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●回りくどいハナシ、の「くどい」トコだけを書き連ねる日々。

2012.02.21 Tue

▼前置き:

 そのな、「『総天然色AKIRA』ってさぁ~」で始まる、適当なエントリを書こうとしたさ。

 したらな、書いてる途中で「このエントリを読んでいる人間のどれほどが『総天然色AKIRA』をご存じなのか?」という疑問がフト頭に浮かんでな。

 なので、該当書籍の「成り立ち」から語ってみることにしてみたさ。


 ……が、2012年現在だと、そもそも大友克洋・作の『AKIRA』というマンガ作品があって、これが当時とても凄い作品だった、という所から話すべきなのだろうか、という疑問も浮かんでな。

 その、『AKIRA』といえば、「おれらの世代」にとっては重要な作品ではあるけれども、それは、『AKIRA』が連載中から読んでた、「いい歳した世代」にとっての話であって、も少し下の世代、いうなれば物心付いた頃には『AKIRA』が完結してて、単行本も出てた世代にとっては、空気感が違うだろな、と。

 そもそも『AKIRA』の連載開始ってば、今から30年も前(1982年)で、雑誌での連載が完結したのが22年前(1990年)。でもって単行本の最終巻(描き直し多数で雑誌での完結からずいぶん後に出た)にしても、1993年と、もはや20年近く前であり、すなわち「古典」といっても差し支えない作品になってるじゃないですか。実に。


 な、わけで、今回は、「『総天然色AKIRA』について、適当に語るエントリ」を書く前に、「『総天然色AKIRA』の成立について、オリジナルの『AKIRA』から、それなりにきちんと語るエントリ」にしたく思った。

 ……問題は、これできちんと説明した次の、「『総天然色AKIRA』について、適当に語るエントリ」が、あんまり面白くない事実の指摘になる、というソレですが(知らん)。


▼『総天然色AKIRA』の成り立ちについて:

 そんなわけで、表題について、書く。

 まず、すごく大雑把にいうと、大友克洋というマンガ家がいて、この人は1970年代末あたりから注目を浴びてて、1970年代末からのマンガ界の「ニューウェーブ」運動(あったんだよ、そういう微妙な名前のムーブメントが)の筆頭作家となっていたのですわ。

 こう、マンガ評論家の米澤嘉博が、大友の作風をして「非手塚的手法」と表したとか、当時のマンガ表現のレベルが大友以降大きく変化したとか――解りやすい例でいえば、「超能力をぶつけられた人物が壁に叩きつけられたら、壁が球形にへこむ」「あふれ出た超能力で地割れが走って岩塊が宙に浮き上がる」とかいう表現を発明したのは大友で、その他にも大小様々な表現の発明をしてて、当時のマンガ家とアニメーターがこぞってパクった――とか書くと、なんとなく「当時において革新的な作家だった」ことは伝わるでしょうか。

 で、大友はその頃は双葉社の「漫画アクション」「アクションデラックス」あたりのマイナー誌で作品を発表してたんだけど、1982年に、メジャー中のメジャーである講談社の「ヤングマガジン」(当時は隔週刊、連載中に週刊化)で、連載を開始するわけだ。これが、『AKIRA』な。

 未読の読者のために『AKIRA』がどんな作品だったかを語ると、より一層長くなるので、まぁ各自調べてください(投げた)。ネットで検索すれば、多分熱く語ってるサイトとか見つかるだろうし。


 でー、アメリカン・コミックス的に、『AKIRA』が凄かった事例としては、1980年代後半の米語訳マンガの黎明期に、いち早く『AKIRA』が翻訳されていた、という一事を挙げてみるのですが。

 その当時(1988年)は、初の米語訳マンガ専門出版社Vizコミックスが翻訳マンガを出版しはじめて1年かそこらという、邦訳マンガ史的には初期も初期な時期でして(この辺の流れはこないだ出した同人誌で書いたので詳細は略す)。

 でー、当時の翻訳マンガというのは、『エリア88』とか『カムイ外伝』あたりの、「長期連載作品」で、かつ「既に完結していた」作品(まあ、評価が定まってて、ヒットしたら続きが出しやすい作品)を選んで出版されていたのですが。

