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●なんたる書き逃げ・その2。

2007.10.17 Wed

 シリーズ「書きかけテキストをリメイク(略)」その5~。
 こないだのチナ・クラグストン・メジャーインタビューに続いて、今は亡き『PULP』の公式サイトから引っ張ってきた、ベン・ダンのインタビュー。

 っつーか、アレだ。現在『PULP』の公式サイトは、ウェブ・アーカイブですら見れなくなってて、このインタビューのオリジナルのテキストをはじめとする、数々の名コラム&インタビューが参照できなくなってるのは、大いなる文化的損失だといわざるをえん。
 まぁ、『PULP』実本のバックナンバーを買えば読めるんだけど……バックナンバー自体が非常に入手困難だっちゅうねん。

 とか、愚痴をこぼしつつ、書き逃げる。

 インタビューの時期は、多分、ベン・ダンが『マーヴル:マンガヴァース』の企画に入るか入らないかぐらいの時期で、ベン・ダン的に、ある意味でキャリアの頂点に近づいてた時期ですんで、割と大きな口を叩いてるのは勘弁してやってください。


▼インタビュー:ベン・ダン<Ben Dunn>
ニンジャ・ハイスクールの駆け抜けた時代


 インタビュアー:ジェイソン・トンプソン<Jason Thompson>

“マンガ・スタイル”のキャラクター・デザインを用いたアメリカ人は、1980年代初頭に現れた。そして、このムーブメントに追従した初の出版社は、ベン・ダンのアンタークティック・プレス<Antarctic Press>だった。
 ダンはサン・アントニオ<San Antonio>を拠点とする自費出版社アンタークティック・プレスを1984年に創設。そして1987年、彼の『ニンジャ・ハイスクール<Ninja High School>』(通称・NHS)は、安定したファンを得た、初の“マンガ・スタイル”コミックとなった。
 1985年のアンソロジー誌『マンガジン』に始まり、同社は多くの若手アーティストたちを孵化させていった。ダンは第2の代表作『ウォリアー・ナン・アレアラ<Warrior Nun Areala>』をもって、1990年代初頭のアメリカン・コミックス市場の凋落の波に乗り、最近再創刊された『マンガジン』やその他のタイトルをもって、今また、新世代のアニメファンに備えようとしている。

 1964年、台湾に生まれたベン・ダンは、ケンタッキー州ルイスヴィル<Louisville>と、テキサス州サン・アントニオで育った。
 ベンは、『ニンジャ・ハイスクール』、『タイガーX<Tiger-X>』、『マイティ・タイニー<Mighty Tiny>』、『ウォリアー・ナン・アレアラ』などの彼の個人作品(その多くは同一のユニバース内を舞台としている)に加え、『ダイナモ・ジョー<Dynamo Joe>』、『ソーズ・オブ・テキサス<Swords of Texas>』、『エアボーイ<Airboy>』、『スカウト<Scout>』、『ブシドー<Bushido>』、それに数多くのライセンシーを受けたアニメのコミック版を手がけた。
 最近、彼は大手のコミック出版社との、謎めいた新プロジェクト(※1)にかかる一方、『NHS』と、フレッド・ペリー<Fred Perry>の『ゴールド・ディガー』を原作としたアニメーションの共同プロデュース(※2)を手がけ、更に、『ガイガンター』と『ニンジャ・ハイスクール』の2誌を描いている。

(※1)謎めいた企画:『マーヴル・マンガヴァース』だと思われる。
(※2)ゴールド・ディガーはビデオアニメ化されたが(確か、原作者のフレッド・ペリーが自ら原画を描いた、家内制手工業アニメだったような)、ニンジャ・ハイスクールは実現してなかったような……。


パルプ:あなたがマンガを見つけたのは1977年、台湾を訪れた時と聞きました。それらは中国語版でしたか?

ベン:ああ、それらは全て海賊版の、中国語訳マンガだった。字は少しも読めなかったけど、絵はとても気に入ったよ(笑)。

パルプ:当時は、どの作品に興味を持ちましたか?

