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●いかにしてシーゲル&シャスターはDCコミックスと和解するに至ったか。

2007.12.28 Fri

▼唐突なるテキスト:

 ウチのブログ恒例、「書きかけで放り出してたテキストを突発的にリメイク&ペーストしてそのまま逃走」シリーズ。

 この間の「スーパーボーイの著作権」についての一連のエントリ用に書いてたんだけど、スーパーボーイのの著作権とは直接的に関係なかったんで、省略した「シーゲル&シャスターとDCコミックスとの和解」についてのテキストを、なんとなくリメイク。

 文章が、なんの脈絡もなく「なお」で始まるのは、元々スーパーボーイ講座のテキストのどっかに挿入するためだったので(面倒くさいので、いちいち前置きとか書き起こさねぇ。<なんたるダムンだ)。「なお」以前の事柄について知りたい人は、オリジナルの「●スーパーボーイは、ジェリー・シーゲルの著作物だった。」エントリを読むよろしね。

 っつーわけで。


▼アメコミ講座・余話:DCとシーゲル&シャスターが和解するまで:

 なお、1948年の裁判に敗訴したシーゲル&シャスターは、その後、もう1度DCコミックス社を相手に「スーパーマン」の著作権を取り戻すべく訴えを起こしてます、実は。

 彼らが訴えを起こしたのは、1969年。
 なぜこの時期に訴えたかというと、彼らが1938年に移転させた「スーパーマン」の著作権の最初の保持期限が来てたからですね(1938年+28年=1966年までが最初の保持期限)。

※「著作権の保持期限」に関しても、オリジナルのエントリのどこか(<どこだよ)を読み返してください。

 無論、DCコミックス社側は、著作権保持の再更新を申請して、更に28年間「スーパーマン」の著作権を保持しようとしてたのですが、シーゲル&シャスターは「再更新など認めん」とばかりに訴えを起こしたのでありますな。

 さて前回の裁判では、書類と有能な弁護士を揃えていたDCコミックス社に対し、大した用意もせずに望み、結果、ナススベなく敗北を喫したシーゲル&シャスターでしたが。
 この2度目の裁判では、それなりに資料を用意しつつ粘り強く争ったようで、裁判は実に6年にも渡り続きました。

 チナミニ、シーゲルらが訴えを起こす2、3年前、1967年度にDCコミックスは、巨大メディアコングロマリットのキニー・ナショナル・サービス<Kinney National Services>傘下に入りまして。
 で、このキニーは翌1968年に、かのワーナースタジオも買収しまして、更に合併を期に、社名を「ワーナー・コミュニケーションズ<Warner Communications>」に改称してます。早い話が、現在のタイム・ワーナーの前身ですな。

 でで、そんな大企業サマに、シーゲル&シャスターは噛みついちゃった訳ですよ。

 ……どんな結果になったかは、その、お察しください。

 まあ具体的にいいますと、1975年4月、「スーパーマンは、シーゲルとシャスターが、DCコミックス社の雇用人としての立場で生み出したものであり、彼ら2人には著作権は属していない」との判決が下されまして、シーゲル&シャスターの訴えは退けられました。

 一説では、この裁判にはシーゲル&シャスターが「スーパーマン」を(DCの雇用人としての立場でなく)個人で生み出したことを示す証拠が無数に提示されたそうですが、にも関わらず上記のような判決が下されたそうで。
 さすがはワーナーの弁護士軍団ですな。

 めでたし、めでたし(ワーナー帝国が)。


 ちなみに、この判決の出た1975年に、ワーナー大帝国は、劇場用大作映画『スーパーマン』の制作をアナウンスします(まぁ、判決が出たから、ってワケじゃないでしょうが)。
 で、この知らせを聞いたシーゲルは、「奴ら、俺の作品でまだ大儲けしやがる気だ!(血涙)」的に激昂しまして(言うまでもなく、この劇場版の収益はシーゲルらには一切還元されません)、「スーパーマン」の権利を巡るDCとの戦いを継続しようとの意思を新たにします。
 が、彼らの弁護士は、この時はなぜか積極的に動こうとはしませんで(……控訴しても負けるのが目に見えてたからでしょうかね)。

