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●どうでもいいフキダシのハナシ

2013.02.13 Wed

▼最近の日常:

 こう、あれです。

 日常の仕事で「きちんとしたテキストを書くための諸々のリソース」が削られてるのと、昨年末に出した同人誌に「趣味のテキストを書くための意欲」みたいなモンを結構注ぎ込んじまったのがまだ尾を引いてるとかいう感じで、このブログ用のテキストをまとめるのにリソースが割けてない感じです。

 ともあれ、そろそろ前回のエントリから1ヶ月が経とうというので、年始から適当に書き散らしてた文章のうち、賞味期限がそろそろギリギリの奴をまとめてみる。


▼本題:

 正月に竹熊健太郎がTwitterで、「日本のマンガはアメコミに比べてフキダシの表現が非常に発達している」ということを発言して、アメリカン・コミックスの読者から「そんなことないがな」って突っ込まれた一件があったですが(<賞味期限過ぎてね?)。

※ここでいう「アメコミ」「アメリカン・コミックス」は狭義の「メインストリームのヒーローもののコミックス」を指している/いたことはあらかじめ指摘しておきます。

 でー、オイラ個人は、他のツッコミを入れた方々と同様に「フキダシの“形”の表現に関しては、マンガと同程度のものがアメリカン・コミックスにもある」と思うのね。

 その、「具体例と頻度を示した論考」とか上げる気はないですが、どうしても具体例の欲しい人は、comixologyにでもいけば、タダで読めるデジタルコミックスが数百冊ありますので、無作為に100冊ほど抽出して読めばいいんじゃないでしょうか。

 でー、その上で、メインストリームのヒーローもののアメリカン・コミックス(以下、アメリカン・コミックスと略させてくださいな)はフルカラーであるが故に、モノクロのマンガに比べてフキダシの表現はより豊かになっている、と思うのね。

 まあ、一応噛み砕いて話しておきますと、仮にマンガのフキダシの「形」の表現が10種類で、アメリカン・コミックスのフキダシの形の表現も10種類だとする(仮にね)。でー、マンガはモノクロなので、色の表現は黒と白ヌキの2種類しかないので、10種類×2色で、20種類。一方で、アメリカン・コミックスは、すごく大雑把にCMYKの4色+白ヌキの5色しか使えないとしても、10種類×5色で50種類。ね? 当たり前だけど、フルカラーとモノクロじゃ、フルカラーの方が表現が豊かでしょ? と。


「色がついてるだけで表現の幅が広がったとかゆーな」とかいうツッコミがきそうなんで、身近な類例なぞを挙げてみると……こう例えば現在、実写映画も公開中の『ゴーストライダー』(まだ見に行ってないんだよな)。復讐の精霊であり、燃え盛る炎をまとった頭蓋骨という、インパクトの強いビジュアルを持った彼は、そのフキダシの輪郭も「燃え盛る炎」の形をしてます(面倒くさいので画像の引用はしないけど、本当よ?)。

 こういうキャラクターに合わせてフキダシに「形」をつけることは日本のマンガでもあることですが、アメリカン・コミックスの場合、これに「色」をつけることで、更に表現を深化させます。ゴーストライダーの場合は、赤い炎のグラデーションをフキダシにかけたりしまして、よりヘルファイヤーなヒーローの個性を際立たせるフキダシとしています。

 でー、ゴーストライダーの弟のゴーストライダー2号のパワーが変質して、頭で燃え盛る炎の色が「青」になったというストーリーのときは、この人のフキダシにかけられてるグラデの色味は「青」になったりします。──キャラクターの個性が変質したので、フキダシもそれにあわせて変質する。意味のある、いい表現だと思いますが、どうでしょうか。

 でー、ゴーストライダー1号(赤い炎)とゴーストライダー2号(青い炎)が、その後競演したときですが、この2人は炎の色以外のコスチュームのデザイン(革ジャン)が割りと似ていて、一見見分けがつきにくいのですが、これが、フキダシの色を見れば、どちらがどちらなのか容易に区別がつくわけですね。

 あとは、まあ、日本でも知名度の上がっているデッドプールさん。実は彼はマーベル・コミックス社のヒーローの中で唯一(多分)「地の色が黄色いフキダシ」を持つキャラクターです。

※2/15追記:ツイッター見てたら、このエントリを読んだNOB-BONさんが「実はロケットラクーンもフキダシが黄色い」旨をつぶやいていたので、「唯一」じゃないです。申し訳ない。

 故に、例えばデッドプールさんがピーター・パーカー(スパイダーマンの中の人ですね)に変装してて、偶然、本物のピーター・パーカーと出会ったときでも、読者は「こっちの黄色いセリフをしゃべってるピーターがデッドプールの変装している方だ」と分かるわけです(懐かしの『デッドプール』第12号ね)。

 また、小指ほどの大きさで描かれた無数のモブが、思い思いにセリフを言い合ってるような、ゴジャゴジャしたコマにおいても、黄色いフキダシを探すことで、「どこにデッドプールがいるのか」を認識できます。これらは物語を語る上で、表現の幅を広げてくれると思いますが、どうでしょうか。

 あと、これは特定のキャラクターではないですが、「重大なセリフはフキダシのフチを赤く囲む」とか、「重要な単語は赤いフォントで書く」といった具合に、フキダシの中外に色をつけることで、さらにフキダシの表現を深化させられます。

※「フチを赤く囲む」「赤いフォントで」というのは、こないだ読み返した『デアデビル:フォール・フロム・グレース』で多用されてましたし、それ以外にも類例は容易に見つかるごく一般的な用法ですが、そろそろ面倒くさいので、「具体例と頻度を示した論考」とかを細ゴマ上げるの辞めます。


 そんな訳で、アメリカン・コミックス(メインストリームのヒーローものコミック)と、日本のマンガ(<この場合は狭義に「週刊マンガ雑誌に掲載されている一般的な少年マンガを代表とするメジャーなマンガ」とかいうべきなのだろうか)とでは、「カラーであるか」というその1点において、「アメリカン・コミックスの方が表現が豊か」だと思うのですわ。

 ああ、一応いっておきますが、表現技法のごく1部が「表現が豊か」だから、すなわちアメリカン・コミックスの方がマンガより優れている、とかいう気はないです。──その、北国に住む人たちの使っている言語が雪の状態を表現するのに、非常に多様な語彙を誇っていたからといって、その言葉が南国に住んでる人たちの言葉より優れてるワケじゃないでしょ?