ベン:僕のお気に入りは、みんな巨大ロボットのマンガだった。わかるだろ? そうした作品は、沢山あったんだ。後になって、僕が熱狂してたのは永井豪の作品だったと知った。その他の作品にも熱中した……手塚、石ノ森、そして松本(零士)。それに『ゴルゴ13』のような作品や、その他の当時のマンガさ。

パルプ:それ以前に、TVで日本のアニメを見たことは?

ベン:僕は『バトル・オブ・プラネッツ<Battle of the Planets>』(※1)の大ファンだった。休みの時期、ブラウンズビル<Brownsville>で『スピードレーサー<Speed Racer>』(※2)を1話見たことを覚えている。とても好きだったよ。

(※1)『ガッチャマン』の北米向け再編集版。タイトル通り、各話の舞台は、ヨソの惑星ということに改変された。過剰な暴力描写がカットされたおかげで尺が足りなくなり、オリジナルキャラクターのロボットの、どうでもいいシーンが合間に挟まれることとなった。でも、人気は高かった。
(※2)『マッハGoGoGo』の北米版。こちらも人気は高かった。

パルプ:当時、他のマンガファンやアニメファンはいましたか?

ベン:いや、全く。僕は1人のマンガファンも知らなかった、少なくともサン・アントニオ<じゃあね。この頃からかな、僕がみんなにマンガを勧めだしたのは。僕は元々、マンガを台湾から持ってこようと思っていた。でも、やがて僕は考えた、“ふむ、これらは結局、海賊版だ。じゃ、これらを本当の出版社から持ってくることは、できないんだろうか?” 結局、このことがマンガをアメリカへ持ってこようとする試みの妨げとなった。それで僕は、次にすべきことは、僕の読んだマンガに基づいたコミックスを描くことだと考えた。

パルプ:その当時、既にあなたは、いつかマンガを翻訳することや、人々にマンガを紹介することを考えていましたか?

ベン:ああ! もちろんさ。僕の大きな夢、それは人々をマンガにハマらせることだった。なぜならマンガは、その当時、非常にユニークで、異質だったからだ。僕はマーヴルとDC、その他のフルカラーのコミックスで育ったんで、マンガは実に異質な経験だった。マンガは本当に分厚い、何百ページもあるような本で、すべて1色刷りだった。僕はそれまでそんな代物を見たことはなかった。加えて、マンガにはコミックス・コードもなかった。だから本当に暴力的で、突き抜けていて、実にクレイジーだった! で、思った。「こいつは俺のためにあるんだ」って。

パルプ:あなたはアメリカン・コミックスも読んでいたんですか?

ベン:勿論さ、僕はアメリカン・コミックスを読んでいた、なぜなら僕はアメリカン・コミックスが好きだったからだ。だから僕は考えた、なんで両方読まない? 僕は正に、アメリカ式のストーリー感覚に、マンガ的な見かけをなじませたんだ。

パルプ:子供の頃は、どんなアメリカン・コミックスを?

ベン:マーヴル、DC、『リッチー・リッチ』、時々は、アーチーも。僕は心底コミックを愛していた。コミックブックならなんでも読んだ。それだけだ。

パルプ:1977年から1984年にかけ、テキサスのマンガとアニメのファンダムは、どのように発達しましたか? あなたは、それらの黎明期から、深く関わっていましたか?

