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●アメリカン・コミックスと岡田斗司夫のハナシ。

2015.01.28 Wed


 こう、このところ、Twitterで竹熊健太郎が「岡田斗司夫の初期の代表作に『オタク学入門』があるが、これのマンガに関する章の9割が、私が彼の東大講義にゲストで出て喋った内容なのだ」ということを暴露したりとか、なぜか知らないけど(棒読み)、岡田斗司夫の過去の所業があちこちで検証されていて。

 すなわち、「今、岡田斗司夫について語ると、ブログの閲覧者が25人ぐらい増えるんじゃないかなぁ」とかいう阿呆な着想を得たので、とりあえず書いてみるエントリ。


▼アメリカン・コミックスと岡田斗司夫のハナシ:

 まあ、岡田斗司夫のハナシをするといっても、このブログは、もっぱらアメリカン・コミックス界隈のハナシをするトコなので、その線のハナシになるわけですが。

 そのね、オイラ個人としては、アメリカン・コミックス界隈において岡田斗司夫という人は、

 1980年代中頃に、日本の漫画を米語訳すべく訪日し、しかし滞在費用に窮していたトーレン・スミスを三鷹のガイナックス社員寮に住ませてやり、経済的な負担を相当に軽減させたこと、

 それと、

 1990年代初頭から、夏目房之介、竹熊健太郎らによって“マンガ研究”が盛り上がりを見せていった中で、1998年にスコット・マクラウドの『Understanding Comics: The Invisible Art』を『マンガ学─マンガによるマンガのためのマンガ理論─』(美術出版社・刊)として送り出したこと(なお同書の奥付では岡田斗司夫は「監訳」としてクレジットされている)、

 という2つの偉業を成した、という点において、高く評価すべきだし、マンガ史/コミック史に留め置くべきだと思う。偉大なるパトロンとして、先見の明のあるプロデューサーとして、歴史に記録されるべきだと(大げさですか。でも今回こんな調子で大げさな話をしてきたく思っております)。


※トーレン・スミス:マンガの海外翻訳権の取得と翻訳、レタッチといったマンガ翻訳に関わる諸作業を行うスタジオ・プロテウスの創始者。1980年代末~2000年代中頃までの北米におけるマンガ翻訳を牽引してきた人物であり、15年程のキャリアで70000ページ以上のマンガを送り出した、コミック史の一時代を代表するクリエイター(スミスのマンガ翻訳は単なるエディトリアルな作業でなく、クリエイティブな仕事だと思うので、あえてこう書く)。2013年病没。


 その、岡田がトーレン・スミスを経済的に支援したことで、北米における米語訳マンガの普及は、数年分の長足の進歩を遂げることとなったし、また、『マンガ学』が邦訳されたことで、日本のマンガやマンガ研究にしか目を向けていなかったマンガ評論家たちに、海外へ目を向ける契機を与え、また海外のコミックスに精通した若手の研究家が発言する場が拓かれ、結果的にマンガ研究も加速させることとなった。これは、偉業であると思う。

 そこは、正統に評価すべきだと思う。

 個人的に(<ここ大事)、そう思う。


 でー、その一方で、岡田斗司夫が「ライターとして」アメリカン・コミックス界隈でしてきたこと、というと、

 20世紀末~21世紀初頭あたりにゾロゾロ出てた『オタクアミーゴス』あたりの対談本で、唐沢俊一あたりと一緒に、『カラテ・ガール』みたいな“ヘンなアメコミ”や、アダム・ウォーレン&トーレン・スミスの『ダーティペア』の様なアメリカン・マンガを、表層的にイジって、その場のウケをとった、

 とか、

『宇宙戦艦ヤマト』(※古い方ね)を北米向けに再編集して輸出した『スターブレイザーズ』の再編集の程度を知らずに、色々と盛った話をして、実情を知る『ヤマト』ファンから抗議をされた、

 とか、

 新装版『ウォッチメン』のオビで

“「日本のコミックは世界イチと浮かれるなかれ、とんでもない黒船がやってきた。世界一のSFコミックに戦慄した”

 とかいう、あまり内容に触れていない、かつあまり読む気をソソラれない感じの文言を寄せた、

 とか、

 前述の『マンガ学』の前書きと後書きで、島本和彦いうところの“俺ってスゴいやろオーラ”を横溢させた文章で、

>よりによって「スーパー筋肉兄ちゃんが、メガトンパンチでスポポポポーン!(偏見)」なんていうアメコミの世界からだ!

 とか、

>(※著者のスコット・マクラウドに対して)この本の印税を、少しは生活の足しにしてくれればと思うよ。(こんな本、描くやつは貧乏に決まっている、という偏見)

 とかいう、お寒い「(偏見)」ギャグで笑いを取ろうとしていたとか(正直、「後書き」でするようなギャグじゃないと思う)、

※斜体部分、前述の『マンガ学─マンガによるマンガのためのマンガ理論─』後書きより引用(うちのChromeブラウザで、このブログを見ると、斜体と正体に全然差がないのですが、データ上は斜体にしてあるのです)。

※スコット・マクラウド:コミック作家。1980年代のインディーズ・コミックスの勃興期に『Zot!』で高い評価を獲得し、ジャック・カービィ賞とラス・マニングス賞を受賞。『Zot!』連載中にはハーベイ賞、アイズナー賞に何度もノミネートされ(受賞はせず)、その後、『アンダースタンディング・コミックス』で1991年のハーベイ賞3部門、アイズナー賞1部門を受賞。DCの『スーパーマン・アドベンチャーズ』でクラシカルなヒーローもののライターとしても評価され、アイズナー賞候補となる。
『アンダースタンディング・コミックス』に続く、2001年の『リインベンティング・コミックス』でハーベィ賞を受賞、2007年の『メイキング・コミックス』もハーベイ賞候補となる。誰が呼んだか、「コミック界のマーシャル・マクルーハン」の異名を取る。


