル刊行されていましたが、同誌は再開からわずか3号で休刊したので、「唯一存在を許されたのがヒーローもの」という例で挙げるには全くもって不適切ですし。

 ていうか、DCコミック社(社名表記は正確に)のヒーローがいませんが……。


 それと、巻末に今回の話の参考文献として、『有害コミック撲滅!―アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』が挙げられてるけど、あの本って、「コミック規制史」の資料としては最良の部類に入るけど、「コミック規制」に特化した資料であるが故に、「規制されるようなコミックや事件の話」しかしてないじゃない。

 故に、あれだけ読んで「アメリカン・コミックスの歴史」を語られるのは、いささか問題があると思うのね。他にもっとスタンダードな資料も読んだ上で参考にすべき資料だろう、と。

 ……その、1990年代初頭の「成年コミック」マークの話をするにあたっては、『ANGEL』とか『いけない! ルナ先生』とか『IKENAI! インビテーション』とかの作品とそれらの引き起こした事件の話に集中せざるを得ないけど、当時のマンガ雑誌にはそういうマンガしか載ってなかったわけじゃないでしょ? みたいな(分かりづらい)。

 あと、『有害コミック撲滅!』って、「各州でコミックブックを対象にした州法が制定され、更にコミックス・コード・オーソリティが組織され、コミックス・コードが施行され、中小の出版社は次々に会社を畳み、多数の作家が職を失いましたとさ」というドン底で終わってて、その後の、犯罪・怪奇コミックスを出してなかった大手コミック出版社を中心とした、コミック業界の復興については「他の資料を当たってください」って態度なのがズルいよね……(以下略)

(※編註:この後、『有害コミック撲滅!』は要所で恣意的な書き方してるのがどうも気になる、とかいう批判がもう少し続いたのですが、読み返してウザいし、本題と関係ないので消しました)


▼まとめらしきもの:

 ていうか、『有害都市』の主人公のマンガ家は、ゾンビものっぽいジャンルのマンガを描いてて、グロテスクな表現を規制されて四苦八苦してるわけですが(作中では表現規制の関係で「ゾンビもの」にさせられるので、ここでは「ゾンビものっぽい」と形容しました)。

 作者の筒井哲也さんは、同ジャンルの『ウォーキング・デッド』とか、ご存じないのかなぁ。現在、アメリカで刊行されているコミックスの中でも屈指のグロテスクな作品で、なおかつ全米屈指の売り上げを誇っていて、そのくせヒーローものでもなんでもない作品なのですが。


 まあ、結論としては、アレ。 いつもの奴。

 TPPとか著作権とか都条例とか、二次創作同人誌のガイドラインがどうとか、表現の規制が取りざたされるときに、アメリカン・コミックスのことをロクロク知らないのに「このままじゃ、マンガがアメコミみたいになっちゃう!」とかいう、失礼な物言いでコミックス・コードを引き合いに出してた人々に投げかけてたのと同じ結論。

「自国の文化を守るために、他国の文化を貶め、それらの文化に関する誤った情報を拡散して、それで何が残るっていうの?」

 以上。


<完>


 どうでもいいけど、第5話で、2人のマンガ家が「表現の規制との戦い」に関して熱い意見を戦わせてるシーンがあるのですが。

「マンガ家の収入は単行本の印税が頼りだ」

「原稿料は経費とアシスタント代でほぼ消える」

 という、マンガ界の抱える致命的な経済構造には、双方とも「そうでしょう」「そうですね」と、「納得している当たり前のこと」として話してて、「そことは戦わないのか」と、素朴な感想を抱きました(いや、戦わねぇだろ)。
  
  
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●アメリカン・コミックスと岡田斗司夫のハナシ。

2015.01.28 Wed


 こう、このところ、Twitterで竹熊健太郎が「岡田斗司夫の初期の代表作に『オタク学入門』があるが、これのマンガに関する章の9割が、私が彼の東大講義にゲストで出て喋った内容なのだ」ということを暴露したりとか、なぜか知らないけど(棒読み)、岡田斗司夫の過去の所業があちこちで検証されていて。

 すなわち、「今、岡田斗司夫について語ると、ブログの閲覧者が25人ぐらい増えるんじゃないかなぁ」とかいう阿呆な着想を得たので、とりあえず書いてみるエントリ。


▼アメリカン・コミックスと岡田斗司夫のハナシ:

 まあ、岡田斗司夫のハナシをするといっても、このブログは、もっぱらアメリカン・コミックス界隈のハナシをするトコなので、その線のハナシになるわけですが。

 そのね、オイラ個人としては、アメリカン・コミックス界隈において岡田斗司夫という人は、

 1980年代中頃に、日本の漫画を米語訳すべく訪日し、しかし滞在費用に窮していたトーレン・スミスを三鷹のガイナックス社員寮に住ませてやり、経済的な負担を相当に軽減させたこと、

 それと、

 1990年代初頭から、夏目房之介、竹熊健太郎らによって“マンガ研究”が盛り上がりを見せていった中で、1998年にスコット・マクラウドの『Understanding Comics: The Invisible Art』を『マンガ学─マンガによるマンガのためのマンガ理論─』(美術出版社・刊)として送り出したこと(なお同書の奥付では岡田斗司夫は「監訳」としてクレジットされている)、

 という2つの偉業を成した、という点において、高く評価すべきだし、マンガ史/コミック史に留め置くべきだと思う。偉大なるパトロンとして、先見の明のあるプロデューサーとして、歴史に記録されるべきだと(大げさですか。でも今回こんな調子で大げさな話をしてきたく思っております)。


※トーレン・スミス:マンガの海外翻訳権の取得と翻訳、レタッチといったマンガ翻訳に関わる諸作業を行うスタジオ・プロテウスの創始者。1980年代末~2000年代中頃までの北米におけるマンガ翻訳を牽引してきた人物であり、15年程のキャリアで70000ページ以上のマンガを送り出した、コミック史の一時代を代表するクリエイター(スミスのマンガ翻訳は単なるエディトリアルな作業でなく、クリエイティブな仕事だと思うので、あえてこう書く)。2013年病没。


 その、岡田がトーレン・スミスを経済的に支援したことで、北米における米語訳マンガの普及は、数年分の長足の進歩を遂げることとなったし、また、『マンガ学』が邦訳されたことで、日本のマンガやマンガ研究にしか目を向けていなかったマンガ評論家たちに、海外へ目を向ける契機を与え、また海外のコミックスに精通した若手の研究家が発言する場が拓かれ、結果的にマンガ研究も加速させることとなった。これは、偉業であると思う。

 そこは、正統に評価すべきだと思う。

 個人的に(<ここ大事)、そう思う。


 でー、その一方で、岡田斗司夫が「ライターとして」アメリカン・コミックス界隈でしてきたこと、というと、

 20世紀末~21世紀初頭あたりにゾロゾロ出てた『オタクアミーゴス』あたりの対談本で、唐沢俊一あたりと一緒に、『カラテ・ガール』みたいな“ヘンなアメコミ”や、アダム・ウォーレン&トーレン・スミスの『ダーティペア』の様なアメリカン・マンガを、表層的にイジって、その場のウケをとった、

 とか、

『宇宙戦艦ヤマト』(※古い方ね)を北米向けに再編集して輸出した『スターブレイザーズ』の再編集の程度を知らずに、色々と盛った話をして、実情を知る『ヤマト』ファンから抗議をされた、

 とか、

 新装版『ウォッチメン』のオビで

“「日本のコミックは世界イチと浮かれるなかれ、とんでもない黒船がやってきた。世界一のSFコミックに戦慄した”

 とかいう、あまり内容に触れていない、かつあまり読む気をソソラれない感じの文言を寄せた、

 とか、

 前述の『マンガ学』の前書きと後書きで、島本和彦いうところの“俺ってスゴいやろオーラ”を横溢させた文章で、

>よりによって「スーパー筋肉兄ちゃんが、メガトンパンチでスポポポポーン!(偏見)」なんていうアメコミの世界からだ!