 しかし憤懣やるかたないシーゲルは、DCコミックスのジャック・リーボウィッツが、いかにして彼らからスーパーマンの権利を巻き上げたかを、切々と――実に10ページにも渡り――綴った文章を書き上げると、コミック業界内の各方面に送り、彼らを援助してくれるよう求めます。
 そして当時、「コミックブック芸術アカデミー<Academy of Comic Book Arts>」(※)の委員長を努めていたニール・アダムスも、この手紙を受け取った1人でした。

(※)コミックブック芸術アカデミー:アカデミー賞を送り出してる「映像芸術科学アカデミー<Academy of Motion Picture Arts and Sciences>」に倣って1970年頃に創設された組織。コミック界のアカデミー賞とでもいうべき「シャザム賞<Shazam Awards>」を創設したが、1970年代後半に活動を停止。別に業界内に強い権力を持ってたりはしないので、普通はこんな所に「困ってます」な手紙は出さない。

「その手紙を見た俺は、誰かが何かしなきゃならないと感じた。その誰かってのは、おそらくは弁護士ではあり得ない。何故なら、これまで彼らがしてきたことはいずれも失敗に終わっていたからだ。だから、問題は誰がそれをやろうか? ってことと、いかにしてやるか? ってことだ」(アダムス談)
引用元:こちらの記事

 が、アダムスは、その役目に相応しい人間を思いつけませんで。結局の所アダムスは「誰もいなきゃ、俺がやるしかないじゃん」的に、自身が立ち上がります。

「俺はこの業界の誰にも恩義を感じちゃいない、だから、俺の振り上げた拳は誰にも止められやしない」
「もしもDCコミックスが俺に今後1ページたりとも仕事を回してくれなくとも、そんなことは関係ない。俺には他に仕事の口はある」

引用元:同上

 こうしてアダムスは、シーゲルらと接触し彼らの後援を申し出まして。
 電話にてシーゲル&シャスターの現状を聞いたアダムスは、この闘争をやり抜く決意を固めます。
 ――なにせ、当時のシーゲルは、20年以上もコミック業界から干され、単なる事務員として7500ドルの年収で妻と娘を養っていたし、一方のシーゲルは独身の上、半ば盲目になっており、兄弟のアパートに居候しメッセンジャーとして辛うじて糊口をしのいでいたものの、冬の寒さに耐えるための外套すら買えないという窮状でしたので。

 こうしてアダムスは、以降4ヶ月に渡りシーゲル&シャスターの窮状を訴え、彼らに正統な権利を与えるための運動を展開してきます。
 アダムスは、シーゲルとシャスターを(時には自分自身も)TVのトークショーやニュース番組に出演させ、彼らの現状を大衆に伝えさせ、また定期的に記者会見を開き、諸々の原稿をマスコミ各位に発信していきました。
 やがて、全米最大規模のコミック作家組織「ナショナル・カートゥニスツ・ソサエティ<the National Cartoonists Society>」(※)や、個人のコミック作家らもアダムスの運動に協力を申し出ます。

(※)ナショナル・カートゥニスツ・ソサエティ:1946年創設の、由緒正しきプロ作家の組織。こちらは「ルーベン賞<Reuben Awards>」を設立している。「よりよいカートゥーンの明日のために」的な理念で作られた組織であり、「作家組合」的な権力は持たない。ただし、コミックブック業界のみならず、新聞マンガや広告業界などの作家も所属してるので、本気になって何らかのアクションを起こすと、けっこうな影響力となる。

 さて、こうした事態を重く見たDCとワーナーは、程なくしてアダムスに接触。連日のようにアダムスと会合を持ち、シーゲルとシャスターの処遇についての摺り合わせを行っていきます。
 で、1976年2月、DCコミックス社はシーゲルとシャスターに対し、年間各3万5千ドルの生涯年金医療補助を与えることを確約します。
 また、1948年の裁判以来、抹消されていた「スーパーマンのクリエイターは、ジェリー・シーゲル&ジョー・シャスターである」というクレジットも『スーパーマン』のコミックに復活することとなりました(『スーパーマン』が、TVドラマや、映画、アニメーションなど、他の媒体に進出した際にも、きちんとシーゲル&シャスターのクレジットは記載されています)。

 こうして、シャスター&シーゲルは、その晩節を安楽に過ごし(失った時間は取り戻せませんでしたが)、DCとワーナーも、「クリエイターたちに温情を与えた」として、評判を取ることとなりました。

 めでたし、めでたし(まぁ、それなりにみんなが)。


 以上、リメイク終了。
  
  
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タグ:アメコミ講座

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