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●アメリカン・コミックスと岡田斗司夫のハナシ。

2015.01.28 Wed


 こう、このところ、Twitterで竹熊健太郎が「岡田斗司夫の初期の代表作に『オタク学入門』があるが、これのマンガに関する章の9割が、私が彼の東大講義にゲストで出て喋った内容なのだ」ということを暴露したりとか、なぜか知らないけど(棒読み)、岡田斗司夫の過去の所業があちこちで検証されていて。

 すなわち、「今、岡田斗司夫について語ると、ブログの閲覧者が25人ぐらい増えるんじゃないかなぁ」とかいう阿呆な着想を得たので、とりあえず書いてみるエントリ。


▼アメリカン・コミックスと岡田斗司夫のハナシ:

 まあ、岡田斗司夫のハナシをするといっても、このブログは、もっぱらアメリカン・コミックス界隈のハナシをするトコなので、その線のハナシになるわけですが。

 そのね、オイラ個人としては、アメリカン・コミックス界隈において岡田斗司夫という人は、

 1980年代中頃に、日本の漫画を米語訳すべく訪日し、しかし滞在費用に窮していたトーレン・スミスを三鷹のガイナックス社員寮に住ませてやり、経済的な負担を相当に軽減させたこと、

 それと、

 1990年代初頭から、夏目房之介、竹熊健太郎らによって“マンガ研究”が盛り上がりを見せていった中で、1998年にスコット・マクラウドの『Understanding Comics: The Invisible Art』を『マンガ学─マンガによるマンガのためのマンガ理論─』(美術出版社・刊)として送り出したこと(なお同書の奥付では岡田斗司夫は「監訳」としてクレジットされている)、

 という2つの偉業を成した、という点において、高く評価すべきだし、マンガ史/コミック史に留め置くべきだと思う。偉大なるパトロンとして、先見の明のあるプロデューサーとして、歴史に記録されるべきだと(大げさですか。でも今回こんな調子で大げさな話をしてきたく思っております)。


※トーレン・スミス:マンガの海外翻訳権の取得と翻訳、レタッチといったマンガ翻訳に関わる諸作業を行うスタジオ・プロテウスの創始者。1980年代末~2000年代中頃までの北米におけるマンガ翻訳を牽引してきた人物であり、15年程のキャリアで70000ページ以上のマンガを送り出した、コミック史の一時代を代表するクリエイター(スミスのマンガ翻訳は単なるエディトリアルな作業でなく、クリエイティブな仕事だと思うので、あえてこう書く)。2013年病没。


 その、岡田がトーレン・スミスを経済的に支援したことで、北米における米語訳マンガの普及は、数年分の長足の進歩を遂げることとなったし、また、『マンガ学』が邦訳されたことで、日本のマンガやマンガ研究にしか目を向けていなかったマンガ評論家たちに、海外へ目を向ける契機を与え、また海外のコミックスに精通した若手の研究家が発言する場が拓かれ、結果的にマンガ研究も加速させることとなった。これは、偉業であると思う。

 そこは、正統に評価すべきだと思う。

 個人的に(<ここ大事)、そう思う。


 でー、その一方で、岡田斗司夫が「ライターとして」アメリカン・コミックス界隈でしてきたこと、というと、

 20世紀末~21世紀初頭あたりにゾロゾロ出てた『オタクアミーゴス』あたりの対談本で、唐沢俊一あたりと一緒に、『カラテ・ガール』みたいな“ヘンなアメコミ”や、アダム・ウォーレン&トーレン・スミスの『ダーティペア』の様なアメリカン・マンガを、表層的にイジって、その場のウケをとった、

 とか、

『宇宙戦艦ヤマト』(※古い方ね)を北米向けに再編集して輸出した『スターブレイザーズ』の再編集の程度を知らずに、色々と盛った話をして、実情を知る『ヤマト』ファンから抗議をされた、

 とか、

 新装版『ウォッチメン』のオビで

“「日本のコミックは世界イチと浮かれるなかれ、とんでもない黒船がやってきた。世界一のSFコミックに戦慄した”

 とかいう、あまり内容に触れていない、かつあまり読む気をソソラれない感じの文言を寄せた、

 とか、

 前述の『マンガ学』の前書きと後書きで、島本和彦いうところの“俺ってスゴいやろオーラ”を横溢させた文章で、

>よりによって「スーパー筋肉兄ちゃんが、メガトンパンチでスポポポポーン!(偏見)」なんていうアメコミの世界からだ!