 とか、

>(※著者のスコット・マクラウドに対して)この本の印税を、少しは生活の足しにしてくれればと思うよ。(こんな本、描くやつは貧乏に決まっている、という偏見)

 とかいう、お寒い「(偏見)」ギャグで笑いを取ろうとしていたとか(正直、「後書き」でするようなギャグじゃないと思う)、

※斜体部分、前述の『マンガ学─マンガによるマンガのためのマンガ理論─』後書きより引用(うちのChromeブラウザで、このブログを見ると、斜体と正体に全然差がないのですが、データ上は斜体にしてあるのです)。

※スコット・マクラウド:コミック作家。1980年代のインディーズ・コミックスの勃興期に『Zot!』で高い評価を獲得し、ジャック・カービィ賞とラス・マニングス賞を受賞。『Zot!』連載中にはハーベイ賞、アイズナー賞に何度もノミネートされ(受賞はせず)、その後、『アンダースタンディング・コミックス』で1991年のハーベイ賞3部門、アイズナー賞1部門を受賞。DCの『スーパーマン・アドベンチャーズ』でクラシカルなヒーローもののライターとしても評価され、アイズナー賞候補となる。
『アンダースタンディング・コミックス』に続く、2001年の『リインベンティング・コミックス』でハーベィ賞を受賞、2007年の『メイキング・コミックス』もハーベイ賞候補となる。誰が呼んだか、「コミック界のマーシャル・マクルーハン」の異名を取る。


 ……そんな感じで、なんというか、アメリカン・コミックス界隈においては、岡田斗司夫のライター(脚本家でなく、物書きの方のライターね)としての評価は、「評価することに意味がない」と、いう言葉につきる(個人的には)。


 ちなみに、今回のエントリを書くのに、『マンガ学』(1998年)の前書き、後書きを読み返したのだが、前書きのほうで『Understanding Comics』を「まさに太平を貪る世にあらわれた、一隻の黒船である」とかいう、新装版『ウォッチメン』(2009年)のオビと同じ形容の仕方をしていて苦笑した。

 多分、今、岡田にアメリカン・コミックス界隈の話題作のオビの文言を頼んだとしても、「黒船」って形容詞を使うのではないかと思う(偏見)。


 また、この『マンガ学』の後書きでは、岡田斗司夫が『Understanding Comics』を見出したのは、アメリカでのアニメ・コンベンションで再会したトーレン・スミスの自宅に招かれ、マンガについて話していたら、スミスに『Understanding Comics』を勧められたのがきっかけ、だとある。

 1980年代にトーレン・スミスに手を差しのべたことが、回り回ってその後に『マンガ学』の出版に繋がったワケで、中々に感慨深いものがある。人の縁って、大事よね(小学生程度の感想)。

 後書きから、該当箇所を引用するとこんな具合になる。

 ──タイトルを見たとき、正直言って僕は、「へっ、アメリカ人風情が書いたマンガ論!? おいおい、世界一のマンガ先進国のオレ様に何を教えることがあるんだ?」という気分だった。しかし時差ボケが治らず、ベッドの中でパラパラとページをめくり始めてびっくり。多分この本を読んでくれた人も同じだと思うけど、感想は一気に「こりゃすごい!」に変わってしまった。
 「世の中には、こんなとてつもないものを描いてしまう人がいるんだぁ! 参りました!」というしかない。
 で、飛行機の中で読むはずだった本を、前日の夜遅くまでかけて読んでしまった僕は、さっそく翌朝トーレンに、「これ、すごい!」と本を振り回しながら叫んだ。するとトーレンはにんまりとわらいながら「作者のスコット・マクラウドは日本でも翻訳出版したがっているんだ。おまえやってみないか?」と訊いてきた──


 ……なかなか、ドラマティックな話ではある。

 ただ、このエントリを書くに当たって、ネット上の「岡田ゴシップ」のまとめなどをいくつか見てきての感想としては、岡田斗司夫は「必要以上に(自分に都合よく)話を盛る」フシがあるので、このあまりにもドラマチックに過ぎる、当エピソードがどこまで正しいのかは、判断しかねる。

 個人的には、224ページもある上、割合に難しい専門用語やマクラウドの造語なんかが延々とセリフとして語られる『Understanding Comics』の原書を、“前日の夜遅くまでかけて”読破した、という時点で「うそくせー なーんか うそくせー」と思わないでもないが、まあ、詮索は無意味だ。

※一応いっておくが224ページというのは米語版のページ数。


 それと、この後書きで、岡田は『マンガ学』での自分の仕事について、

 ──おかげで僕は監訳とは言いながらも、膨大なポストイットを見ながら「このキャラは、こういう言い回しはしないな」などと、じっくりとキャラクターを調整することだけに専念できた。

 といっている(文中の「膨大なポストイット」は、『マンガ学』の翻訳を担当した海法紀光と担当編集者が、検討のために翻訳案の文章を書き込み、原稿に貼ったもの)。要するに、訳文に手を入れて、キャラクターの口調などを調整する仕事がメインだったらしい。

 ……ちなみに『Understanding Comics』は、ほぼ全編に渡り、ホスト役のスコット・マクラウドが読者に向けて丁寧語で語りかけているという構成なので、別に“専念”というほど熱心に、キャラクターの言い回しを調整する必要などないと思う。


 あと、岡田とトーレン・スミスの交友については、2013年にスミスの訃報が伝えられた直後、岡田が「週刊アスキー」に連載していたエッセー上で4週に渡り語っている。

 同エッセーは岡田のブログ上に転載されているので、現在でも容易に読むことが出来る。

「MANGAを作った男」1

「MANGAを作った男」2

「MANGAを作った男」3

「MANGAを作った男」4

 ……ただこのエッセー、「MANGAを作った男」と題されながら、スミスがいかにして北米地域でのマンガ翻訳ビジネスを成功に導いたか、という点は語られずじまいであるのはいかがなものかと思う。全4回もの紙幅は、ガイナックスの社員寮で生活していた当時のスミスの(=岡田が見てた範囲のスミスの)回想を止め処なく書いているだけで、タイトルになっている「MANGAを作った男」という形容については何一つ説明されていない(おそらく、4週にも渡ってエッセーを書くうちに、エッセーの冒頭で提示した着地点を忘れてしまったのだろう)。

 しかも最終回は、「なんだかそれらしいシメ」にするために、「死んだスミスが輪廻転生して、僕に謝ってくれないかなぁ」とかいうポエミーで上から目線な妄言で原稿用紙を埋めることに腐心していて、文章のクオリティが著しく低くなっているのが、どうにも。