ベン:ああ、僕はとても深く関わった……実際の所、1978~1979年頃、オースティン<の「カートゥーン/ファンタジー・オーガニゼーション<」が立ち上がった時、僕はレギュラーで参加していた。当時僕はC/FOのサン・アントニオ支部すら開いた。僕はファンダムに深くはまりこんでいて、アニメとマンガを扱う、いかなる種類のサークルにも関わっていた。マンガよりは、アニメについてのサークルの方が多かったかな。当時はマンガは、ロクに気付かれてなかったからだ。マンガがダイレクト・マーケットにぼつぼつ流れ出したことに気付いたのが1980年代初頭かな。当時はそれほど沢山、翻訳物があった訳じゃなかった、しかし1984年か1985年頃、僕は『リオン2990<Rion 2990>』(※)なんかの“マンガ・インスパイア”のコミックを見るようになった。このことに駆り立てられた僕は、『マンガジン』を創刊し、やがては『ニンジャ・ハイスクール』を描くに至ったんだ。

(※)『リオン2990』:『鉄腕アトム』にインスパイアされた、アンドロイド少年が主人公な作品。最初期のマンガ・スタイルのコミック。画風はリンク先参照。第1号の表紙には、全4号と書かれているけど、実際には2号しか出ていないので注意。そういや、昔買ったけど読んでないや。<オイ

パルプ:あなたは最初から、自費出版を行うつもりだったのですか? それとも元々は、アーティストとしてコミック業界で働きだしたかった?

ベン:あー、解るだろ? 僕はアーティストとして、業界入りしようとしていた。でも……当時の僕は、充分に上手くはなかった(笑)。それで僕は考えた。僕が業界に食い込むには、僕自身でコミックを出版するしかない、と。それで僕は、僕自身の“マンガ・インスパイア”を描くために、僕自身の会社を開始した、何故なら当時、そんなスタイルは受け入れられておらず、なにがしか“マンガ・インスパイア”されたコミックを描くには、それが唯一の道だった。そして、僕が多くの本を手がけるにつれ、マンガの独特のスタイルに興味を持つ人々との接触が増えていった。それで僕は、彼らに寄稿してくれるよう頼み、その作品も出版しだした。

パルプ:それらの人々の中で、現在も寄稿してくれる方は?

ベン:初期の寄稿者の1人は『ゴールド・ディガー』のフレッド・ペリーだった。それと嘘みたいな話だが、後にイメージで作品を描いているデイヴ・ジョンソン<Dave Johnson>もだ。ロバート・デヘズース<Robert De Jesus>(※)、ロッド・エスピノーザ<Rod Espinoza>、それらみんなさ。僕らは互いに引き寄せられたんだ。だろ?

(※)ロバート・デヘズース:1990年代前半のマンガ・スタイルの作家の中でも、群を抜いた画力の持ち主だったと、個人的には思う。絶望的なほどに遅筆な上に、後にベン・ダンと喧嘩別れしてアンタークティックを離脱。その後カットしか描かないマンガ家を経て、カットすら描かないマンガ家にジョブチェンジという、ありがちな転落をたどり、ある意味、伝説に。画風は公式サイト(更新止まりっぱなしだけど)参照。

パルプ:あなたが1985年に『マンガジン』を創刊した時、アニメは広く知られていましたか?

ベン:ああ、クソ、「ノー」だ。実にまったく、当時のファンダムの主流じゃあなかった。しかしいまや、マンガは広く流行し始めた。むしろ、僕の見たところでは、かなり浸透もしている。表現方法としてもだ。

パルプ:そして1986年に『プロジェクトA子』が日本でリリースされました。あなたはこの作品に最も強く影響を受け、また、この作品がオールタイム・ベストのアニメだといわれてましたよね?

ベン:実際には、ベストの1つさ(笑)。その異質さ、特異さに加えて、フザケたキテレツなユーモアが、僕を打ちのめした。そして僕は、この作品が僕のコミックを描く上での偉大な出発点になるだろうと思った。もちろん、僕は他の作品の影響も受けている、『うる星やつら』や、永井豪、松本零士からも。僕は、自分の好きなアニメとマンガの全ての要素を、僕自身の作品に組み込んだ。

パルプ:あなたはコメディに関心があるようですが。

ベン:ああ、コメディは偉大だよ。笑うことが嫌いな奴なんているかい? それにね、適切になされたコメディは、同時にドラマも生み出すんだ。

パルプ:『ニンジャ・ハイスクール』の創造に至ったものはなんですか?