 ……そんな感じで、なんというか、アメリカン・コミックス界隈においては、岡田斗司夫のライター(脚本家でなく、物書きの方のライターね)としての評価は、「評価することに意味がない」と、いう言葉につきる(個人的には)。


 ちなみに、今回のエントリを書くのに、『マンガ学』(1998年)の前書き、後書きを読み返したのだが、前書きのほうで『Understanding Comics』を「まさに太平を貪る世にあらわれた、一隻の黒船である」とかいう、新装版『ウォッチメン』(2009年)のオビと同じ形容の仕方をしていて苦笑した。

 多分、今、岡田にアメリカン・コミックス界隈の話題作のオビの文言を頼んだとしても、「黒船」って形容詞を使うのではないかと思う(偏見)。


 また、この『マンガ学』の後書きでは、岡田斗司夫が『Understanding Comics』を見出したのは、アメリカでのアニメ・コンベンションで再会したトーレン・スミスの自宅に招かれ、マンガについて話していたら、スミスに『Understanding Comics』を勧められたのがきっかけ、だとある。

 1980年代にトーレン・スミスに手を差しのべたことが、回り回ってその後に『マンガ学』の出版に繋がったワケで、中々に感慨深いものがある。人の縁って、大事よね(小学生程度の感想)。

 後書きから、該当箇所を引用するとこんな具合になる。

 ──タイトルを見たとき、正直言って僕は、「へっ、アメリカ人風情が書いたマンガ論!? おいおい、世界一のマンガ先進国のオレ様に何を教えることがあるんだ?」という気分だった。しかし時差ボケが治らず、ベッドの中でパラパラとページをめくり始めてびっくり。多分この本を読んでくれた人も同じだと思うけど、感想は一気に「こりゃすごい!」に変わってしまった。
 「世の中には、こんなとてつもないものを描いてしまう人がいるんだぁ! 参りました!」というしかない。
 で、飛行機の中で読むはずだった本を、前日の夜遅くまでかけて読んでしまった僕は、さっそく翌朝トーレンに、「これ、すごい!」と本を振り回しながら叫んだ。するとトーレンはにんまりとわらいながら「作者のスコット・マクラウドは日本でも翻訳出版したがっているんだ。おまえやってみないか?」と訊いてきた──


 ……なかなか、ドラマティックな話ではある。

 ただ、このエントリを書くに当たって、ネット上の「岡田ゴシップ」のまとめなどをいくつか見てきての感想としては、岡田斗司夫は「必要以上に(自分に都合よく)話を盛る」フシがあるので、このあまりにもドラマチックに過ぎる、当エピソードがどこまで正しいのかは、判断しかねる。

 個人的には、224ページもある上、割合に難しい専門用語やマクラウドの造語なんかが延々とセリフとして語られる『Understanding Comics』の原書を、“前日の夜遅くまでかけて”読破した、という時点で「うそくせー なーんか うそくせー」と思わないでもないが、まあ、詮索は無意味だ。

※一応いっておくが224ページというのは米語版のページ数。


 それと、この後書きで、岡田は『マンガ学』での自分の仕事について、

 ──おかげで僕は監訳とは言いながらも、膨大なポストイットを見ながら「このキャラは、こういう言い回しはしないな」などと、じっくりとキャラクターを調整することだけに専念できた。

 といっている(文中の「膨大なポストイット」は、『マンガ学』の翻訳を担当した海法紀光と担当編集者が、検討のために翻訳案の文章を書き込み、原稿に貼ったもの)。要するに、訳文に手を入れて、キャラクターの口調などを調整する仕事がメインだったらしい。

 ……ちなみに『Understanding Comics』は、ほぼ全編に渡り、ホスト役のスコット・マクラウドが読者に向けて丁寧語で語りかけているという構成なので、別に“専念”というほど熱心に、キャラクターの言い回しを調整する必要などないと思う。


 あと、岡田とトーレン・スミスの交友については、2013年にスミスの訃報が伝えられた直後、岡田が「週刊アスキー」に連載していたエッセー上で4週に渡り語っている。

 同エッセーは岡田のブログ上に転載されているので、現在でも容易に読むことが出来る。

「MANGAを作った男」1

「MANGAを作った男」2

「MANGAを作った男」3

「MANGAを作った男」4

 ……ただこのエッセー、「MANGAを作った男」と題されながら、スミスがいかにして北米地域でのマンガ翻訳ビジネスを成功に導いたか、という点は語られずじまいであるのはいかがなものかと思う。全4回もの紙幅は、ガイナックスの社員寮で生活していた当時のスミスの(=岡田が見てた範囲のスミスの)回想を止め処なく書いているだけで、タイトルになっている「MANGAを作った男」という形容については何一つ説明されていない(おそらく、4週にも渡ってエッセーを書くうちに、エッセーの冒頭で提示した着地点を忘れてしまったのだろう)。

 しかも最終回は、「なんだかそれらしいシメ」にするために、「死んだスミスが輪廻転生して、僕に謝ってくれないかなぁ」とかいうポエミーで上から目線な妄言で原稿用紙を埋めることに腐心していて、文章のクオリティが著しく低くなっているのが、どうにも。


▼まとめ:

 長々と書いてきたが、結論としては、既に冒頭で述べたように、「クリエイターとしてはさておいて、パトロンとか、ディレクターとしての岡田斗司夫は、評価すべきじゃないかと、個人的に思うが、別にキミが同意する必要はない」という感じで。


 あと何かいいたいことはありますか。

 『マンガ学』の後書きによると、帰国した岡田が、『Understanding Comics』を竹熊健太郎に見せたら、夏目房之介、大月隆寛らを紹介されて、彼らに「岡田さん、こりゃあ、翻訳するしかないですよ!」といわれたのが、『マンガ学』の制作の動機になった……とあって、更に後書きの最後では竹熊、夏目らに喜んでもらうためにこの本を作りました! 的にラブコールを送っているのですが。