▼まとめ:

 長々と書いてきたが、結論としては、既に冒頭で述べたように、「クリエイターとしてはさておいて、パトロンとか、ディレクターとしての岡田斗司夫は、評価すべきじゃないかと、個人的に思うが、別にキミが同意する必要はない」という感じで。


 あと何かいいたいことはありますか。

 『マンガ学』の後書きによると、帰国した岡田が、『Understanding Comics』を竹熊健太郎に見せたら、夏目房之介、大月隆寛らを紹介されて、彼らに「岡田さん、こりゃあ、翻訳するしかないですよ!」といわれたのが、『マンガ学』の制作の動機になった……とあって、更に後書きの最後では竹熊、夏目らに喜んでもらうためにこの本を作りました! 的にラブコールを送っているのですが。

 はい。

 ……『マンガ学』が刊行されたのが、1998年でね。

 んで、冒頭の竹熊健太郎のツイートを読む限りは、この1年も前に竹熊健太郎は“岡田斗司夫氏と決定的に決裂”してるのよ。

※決裂のきっかけとなった竹熊の著作『パラノ/スキゾ エヴァンゲリオン』は、1997年には既に刊行されてた故。

 つまりはこの後書きは、岡田から竹熊への「届かなかった2年越しのラブレター」なわけで。

 ひどく痛々しいものを読んだ、と思いました。

 そうですか。

<完>

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●瑣末なる日常。

2015.01.20 Tue

 マンガバース版スパイダーマンのエントリが書けたので、その間に色々と溜まっていた瑣末なネタを書いてくという、いつもの雑記。


▼業務連絡:

 えー、事後報告になりますが。

 年末に『キン肉マン』を読み返してましたら、こないだ書いた「アシュラマンの父」のエントリが、アシュラマンの父のセカンド・アピアランスに事実誤認があった(文中で「セカンド・アピアランス」として挙げてたシーンが実はサード・アピアランスだった)ことに気づいたので、修正しました。先週ぐらいに。

 申し訳ない。


▼『ホークウッド』な日々:

 こう、トミイ大塚の『ホークウッド』(コミックフラッパー連載。Comic Walkerでも最新話が読める)が、「クレシーの戦い」に入ってて、物語的に山場に来ているなぁ、という感じですが、周囲の人間があんまメディアファクトリー系のコミックスを読んでなくて話が合わぬ。

 まあ、そういうオイラも、「コミックフラッパー」を購読してる訳でなくて(『スカルマン』が連載してた頃は購読してたのですけどね<古いな、おい)、『ホークウッド』と『のんのんびより』を単行本で追ってるだけですが(今さらっと変なこといったぞコイツ)。

※『ホークウッド』:14世紀、イングランドとフランスの百年にわたる戦争が始まろうとしていた頃。金で雇われ、戦いを生業とする者達−−傭兵が各地の戦場で活躍していた。“白鴉隊”という小さな傭兵隊を率いる若き傭兵隊長ジョン・ホークウッドは、一人の王子との出会いを機に、百年戦争という大きな戦いに巻き込まれてゆく……。(Comic Walker著作紹介より)

※『のんのんびより』:田舎にある学校「旭丘分校」には、小中合わせて生徒は5人のみ。みんな家の鍵は閉めないし、たぬきはよく出るし……どこか不便だけど、でも何だかんだで気ままに過ごしている。2013年10〜12月にTVアニメも放映された人気作(Comic Walker著作紹介より)

※クレシーの戦い:ググれ。

※この記事を書いていて気付いたのですが、「トミイ」大塚なのですね。長らく「トミィ」だと思い込んでおりました。すみません。

※「おい、山岡!」(<それは富井副部長)

 でー、クレシーが終わったら完結かなぁと思ってたら、少し前にネットに上がったインタビューを読むと、その後も描きたいとか書いてあって、それはそれでイイネ! と思った。

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 ちなみに前回のエントリで触れてた、マンガバースの最終章に当たるミニシリーズ『ニュー・マンガバース:ザ・リングス・オブ・フェイト』は、トミイ大塚がペンシラーでして。

 ていうか、トミイ大塚という作家は、割とちょくちょくマーベルで作品を描いてて(近年では、マーベルがスポーツものに挑んだ怪作『フィフティーン・ラブ』とかも描いてる)、どういう縁でマーベルで仕事をすることになったのかとか、気になるのよね。ググっても経歴とか出てこないし。誰かインタビューして、その辺の経歴を聞いてくれねぇかなぁ(お前が聞け)。

 ちなみにトミイ大塚は、日本で『スレイヤーズ』のマンガ版なぞも描いていたのですが、マーベル・マンガバースの『X-MEN:ローニン』で、こんなカバーアートを描いてたりしてて、割と吹く。


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※ああ、一応フォローしときますと、この「片手を腰に当てて、指を突き出すポーズ」っつーのは、『スレイヤーズ』のオリジナルのイラストレーターの「お気に入りのポーズ」であり、何かとこのポーズのイラストを描いてた、という背景があって、その上でトミイ大塚は多分ワザとそれっぽい画風に寄せつつ、このポーズを描いてると思うのね(パクリとかじゃなく)。


▼最近のヴァリアント:

 こう、イマサラながら、今度、小学館集英社プロダクションから邦訳版が出る『クァンタム&ウッディ』が、クリストファー・プリースト&M.D.ブライトの『クァンタム&ウッディ』ではなくて、2013年にジェームズ・アスムス&トム・ファウラーがリメイクした方の『クァンタム&ウッディ』なことに気付いた。

 オイラ、こっちの『クァンタム&ウッディ』は読んだことないのですが、面白いのでしょうか(無垢な目で)。いや、邦訳される時点で面白いのでしょう(確信)。

 まあその、既にオイラが読んでる『クァンタム&ウッディ』を邦訳されるよりも、全く新規の『クァンタム&ウッディ』が邦訳されることの方がお得よね、とかポジティブに捉えつつ、とりあえず注文した。

 でー、なんとなく現行のヴァリアント・エンターテインメントについて、軽くググって見たら、『ユニティ』がオンゴーイング・シリーズとして刊行されてて吹いた。

※『ユニティ』:オリジナルはヴァリアント・コミックス社が1992年に展開したメガ・クロスオーバーで、当時のヴァリアント・コミックス社のスーパーヒーローが時空を越えて共闘する話。
 ちなみに、その後ヴァリアント・コミックス社は、ゲーム会社のアクレイムに買収され、いわゆる「アクレイム・ヴァリアント」時代に突入(オリジナルの『クァンタム&ウッディ』はアクレイム・ヴァリアント時代のシリーズ)。しかしアクレイム・ヴァリアントは、世界観を一新してしまったために旧来のファン離れを引き起こし、更には当時のコミック市場がバブル崩壊で冷え込んでいたこともあり、売り上げで苦戦。テコ入れとして旧ヴァリアント・ユニバースを復活させるクロスオーバー『ユニティ2000』(全6号)が企画されるも、ほどなくしてアクレイム・ヴァリアントは活動を停止。『ユニティ2000』は第3号までしか刊行されず、未完に終わったのだった。構想では、『ユニティ2000』のラストで、オリジナルのヴァリアント・ユニバースと、アクレイム・ヴァリアント・ユニバースが融合する予定だったとか。
 ……てなわけで、『ユニティ』というのは、ヴァリアントのメガ・クロスオーバーの代名詞的な存在であったので、それがオンゴーイング・シリーズのタイトルとして出ているという事実に吹いたのです(解説長すぎ)。