 そんな感じで。


 ……すんません、この後、件の竹熊先生のツイートのうちで、個人的に一番気になった以下の発言、

吹き出しの違いは一例だが、この違いは、明らかに(本来集団制作が前提になる)ストーリー漫画を、1人の作家が執筆することで生まれたものだろう。アメコミは、最初から分業だから、バルーンには「台詞がその人物から発せられた意味を表す記号」以上のものにはなりにくい。


 をダシに、「この発言は、アメリカン・コミックスの分業体制を侮っているし、何より、レタラーと呼ばれる作家たちを侮っている、と思う」的にアジテートする原稿が続く予定でしたが、長くなるのでまた今度にします。

 手短にいうと、

・コミックスにおいてフキダシとその形状、使用するフォント、文字組み、文字詰めといった一切を取り仕切っている「作家」(<ここ大事)であるレタラーの仕事

 と、

・マンガ家が書いたネームを編集者が書き写して、何の疑いもなく「アンチゴナ」とかで写植屋に起こしてもらってる十年一日な仕事

 とでは、どう考えてもレタラーの方が創造性を発揮してるよね、というごく当たり前の指摘と、

「つか、マンガの表現技法において、フキダシってこの何十年か、ロクに発達してない分野じゃね?」とかいうツッコミを入れる予定ですね。

 あと、「1990年代のアメリカン・コミックスというメディアの“良い方への発展”を『1990年代にアニメ・マンガが北米地域で広まったから』という“たまたまタイミングが合っただけ”の事象と結びつける人って、正直、どうかと思う」という言説をどこかに忍ばせたく思う。


 ……いや、本気でいるのよ。「アメリカン・コミックスがコミックス・コードを脱したのは1990年代にアニメ・マンガが北米地域で広まったから」とか「アメリカン・コミックスのフキダシの表現技法が発達したのは1990年代にアニメ・マンガが北米地域で広まったから」とか、本気でいってる人って。

 とりあえず、今日はここまでで。

 そのうち続く。

 かもしれぬ。
  
  
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コメント

*

んー、確かに90年代に入ってからの変化に日本の漫画が影響を与えたとはよく聞く話ではありますが、それは「MANGA」として表面的にリスペクトされる程度でアメコミの本質的な構造に影響を与えているかといえば疑問ですね。
確かにフキダシ云々は「インド人を右に」とか「何をするだァーッ」なんてやらかしちゃう国の人間が言える事じゃありませんね、ただこれをネタとして昇華できるところは秀逸かも。
フキダシに限らず漫画の表現方法が停滞気味(別に悪いとは思ってませんが、はあるかもです。こういう時はマイノリティから何か起きるのを期待するのですが、ここ十数年内でインパクトあったものは同人のコマ割りをなくした表現方法くらいですかね。でもこれ用途がほぼ限定的だしなw
思うところとしては90年代後半くらいからオノマトペがあまり書き込まれなくなってる事ですかね。
アート重視な表現が増えた事も大きいとは思うのですがそれだけでもないような・・・でもこれが日本漫画の影響かといえば間違ってもそんな事はないと思う訳でして。
年寄りとしては爆発やぶん殴ってる表現をサイレントばっかですますのもどうよ、と思ったり。逆に赤Marlみたいにウルサ過ぎるコマは実用的でないよなとか思う次第(勝手すぎる!!

そういやGR2今週からだったか・・・
前回はWライダーとか素材がいい割りにガッカリ感が大きかったからなぁ←ここが既に日本人的発想。

*

>ビートルさん
>んー、確かに90年代に入ってからの変化に日本の漫画が影響を与えたとはよく聞く話ではありますが、それは「MANGA」として表面的にリスペクトされる程度でアメコミの本質的な構造に影響を与えているかといえば疑問ですね。
まあその、1990年代の「影響」ってのはやはり「作家レベル」が主だと思うんすよね。
マンガの単行本という流通形式が、現在のTPBの刊行形態にそれなりの影響を及ぼしてるんじゃないか、とか、そういう点は認めるにやぶさかではないですが、何でもかんでもは、ねぇ。
(ちなみに1990年代に北米地域でマンガを単行本で出すスタイルが隆盛しなかったのは、トーレン・スミスという1個人のせいですが)

マンガの表現方法はね、やはりマイナーな作家の実験的な作品で深化はしてるけど、それらの成果は人目に留まらないので読者にも作家にも定着しないという、「マンガが個人作業である」点の不利さが出てるんじゃないかなぁ、と。

あと、コミックスの方でオトマノペが減ってるのは、ヒーローもののコミックの「リアルさ」のレベルがちょい深まってる影響もあるのではと思ってみたり。
ブライアン・マイケル・ベンディスのあのドンヨリとした会話劇に「KAPOOM!」とかいう能天気なオトマノペは似合わないでしょうし。

などと色々思いつつ、やはり例によってまとまりなく。

……今からGR2見に行こうかなぁ。近所でやってればだけど。


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