 はい。

 ……『マンガ学』が刊行されたのが、1998年でね。

 んで、冒頭の竹熊健太郎のツイートを読む限りは、この1年も前に竹熊健太郎は“岡田斗司夫氏と決定的に決裂”してるのよ。

※決裂のきっかけとなった竹熊の著作『パラノ/スキゾ エヴァンゲリオン』は、1997年には既に刊行されてた故。

 つまりはこの後書きは、岡田から竹熊への「届かなかった2年越しのラブレター」なわけで。

 ひどく痛々しいものを読んだ、と思いました。

 そうですか。

<完>

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●俺メモ:アシュラマンの父の腕の本数の変遷。

2014.12.02 Tue

 こう、現在、Web上で好評連載されてる『キン肉マン』で、遂にアシュラマンが登場して、個人的にテンションマックスな今日この頃ですが。

 いや、はぐれ悪魔コンビ大好きなのよ。個人的な『キン肉マン』ベストバウトは「マッスルブラザーズvs.はぐれ悪魔コンビ」だし。

 で、今回のエピソードでは、従来のキン肉マンではあんまし掘り下げられてこなかった、アシュラマンの故郷であるところの「魔界」方面にスポットが当たっておるのですが。

 これが、今週更新分の『キン肉マン』で、個人的に前々から気になってた魔界関連の事柄について、一応の「現時点での結論」が出てたのな。

 その「個人的に前々から気になってた事柄」っつーのは、「アシュラマンの父親の腕は何本なのか」っていう、実に物語の本筋とはまるきし関係のないソレなのですが。

 まあ、ともかくも、長年オイラの心の隅に引っかかっていた事柄に答えが出た喜びを表すため、現在に至るまでの「アシュラマンの父親の腕の本数」の変遷について、『キン肉マン』のコミックスなどから画像を引用しつつまとめてみた、そんなエントリ。


 ちなみに、アシュラマンの父親って、作中では「大王さま」としか呼ばれてない様ですが、キン肉マンの父親が「キン肉大王」なのにならって「アシュラ大王」と呼ぶべきなのですかね(どうでもいい)。


・初登場(回想シーン)

 アシュラマンの父親のファースト・アピアランスは、『キン肉マン』第20巻P58、「夢の超人タッグ編」での「マッスルブラザーズvs.はぐれ悪魔コンビ」戦中盤での、アシュラマンの回想シーンになる。

 具体的には、コレ。



 回想シーンということで、作者のゆでたまごではなく、アシスタントの誰かに描かせたと思しき微妙な絵での初登場。



 切れ長の目にクマドリ、牙の生えた口という、「ゆでたまごの悪役」っぽくない顔つき。

 この初登場時のカットでは、アシュラマンの父親の「腕」は、片側4本が描かれており、すなわち左右合計で「8本腕」である。

 ただ、このカット、筆者個人は、「アシュラマンの父親を真横から描いた絵(=描かれている腕は左側のもののみ)」と認識しているのだが、人によってはこの絵を「アシュラマンの父親を背中側から見た絵」だと認識しているケースもある。

 そちらの解釈を採っている人にとっては、このカットで描かれているアシュラマンの父親の腕の本数は、左腕2本、右腕2本の、合計「4本腕」になる様だ。

(今回は面倒くさいので、このカットのアシュラマンの父腕の本数が何本であるかは掘り下げない)


・セカンド・アピアランス:回想その2

 その後、アシュラマンの父は、『キン肉マン』第20巻P111、やはり「マッスルブラザーズvs.はぐれ悪魔コンビ」戦の終盤、再度のアシュラマンの回想シーンにて2度目の登場を果たす。

 この時のアシュラマンの父親は、先のカットを描いたアシスタントではなく、ゆでたまご当人が描いている。アシュラマンというキャラクターを更に掘り下げるこの回想シーンを描くにあたり、やっぱり作者当人が描いておかねば、などと思ったのだろうか。



 このシーンのアシュラマンの父は、先のアシスタントの画をベースとしており、冠のデザインなども踏襲されているが、顔つきは、いかにも「ゆでたまごの悪役」といった雰囲気の、眉毛のない憎憎しい面構えにアップデートされている。

 ただ、このアシュラマンの父のセカンド・アピアランスのカットは、寄り気味のバストアップで、しかも手前に人物が描かれているため、「腕の本数」という本稿のテーマの参考にはならない。

 余談ながら、この回想シーンには、アシュラマンの学校の同級生が描かれているが(多分、アシスタント画)、彼らは「三面・4本腕」というフォーマットで描かれている。

 ……なのに、なんでかサムソン・ティーチャー(この時点では名前はなく、単に「家庭教師」とのみ呼ばれている)は、「一面・4本腕」で描かれているのだよなぁ。

 こう、アシスタントは、「アシュラマンと同族なのだから三面で描かねば」と思ったのに対して、作者当人はそんなことは気にしてなかったので、普通に一面のキャラクターを描いちゃった、とかいう感じだろうか(筆者の想像です)。


・サード・アピアランス:

 更にその後、アシュラマンの父は、『キン肉マン』第22巻P112、やはり「夢の超人タッグ編」の「マッスルブラザーズvs.ヘル・ミッショネルズ」戦で再登場する。

 この時のアシュラマンの父親は、セカンド・アピアランスに引き続き、ゆでたまご当人が描いている。その上、このシーンは「引き」のカットが多めなため、腕も確認できる。



 そんなわけで、このシーンでのアシュラマンの父親の腕の本数を数えてみると、明白に片側2本×2の合計4本腕である。マントで腕が隠れていて全容は分からない、という突っ込みも出来るが、まあ素直に4本腕と解釈していいだろう。