ベン:君もいったように、僕は『プロジェクトA子』を見て、とても気に入った。そして僕は新たな雑誌を立ち上げようとしていた。なぜって、(『マンガジン』のような)アンソロジー形式の雑誌では、できることは限られていたからだ。だから、単独の雑誌が必要だった。で、僕にはいくつかの選択があった。僕はスーパーヒーローものをすることもできた、こいつはいわば、先の見える道さ。でも僕は、アニメ/マンガパロディの本を描くことに賭けて、その道の先に何があるか見てみようと思った。僕は元々、シリーズを全3号にしようと考えていた。もしもうまくいかなければ、別の作品に移ることができるからね。でも、幸いなことに、うまくいった。そして、今やみんながいうように、歴史が生まれたんだ。

パルプ:『ニンジャ・ハイスクール』は、マンガを知らない人にとっても取っつきやすい本でしたね。同作は、私が初めて見た“マンガ・スタイル”コミックでしたが、その全部のジョークが解らないにしても、とても面白い本だと思えました。

ベン:(笑)。ああ、そこが重要なんだってことは、自覚してるよ。マイナーな方へ行きすぎては、誰もついてこれやしない。だから、そうしたものを書く時は、せめて読者が予備知識なしで解るような話にしようとしている。そして、その要素ってのが、僕にとっては最も重要なのさ。元ネタを知っている読者への、ちょっとしたお遊びで、内輪ネタを書くことはある。でも、大半の部分は、アニメやマンガについて知らなくても、何が起きているのか理解できるように書いている。

パルプ:ダイレクト・セールスの市場と、自費出版の方法は、どのように見いだしましたか?

ベン:少し前から、ダイレクト・セールス市場については知っていたよ。『タートルズ』が先鞭となって、この市場は小規模のインディーズ系出版社に開かれたんだ。同時期、僕はダイヤモンドやキャピタルシティ、その他もろもろについての情報を集め出していたんだが、驚いたことに、彼らとの手続きは、非常に簡単だったんだ(※)

(※)ダイヤモンド、キャピタルシティは、いずれもダイレクト・セールス専門のコミックの卸問屋。手続きの方法は、聞いたところによると、彼らの担当者に自社のコミックを送りつけて、むこうに「まぁ、売れるだろう」と見なされたら扱ってもらえるんだとか(<まぁ、地方の出版社もあるし、いちいち面接とかはしてられんわな)。

パルプ:一時期、エターニティ・コミックス<Eternity Comics>(※)が『ニンジャ・ハイスクール』を出版していましたが。

ベン:当時、マリブ・コミックス<Malibu Comics>、あるいはエターニティ・コミックスは、正に拡大していた。そして彼らは、いくつかの小規模のインディーズと連携したがっていた。彼らは僕らにも極めて良いオファーをしてくれて、まあ、トントン拍子に合意した。それで、およそ5年間、彼らのために『NHS』を描いた。

(※)エターニティ・コミックス:1986年に創業したマリブ・コミックス社のレーベルの1つ(ってことでいいのか?)。主にクリエイターオウンの作品を出版していたが、『キャプテン・ハーロック』などの、アニメのコミック版なども出していた。母体であるマリブ・コミックスが1990年代中頃にマーヴル・コミックス社に買収されたのを受けて、解散。

パルプ:『A子』や『ロボテック』(インタビュアー註:1980年代のコミコ<Comico>版ではない。アンタークティック・プレスは1990年代後半にライセンスを取得している)、『ガイガンター(※)のような、ライセンス・コミックを手がけるのは、どんな具合でしたか?