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▼最近のシャザム:

 Captain Yさんから「シャザム!(アメコミ)night!!」なるイベントが開催されますぜ、とかいう密告(そんな大層なものではない)が届いたので、こう、キャプテン・マーベル大好き野郎(※)的に、とりあえず予約してみた。

※正式には、「キャプテン・マーベルの名が冠されたヒーロー/ヒロインとその派生キャラクター、関連作品、それに諸事情により現在ではキャプテン・マーベルの名を冠さない方針としている系の作品も含めて大好き野郎」(だから長いよ)

 アメコミnightというイベント、というかロフトというトークイベントをする居酒屋……でいいんでしょうか、そちらに行ったこと自体がないので、当日までにマナー的なものを勉強したく思いました。


▼あと何かいうことはありますか:

 おとついの日曜日に、南船橋のワンズモールに行ったら、フードコートの焼そば屋が閉店してたのが地味にショックです(知りません)。

 あそこの「ぼっかけオムそば」を喰うのが好きでした(知らぬ)。

 あと、ワンズモールの向かいのビビット南船橋のBOOKOFFに、ここ数年に出た、ジャイブ、小学館集英社プロダクション、ヴィレッジブックスの邦訳アメリカン・コミックスが50冊ほど並んでて、「ああ、きっと急な引越しをすることになった方が、蔵書をザックリ処分する必要があったのだな(ポジティブな想像)」と思いつつ、ジャイブ版『キリング・ジョーク』とか、人にあげたら喜ばれそうなあたり(オイラ自身はそこにあった50冊は全部持ってたのよ)をボチボチ買って帰りました。

 ちなみに軒並み定価の半額だったけど、大半の表紙の状態がよろしくなくてね。良ければ買い込んでマーケットプレイスで転ば(削除)

 昔はこういう、ファンのコレクションであったろう物が、リサイクルショップとかにゴッソリ並んだ感じのソレを見かけるだに、「ああ、マニアが死んだのだな」とかいうストレートにネガティブな感慨を抱いていたものですが、いい歳になった現在、そういう想像をすると、引き続いて「自分の死んだ場合」を想像するようになって、ドンヨリしますね。

 などと、虚無的な感慨に浸りつつ、今日はこれまで。


 にゃんぱすー(別れの挨拶)。
  
  
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●『マーベル・マンガバース』版スパイダーマンを読み返したぜ、な日々。

2015.01.19 Mon

▼『マーベル・マンガバース』版スパイダーマンを読み返した:

 した。

 やはり、オイラ個人としては、面白かったなぁ、と思った。

 でー、これから長々と書く説明的なそれで、興味を持った方には読んで欲しいかなぁ、と思うのだけど、現在『マーベル・マンガバース』を読む手段って、

「TPB(多分、初版以来、再版されてなさげ)を、Amazonマーケット・プレイスとかで、無闇なプレミア価格で買う」

「コミックショップでバックナンバーを買う」

「マーベルの電子書籍読み放題サービス、マーベル・アンリミテッドで見れるらしいので、加入して、見る」

 とかいう、少々ハードルの高いソレらな感じで、あんま簡単には読めないのがションボリだなぁ、と。

 まあ、読める状況にあったり、買ったけど積んだまま、とかいう人は試しに読んでみ? と。


 ちなみに、今回のエントリで触れる「マーベル・マンガバース版スパイダーマン」ですが、定義としては、オリジナルの「マーベル・マンガバース」の企画において刊行されたワンショット『マーベル・マンガバース:スパイダーマン』と、その後スピンオフとして刊行されたミニシリーズ『スパイダーマン:レジェンド・オブ・ザ・スパイダー・クラン』の2つ、カーレ・アンドリュースがライターを務めてる2本ね。

 スパイダーマンが全然出てこない『マーベル・マンガバース』本編とか、その後のオンゴーイング・シリーズや、スパイダーマンが主役の1人を務めてはいるけど、ライターが違う『ニュー・マンガバース:ザ・リングス・オブ・フェイト』は除外。

 要するに、カーレ・アンドリュースの書いてる物しか認めませんという、狭量なソレ。こちとらジジイなので狭量なのはしょうがないのだ(開き直り)。

 書いている、といえば、アンドリュースは『マーベル・マンガバース:スパイダーマン』の方では、ライティングのみならずアート(ペンシル&インク)も担当しておりますが。個人的には、こっちの『マーベル・マンガバース:スパイダーマン』のアートの方が、『スパイダーマン:レジェンド・オブ・ザ・スパイダー・クラン』のアートよりも好きかなぁ、と。

 んでアンドリュースは、この後2006年にも、ライティングとアートを兼任して、『スパイダーマン:レイン』なぞを書いて/描いておりますが、まあ、アンドリュースの『スパイダーマン』といえば、こっちの『レイン』の方が有名ですな。

 っつーかオイラ、『スパイダーマン:レイン』読んだ後、偶然に『マーベル・マンガバース:スパイダーマン』を書いた/描いたのもカーレ・アンドリュースだと知って驚愕したモんですよ。なんせアートスタイル全然違うんだもん。

※『スパイダーマン:レイン』:過去のとある事件で心を折られ、ヒーローを引退した老人のピーター・パーカーが、色々あってスパイダーマンに復帰するも、肉体と精神を折られ、挫かれ、敗北し、社会になんらの変革も及ぼせず、それでもピーター個人の贖罪のために足掻き戦う物語。ミもフタもない形容をすればスパイダーマン版『ダークナイト・リターンズ』。バットマンがその憤怒で社会を改革してしまう存在なのに対して、スパイダーマンってのは社会に敗北し続け、それでも戦う個人の物語なのだよなぁ、とか思わされる話。


 でー。


▼感想・総論的なもの:

 大雑把な感想としては、2作品ともに「スゲぇドライブ感溢れる構成」がみなぎっているというか、余分なシーンを極力省いて、心地よいスピードでラストに向けて物語を突き進ませてく感じが心地よいなぁ、と。

 こう、「ベンおじさんとピーターの絆の強さ」とか「ピーターは学校では超能力を隠して学内カーストの下の方にいる」みたいなディテールは、「詳細に描写しないけど、原典の『スパイダーマン』と大体同じなんで、類推して補完してね」的な省略をしてたり。

 あと、ザコとの戦闘シーンとか、仇敵を探し求めて街をさまよう、みたいな「描写としては必要だけど、物語を進める上では足踏みでしかない」シーンもバッサリ省略。

 さらには、設定とか過去の因縁の説明は「全てをご存知な師匠の霊体が夢を通じて説明」「なぜか夢の中で過去の出来事を幻視」的に、やはりシンプルかつ手短に済ませる感じで。

 でー、その辺を手短に済ませることで稼いだページを、自分が見せたいシーン(ピーターがベンおじさんを思い出して、「Noooooo!!」って叫びながら限界を超えた力を発揮するシーンは、盛り込みたいじゃん!?)とか、物語を面白くするガジェットの盛り付け(新たな敵を登場させたり、キャラクターを掘り下げたり)に費やしてる感じ。