 ……個人的には、ゆでたまごが、先のアシスタントの絵を参考にしてアシュラマンの父親を描いたときに、クダンの絵を「アシュラマンの父親を背中側から見た絵」だと認識して、4本腕に描いてしまったのではないか、とか邪推しているが、これは余談。

 ついでにいえば、このシーンに登場する魔界の兵士は、サムソン・ティーチャーと同じく「一面・四本腕」である。多分、この前後の時点で、ゆでたまごの中で「魔界の一般人」のフォーマットは「一面・四本腕」ということになったのだろう。



 また一方で、これまでの回想では正面顔しか書かれていなかったアシュラマン母が、このシーンでは初めて側面が描かれており、「怒り面」も確認できる。魔界の一般人は一面だが、「魔界の王族」は「三面」、というのがゆでたまごの中のルールとして確立したのだろうか(推測ばかりですみません)。


 で、『キン肉マン』という作品には「超人のビジュアルは、初出時のものが絶対ではなく、後から描かれたより洗練されたビジュアルに上書きされていく」という特徴がある。

 初出時にはアゴ髭をたくわえてたバッファローマンや、やはり初出時にはアゴ髭を生やし、白地にT字マーク入りのパンツを履いていたネプチューンマン、最近では1週間でデザインが大変化したガンマンなど、「後から描き直された」ビジュアルの類例はいくらでもあるが、とにかく『キン肉マン』という作品のビジュアルイメージは、「後付けこそ正義」なのである。

(まあ、ビジュアルだけでなく、文芸設定も後付しまくりだが。「クモの化身」から「魔界のプリンス」になったアシュラマンとか)

 故に、アシュラマンの父親の「腕の本数」は、後からゆでたまご当人が描いた、このサード・アピアランス版の「4本腕」が、「正式な本数」だと解釈すべきであろう。


 ちなみにアニメ版『キン肉マン』でのアシュラマンの父親は、回想シーン、現在のシーン共に「4本腕」で統一されている。



(どううでもいいが、右のカットの手前にいる兵士は一面・四本腕で、ゆでたまごのフォーマットが踏襲されている)


 その一方で、なぜかバンダイから出ていた「キン消し」ではアシュラマンの父は「6本腕」で造形されていたりする。


 まあ、キン消し版はさておいて、原作版の『キン肉マン』におけるアシュラマンの父親の腕の本数は、上記のような理屈により、「4本腕」であったと解釈できた。

 できたのだ。

 ……先週までは。


・そして今週:

 で、今週の『キン肉マン』の、ジャスティスマンの回想に、数十年ぶりに登場したアシュラマンの父。

 ええと、『キン肉マン』第22巻以来の登場だと仮定して……(ここまで書いといてなんですが、実は「王位争奪編」や『キン肉マンII世』にアシュラマンの父親が登場していたかをチェックしておりませんで、そちらの方でアシュラマンの父親が登場していたらすみませんがご指摘ください<他力本願)、第22巻の発売がたしか1985年だから、29年振りの登場ですか。



 ゲェーッ! 6本腕!!(<様式美)

 しかも例のアシスタントが描いたファースト・アピアランス版のカットをゆでたまご自らリファインしてる!

 すなわち、「超人のビジュアルは、後から描かれたもので上書き」の理屈に従い、アシュラマンの父親の腕の本数の現時点での正解は「6本腕」だと!

(※単行本で修正されるかもしれないので、あくまで「現時点では」ね)

 ……と、いう訳で、長年一部の読者を微妙に悩ませてきた「アシュラマンの父親の腕は4本腕か8本腕か」という命題は、「実は6本腕だった」という、「正にゆでたまご」としか言い様のない結論が提示されたのでした。


 っつーか、アシュラマンの母親は、初登場以来安定して「4本腕」なのね。

 ていうか今気付いたけど、今週の『キン肉マン』のアシュラマンの父のリファイン版カットは「真横からの構図」でなく、「背中側からの構図」で描かれてるのよね。……やはり、ゆでたまごは、大本のアシスタントの絵を「背中からの構図」と解釈していた……?(<繰り返しますが、憶測ですので)


<完>
  
  

●どうでもいいフキダシのハナシ・その後。

2013.04.17 Wed

▼最近の覚え書き:

 こないだ(つってもかなり前ですが)のエントリで話題にしたレタラーという職業について、英ウィキペディアとかを参照してメモした諸々の情報を、貼り付けるだけ貼り付けてみるという、そんなエントリ(きちんとした文章に構成するヒマがない、ともいう)。

※つか、最初は日本のマンガとの比較とかの私見を書き加えてたり、しょうもないギャグとか挟み込んでたけど、死ぬほど長くなる&本筋見失うので辞めた(前半部にその痕跡が少々残っている)。

 そんな訳で、以下、箇条書き。


▼基本事項:

 レタラー(Letterer)というのはメインストリームのコミックブックに関わる作家の一員であり、主としてコミックブックのテキスト全般を担当している。

 具体的には、レタラーは、
・フキダシ(ワードバルーン)の形状とその配置場所を決定する。
・フキダシ内のセリフの文字組みを行い、級数、フォントの決定を行なう。
・画面内に擬音の描き文字(KABOOM!、SNIKT!とか)を描いていく。
・各号冒頭のページの作家クレジット(ペンシラー:キース・ギフェン、インカー:ロバート・ローレン・フレミングとかいうアレ)を組み、配置する。
・表紙に入るキャッチ、アオリなどの文字組みを行なう。
・各号のサブタイトル(「ウェン・タイタンズ・クラッシュ!」とか「デス・オブ・キャプテン・アメリカ:パート1」とか)のデザイン、レイアウトを行なう。
・コミック誌のタイトルロゴそのもの(『ジャスティスリーグ・オブ・アメリカ』『スーパーマン』『アクション・コミックス』等々)をデザインする。
・その他もろもろ(お便りコーナーのタイトルのデザインとか)。
 といった作業を行なう。