(※)ガイガンター:横山光輝のマンガ『鉄人28号』を原作とした、エイケン制作のモノクロアニメ版『鉄人28号』の、北米輸出時につけられたタイトル。ちなみに、諸事情により、ベン・ダンのコミック版『ガイガンター』は、光プロの許諾を得ずに製作されてたりする。→ヒント

ベン:ライセンサーとの応対をしないでいいなら、非常に楽しいよ(笑)。もしもむこうが好きにやらせてくれるなら、こっちは誰かのオモチャで遊んでりゃいいだけさ。でも、こっちがオモチャで遊んでいる間、向こうが見張っているんなら、面白くはないさ。そりゃ、なにがしかの楽しさはある、でも山ほどの制限事項もある。しかも僕らは、最終的に、それらの作品を自分の物にできない。で、けして自分の物にできないものに、自分の全てを投入したいと思うかい?

パルプ:『プロジェクトA子』のコミック版は、とりわけ、楽しめましたか?

ベン:ああ、描いてて楽しかった。面白かったけど、ただ1つの問題は、それがビデオ版のコミック化だったってこと、誰もが、そいつの母親ですら、数え切れないくらい見返してるものをコミック化した、ってことさ。誰もまだ見たことのない、読んだことのない作品ってことが、コミック版を描く唯一の理由になるのに、さ。僕は新作を、新しいストーリーを描きたかった。でも、向こうはうんとはいわなかった。でもね、ビデオ版を見たい奴が、コミック版を読もうと思うかい?

パルプ:あなたがアズリアル<Asrial>やマイティ・タイニーMighty Tiny>(※)を創造した際、いわゆる“ケモノ萌え<furry>”のファン層というのは存在していましたか?

(※)いずれもケモノ系のキャラクター。日本の「ケモノ萌え」マンガは、基本的に人間にネコミミやシッポなどの「パーツ」がついているだけなのに対し、アメリカの「ケモノ萌え」コミックの多くは、動物と人間の混ぜ込む比率がかなりイーブンに近く、多くのキャラクターは全身フサフサの「ファー(毛)」で覆われている(だから、向こうのケモノ萌えのファンのことは「ファーリー」という)。

ベン・ダン:勿論! 実際、当時は“ケモノ萌え”はアニメやマンガのファンダムよりも強い勢力だった。『アルベド<Albedo>』、『ウサギ・ヨージンボー<Usagi Yojimbo>』、『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ<Teenage Mutant Ninja Turtles>』、『フィッシュ・ポリス<Fish Police>』、『クンフー・カンガルー・ラッツ<Kung Fu Kangaroo Rats>』等々が大人気だった。僕にいわせれば、あの当時は擬人化もの<anthropomorphics>のゴールデン・エイジだった(※)。僕はケモノを描くのが好きだ、でも僕は、ケモノ萌えだけで彼らを捉えてる訳じゃない。僕は、ケモノをストーリーテーリングの技法の1つとしても、考えているんだ。

(※)けだし、名言だと思う。

パルプ:あなたは軍隊にいたことはありますか? あなたとテッド・ノムラ<Ted Nomura>(※)の作品はメカとミリタリー的な要素が山のように盛り込まれているようですが。

(※)テッド・ノムラ:アンタークティック・プレスの作家の1人。その名の通り日系人。1980年代から『ルフトバッフェ1946』などの架空戦記ものを延々と描き続けている、ある種の鉄人。あまり読んだことないので、画風などの評価は避ける。

ベン:僕は高校ではジュニア・リザーブ・オフィサー・コー<Junior Reserve officer corps>(※)にいた。けど、軍隊に入ったことはないね。いやいや、ミリタリーを楽しむのに、軍に入る必要はないよ。ま、僕は今ではテッドが軍にいたことを知ってるし、その上、彼はつま先までミリタリー浸けだ。だから彼は、そうしたことには慣れ親しんでいるだろうけどね。

(※)正式には「ジュニア・リザーブ・オフィサー・トレーニング・コー<Junior Reserve Officer Training Corps>」。通称・JROTC。高校の通常授業の一環として、志願した生徒に対し軍人になるための訓練を授けるプログラム。指導に当たるのは現役の軍人で、訓練中はきちんと軍服を着る。大学にも同様のプログラムがあって、こちらは「リザーブ・オフィサー・トレーニング・コー」と呼ぶ。ま、「Reserve Officer Training Corps」で検索すると、日本語で解説してるページもあるので、ググれ。

