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●最近のアクアマン。

2011.08.23 Tue

 うぃす。なんとか&なんとかの、人の名前が覚えられない方、たけうちです(<前回のエントリの失敗を思い出してしゃがみ込みながら)。

 とりあえず、いつまでもコミケの話を冒頭に置きっぱなしなのも何なので、適当に更新してみたい。


▼アクアマンさんがんばれ:

 気づけばもうすぐ9月でリランチなソレですね。……リランチについてグダグダコメントする例のエントリが、まだ『ブルービートル』とスーパーマン・フランチャイズの分が残ってたな。

 ま、それはそれとして(逃げた)、個人的に気になるのが、ジェフ・ジョーンズの『アクアマン』かなぁ、と。まあ、設定が色々なかったことにされてそうな今回のリランチに対して、こういうのもアレだけど、「俺の大好きなピーター・ディヴィッド版『アクアマン』の設定をなかったことにしないで欲しいなぁ」「できれば、ディヴィッド版を掘り返す方向で、ひとつ」とか、思う次第なわけですよ。

 そしてゆくゆくはディヴィッド期の『アクアマン』と、ついでに『スーパーガール』も単行本化して、「1990年代のアクアマン? ああ、時代の空気に流されて片腕失ったり、長髪ヒゲになったりしてた時期でしょ?」とか「1990年代のスーパーガール? ああ、マトリクスとかいう粘土みてぇな奴でしょ?」とかいう読まずに上っ面の印象だけで語っている若造どもの目からウロコを落とさしてやりたのす(興奮のあまり噛んだ)。


 いや正直、1990年代のディヴィッド期の『アクアマン』は、至高よ? ミニシリーズ『アトランティス・クロニクル』で、遠大に張られたアトランティスの歴史関連の伏線(古代文明を滅ぼした隕石の正体が実は……! とか、古代ポセイドニスの大罪人、金髪・片腕の忌み子コーダックスの呪いがアクアマンに降りかかる……!? とか)が、次々に現代のアクアマンに影響を与えつつ、謎の異星人種族や神々といった強大な敵と戦ったり、ギリシャ神話の如くに因果な人間関係に苦悩したり(弟が出来たり成人した息子が出来たり、さらに異次元世界から息子っぽい人が現われたり、新しい恋人に甘えたり、元妻がニセアクアマンに洗脳されたり、腹心が密かに新たな王を擁立しようとしたり、地味だったサイドキックが唐突にドラゴンボール的にレベルアップしたり)、一方で、アトランティスの王として、地上の政府とやり合ったり、その過程でジャスティスリーグとギスギスしたり……。

 やべぇ、読み返したくなったので今度実家に帰ったら、全話持ち帰ってこよう。ていうか、冬のコミック・マーケットはアクアマン本でもだそう(<ヲイ)。


 まあね、4年に渡るディヴィッド期が終わったら、すげぇ「やりきった感」が『アクアマン』誌の全体に横溢しちゃって、後任のライターらが盛り返せなくて(あの面白さを盛り返すのは至難です)、2年後休刊って流れはね、やり過ぎちゃったよねディヴィッド、という気はしないでもないですが。

 っつーか、後任のエリック・ラーセンが、アッサリとアクアマンの「フック状の義手」を「普通に指が5本ついてるサイバネ・アーム」にしちゃったのは「ダメだ、ワビサビ解ってねぇ」と思ったっけ。なんつーか、ラーセンの良くも悪くもミもフタもない、ヒネらない芸風は、当時の『アクアマン』誌の求める空気と噛み合わせ悪かったかなぁ、と。ていうかさ、シリーズの新たな敵として「アトランティスよりももっと深海に棲んでる海棲人類」ってのは、ストレートすぎね? >ラーセン


 あと、同時期のディヴィッドの『スーパーガール』も、『アクアマン』同様に、50話かけて盛り上げるだけ盛り上げて、「地上に生まれた天使」であったスーパーガールが、天界と地上を狙う妖魔に立ち向かうぜ! っていう怒濤のクライマックスを迎えて(後半のあのビターな展開の連続でどん底のスーパーガールを救う存在として、“彼女”が現れるあの展開は、今思い出しても泣けるよな! な!<強要すんな)、やっぱり「やりきった感」が読者に流れちゃって、続投したディヴィッド自身が盛り返せなくて2年後休刊、って感じだったよね。