 特に各号のサブタイトルは、毎回デザイン的に工夫を凝らすものであり、レタラーのデザインセンスの見せ所となる。

 具体的には、「タイガー・タイガー・バーニン・ブライト!」とかいうサブタイトルの場合、書体を炎が燃えているような具合にデザインするとか(display letteringというやつだ)、水たまりの書かれている場所にサブタイトルが入る場合、絵に描かれた水面の揺らぎに合わせてフォントをくずすとか。


 ちなみに日本のマンガでは、
・フキダシの形状・位置:マンガ家が設定。中身のセリフもマンガ家が考える。
・フキダシ内のセリフのフォントや級数:編集者が指定して写植屋が文字を起こす。セリフの級数に関しては、マンガ家が原稿のフキダシ内に書き込む文字の大きさで大まかに指定されるが、細かなフォントまで指定するマンガ家は滅多にいない。
・擬音の描き文字:マンガ家もしくはアシスタントが描く。
・コミックのタイトルロゴ:外注のデザイナーが製作。
・クレジットやサブタイトル:セリフのついでに写植屋さんが担当。
 といった具合で、実は「文字周り」に関しては担当する人間がバラバラである。


 コミックにおけるレタラーのメインの仕事はフキダシ内のセリフを組んでいくことになる。レタラーは、フキダシの形、デザイン、大きさ、コマ内のどこにフキダシを置くかといったことに始まり、各々のセリフの書体、級数、文字組みと、フキダシとその中身に関する全ての事柄に対して責任を負う。

 無論、ライター側で「この単語はボールドにして強調してくれ」「ここは震えているような感じのフォントで」といった指定をレタラーに出す場合もある。これは作家個々人のやりかたであり、ぶっちゃけケース・バイ・ケースだ。

 コミックの製作過程におけるレタリングの工程は、デジタルの場合は大体「下描き(ペンシル)→ペン入れ(インキング)→レタリング→カラーリング」という順番になる。レタリングとカラリングは平行して行なわれるケースもあるし、これもケース・バイ・ケースだ。

 なお、デジタル・レタリングが導入される以前は、「下描き→レタリング→ペン入れ」という順番だった。

 アナログ時代のレタラーは、下描きを終えた生原稿の、任意の箇所にフキダシを描き加え、セリフを書き、描き文字を描いていった。レタラーがそれらの仕事を終えた後、インカーが原稿にペン入れをしていくことになる。

 なおアナログ時代には、ペンシラーがあらかじめ原稿内のフキダシや描き文字の入る場所に大まかに「アタリ」をとっておく場合もあった(シルバーエイジのDCとかはそんな感じだったという)。あるいはペンシラーが自由奔放に描いた絵の、適切な場所にレタラーがフキダシ他を挿入していく場合もある(これはシルバーエイジのマーベルとか)。

 レタラーの中には、原稿に直接レタリングを書かず、トレーシングペーパーを貼った上にレタリングを行なう者もいた。ペンシラーの原稿が全然間に合わない場合には、「こういうような絵になる予定なので、この辺にこういう大きさで先にフキダシを描いておいてください」といった指定だけがある場合もあったという。……まあ、とどのつまりはケース・バイ・ケースだ。


▼レタラーの歴史:

 1930年代末から40年代初頭にかけて、コミックブックというメディアは空前絶後のブームを迎えていた(いわゆるゴールデンエイジだ)。このブームに乗っかる形で、各出版社は毎月数十誌のコミック誌を送り出していた。

 ……ああ、「今の大手コミック出版社だって月数十誌のコミック誌を出している」というツッコミはもっともだ。だが、当時の月刊のコミック誌は1冊60~100ページくらいのボリュームがあり、1冊の雑誌に複数本のコミックや読み物が掲載される形式が主流だった。1冊2、30ページ程度のボリュームで、基本1作品しか載っていない現代のコミックブックと一緒にしてはいけない。

 そんなわけで、それだけのボリュームのコミック誌を、月に何十冊と出していくためには、効率的にコミックを製作していく手段が必要だった。そこで各出版社は、「分業制」を導入していく。

 こうして、ライター、ペンシラー、レタラー、インカー、カラリストという、現代まで続く分業体制が確立することとなった。

 当たり前だが、この頃のレタラーは、オール手書きで仕事をしている。出版社の中には、セリフに写植を使っていたところもあるが、最終的には手書きが主流となった様だ。何故に手書きレタリングが選択されたかの歴史は、筆者はよく解っていないことを正直に告白する。

 また最初期のコミックブックは、擬音などの描き文字をペンシラー、インカー側で描いていたりもしたが、これも最終的にはレタラーの担当になった。これも何時、何故そうなったのかは筆者には解らない。

※「解らない」のは筆者個人であり、海外ではきちんとその辺が研究されて、何時、何故、そうなったかが解明されている可能性はある。ただ、そこまで調べてるヒマが筆者にないことをご容赦いただきたい。

 ともあれ、この分業制は、ゴールデンエイジの大流行が終わった後も引き継がれた。1940年代後半には、コミックストリップやコミックブックのレタリングを生業とするフリーのレタラーや、そうしたレタラーが集まったスタジオも登場している。

 元々はレタリングを社内の専任のスタッフに任せていた出版社もあったが、そうした出版社も後には彼らフリーのレタラーに外注に出すようになっていった……らしい。この辺の歴史も筆者は良く解っていない。

 ……おそらくはコミックの技法が洗練されていくことで、レタリングに求められる「職人技」のレベルも段々とアップし、結果、社内の人間ではおっつかずに技量の高いフリーの外注に出してくようになったのではないか……と思う(筆者の推測です)。