パルプ:1993年から1995年にかけ、アンタークティック・プレスは『ウォリアー・ナン・アレアラ』などの影響で大きく成長しました。そしてあなたは『ボックス・オフィス・ポイズン<Box Office Poison>』のようなオルタネイティブ・コミックの出版も始めましたよね。

ベン:その頃は、僕らがマンガ翻訳を初めだしたころでもあるね。僕らは、初めて“ドウジンシ”という言葉を流布させ、みんなにコミック・マーケットを知らしめた会社の1つだった。僕らはまた、僕ら自身のアクション・フィギュアを手がけた最初のコミック出版社さ。そうとも、僕らは沢山の「初めて」をやった。そして僕らは、今や珍しくなったイヤーブックとアニュアルも出している。僕らは他とは異なってなければならない、解るかい。だから、僕らは他と一線を画せるものを見つけたら、まっすぐ飛び込んで行くのさ。

パルプ:あなたにマンガの出版を始めさせるに至った、日本のアーティストとの接触は、どのように築かれたのですか、?

ベン:文通から始めたのさ。僕は日本人のペンパル(※)がいる、もう、11年くらいのつきあいになる。偶然彼は、君らがファンサークルと呼ぶものの会長だった。だが彼のジャンルは、皮肉にもアメリカン・コミックスだったんだ。彼は「コミックス・バイヤーズ・ガイド<Comics Buyer's Guide>」誌を通じて僕に接触してきた。そして僕らは実に仲良しになった。やがて彼は、彼のドウジンシについて話してくれた。僕が“ドウジンシって、一体なんだ?”って聞いたら、彼はそれがどんなものか教えてくれた、基本的にはファンジンで、彼のはアメリカン・コミックス、とりわけスーパーヒーロー・コミックスを扱っている。それで僕は聞いた“もっとドウジンシとやらについて教えてくれよ”。彼は教えてくれた。うん、コミックマーケットについても話してくれたし、いくらかのドウジンシも送ってくれた――大箱に一杯、もらったよ。で、僕はとても感動した上に、ちょっとしたアイデアもひらめいた。“そうだ、僕はメインストリームのマンガを出せないとしても、多分、こういったものなら出版できるぞ”。そして僕はコミック・マーケットについても学んだ。その場に行って、そうした事柄について話した。それから滞在中には、僕はいくらかの日本の出版社に行き、マンガについて交渉もした。

(※)CLA会長石川裕人その人である。

パルプ:あなたの会社が翻訳し、出版したはじめてのマンガは何でしたか?

ベン:僕らが翻訳した最初期のマンガは、『マイティ・ボムシェルズ<Mighty Bombshells>』(※1)[1993/9]って奴だ。作者のユージン・イシカワは、皮肉にも、マーヴル・コミックスの日本語版(※2)の編集者だった。そして彼は、マンガ版『X-メン』(※2)を手がけた責任者の1人だった。

(※1)『マイティ・ボムシェルズ』:これ。
(※2)小学館プロダクション版の邦訳コミック群。
(※3)日本人作家による竹書房版『X-メン』。

パルプ:編集者で、ライターではないのですね?

ベン:ああ、彼は編集者の1人だ。彼はまた、2、3の物語も描いている。彼は『マイティ・ボム・シェルズ』のライトとアートを担当した。この作品は基本的には日本的なスタイルのアメリカン・スーパーヒーローの物語だ。この作品はまた、“アメリカン・スーパーヒーローのマンガ版をやったっていいだろ?”ってアイデアをくれた(笑)。それで僕は、彼のファンジン『ジャスティス<Justice>』のリプリントも出した[1994]。

パルプ:あなたのペン・パルは、『ガジェット<Gadget>』も手がけたのですか?