 そんな中、『AKIRA』はまだ連載中だったのに翻訳されたのだー、とか書くと、同作が特別視されていたことは、何となく伝わるでしょうか。

 また同作は、元々はVizが翻訳版の権利を取得しようと動いてたけど(正確には、当時Vizと協力関係にあったトーレン・スミスが動いてた)、後から北米大手コミック出版社のマーベル・コミックス社が版権取得に乗り出して、横からかっさらってった、なんてエピソードを書けば、「アメリカでも注目されていたのだ」ということは伝わるでしょうか。伝わんなきゃいいです(ションボリ)。

 ちなみに『AKIRA』は、当時のマーベル・コミックスの成年向けレーベルである、エピック・コミックスから発売されました。――エピック・コミックスについての解説は、これまた無駄に長くなるだろうから略します。要は、このエピックはコミックス・コードに縛られない、大人向けの作品を発表するためのレーベルで、生々しいバイオレンス描写が横溢する『AKIRA』にとっては、相応しい場であった、という。


※1990年代にダークホース・コミックス社から米語訳された『攻殻機動隊』第1巻は、特にレーティングを設けずに出版してたので、例の“ナメクジの交尾”のシーンがバッサリカットされて、「仮想空間でビキニで(全裸でなく)くつろいでた少佐がバトーに呼びだされて不必要に怒る」だけのシーンにされて、ファンを怒らせた一件を例にした「レーティングとかゾーニングは大事よね」ってハナシ、俺、今までしたことあったっけ?(知るか)


 んで、この『AKIRA』北米版は、「大手出版社から出るコミックはフルカラーが当たり前」という、当時のメインストリームのコミック界の風潮を受けて「左開き」「フルカラー」「分厚い単行本ではなく、各号68ページの“ちょい厚めのコミックブック”」という、「アメリカン・コミックスの伝統に極力則ったスタイル」で刊行されました。――もちろん、オリジナルの『AKIRA』はモノクロの作品だったので、アメリカ側で独自に全ページ彩色を行う、とかいう、日本人的にはワケの解らない事態になります。


※頭の固い小売店のオヤジは、フルカラーじゃないコミックや、右開きのコミックを「そんなのコミックじゃない」とか何とか大真面目に言い切って注文してくれない、とかいう話を、1990年代後半頃にトーレン・スミスが書いてた気がする<うろ覚えか。


 なお、北米版の製作にあたっては、新規のカラーリングに加えて、「英語が横書きであるのを受けて、吹き出しの形を縦長から横長に直す」「擬音や背景の店の看板などの手描きの文字を英語や日本語で描き直す(※左開きにするために「逆版」で刷ると、文字が「鏡文字」になるので、日本語でも描き直す必要があるのね)」「一部のページ構成を変更する」「擬音を描き変えた結果、生じる隙間に背景を描き足す」など、全ページに渡る修正が行われましたが、恐ろしいことにこれらの作業の多くは、大友克洋自身が行ったそうで。――アニメ版『AKIRA』の作業で忙しい時期だったろうに……(当時はアニメ版の製作のために、マンガ版の連載は中断してたハズ)。

 ……まあこの辺の、翻訳に当たって、北米市場向けに作品のフォーマット自体を大きく変える、あまつさえ作者本人に修正を求める、というのは、邦訳マンガの黎明期だったから、そして作者が無闇に凝り性の大友だったから、あと当時のマーベルが金持ってたからとか、世界に『AKIRA』を送りだそうとしてた講談社も協力的だったから等々の諸々の事情の下に成立し得たもので、「滅多にあることではない」ことは、一応、述べておきます。


 で、このエピック・コミックス版『AKIRA』のカラーリングは、スティーブ・オリフなる人物が担当しました。でー、大友によって選ばれたというこのオリフは、本作を担当するにあたりましてマーベルにかけあい、「カラーリングをコンピューターで行うこと」を了承させたそうで。


※当時はデジタル彩色は黎明期で、「デジタル彩色!」とか「全編コンピューターで作画!」とかいうソレが描き下ろしグラフィック・ノベルのウリになったりしてた時代です。


 そんなわけでこの『AKIRA』は、デジタル彩色を行った初のオンゴーイング・シリーズという栄誉を賜ったのでした。マーベルがデジタル彩色を一般のコミックに採用するのは1990年代中頃ですから、まあ、『AKIRA』が当時どれだけ最先端を行ってたかは、なんとなく伝わるでしょうか。

 なお、エピック版『AKIRA』は全38号が刊行されましたが(いうまでもなく全号フルカラーで)、末期の8号分は、大友の単行本(日本版ね)用の描き直しが終わらなかったために、刊行が大いに遅れました――第33号(1992年刊)から第34号(1994年刊)の間に至っては2年ほど間が空いてます。