 ただその、枝葉を切り落としたスピーディーな展開ってのは、逆に、「腰を据えて読み込んじゃう」と、要所要所の「も少し説明しとくべきじゃね?」ってディテールが気になる所も、無きにしも非ず……なのよね(ピーターの学校でのポジションについて、頭がいいのか、体育では本当の身体能力を隠しているのか、とかを、もうちょっとだけ説明しといて欲しいかも、とか)。

 ていうか……その、『スパイダーマン:レジェンド・オブ・ザ・スパイダー・クラン』の方がね。スパイダーマンが割と気軽にスパスパと悪のニンジャの首を飛ばしたりする話なんだけど、でもピーター個人は“殺人を犯した”という事実に葛藤しないのね。っつーか、その辺の葛藤に触れると話が横道にそれるので、ワザとガン無視してるんじゃないかと思う(多分)。

 その辺は、「悪人を殺さない」というポリシーがドラマにコクを生んでるオリジナルのスパイダーマンを愛する人には気になるっつーか、むしろ反感持たれるかもかなぁ、と思う次第ですが。

 こう、個人的には、敵のニンジャは「死んだら煙になる」感じの、「人外の何か」にして、故に首をスッ飛ばしてもOK! YES首斬り、NO葛藤! 的なエクスキューズを持ってもよかったんじゃないかなぁ、と。

 まあそもそも、敵のニンジャ軍団とかがね、“死んじゃってもいいような凄い悪人なのだ”て描写も割と淡白でね(あいつらは皆殺しにしても飽き足らないくらい位のヒドいことをしてた、的なセリフは出てるけど、絵で見せてないので、あんま重みがないのよね)。

 と、まあ、腰を据えて読んじゃうと、その辺のアラが気にかかるですが、このシリーズは、そういうところに目くじら立てるよりも、そういうところは「考えない」ようにして、作者側のスピーディな展開のつるべ打ちを、「この次の展開は? 展開は?」的に、少々気ぜわしいココロモチで読み進んでく方が楽しめるのではないか、と思った。

 なんだろ、荒削りなストーリー展開の良いところだけ見てあげましょうというか。

(……おかしい、このシリーズの「面白いところ」を挙げてたはずなのに、なんでこんな突っ込みとフォローを延々と書いてるのだ、オイラは)


▼『マーベル・マンガバース:スパイダーマン』の感想:

 まあ、最初に世に出た『マーベル・マンガバース』版スパイダーマンの物語、ということでいわゆるオリジン・ストーリーなのですが、「22ページしかないから余分なこと語ってるヒマはねぇ!」的に、実にもってスピーディに展開してくので……開幕1ページ目からベン叔父さんがアレなことになっております。

 でー、『マーベル・マンガバース』ってのは、手短にいうと、既存のマーベルキャラクターを「アメリカ人が考えるベタなマンガのキャラクター的にリ・イマジネーションする」という企画でありまして──例えば、ガンマ線を浴びたことで変身するハルクは、ジャパンの著名なラヂオアクティブ・モンスターである「ゴジラ」風の巨大怪獣としてリ・イマジネーションされてるのですが(<ベタでしょ?)。

 そんなわけで、本作のピーター・パーカーは、ニンジャ集団「スパイダー・クラン」の徒弟だったのですが、師匠であるベン・パーカーを、謎のニンジャ軍団クジ・キリ(九字切り? 九十九里?)のベノムに殺されてしまい、スパイダー・クランの最後の後継者となるのだった……とかいう、ベタにジャパナイズされた話になっております。

 でー、ベノムに復讐したいのだけど、メイ叔母さんが心配するので、ピーターのままでは活動できない。そこで、スパイダーな感じのマスクとコスチューム(オリジナルのスパイダーマンそっくりだけど、何故このデザインなのかの説明はバッサリ省略)を付けて街を飛び回る……とかいう感じでスパイダーマンが誕生する運びとなっております。ちなみにこちらのピーターは、本家スパイダーマンの様な壁に張り付く超能力などはないので、「手鉤」で壁面に張り付き、「鉤縄」を使ってスウィングしております。ニンジャなので。

 俊敏なスパイダーマンをマンガナイズしたい→そうだ、ニンジャにしよう! とかいう感じの、非常にベタな置き換えなのですが、更にベタさを推し進めて、ベン叔父さん=忍術の師匠としたり、敵役のベノムにも血族の因縁とかを盛り込んで、少ないページでドラマを充分以上に盛り上げることに成功してると思います。

 長期連載だと、この辺のごく狭い人間関係に色々と因縁を盛るのは、息切れしやすいんでアレですが、読みきりのワンショットなのをいいことに、「とりあえず要素を盛れるだけ盛ろうぜ!」という姿勢が個人的に高評価。


▼『スパイダーマン:レジェンド・オブ・ザ・スパイダー・クラン』の感想:

 ある意味でやりっぱなしで駆け抜けた『マーベル・マンガバース:スパイダーマン』が存外に受けたのか、程なくしてリリースされたミニシリーズ。ちなみに全5話。

 スパイダーマンが呪いのアミュレットを手に入れて闇堕ちして(コスチュームもブラックになるよ!)、闇のニンジャ軍団「シャドー・クラン」の一員になって、でもがんばってヒーローとして復帰するよ、とかいう、大筋自体はやはりベタで定番で王道なソレ。

 でー、気ぜわしいアンドリュースときたら、この定番展開に、スパイダーマン的、ニンジャ的なガジェットを盛れるだけ盛っておりまして、「見えざるを見、聞こえざるを聞き、触れえざるを触れる」スパイダー・クランの極意“スパイダー・センス”の謎とか、アミュレットを狙う謎のサイバー女怪盗ブラックキャット(被スパスパ要員)とか、シャドー・クランに恨みを持ち、闇堕ちしたピーターをも狙うデビル・ハンター(マット・マードック)とか、どうということのない脇役(学校の先生)なのに、何だか妙な存在感を示すオットー・オクタビアス先生とか、科学と魔法を武器にアミュレットを追い求めるノーマン・オズボーン(魔法でゴブリンになるよ!)とか、あと地味にがんばってるクジ・キリとか、説明不足にも程があるピーターの両親の謎とかとかとか、4ページ毎に新たな展開や、新キャラクターが出てくる感じの、せわしなくもサービス精神旺盛な展開となっております。

 しかも4号後半から意外な方向に物語が転がって、ラストバトルが予想もつかぬオチがついて(このシーンのオクタビアス先生が無駄にシブい)、いつの間にか悪は滅びていて(その一方で、今後にも繋がりそうな伏線も張られて)。でー、ピーターが日常を取り戻して、メイ叔母さんの微笑みと共に物語はなんだか大団円を迎える、という(残念ながらアンドリュースによる続編は出なかったけど)。

 なんつーか、前作が「スパイダーマンのオリジンを、マンガ&ニンジャなガジェットを盛りつつリメイクした話」であるのに対して、今回のシリーズは、「アメリカナイズされたニンジャ活劇にスパイダーマン的ガジェットを盛った」感というか。