ベン:ああ、彼は『ガジェット』と『ジャスティス』(※)を手掛けた。そして彼らのメンバーの1人は、驚いたことに『ポケモン<Pokemon>』を手掛けた、トシヒロ・オノだ。“マンガ的にスーパーヒーロー・コミックスを扱う”という方向性についての、おおよその考えは、ここから得たんだ。

(※)いずれもCLAの同人誌。

パルプ:あなたは、どんなスーパーヒーロー・コミックを読みますか?

ベン:たまにだけど、『デス:ザ・ハイコスト・オブ・リビング<Death: The High Cost of Living>』やなんかの、僕の好みに合った作品を読む。それに沢山の戦争ものコミックを読んだ。『エネミー・エース』や『ミニストリー・オブ・スペース』みたいなものを。だが実の所、今は、ほんの少ししかスーパーヒーロー・コミックを読んでいない。もう、それほど興味を引かれないからだが、時々は読んでいるよ。『バトル・チェイサーズ<Battle Chasers>』や『クリムゾン<Crimson>』といったものをね。一種のマンガ・スタイルで描かれているそれらの作品に、僕も遅れずについて行かねばならないからね。

パルプ:『ウォリアー・ナン・アレアラ』[1993]についてですが、これは、当時の市場に出だしていた作品(※)に対するリアクションとして、誕生したものでしたか?

(※)『レディ・デス』や『パーガトリー』、『アヴェンジリン』、『ダークチャイルド』、『ヴァンピレラ』などなど、「悪そうな見かけのお姉ちゃんが悪人どもを容赦なく切り刻む」感じの、バッドガール・コミックスが1990年代初頭にブームになっていた。

ベン:ああ、まったくイエスだ。僕は一連のバッド・ガールの狂乱にウンザリしていた。ばかげた流行だと思っていたけど、明白な稼ぎ時だとも思っていた。あんな、女戦士みたいなのを描けばいいんだろって。僕は思ったんだ。“この時流に乗らない手はないぞ? 僕だって、できるだろ”ってね。

パルプ:あなたはそれらをパロディとして始めたのですか?

ベン:ああ、こいつは僕からの、全てのバッド・ガール的なものへのパロディだ。でも当時は誰も気付かなかった。彼らは単に、また別のバッド・ガール・コミックスだと思った。ま、正直、あの当時くらいのセールスが今もあればと思うよ(笑)。

パルプ:では、現在あなたの会社が集中している事柄、そしてあなた個人が集中している事柄は、何でしょう?

ベン:僕らは、そもそも会社をスタートさせた時に目指していたものに戻ったんだ。――良質で、堅実な、クリエイター・オウンの作品だ。それと、読者を育てることに集中した。作家たちをそれぞれの作品に張り付かせ、各誌をスケジュール通り出すようにした。これが僕らの原動力だ。そしてこれは、僕らが、元々やろうとしていたことでもある。

パルプ:3度目の『マンガジン』の創刊が、その幕を切ることに?

ベン:正にね。僕らは何か少しだけ違ったもの、何か少しだけ違ったものを実験してみようと決めた。解るだろ? で、ボリュームのあるコミックブックに対し、小売りや人々がどんな反応をするかを見ようとした。今までの所、僕らは良くやっているよ。

パルプ:ダークホースの『スーパー・マンガ・ブラスト!<Super Manga Blast!>』や、ヴィズの『アニメリカ・エクストラ<Animerica Extra>』のように、今や多くの人間がアンソロジー誌を試みているように見えます。『マンガジン』も、幾分、それらに似たフォーマットになるでしょうか。

ベン:ああ。僕は彼らを賞賛しなければならない。実に勇気ある決断だと。正直いって、彼らの雑誌がうまくいくことを願ってやまない。『マンガジン』が、それらと唯一異なるのは、1色刷りの作品に加えて、カラーもあるってことだ。アメリカの読者はカラーを好む、というのが僕の信念だ。みんなは、カラーに慣れ親しんでいる。もしもカラーでマンガを出せれば、多分もっと売り上げを伸ばせるよ。問題は制作費が許してくれるか、ってことだけど。

パルプ:1985年当時、アニメとマンガを知るものが無く、あなたが初めて、唯一、マンガ・スタイルのコミックを描いていた当時と比べて、アンタークティックのイメージが変わったことについてどう思いますか?

