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●やくたいもなき日々、あるいは『有害都市』の感想的なソレ。

2015.10.16 Fri

 こう、久々に「俺の日記」的な、まとまりのない短文の連なるエントリを書こうと思ったら、1個のネタがひどく長くなって、結局それ単体でエントリにすることになってしまったという、いつものソレ。

 ていうか、前回のエントリとはまた違った方向性で、「外に向けて発信することに意味あるのかコレ」なエントリになっていることを先にお断りしておくものであります。

「読まない」という選択肢もあるのよ?(何様だ)


▼『有害都市』の最終回が掲載されてましたね、な日々:

 されてましたね。

 読みました。

 感想としては、「ふと思い立って、wikipediaで『時計じかけのオレンジ』について調べたら、『時計じかけのオレンジ 完全版』なる本が2008年にハヤカワ文庫から刊行されてたことを知ったので、そのうち買って、最終章だけ読もうと思いました」とかいう感じになりますかね(感想じゃねぇ)。


 全体を通じての感想としては、主人公がマンガ家あるいは表現者として、規制に真摯に向き合い「戦う」「逃げる」「間接的に戦う」といった前向きな選択をすることなく、「僕は描きたいものを描きたいだけなのに」という、感情論を繰り返し続けていたのは、どうにもアンチヒロイックで、感情移入できなかったなぁ、と。

 その、「規制を気にせず、自分の描きたい形でマンガを描き続ける」という選択は、主人公にしてみれば「戦い」なのかもしれないけど、個人的には「思考停止」あるいは「足踏み」にしか見えなかったのですね。


 それと、作品を通じて、主人公の描いてるマンガが「どのくらい面白くて、世間的にはどのくらい評判なのか」ってのが、あんま描写されてなかったのも、物語に没入しにくかったかなぁ、と。

 いや、主人公の作品が「単巻100万部くらいの大人気作品」か、あるいは「初版5000部程度」か、それとも「集英社とかあたりの普通の作家程度」(※一応、初版は万単位)かで、最終回の「自分の作品のプロットを後世の作家に託す」って行為の意味合いが変わるじゃない。

 仮に(仮にね)、全然人気なくて、3000部程度しか刷られてなくて、重版もかからない様な作家がさ、「後世の作家にこの作品を託す」とかいってもさ、ギャグじゃない。

 作者としては、まあ、主人公に自分をいくらか投影していて、それが故に主人公をヒロイックにすることや、売れっ子作家にすることに気が引けたのかもしれないですけど(勝手な推測ですが)。

 とはいえ、作中の主人公の数少ないヒロイックなセリフ「面白い漫画を描くってことを二の次にして 何かをごまかすことばかりを考え始めたら そうなったら本当に漫画は終わりなんだ!!」ってアレもさ、主人公の描いてるマンガが実は全く面白くなかったら、やっぱギャグになるじゃんね、と。


 ……ていうかそもそも、「未完成のプロットを70年後の作家に託す」って行為自体、あんま意味はないよね。

(作品的には、「70年前の作家のメッセージが入ってたアタッシュケースに、自分の未完成のプロットとメッセージを入れて後世に託す」という、象徴的な意味はあるのでしょうけども)

 こう、SNSとかを通じて、プロットをネット上に公開しちゃう方がよくね? とか、思っちゃうんだけどさ。

 その、現代のネット上だと、諸事情により完成しなかった作品のプロットを、ネット上の有志の作家が思い思いに描きたいページを描いて、完成させるみたいなプロジェクトって、ありそうじゃない。

 ちょっと違うけど、『AKIRA』を『シンプソンズ』のキャラで適当にパロディすることからスタートして、いつの間にやら『AKIRA』のストーリー全部を『シンプソンズ』のキャラクターでリトールドするとかいう壮大なプロジェクトになった『バートキラ』みたいなの。

 こう、日本じゃ規制された『有害都市』が、ネットを通じて世界中の作家の手を介し、形を成すぜ! みたいな?