 とか、

>(※著者のスコット・マクラウドに対して)この本の印税を、少しは生活の足しにしてくれればと思うよ。(こんな本、描くやつは貧乏に決まっている、という偏見)

 とかいう、お寒い「(偏見)」ギャグで笑いを取ろうとしていたとか(正直、「後書き」でするようなギャグじゃないと思う)、

※斜体部分、前述の『マンガ学─マンガによるマンガのためのマンガ理論─』後書きより引用(うちのChromeブラウザで、このブログを見ると、斜体と正体に全然差がないのですが、データ上は斜体にしてあるのです)。

※スコット・マクラウド:コミック作家。1980年代のインディーズ・コミックスの勃興期に『Zot!』で高い評価を獲得し、ジャック・カービィ賞とラス・マニングス賞を受賞。『Zot!』連載中にはハーベイ賞、アイズナー賞に何度もノミネートされ(受賞はせず)、その後、『アンダースタンディング・コミックス』で1991年のハーベイ賞3部門、アイズナー賞1部門を受賞。DCの『スーパーマン・アドベンチャーズ』でクラシカルなヒーローもののライターとしても評価され、アイズナー賞候補となる。
『アンダースタンディング・コミックス』に続く、2001年の『リインベンティング・コミックス』でハーベィ賞を受賞、2007年の『メイキング・コミックス』もハーベイ賞候補となる。誰が呼んだか、「コミック界のマーシャル・マクルーハン」の異名を取る。


 ……そんな感じで、なんというか、アメリカン・コミックス界隈においては、岡田斗司夫のライター(脚本家でなく、物書きの方のライターね)としての評価は、「評価することに意味がない」と、いう言葉につきる(個人的には)。


 ちなみに、今回のエントリを書くのに、『マンガ学』(1998年)の前書き、後書きを読み返したのだが、前書きのほうで『Understanding Comics』を「まさに太平を貪る世にあらわれた、一隻の黒船である」とかいう、新装版『ウォッチメン』(2009年)のオビと同じ形容の仕方をしていて苦笑した。

 多分、今、岡田にアメリカン・コミックス界隈の話題作のオビの文言を頼んだとしても、「黒船」って形容詞を使うのではないかと思う(偏見)。


 また、この『マンガ学』の後書きでは、岡田斗司夫が『Understanding Comics』を見出したのは、アメリカでのアニメ・コンベンションで再会したトーレン・スミスの自宅に招かれ、マンガについて話していたら、スミスに『Understanding Comics』を勧められたのがきっかけ、だとある。

 1980年代にトーレン・スミスに手を差しのべたことが、回り回ってその後に『マンガ学』の出版に繋がったワケで、中々に感慨深いものがある。人の縁って、大事よね(小学生程度の感想)。

 後書きから、該当箇所を引用するとこんな具合になる。

 ──タイトルを見たとき、正直言って僕は、「へっ、アメリカ人風情が書いたマンガ論!? おいおい、世界一のマンガ先進国のオレ様に何を教えることがあるんだ?」という気分だった。しかし時差ボケが治らず、ベッドの中でパラパラとページをめくり始めてびっくり。多分この本を読んでくれた人も同じだと思うけど、感想は一気に「こりゃすごい!」に変わってしまった。
 「世の中には、こんなとてつもないものを描いてしまう人がいるんだぁ! 参りました!」というしかない。
 で、飛行機の中で読むはずだった本を、前日の夜遅くまでかけて読んでしまった僕は、さっそく翌朝トーレンに、「これ、すごい!」と本を振り回しながら叫んだ。するとトーレンはにんまりとわらいながら「作者のスコット・マクラウドは日本でも翻訳出版したがっているんだ。おまえやってみないか?」と訊いてきた──


 ……なかなか、ドラマティックな話ではある。

 ただ、このエントリを書くに当たって、ネット上の「岡田ゴシップ」のまとめなどをいくつか見てきての感想としては、岡田斗司夫は「必要以上に(自分に都合よく)話を盛る」フシがあるので、このあまりにもドラマチックに過ぎる、当エピソードがどこまで正しいのかは、判断しかねる。

 個人的には、224ページもある上、割合に難しい専門用語やマクラウドの造語なんかが延々とセリフとして語られる『Understanding Comics』の原書を、“前日の夜遅くまでかけて”読破した、という時点で「うそくせー なーんか うそくせー」と思わないでもないが、まあ、詮索は無意味だ。

※一応いっておくが224ページというのは米語版のページ数。


 それと、この後書きで、岡田は『マンガ学』での自分の仕事について、

 ──おかげで僕は監訳とは言いながらも、膨大なポストイットを見ながら「このキャラは、こういう言い回しはしないな」などと、じっくりとキャラクターを調整することだけに専念できた。

 といっている(文中の「膨大なポストイット」は、『マンガ学』の翻訳を担当した海法紀光と担当編集者が、検討のために翻訳案の文章を書き込み、原稿に貼ったもの)。要するに、訳文に手を入れて、キャラクターの口調などを調整する仕事がメインだったらしい。

 ……ちなみに『Understanding Comics』は、ほぼ全編に渡り、ホスト役のスコット・マクラウドが読者に向けて丁寧語で語りかけているという構成なので、別に“専念”というほど熱心に、キャラクターの言い回しを調整する必要などないと思う。