 先立ってもいった様に、本シリーズのピーター・パーカー/スパイダーマンは、パカスカ人殺しするので、まあ、オリジナルのスパイダーマン的なヒーローからは足を踏み外してる感があるのですが、その一方で、割と“悪の親玉が肉親”だったりする、いかにもマンガ的な因縁の絡み合いが強化されててね……こう、スパイダーマンの神話からは逸脱した、新たな存在になりかかっているというか……なので、ミもフタもないことをいえば、本作がスパイダーマンであることにこだわらなければ、面白がれると思う。多分。

(……いかんな、どうしても手放しで「面白い」って言い切れない)


▼長々と書いて飽きたので、とって付けたようなオチ(おい):

 まあ、そういう訳で、荒削りだけど、見るべきところはある作品だと思うので、見れる人は、見ろ(本当にとって付けたようなオチだな、オイ)。

 こう、元々スパイダーマンのオリジンの変奏曲的なワンショットとして登場したのに、続編を求められたことで、スパイダーマンから逸脱した何かに変異し、その何かの可能性が萌芽することなく、ミニシリーズ『ニュー・マンガバース:ザ・リングス・オブ・フェイト』をもってマーベル・ユニバースから消えてった、というのがマンガバース版スパイダーマンの大雑把な歴史なのですが。

※『ニュー・マンガバース:ザ・リングス・オブ・フェイト』:「ニュー・マンガバース」と銘打ちながら、マンガバースの世界観を完全にぶっ壊したミニシリーズ。「もう、この世界駄目だから後腐れなく壊しとこうぜ」的に、それまでのシリーズに登場したキャラクターたちが、ポッと出のニンジャ軍団・ハンドによって9割方ブッ殺されてくという、厄介払いを絵にしたような話。ちなみにライターはC.B.セブルスキー。本作のライターだったというだけで、俺はこの10年以上もセブルスキーに対していわくいいがたい感情を抱え、そしてこれからも抱え続けることだろう(知らぬ)。

 そのマンガバース版のスパイダーマンが消えてから10年が経った今になって(『ニュー・マンガバース:ザ・リングス・オブ・フェイト』は2005年の作品)、唐突に「それもまた、スパイダーマン・ユニバースであるのだ」的に、ジャパンのスパイダーマンと肩を並べて存在を肯定されるという事態にね、いわくいいがたい(これは肯定的な意味で)感情を抱くのでありますよ。ええ。

 ヒーローもののコミックスのコンティニュイティというのは、10年くらいのスパンで付き合っていくべきものなのだなぁ、とかなんとかいう、適当な感想でどうか。

<飽きたので完>
  
  
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●Kindleのアフィリエイトは案外イケる、あとAmazon.comの電子書籍は魔窟だぜ、な日々。

2015.01.13 Tue

 こう、『マーベル・マンガバース』版スパイダーマンの話をするツモリでしたが、急遽予定を変更しまして、さっき発見したささやかな事実(タイトルそのまんま)を、ライブ感覚でエントリにします。


▼Amazonアフィリエイトな話:

 やったぜ! こないだのエントリに貼ったAmazonアフィリエイト・リンク経由で『Split!』のKindle版が2冊売れたぜ!(ショボイとかゆーな)

 つっても、近年のAmazon.co.jpのアフィリエイトの紹介料は定価の3%前後になってて、『Split!』自体定価がお安いので、多分、うまい棒1本も買えない程度の紹介料しか(アフィリエイトの管理画面をイジりながら)……うまい棒5本買える位の紹介料が貰えてる!?

※ちなみに、現在のうまい棒は税込11円なのですが、それだと計算が面倒くさいので、このエントリに限っては「1うまい棒=10円(税込)」とします。

 ……今知りましたが、Amazon.co.jpのコンテンツであるところのKindleの電子書籍は、Amazonアフィリエイトの紹介料率が8%前後と、紹介料率が優遇されてるのですね。


 例えば、ウチのブログの超ロングセラーであるところの『エンパワード』第1巻は、ソフトカバーだと1700円前後(今は在庫切れでマーケット・プレイスの商品のみになってるので、値段はマチマチ)で、でもって書籍の紹介料率は3%前後なので、1冊売れると約1700円÷100×3=51円前後の紹介料が入ってくるのですが。

 これがKindle版『エンパワード』だと、現在の定価が610円で、現在の紹介料率が8.03%なので、610円÷100×8.03=49円(※正確には48.983円を切り上げて49円)と、定価の安さにもかかわらず、ソフトカバー版とさほど変わりない紹介料が入ってくるのね。

 これは良いなぁと思ったので、これからもKindleの電子書籍の紹介をしてって、うまい棒を30本ぐらい買えるようになりたいと思った(毎度、しょうもない感想ですみません)。


▼本日の「オススメしない」電子書籍:

 っつーワケで、本日も電子書籍を紹介してみる。紹介するだけで、購入はオススメしませんが(真顔)。

 ブツはBFT Booksとかいう会社の出してる電子書籍全般なのですが。

 実に全くオススメしないので、あなたが「Kindle Unlimitedの30日間無料お試し期間中なので、全ての電子書籍をタダで読めます」とかいう人でない限りは購入しないで下さい。ええ。

 KindleもしくはKindleアプリをお持ちの方は、とりあえず、サンプルをダウンロードしてみるといいでしょう。

 多分、そのサンプルは、「ネットから拾ってきた適当な画像」としか言い様のない感じのイラストが1枚表示されるだけでしょう。

 この時点で、嫌な予感でゾクゾクしてきますね。


 引き続いて、Amazonのレビューなぞを見てみましょう。大概のレビューが「☆1つ」です。イカしてますね。

 でもって、レビューの文章はこんな感じです。

「数枚のちっちゃいイラストが入ってるだけ」

「イラストだけで文字がない」

「これは本とはいえない」

「明らかにオフィシャルサイトからダウンロードしてきただけの画像です」

「スクリーンショットが数枚入っているだけ」

「Googleの画像検索の方がマシ」

「サンプル見てから買うんだった」

「内容がないよう(contains no content)」

「何故Amazonのレビューには☆0がないのか」

「買ってはいけない」

「買うな」

「waste of a download」

「waste of money」

「waste of life」

「Amazonに通報しました」


 こう、インターネット黎明期の、その辺から拾ってきた版権イラストやファンアートを適当に貼り付けつつ、エロサイトへのリンクを紛れ込まして広告料を稼いでたサイトを思い出しました。

 もしくは、2年ほど前にウッカリ買ってしまった、忌まわしき本を思い出しました。

 あるいは、こないだ逮捕された、秋葉原で無版権のアニメキャラのステッカーを売ってた人とか。


 っつーか、Amazon.comの電子書籍の審査は、こんなモンでも通るのですね。

 俺も真似しようかなぁ。──Amazon.comなら日本の版元の目が届かなげだし。

 こう、pixivあたりから拾ってきたイラストで、適当に「Kan-Colle MANGA!! (English Edition)」とかいう感じの電子書籍を無数に作って……(冗談でもこういうことを書き連ねるのがイヤになってきたので以下略)。
  
  
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●どうでもよきジャパニーズ・スパイダーマン。

2015.01.13 Tue

▼どうでもよき、マンガバース:

 『アメージング・スパイダーマン』誌の方で、東映版スパイダーマンと巨大ロボ・レオパルドンが出た、ということで話題になってるようですね(イマサラ)。

 オイラ個人は『アメージング』誌は購読していないので、そのことについて何かいう資格はないのですが。

 
 ただね。

 貼られてた画像の中に、『マーベル・マンガバース』版スパイダーマンが、スパイダーマンJ(「コミック ボンボン」にて連載されていた和製スパイダーマンね)と、スパイダーマン(東映版)と3人で会話しているコマがあってね。

 凄く嬉しかった。

『マーベル・マンガバース』という、お世辞にも成功したとは言い切れない企画から生まれた、マンガバース版スパイダーマンがね、マンガというメディアへの限りなき憧憬を抱いたベン・ダンという作家が主導して生み出した、マンガバース版スパイダーマンがね、日本産のスパイダーマン2人と肩を並べていた。

 そのことが、凄く嬉しかったのですよ。


 ……で、ここから、マーベル・マンガバース版スパイダーマンの登場している『マーベル・マンガバース:スパイダーマン』と、続くミニシリーズ『スパイダーマン:レジェンド・オブ・スパイダークラン』が、割と秀作であり、当時のオイラはとても大好きだった、という話をする予定でしたが。

 がー、物語の細部がどうにも思い出せないので、改めてこれら2作品を読み返してから、そちらのテキストを書きたく思います(泥縄)。

<ツヅク>
  
  
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●Kindleを称えよ、そして定価46.99ドルのキャプテン・マーべルのTPBを327円で手に入れるのだ、な日々。

2015.01.09 Fri

▼最近のKindleな日々:

 前回の『アフターライフ・ウィズ・アーチー』に引き続き、「Kindle版がスゲェ安い本を見つけたので、皆も買うがいい」的なエントリ。

 なんと、みんな大好き、キャプテン・マーベルの46.99ドルもするTPBが、たったの327円で買えるよ! ヘイルKindle!!

 ……いやまあ、「キャプテン・マーベル」つっても、“みんな大好き”な方のフォーセット・コミックス版キャプテン・マーベルでも、ましてやマーベル・コミックス版キャプテン・マーベルでもなく、キャプテン・マーベルの名を冠したヒーローの中でも最もマイナーであろう、M.F.エンタープライゼス版キャプテン・マーベルですが。


※M.F.エンタープライゼス:1940年代末~1950年代中頃に活動していたコミック・アーティスト、マイロン・ファスが1966年に興した(そして1967年に畳んだ)出版社。お気づきの通り、社名は創業者のイニシャルに由来する。1950~1990年代にかけてファスが無数に立ち上げてはツブした出版社の1つ。

※M.F.エンタープライゼス版キャプテン・マーベル:1966年刊行の『キャプテン・マーベル』第1号にて初登場したスーパーヒーロー。『キャプテン・マーベル』誌4号と、『キャプテン・マーベル・プレゼンツ:ザ・テリブル・ファイブ』誌2号を残し、翌年にコミック・リンボに消えた。『キャプテン・マーベル』の名前は、フォーセットのキャプテン・マーベルとあえて被らせてたようで、『キャプテン・マーベル』誌の表紙の「キャプテン・マーベル」のロゴの横には「オール・ニュー」とかシレッと書いてある。図々しい。
 クリエイターは、かのヒューマントーチ(オリジナルの方ね)を生み出したカール・バーゴス。ただし、バーゴスは表紙とかは描いてるようだけど、本編は別の作家が描いている(ネームくらいは切ってたんじゃないかとは、いわれている)。
 ちなみにキャプテン・マーベルは、異星から来たアンドロイドで、「スプリット!」の掛け声で分裂した四肢を四方八方に飛ばせる(分裂は関節単位で行える)、いわゆる「オールレンジ攻撃」な能力をメインに、あと目からビーム出したりとか、空飛んだりとかできる(分裂した四肢も、単独で飛行できる)。ちなみに分裂した四肢を元に戻す掛け声は「シャザム!」もとい、「ザム!(Xam!)」。「ザム!」って叫ぶとコマの背景に雷のエフェクトが描かれるのが「ワザとやってるだろ、これ」って感じ。ちなみにサイドキックの少年の名前はビリー・バクストン。絶対ワザとだ。


 閑話休題。

 でー。

 このM.F.エンタープライゼス版の『キャプテン・マーベル』のコミックを全話収録した『スプリット!』って本が、こないだ(つっても結構前)出たんですが。

 これね。

Split!
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2014-09-14
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 その、「キャプテン・マーベルの名を冠するヒーローは、なんとなく追いかける」性癖を持つオイラ的に、アナウンス時からこの本が気になっていたんですけど、まあ、定価が46.99ドルもしやがる上、ファッキン円安なソレで、買い控えていたのですが。

 んでー、こないだ未練がましく、Amazon.co.jpのこの本のページに行ってみたらね、Kindle版がたったの327円で売られててな。

 外しましたよ、アゴを(倒置)。

 Amazon.co.jpだと、クダンの単行本は時価5700円で売ってるので(ファック円安! <しつこい)、327÷5700=5.73%で……実に、94.27%引きですな! ヘイルKindle! 


 ちなみにこの本の版元のCreatespaceなる出版社は、どうやら自費出版の会社みたいね。

 要はこの本、アメリカ人のコミックファンが、パブリック・ドメインになったM.F.エンタープライゼス版『キャプテン・マーベル』のコミックスをスキャンして、自費出版したのでしょうね。でー、紙の本の定価が高かったのは、多分、そんなに部数を刷らなかったんで、原価が高くなっちゃったんでしょうね。


 ちなみにKindle版は、造本が凄く適当でして。



 とりあえず1ページキャプチャしてみましたが、全ページこんな感じに、周囲に無駄過ぎる余白があるのです。ちなみにスキャンも適当で、ご覧の通り、酸化して黄色くなったページを補正もクソもなく掲載していて、ページによっては斜めにカシイデたり、隣のページが見切れてたりもします。

 ……だが、それがむしろ味わい深い、とか思えるようならあなたも一人前です。何の一人前かは謎ですが。


 でー、ひととおり目を通しましたが、この『キャプテン・マーベル』ってば、非常に牧歌的な「子供向けコミック」でね、なんというか、読んでて心癒されました。

 とにかく、各回の悪人がね、愛嬌があるのよ。

 こう、誤解からキャプテンと戦うけど、途中で戦うのをやめて、「実はこんな事情があるのですが、あなたの強さを見込んで……」的な話をしだして、キャプテンの協力を仰いだりする「話のわかる」人とかね、割といるし。

 あるいはキャプテンの説得で改心して、「学校に戻って検察官になるよ」とかいい出して、後の話で本当に検察官助手になってる人とか。……どうでもいいけどこの人、ジェームス・ゴードって名前で、「ザ・バット」っていう、コウモリに似たコスチュームを身に着けた悪人の下で働いてたのよ。絶対ワザとだ。

 その他にも、凶悪な武器を持ってるんだけど、「俺は俺の武器を人に向かって使ったことはないんだ!」って真顔でいう人や、設定上は「殺人を犯した凶悪犯」なのに、変装のために洋服屋で盗みを働く際に、「俺は泥棒じゃないぞ! 泥棒は悪いことだ! どうにかして背広の代金を払うつもりさ!」とかいうセリフをウソブく人もいたりね。