 この、1940年代にはフリーランスのレタラーという職業が成立していたことは、個人的には非常に興味深い。すなわちそれは、コミックブックというメディアの、「レタリング」という1分野を担当するだけで、1人の人間が食っていけるだけの賃金がもらえていた、ということを意味する。

 やがて1950年代には、ギャスパー・サラディーノ、サム・ローゼン、ベン・オダといったフリーのレタラーがDCコミックス社やECコミックス、マーベル・コミックス、キングス・フューチャーといった大手出版社と仕事をしていく。

 この時期のレタラーは、作家というよりもレタリングの職人とでもいうべき存在ではあるが、こうして名を残しているレタラーがいたことは、割合大事なことだと思う。

 ちなみにベン・オダは日系人。コミック業界には戦後になって入ってきた人物で、大戦当時はアメリカ軍に従軍していた。奥さんのニシ・オダもレタラーだったそうだ。現在流通しているコミック用フリーフォント「オダバルーン」はベン・オダのレタリングをベースとした書体だとか。

 またレタラー兼ロゴデザイナーでもあったアイラ・シュナップは、1950年代以降、30年に渡りDCコミックス社のコミックスのレタリングを引き受け、同社のロゴタイプのイメージを代表することとなる。

 シュナップは『アクション・コミックス』『スーパーマン』『ザ・フラッシュ』『ジャスティスリーグ・オブ・アメリカ』といったタイトルのロゴをデザインした(あるいは、先行して存在していたロゴをリファインした)。彼はまた、DCの自社広告も手掛けている。

 しかしながら、シュナップの手がけたもっとも有名なデザインは、かのコミックス・コード・オーソリティの認可証だろう。

 1966年頃から、シュナップの古典的アール・デコ調のデザインは、有機的かつ情熱的な筆致のギャスパー・サラディーノのデザインに置き換わっていく。

 1970年代を通じ、ギャスパーは全部のDCのコミックブックの表紙のレタリング、ロゴデザインを担当した。その上彼は、偽名を名乗りマーベル・コミックのスプラッシュページのレタラーもやっていた。

 さらにギャスパーは1970年代後半から1980年代初頭にかけて勃興したアトラス・コミックスやコンティニュイティ・コミックス、エクリプス・コミックスなどのインディーズ系出版社の全タイトルのロゴデザインまで手がけた。

 ついでにいえばギャスパーは、1989年刊行のグラント・モリソン&デイヴ・マッキーンの怪作『アーカム・アサイラム』のレタラーもしている。あの気狂いじみたジョーカーのセリフのレタリングも、ギャスパーの仕事だ。

 やがて、大雑把に時代は下って1980年代。アップル社のマッキントッシュを中心に、デスクトップ・パブリッシング環境が徐々に発展していくと、それらはコミックスのレタリングにも波及していくこととなる。

 コンピューターによるレタリングを最初期に行った作家のうち1人は、かのジョン・バーンだ。バーンはライター、ペンシラー、インカーを1人でこなすマルチな作家だったが、コンピューター・レタリングの開発で、レタラーとしてもクレジットされるようにもなった(ちなみにバーンは色覚異常があるので、カラリストだけはできない)。

 バーンは1980年代初頭に既存のコミックの手書きのレタリングをスキャンし、フォント作成ソフト「FONTastic(なんてぇ名前だ)」を用いてデジタルフォントを作成していた。ただし初期のバーンは、他のアーティスト(デイヴ・ギボンズとか)のレタリングを許諾なしでフォント化して、少々モメたらしい。

 その後バーンはレタラーのジャック・モレリに「俺の書体でフォントを作ってみてよ」的なお願いをされ、彼の手書き書体をベースに新フォントを開発した。バーンいわく「大体1時間半で作った」らしい。

※アルファベットのフォントは、大文字・小文字52文字(26文字×2)と数字10文字、その他細々とした記号を作れば、最低限実用に足るフォントになるので、1時間半でフォントを作るのも可能っちゃ可能。これが日本語フォントだと、「かな」と「カナ」だけで100文字以上作る必要があるし、最終的には漢字まで網羅しなきゃならないので……。

 バーン以外にも、1980年代に個人でデジタルフォントの導入を試みていたレタラーはいたが、表に出てきていないため、具体的なところは不明(というか、やはり筆者が調べるヒマがなかった)。


 コンピューター・レタリングが真にスタートしたのは、1990年頃、スタジオ・ダイダロスが最初の商用コミックブック・フォント「ウィズバン」をリリースして以降だとされる。

 さらにその後1992年、レタラーのリチャード・スターキングスによってコミック業界に本格的にデジタル・レタリングの波がもたらされる。

 このスターキングスは、本人の述懐によれば、スケジュール管理に難があり、「オフィスを編集部から遠くに置けば締め切りが長くなるんじゃね?」などと考えて、ロサンゼルスに住んでたとかいう人物である(いやまあ、ネタだろうが)。

 そんな訳で、元々手書きのレタラーだった彼がデジタル・レタリングを導入したのも、「手書きだと締め切りに間に合わないので、効率的なやり方を考えた結果」だったという(これはまあ、半分くらいはネタではないだろう)。

 で、このスターキングスと、相棒のジョン・ローシェルが後に立ち上げた会社が、現在の商業用デジタル・コミックブック・フォントの大手「コミクラフト(Comicraft)」であった。同社の作ったコミックブックのフォントは、いまやDC、マーベル、ダークホース、イメージ他の大手出版社が利用している。

 スターキングスによれば、彼が1992年にデジタル・レタリングを導入したことは、“正にパーフェクトなタイミング”だったという。

 まず1992年当時のコミック業界は、無闇なバブル景気(スペキュレーター・ブームとも)に沸いており、DC、マーベルの大手2社は「出版点数を増やすことで、自社のコミックの売り場面積を広げる」という頭の悪いやり方で競い合っていた。なので、レタラーの需要も高かった。