 何がいいたいかというと、こう、「50号かけて伏線を解消してみせる」的な怒濤のストーリーテーリングをやれちゃう作家は実にありがたい存在だけど、その翌月に、51号を出さなきゃならないオンゴーイング・シリーズだと、「スゴ過ぎるクライマックス」も善し悪しよね、という。

 こう、今までの50号で積み上げてきたモノは、「怒濤のクライマックス」で全部崩しちゃったんで、作者としては舞台を変えるなりして、また1から積み直すか、とか思ってても、読者的には、直近の数号と同じ位のテンションの話を求めちゃって、「また1からの積み上げ」に対しては、ちょいタルく感じちゃう様な具合というか。

 ――ブッチャケ、そういう怒濤の展開を見せて完結したシリーズなんてのは、作者半年くらい休まして(間が持たないのなら、他の作家にリミテッド・シリーズとかを書いてもらいつつ)、次の構想を練らしても良くね? とか思うのね。そうすりゃ、読者側も落ち着いたテンションで読めると、思うのですが。どうか。


 その点、今のディヴィッドの『X-ファクター』は、チームものであるが故に伏線に余裕があって、1つの伏線がクライマックスを迎えても、まだ他のメンバーの伏線が残っているが故に、割と「やりきった感」が少な目で、「次のクライマックス」に向けて読者も消耗せずにつきあえるのが、こう、「ずっと毎月読んでいく」オンゴーイング・シリーズとして理想的よね、と思う。

 ――こう、『X-ファクター』自体、『X-メン』フランチャイズの中では傍流なんで、本誌(本流)をさしおいて怒濤の盛り上げとかはしにくい、とかいう側面もあったりするのかしらね。<想像なんで本気にしないように。

 そういや、ディヴィッドの『ヤング・ジャスティス』も、割といいテンションで盛り上がりつつも、あんま「やりきった感」はなかったなぁ。やはり「チームもの」がカギか。


 一方で、ジェフ・ジョーンズの『ブラッケスト・ナイト』とかで、怒濤のクライマックスを迎えた後のラスト数ページで、「次の怒濤のクライマックスのために」粛々と伏線張る、とかいうやり方もありますが。アレはなんつーか、クライマックスの「やりきった感」が微妙に削がれるというか、冷めちゃうよね、とかいう意見もあるじゃないすか。

 ――俺個人は、まあ、あの辺のラスト数ページの仕込みは「それはそれ」として割り切って読む癖がついてるんで、特に冷めないんすが(我ながら良く訓練されてると思う)。

 なんだろね、こう、アラン・ムーアいう所の「商業的な要請によって、永遠に完結を迎えられない物語」の背負った業というか。物語としてピークを迎えた後でも、続けなければならないという現実に対して、テンション高いまま「やりきる」か、次に繋がるように余力を残しつつ「のりきる」かの見極めというか。


 最近の『ブリーチ』(あ、DCのちょい昔の短期打ち切りコミックの『ブリーチ』じゃなくて、「週刊少年ジャンプ」の『ブリーチ』ね<普通そっちを思い浮かべます)の妙なテンションの乱高下とか見るだに、「クライマックスのその後」との戦いは、商業作家の永遠の課題なのかなぁ、とか、強引にまとめてみる。

※適当な感想文のラストを「永遠の課題」とか「永遠の戦い」とかいう文言で締めると、「まとまってないんだけど、永遠に続くんだからまとまるはずがないよね」感が出るので便利です。夏休みのレポートとかに応用してみましょう。

 なんか、雑記として色々書くつもりでしたが、なんか長くなったので、今回はここまでー。
  
  

DCでのピーター・ディヴィッド作品色々。ディヴィッドの『アクアマン』は、オンゴーイング・シリーズ開始前のオリジン再定義なミニシリーズ『タイム&タイド』しか単行本化されてないのよね(涙)。
  
  
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