 でー、個人的に大好きなキャラクターが、アトミック・ジョーさんって人でね。この人、初期の話でキャプテンと戦って、刑務所に送られるんだけど、その後の『キャプテン・マーベル・プレゼンツ:テリブル5』の第1号で脱獄に成功して、「フフフ……キャプテン・マーベルに借りを返してやるぜ!」とか、物騒なことを呟きながら去ってくんだけど……(この先はぜひ、現物を読んでいただきたいので省略)。

 ちなみに、悪人たちの名前は、先述の「ザ・バット」なんてのはかわいい方で、プラスチックマン(後にエラスチックマンに改名)とか、ドクター・フェイトとか、プロフェッサー・ドゥームとか、ザ・レイとか、とっても微妙な感じの名前が目白押しであります。もはやワザととかそういうレベルじゃねぇ。


 そんなわけで、ポケットに300円ほど小銭が余ってるそこのあなた、レッツ・スプリット!(適当)


・本日の名セリフ:キャプテン・マーベルさんが悪い人を捕まえた後に高らかにいったセリフ。

「The only way to make money is to work for it!(金を得る手段はただ1つ、働くことさ!!)」

 凄く当たり前だ! でも、キャプテン・マーベルの世界観だと、凄く含蓄があるセリフに聞こえる! 不思議!!
  
  
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●2015年ですね、な日々。

2015.01.07 Wed


 あけましておめでとうございます(イマサラ)。

 今年もよろしくお願いいたします。


 とりあえず、去年最後に読み終えたアメリカン・コミックスは、ヴィレッジブックスの『驚異の螺子頭と興味深き物事の数々』で、今年初めて読み終えたアメリカン・コミックスは飛鳥新社の『ウォーキング・デッド』第6巻でした。

 でー、昨年から読んでてまだ読み終えてないのが、IDWパブリッシングの『トランスフォーマーズ』と『トランスフォーマーズ:モア・ザン・ミーツ・ジ・アイ』と、いう感じ。

 なんつーか、もはや邦訳アメリカン・コミックスと『トランスフォーマーズ』のTPBくらいしか読んでない感じで、アメリカン・コミックスの読み手としてはいよいよ時代においてかれてる日常を送っております。Twitterなぞで若者が面白げなインディーズのコミックの感想とかを呟いているのを見つつ、茶をすする日々であります。ホエホエ(老人的擬音)。

 ただまあ、その手の老人にありがちな「自分の熱心だった時代を変に美化する」「返す刀で今のコミックブックに噛み付く」とかいう真似はするまい、と、年初に誓ってみる(<あえて誓う様なことじゃないべさ)。


 ちなみに本年度、最初に買ったアメリカン・コミックスはアーチー・コミックス社の『アフターライフ・ウィズ・アーチー』の第1巻(Kindle版)でしたが。

 まさかアーチー・コミックスで年初を飾るとは思いませんでしたわ。

 けどね、この『アフターライフ・ウィズ・アーチー』のKindle版てば、お値段驚きの481円なんで、買わざるを得ぬのです。

『アフターライフ・ウィズ・アーチー』のソフトカバー版TPBは、Amazon.co.jpじゃ時価2214円(2015/1/7現在)であり、Kindle版は実に79%引きでして、円安の昨今、実にありがたいことであります。さあ、あなたも買うのです。

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※『アフターライフ・ウィズ・アーチー』:ほのぼのラブコメディ・コミックス『アーチー』のちょっぴりドキドキなスピンオフ(タイトルはオンゴーイング・シリーズ『ライフ・ウィズ・アーチー』のパロディ)。
 あらすじ:なんとういうことでしょう! 食いしん坊のジャグヘッドの愛犬ホットドッグちゃんが車に轢き殺されてしまいました! 悲しみにくれるジャグヘッドは、“かわいい魔女”サブリナに頼み込み、禁忌の呪術で愛犬を生き返らせてもらいます。ですが、ホットドッグちゃんはアレな感じに蘇生していたから大変! 愛犬に噛まれたジャグヘッドは、ジョー・オーランド風の生ける屍になってしまうのでした。ガールフレンドのエテルちゃんに噛み付き、あたりをまっかっかに染めてしまうジャグヘッドくん! そしてエテルちゃんや太っちょのウェザビー校長先生たちも、虚ろな目つきの屍人と化して街中を阿鼻叫喚のドンチャン騒ぎに巻き込んでしまいます! 
 アーチー「うへぇ、もうゾンビはこりごりだよぅ」


 ちなみに、AmazonのKindleストアでも、『アフターライフ・ウィズ・アーチー』が1イシューずつ買えるのね。割と驚いた。

 あと、本家『ライフ・ウィズ・アーチー』では、同性愛者の友人をかばってアーチーが銃で射たれて死亡する、「デス・オブ・アーチー」なんてぇストーリーをやってたことをさっき知りました。なにこのハードな展開。

※『ライフ・ウィズ・アーチー』誌は、アーチーが結婚してる可能性の近未来を舞台としたスピン・オフ誌なのでオリジナルのアーチーが死んだわけじゃないので注意ね。

※ついでにいえば、『ライフ・ウィズ・アーチー』誌は、「アーチーがベティと結婚した未来」と「アーチーがヴェロニカと結婚した未来」とを舞台とした2本の話が並行して連載されてた。ラブコメ史上最もミもフタもない三角関係の決着のさせ方だと思う。


▼余談:

 上で挙げた『ウォーキング・デッド』第6巻がね、今巻もとても面白いなぁ、と思った(どうにもならない感想)。

 主人公が割と精神的にトンガリ過ぎちゃった結果、周囲に色々ヒかれちゃって、一方で主人公の率いるグループが新たな敵(無論キチガイ)のグループに手痛いダメージを負わされてく……ってのが今巻では延々と展開されてくのですがね。

 その後に待ち受ける展開としては、まあ、主人公の人間的な信頼の回復と、主人公の所属するグループの勝利という2つのカタルシスなのでしょうが(無論、その過程でまたぞろ死人が出るのでしょうが)、主人公サイドに新たな仲間ができて、「これからやったるぞー!」ってトコでね、第6巻が終わっちゃうのよ。

 ここまで盛り上げて、あのキャラクターも無残に殺しておいて、「続きは希望的観測で数ヶ月後ね!」ですよ。

 もはや英語版TPBを買う気はないので、はやく続刊の刊行が決定することを祈り続ける日々であります。


 関係ないですが、こないだアッサリと完結した『エクゾスカル零』の最終回で、案外に生き残ってた人類の方々がゾロゾロっと登場してて、「なんだか初期の物語で描かれてた、絶滅を迎えつつある人類への寂寥感が薄れたなぁ(いや、この人らも遠からず絶滅する運命にはあるのだけど)」と、思ったモンですが。

『ウォーキング・デッド』の第6巻もね、生き残ってた人々のグループがゾロリ、ゾロリと出てきちゃってね、「“滅亡もの”って、長期連載になると、“もう人類は俺たちしか生き残ってないのではないのか”的な寂寥感が薄れるものであるのだなぁ」と、イマサラながらにして思った。


 そんな感じで。今年もこんな感じに、ハシにも棒にもかからない「僕の素朴な感想」を書き垂らして行く所存であります。

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