 なお、エピック・レーベルは1990年代前半で事実上活動を停止していたのですが、『AKIRA』最終5号分を刊行するために復活し、『AKIRA』最終号の刊行と共に再度活動を停止しました(その後2003年にビル・ジェイマスがエピック・レーベルを復活させた話は面倒くさいので省略)。

 ちなみにマーベル/エピックは、『AKIRA』のソフトカバー版単行本も出してましたが、刊行の遅れなどの理由から1992年の時点で単行本の刊行は止まりまして、1994年にオンゴーイング・シリーズが再開されたあたりの分は単行本としてまとまりませんでした(あと、ハードカバー版の出版計画もあったけど、1冊も出ずに終わったとか)。


 ……なお筆者はオンゴーイング・シリーズおよび、マーベル/エピック版の単行本は未所持なので、エピック版『AKIRA』がどの辺まで単行本化されたのか、などの詳細は不明であります。――刊行停止した時点で第8巻まで出ていたので、日本語版の単行本と構成が違うのは明白ですが(日本版単行本を2分冊にしてたのかしら)。

 ついでにいえば、エピック版の後期のイシューは、日本版の単行本化時にける加筆・修正を大友が遅らせまくってたのを受けて、日本版単行本ではなく、「ヤングマガジン」掲載版を元にして刊行されているらしいのですが、これも詳細は不明。――正直、「適当なエントリ」のためにそこまで調べちゃられんがな。


 んな事情もありまして、北米版『AKIRA』は長らく「中途半端な所までしか単行本になってない」状態だったのですが。数年後(2000~2001年)、当時マンガを精力的に翻訳していたダークホース・コミックス社より、日本版の単行本全6巻を定本にしたソフトカバー版単行本全6巻が刊行されまして、ようやくアメリカの読者は『AKIRA』の単行本全巻を気軽に手にすることができたのでした。

 ――ただし、前述したように、ダークホース版は日本版を定本としているため、中身はモノクロ(※ただし左開き)でしたが(この頃はモノクロのMANGAはそれなりに知名度を得ていたのよ)。

 ま、部分的に「ヤングマガジン」掲載分を収録していた(らしい)エピック版に対し、その後描き直しが加えられてる単行本を定本としてるダークホース版の方がより完全じゃない? とか思いますが。


 ちなみにエピック版のコミックブックは、日本では『オールカラー国際版AKIRA』として刊行されてまして。これは、エピック版のコミックブック数冊(翻訳はされておらず、米語版のまま)と、日本語に訳したセリフを収録した対訳ブックレットをセットにして紙箱に納めた特装本で、全12集(全38号分)が刊行されております。

 なお、エピック版の刊行の遅れの影響で、こちらの『国際版AKIRA』も、第1集~第11集までが1988~1992年までにコンスタントに出ときながら、最終の第12集のみは1996年に刊行と、またえらく間が空くこととなりましたが。――いや、エピックは悪かないんですけど。


 なお、エピック版は末期のイシュー(30号台)が入手困難だったり、それなりなプレミアがついてたりするので、下手をすると『国際版AKIRA』を集めた方が、安くつくかも知れないですな。――いや、『国際版AKIRA』にしても末期の巻は割とプレミアが付いてますが、案外、その辺の古本屋で安値で買えたりするのね、アレ。

 ついでにいえば、ダークホース版『AKIRA』全6巻は、現在では絶版になってます。実は今(2012年)では『AKIRA』の米語版単行本は、講談社の子会社であるコーダンシャ・コミックスUSA社(2008年より北米に進出)が版元となってまして(流通はアメリカの出版大手、ランダム・ハウス社が担当)。まあ、中身はダークホース版と大体同じ(左開き、モノクロ)なんですが。


 なお、日本の講談社は、2003年から2004年にかけてエピック版(無論、フルカラーね)『AKIRA』を定本に、セリフを日本語に訳した『総天然色AKIRA』全6巻を出しております。

 ――これはオイラも持ってますが、中身がエピック版と完全に同じなのか(例の「ヤングマガジン」掲載分のページは存在するのか)は調べてません。

 ちなみに、この『総天然色AKIRA』は、あえてオリジナルの日本版『AKIRA』のセリフを用いずに、米語版『AKIRA』のセリフを訳しています(多分、翻訳テキストは『国際版AKIRA』のブックレットに収録されてたものと同じ)。