 いやそれじゃ作者の意図したシンボリックなアレソレが台無しになるのは解ってるけどさ。


 あと、第9話で語られた70年前の事件で、ハーヴェイ・ゲインズなるキャラクターがアメリカ上院公聴会に呼び出されたエピソードは、

・出版社の社長であるゲインズが、

・一応、当時のコミック業界の一翼(怪奇コミックジャンル)を代表して公聴会に臨んで、

・それなりに反論しようと努力して(でも体調不良で失敗した)

・そして公聴会後も、“漫画家にしかできない戦い”と称して反権力のコミックを描き続けた

 という感じであり、

 一方、物語のクライマックス、主人公が公聴会に呼び出されたエピソードは、

・単なる一作家にすぎない主人公が、

・業界の何かを代表するわけでもなく、自己の作品の弁護のために、

・担当編集者の同行を拒んだ上に、何の理論武装もせずに公聴会に臨み、

・いつもの「僕は読みたいものを読みたいです」とかの感情論を叫んで

・公聴会後、“漫画家にしかできない戦い”と称して、自作のプロットを後世の作家に託した

 という具合で、ゲインズのそれとは、似て非なるモノであることは、指摘しときたいなぁ、と思った。

 多分、作者の中では主人公は70年前のゲインズのメッセージを継承して、更に70年後の作家にメッセージを託した的に、主人公とゲインズを重ねたいのかもしれないけど。

 重なってないよね、実際。


 あとラストで「小英社(架空の出版社)」の倉庫に保管されてる“歴代の自社刊行物”が、「週刊少年ジャンプ」、「おもしろブック」、「少年ブック」(全部、集英社が刊行してる/刊行してた雑誌)なのはね。どうかと思った。個人的に。

 いや、リアリティを大事にしたい系のフィクションで、こういう瑣末なディテールをオロソカにするのって、嫌いなのよ。小英社が出してるのは「少年ジャンク」じゃないのか、と。

 以上。


 長々とすみませんでした。

 その、書きたいことを書きたい様に書きたかっただけなんです、オレも(上手いこといったツモリか)。
  
  
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コメント

*

いつも読ませていただいております。

>有害都市
全体的に作品を通して伝えたい・訴えたいことは理解もできるし応援もしたいけど
肝心のキャラクターの言動が総じてトンチンカンでどうも共感しにくいな、
でもそこツッコむのは嫌ツッコミになっちゃうのかなと
読んでいてどうも居心地が悪いという印象を受けました。

国家権力相手に空手で挑んで案の定ボロ負けする主人公は
『フットルース』や『笑の大学』の主人公たちを見習え、と言いたいけど
それら作品とはコンセプト自体がズレてて
引き合いに出すのも気が引けるな等。

単行本化の際には書き下ろしも追加されると思うので
個人的にはもう少し付き合いたいと思います。

・・・松本先生(妻子持ち)は載る保証もない自分の漫画を描きたいなら
キチンと収入源も確保した上で描くべきだと思う。
(嫌ツッコミです。すみません)

*

レスが遅くなりまして毎度申し訳ありません。

>通りすがりさん
 コメントありがとうございます。
 もう、誰に届いてるんだか解らない文章を書いてる人間的には、レスがある、ということは非常にありがたいものであります。

 ……『有害都市』の主人公も、読者のお手紙とか届いて、「この読者のためにも妥協しない作品を描かなければ!」みたいな展開があると、もう少し自分も共感できたかもなぁ、とか、思いつつ。

>でもそこツッコむのは嫌ツッコミになっちゃうのかなと
>読んでいてどうも居心地が悪いという印象を受けました。
 なんというか、「やってることは肯定したいし、応援したい」作者と作品ではあるのですよね。
 でも、実際に読まされるものは、世界観も展開もキャラクターも、まあ、あんなんで。
 どこからでもツッコミを入れられちゃうが故に、逆にツッコミを入れるのがためらわれるというか。
 ツッコンでる自分が嫌になるというか。
 作者なりにがんばってるのは解るけど、プロの作家に「頑張ってますね!」って、ホメ言葉でも何でもないよなぁ、というか。
 なんなんでしょうね、この幾重にも重なった、居心地の悪さは。

 フムゥ。

(※カッコいいシメの言葉が思いつかないので、喜怒哀楽どれともつかないタメ息をついて終りとさせていただきます)

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