 あと、岡田とトーレン・スミスの交友については、2013年にスミスの訃報が伝えられた直後、岡田が「週刊アスキー」に連載していたエッセー上で4週に渡り語っている。

 同エッセーは岡田のブログ上に転載されているので、現在でも容易に読むことが出来る。

「MANGAを作った男」1

「MANGAを作った男」2

「MANGAを作った男」3

「MANGAを作った男」4

 ……ただこのエッセー、「MANGAを作った男」と題されながら、スミスがいかにして北米地域でのマンガ翻訳ビジネスを成功に導いたか、という点は語られずじまいであるのはいかがなものかと思う。全4回もの紙幅は、ガイナックスの社員寮で生活していた当時のスミスの(=岡田が見てた範囲のスミスの)回想を止め処なく書いているだけで、タイトルになっている「MANGAを作った男」という形容については何一つ説明されていない(おそらく、4週にも渡ってエッセーを書くうちに、エッセーの冒頭で提示した着地点を忘れてしまったのだろう)。

 しかも最終回は、「なんだかそれらしいシメ」にするために、「死んだスミスが輪廻転生して、僕に謝ってくれないかなぁ」とかいうポエミーで上から目線な妄言で原稿用紙を埋めることに腐心していて、文章のクオリティが著しく低くなっているのが、どうにも。


▼まとめ:

 長々と書いてきたが、結論としては、既に冒頭で述べたように、「クリエイターとしてはさておいて、パトロンとか、ディレクターとしての岡田斗司夫は、評価すべきじゃないかと、個人的に思うが、別にキミが同意する必要はない」という感じで。


 あと何かいいたいことはありますか。

 『マンガ学』の後書きによると、帰国した岡田が、『Understanding Comics』を竹熊健太郎に見せたら、夏目房之介、大月隆寛らを紹介されて、彼らに「岡田さん、こりゃあ、翻訳するしかないですよ!」といわれたのが、『マンガ学』の制作の動機になった……とあって、更に後書きの最後では竹熊、夏目らに喜んでもらうためにこの本を作りました! 的にラブコールを送っているのですが。

 はい。

 ……『マンガ学』が刊行されたのが、1998年でね。

 んで、冒頭の竹熊健太郎のツイートを読む限りは、この1年も前に竹熊健太郎は“岡田斗司夫氏と決定的に決裂”してるのよ。

※決裂のきっかけとなった竹熊の著作『パラノ/スキゾ エヴァンゲリオン』は、1997年には既に刊行されてた故。

 つまりはこの後書きは、岡田から竹熊への「届かなかった2年越しのラブレター」なわけで。

 ひどく痛々しいものを読んだ、と思いました。

 そうですか。

<完>

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コメント

*

まぁオタの自慢話なんてプロアマ問わず話半分がいいとこだよね!

あと最近の彼に対するヘイトの集中も金と女とダイエットの成功者に対する長年のジェラシーも炸裂したかと

*

>ビートルさん
>まぁオタの自慢話なんてプロアマ問わず話半分がいいとこだよね!
まあ、その通りなのですが、岡田斗司夫の場合、彼が30年くらい方々で吹いてきたホラがジンワリと「オタク界隈」に根を張ってて、

「何年も前から、オタクの間で実際にあったこととして広まっていたエピソードが、念入りに検証してみたら、岡田斗司夫のホラ話しかソースが見つからなかった」

 とかいうこともあるので、岡田斗司夫のいうことを信じてなくても、いつの間にか岡田斗司夫のホラを信じ込まされている、ということがあるのが、まあ、迷惑というか、岡田斗司夫のホラがネット上にひそやかに蔓延する情報生命体みたいになってるよなぁ、と。

にんともかんとも(オチが思いつかないので、適当なシメ)

*

岡田斗司夫の自意識と吹聴は厄介だが、トーレン・スミスを見つけ出し支援した点だけは評価できる、という内容を論考でもなく長文で意味なく盛りまくっているこのブログにも、ある意味プロデュースを感じる。

*

文章のほとんどが岡田をバカにしてるようにしか思えなかったんだけど、この海って人はちょっとおかしいね

*

>海さん
貴重なご意見、ありがとうございました。
ただ、ぶっちゃけ、今回の記事で岡田斗司夫をプロデュースする意図はなく、岡田斗司夫の話にかこつけて、トーレン・スミスやスコット・マクラウドについて話しておきたかった感じですね。
(いうなれば、スミスやマクラウドをプロデュースしたかった、という所でしょうか)

とりあえず、自分は論考とかそういう難しいことはよくわかりませんで、「自分はこう思うなぁ」という素朴な結論と、その結論を補強できるだけの論拠を「こうだった」「こうだった」と、長文でダラダラと書いてくだけ書いて、必要以上に「こう思う」「こう思う」なことは書いておりません。

それらの文を「どう思う」かは、割合に読む方に委ねておりますので、海さんがそれらを読んで、「岡田斗司夫のプロデュースである」と判断されたのであれば、それはそうなのでしょう。

今回コメントをいただき、筆者当人はこういう意図で書いていた、ということをぶっちゃけさせていただく機会をいただけまして、ありがとうございました。

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