ベン:僕は、何であれ過去にやったものに留まるのは嫌いなんだ。過去の栄光に腰掛けてたらね、変わりゆく読者の好みについていくのが上手い、より迅速で素早い会社に。だから僕らはできうる限り迅速で素早くありたいと試みている。これが自分自身の本を描く長所さ。マンガの場合、翻訳されている本は、おそらく数ヶ月前、数年前、あるいはそれ以上古い本だろう。そしてそれらが、全く新しいか、あるいはアメリカの読者に向けて特別に描かれたものでなければ、大概本を買うだろう読者の多くは、既にそうしたものを読んでしまっている。僕らがそれらに対して一種のアドバンテージを持っているのは、僕らの本はいつでも買った時が新作だ、ってことさ。本質的には焼き直しのものなど、誰も買いやしないさ。それと僕は、マンガ・アーティストがアメリカン・コミックスを手がけることが現在の流行だと見ている。そして僕の見たところ、これはまだ大きく発展する余地のある流行だと思うね。

パルプ:どういうことですか?

ベン:僕はとある会社からEメールを受け取った。その会社は日本のマンガ・アーティストに合衆国でオリジナルの作品を描かせるブローカーのようだった。それと僕は、『サイレント・メビウス』の作者、麻宮騎亜が何かアメリカの市場に向けた作品を描いてると聞いている(※イメージ・コミックから出たのカラー版『ダーク・エンジェル:フェニックス・リザレクション<Dark Angel: Phoenix Resurrection>』のこと)。だからこれは確かに流行なんだと思うし、これが良い流れだと思っている。マンガの洗礼を浴びた人が増えるのは、いいことだからね。

パルプ:『NHSアニュアル』に寄稿していた、マイナーな日本のアーティストがいませんでしたか?

ベン:それらは実際には日本の『ニンジャ・ハイスクール』のファンサークルが描いたものだ。タケシ・スズキ(※)という奴がいてね、彼はサークルを率いてて、『ニンジャ・ハイスクール』の大ファンだった。彼は僕に恒常的に作品を送ってくれて、エターニティから選集を出版できるほどの作品がそろったんだ。

(※)タケシ・スズキ:「ヤングパーソンズ・ガイド:ニンジャ・ハイスクール」とかいう『ニンジャ・ハイスクール』の解説同人誌を出してたと思う(おいらも1冊持ってる。今、現物手元にないけど)。昔、「ニンジャ・ハイスクール」でググったら、色々とベン・ダンとの生臭い思い出を書いたページを見つけたんだけど、今じゃ消えてるみたい。っつーか、「ニンジャ・ハイスクール」って名前のラップ・グループがデビューしたお陰で、ググるのが非常に困難だ。

パルプ:あなたは、かつてエターニティとしたような、他との提携を選ぶ気はありますか? そもそも、自身のコミックを描いて給料をもらうという待遇は、あなたが望んでいた理想的な環境でしたか?

ベン:そいつは難しい質問だ。僕は大部分のところ、安定した給金なんかは気にしていない。だが、自分自身の運命を決めることについては、黙ってられないね。僕がエターニティで働いていると、むこうの気まぐれにつきあわざるを得ず、そして何であれ僕のしたいことをできなくなる。実の所、当時むこうは僕の作品に2、3度検閲を加えなければならなかった。故に、僕は全てをコントロールできていなかった。でも、自分自身で出版できるなら、自分がボスだ。誰も何をすべきかいってこない。思うまま望むままに、自分の本の方向性を定めることができる。こいつは基本的には長所だが、同時に短所でもある。次の給料がどこから来るかってのが、解りゃしないからね。(笑)
 
 

  
  
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