 だもんでこう、それぞれのバージョンを見比べてみると、例えば『AKIRA』(日本語版)第1巻の、このイカすセリフ&あえてフキダシを使わないイカす演出が


 エピック版では、おそらく「マンガの読み方」に不慣れなアメリカの読者に合わせて、普通のフキダシでしゃべってることにされ、なおかつ「ニュアンスは汲みつつ、アメリカ流の言い回しに変更したセリフ」になってて


 それが『総天然色AKIRA』では、米語版のアメリカンな言い回しを「あたぼうよ」とか「筋を通してやる」とかいう江戸っ子な雰囲気に変換してて


 実になんというか「アメリカと日本、それぞれの翻訳者が頑張って自国の雰囲気に合わせて訳語を考えているのだなぁ」などという感想を抱く訳です。


※2番目に引用した米語版の画像は実際にはエピック版ではなくてコーダンシャ版なのですが、第1巻あたりは、ダークホース版、コーダンシャ版共にエピック版と同じテキストを流用してるので気にしナーイ。


 っつーわけで、『総天然色AKIRA』の概要を話し終えた所で、今日はオワル。
  
  

  
  
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タグ:アメリカのマンガ

コメント

*当時はOH!タカラヅカが目当で読んだりしてたんですけどね

いやあの頃の柴門ふみとか弘兼憲史の漫画とかも掛け値なしに面白かったんですがね、ヤンマガは。あと198x年とかも。そんな高校時代。

>恐ろしいことにこれらの作業の多くは、大友克洋自身が行ったそうで
まー、アニメ版もクオリティに納得いかなくてリテイク版作ったり、再開した連載も映画が先に終わっちゃ消化試合だよなーとか思ってたら最終巻での加筆修正と、ホンマ妥協せんセンセやなと思ったり。でもアキラとの対話で金田の知能が妙に上がったよーな感じになった部分はいまだに違和感がw

>例の“ナメクジの交尾”のシーンが
単行本化の際には性的プログラム作成の為の行為に修正するくらいな照れ隠しがあったはずなのに、それが倅いじり向けな絵師にシフトしちゃうってどうよ、っていうかテープ留めするよな雑誌の表紙描くまでに至ってはこういう事は邪神ハンター以外にももっと早くやっとくべきでしたよセンセイ!!

何が言いたかったかっつーと、先週バットマン・ビヨンドをコメンタリーで観てたんですが、テリーが金田ばりのバイクアクションしたり衛星レーザーに追われたりのシーンは当時の劇場版スタッフの手によるものだったりしたワケなんですよこれが!そんだけ。

*

>ビートルさん
恐ろしくレスが遅れまして申し訳ありません。

そして当時「ヤンマガ」読んでらした方の貴重なコメントありがとうございます。
実はオイラは1990年代に入るかは入らないかぐらい(要するに『AKIRA』がまとめに入ってた時期)からヤンマガを読み出したクチなんで、ビートルさんよりも1世代くらい下ですな。いや、『ぎゅわんぶらあ自己中心派』だけは中学生ぐらいから単行本で読んでましたが(てか、柴門ふみと弘兼憲史はマンガよりも先に『自己中心派』に登場するキャラとして認識しましたが)。

>でもアキラとの対話で金田の知能が妙に上がったよーな感じになった部分はいまだに違和感がw
あと単行本版のラスト、いきなり大東京帝國の代表者になってたりするあたりも、
なんかこう、違和感ありますな。
きっとこう、精神世界で諸々の人らと交感して、なんか覚醒したんですよ。多分(ウソ)。

>こういう事は邪神ハンター以外にももっと早くやっとくべきでしたよセンセイ!!
こうね、「マンガ」をまだ描く気があった時代、あるいはデジタル移行前に、もっと積極的に描いて欲しかったというか。
いや、個人的に士郎正宗のエロス絵は、デジタルのテカテカ塗りよりも、マーカーで塗ってた頃のあの滲んだ具合の方が好きなだけですが(女の子のプロポーションも、昔の方が……)。
下手に「日本を代表するアーティスト(笑)」的な作家に祭り上げられちゃったのがエロにいけなかった原因かしら、とか思いつつ。

『バットマンビヨンド』のスタッフの話はDVDのパッケージ裏のアオリ文句にもなってましたね(オイラの記憶が正しければ、ですが)。コメンタリーはまだ見てなかったんで、オイラも見てみます。

それでは。

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