 その一方で、1992年に創設された新興出版社イメージ・コミックス社(大雑把に言えばマーベル・コミックス社のトップ・アーティストが同社を抜けて創設した会社)は、自社のコミック製作体制を整えるために、大金をばら撒いてフリーのレタラーに仕事を振っていた。結果、ヨソの仕事をしなくても充分生活できるようになったレタラーたちは、イメージ以外の会社の仕事を引き受けなくなっていた。

 そんな訳で、当時の大手コミック出版社は、「レタラーにどんどん仕事を振って、コミック誌をどんどん創刊しなきゃならない」という事情があったにも関わらず、「一流どころのフリーのレタラーは、誰も仕事を引き受けてくれない」というような状況下にあった。

 で、主にマーベル・コミックス社と仕事をしていたスターキングスは、デジタルを導入することでレタリングの仕事を適切に、素早くこなしていき、レタラー不足にあえぐマーベルの需要に応えた。

 当時のマーベルの編集者ボブ・ハラスは、コンピューターによるレタリングには反対だったが、上記のような事情による深刻なレタラー不足の結果、自身が担当していた『X-メン』関連誌9誌全てのレタリングをスターキングスに振ることとなった。ショー・マスト・ゴー・オンというヤツだ。

 そんな具合に、「導入に反発してたら、そもそも仕事がこなせない」という異様な状況下で、浸透していったデジタル・レタリングは、やがて他のレタラーもデジタル環境を導入していったことで、広く一般化する。

 この手書きからデジタルへの移行は、イメージ・コミックス社内の1スタジオ、ワイルドストーム・スタジオ(後にDCへ移籍)が大手出版社に先駆けて着手し、その2、3年後にマーベル・コミック社もデジタル・レタリングへシフトした。老舗DCコミックス社は最後まで伝統的な手書きレタリングを維持していたが、最終的にデジタル化に踏み切った。

 そんな訳で、21世紀に入る頃には、大手のコミック出版社はほぼデジタル・レタリングに移行していた。

 フルデジタルのレタリングのノウハウが蓄積されていくと、職人的な技術や、専門的な知識がなくとも見栄えのするレタリングができるようになった。

 これを受けて、各コミック出版社は社内にコンピューター・レタリング部門を作り、優秀なレタラーが無数のデザイナーを統括するという社内デジタル・レタリングの体制に移行していった。

 結果、フリーランスの職人レタラーがコミックブックのレタリングのメインを勤めていた時代は終わりを告げることとなった。まあ世の中、そんなもんだ。


▼レタリングのツール:

 伝統的なコミックブックのレタラー(要はアナログ時代のレタラー)は、ペン、筆、インク、修正用ホワイト、それにレタリング用テンプレート(lettering guide)などの道具を用いてレタリングを行なっていた。

 1950年代に隆盛を誇ったECコミックス社の場合、レタラーにルロワ社のレタリング・セット(Leroy lettering set)を使わせ、セリフなどの書体を統一していた。ECのコミックブックのセリフの、独特の硬質な書体は、ルロワ・レタリング・セットの基本書体である。

※ルロワ・レタリング・セット:アルファベットの形に穴の開いたテンプレートを金属のニードルでなぞると、その動きに連動してペン先が原稿に文字を書くという道具。ペン先の移動幅を変えることができるので、書体の拡大縮小が自在に行なえる。形状に関しては「Leroy lettering set」で画像検索していただきたい。

 一方、「金がないが、作家に口出ししない」で知られていたB級出版社、チャールトン・コミックス社は、改造したタイプライター(手書き風フォント他、数種の書体が打てる高級機種だったらしい)を用いてコミックの原稿に直接セリフを打ちこんでいたという伝説がある(こういう伝説は事実かどうか検証するのは野暮なので、あえて詳細は調べない)。

 現在では、マーベル、DCほかの大手出版社のコミックブックでは、PhotoshopやIllustratorなどのドローイングソフトと、市販の「手書き風コミック・フォント」を用いてレタリングを行なっている。

 作業工程としては、インクまで終わった原稿をスキャニングし、その上に別レイヤーでフキダシや擬音の描き文字を置いていく。ペンシラーの絵の上にレタリングを描いていく“一発勝負”ではなく、時間の許す限りトライ&エラーができるのがデジタル・レタリングの利点だ。

 そういえば、かつて新潮社が出していた邦訳アメリカン・コミックスは、擬音の描き文字が日本語に置き換わっている、という特徴があったが、あれは要するに日本側でレタラー(に、相当する作業を行なうデザイナー)を用意して、描き文字のレイヤーを差し替えていたのである。

(アレは個人的には、心意気は認めるけど、やっぱアメリカン・コミックスは「BTOOM!」とかいうアメリカンな擬音で読んだ方が雰囲気出るよなぁ、と思った。確か、神楽坂の新潮社の近所にあった個人のデザイン事務所がレタリングしてたんだよなぁ……<どうでもいい)


 なお、最初期のデジタル・レタリングは「コンピューター上で文字を組み、出力したレタリングを原稿の上に糊付けする」という半アナログな方法をとっていた。だがデジタル・レタリングの発展と同時期に、コミックスのカラリングのデジタル化も進んだことで、「カラリングとレタリングをデジタル上で一括して作業する方が効率がいい」ということになり、レタリングはフルデジタルに移行。「糊付け」の時代は終わりを告げることとなった。

 また、デジタルが一般化した現在でも、手書きのレタリングの技術は絶えたわけではない。ベテランのレタラー、ジョン・ワークマンは現在も要望があれば原稿に直接手書きでレタリングを行っている。一方で彼は、ワコムのタブレットを用いてデジタル上で「手書きレタリング」を行う場合もある。要は、適材適所というやつだ。


▼その他:

 アメリカン・コミックスの伝統的な賞であるアイズナー賞、ハーベィ賞には「ベストレタラー部門」を設け、レタラーという作家の創作活動を称えている。……と、いっても前者は1993年、後者は1992年に創設された、まだ若い部門なのだが。

 それらの賞の創設された年代からして、レタラーという職業が「創作的な活動」として認知されるようになったのは、コンピューター・レタリングが導入されだした頃から、といっていいのではないかと思う。

 一応、1970年に創設されたシャザム賞には、ベストレタラー部門が設けられていたのだが、シャザム賞自体が1975年で終了してしまった。
  
  
 以上。
  
  

●俺メモ:キャプテン・アメリカの誕生した頃のアメリカとは。

2012.09.07 Fri

▼最近、調べようと思ったことなど:

 こう、「仕事が忙しくなくなったら、調べたいなぁ」と思うことをメモしておく感じな、まあ、俺の日記帳なエントリ。


 テーマは、「果たして『キャプテン・アメリカ・コミックス』が創刊されたときの、アメリカの市民の反応や、空気はどうだったのか?」ということ。

 でー、その辺を調べるにアタり、現時点で適当なネット検索によって知り得た事実関係をひとまず箇条書きにしてみる。

 そんなわけで。


▼以下メモ:

・キャプテン・アメリカが初登場した『キャプテン・アメリカ・コミックス』誌が創刊されたのは1941年初頭。同号のカバーデートは1941/3なので、まあ、実際の発行月は1941年1月くらいじゃないかと思われる(※コミック誌の奥付などに書かれているカバーデートは、実際の発行月と開きがあることが多い)。

・で、この時点でのアメリカは、第2次世界大戦に参戦してない。同年12月7日の、日本軍による真珠湾奇襲を受けて、アメリカは第2次世界大戦に参戦し、有志のミステリーメンによる義勇大隊オールスター・スコードロンが結成されることとなる(<待て、最後の一文待て)。

※追記:一応、説明をしておきますと、「オールスター・スコードロン」というのはDCコミックス社の出していた、第2次世界大戦を舞台としたコミックスのタイトルであります。刊行されたのは1980年代で、「あの当時のヒーローものコミックの主人公たちがみんな連合して枢軸国の脅威に立ち向っていたら」的なコンセプトのシリーズでした(ただし、枢軸国の勢力圏にはヒトラーがロンギヌスの槍を使って結界を張ってたので、ヒーローらは最前線にはいけないという縛りあり<行けたら戦争終わっちゃうからね)。

・もちろん、『キャプテン・アメリカ・コミックス』創刊当時のアメリカが、第2次世界大戦に参加する気運は高まってたことは否定しない。ただしそれは、「イギリス他の連合国を経済的に応援し、ドイツ他の枢軸国に対しては中立を保つ(要は何もしない)」といった具合の、経済的な、間接的な参加であった。

・こうした経済的な支援の流れは1939年制定の中立法(1939年中立法)が、それまでの「アメリカは完全孤立です! イギリスにもドイツにもソビエトにも等しく何もしません!」的なものから、「孤立は辞めて、輸出再開しようぜ!(ドイツには輸出しないけどね!)」的な方向にシフトしたことが発端な模様。

・つか、『キャプテン・アメリカ・コミックス』創刊の2ヶ月ほど後(1941年3月)には、輸出どころか「レンドリース法」に基づき、イギリス、ソビエト、中国他の連合国軍に対し、事実上無償で軍需物資を供給し始めている。


・が、これだけのことをしておきながら、アメリカの世論は「アメリカは参戦しない」という反戦派が主流だった。これは、1940年の大統領選挙でルーズベルト大統領が、「アメリカ国民を戦争に送らないこと」を公約にかかげてに三選を果たした影響が非常に大きい。

・選挙中もその後も、ルーズベルトは何かと「アメリカ本土が攻撃を受けでもしない限り、参戦しません」「アメリカのお母さんたち、あなたの息子さんは海外での戦争に送られたりはしません」とか繰り返していた。


・――まあ、日本軍によってアメリカ本土が攻撃を受けちゃったので、アメリカは参戦したわけだが。


・ここで推論:こう、キャプテン・アメリカというヒーローが、第2次世界大戦の頃に誕生したという点から、「アメリカに戦争をしかけてきた枢軸国に対し、アメリカの国旗の化身キャプテン・アメリカという、アメリカの正義を体現したヒーローを作り、マンガの中で活躍させてナショナリズムを訴えようとした」的な経緯で誕生したのだと思っている日本人は、案外に多いのではないかと、個人的に思っている。――ネットの書き込みとかを見た印象に過ぎず、確証などはないのだが。

・しかし、実際には、キャプテン・アメリカは、アメリカの参戦前に誕生したヒーローであり、アメリカの世論が「参戦はしないだろう」という空気の中で刊行されたものである。ここは、キャプテン・アメリカというキャラクターを語る上で、大事なことだと思う。


・疑問の提示:では、当時の人々は、このコミックに対して、どんな反応をしたのだろう。「そうだ! アメリカも参戦すべきだ!」だったのか、それとも「一応、アメリカは中立なので、そういうことは声高に言うものではない」といった具合か。――まあ、「人種や立場による」とかいう、結論になるのだろうが、そこは資料を見た上で結論づけたい。なのでそうする。


・ひとつのサンプル:「アメリカが参戦してない時期に発表された、ナチスドイツを批判したフィクション」といえば、チャーリー・チャップリンの映画『独裁者』がある。

・かの映画は、1930年代末から制作が開始され、1940年9月に公開された。この映画は、当時のチャップリンがハリウッドのスタジオに属してない、独立した立場にあり、なおかつ巨万の財を築いていたからこそ制作できた作品だとされる。――ヨソの会社だとそもそも作らせてもらえないし、予算も出ない。

・そしてこの作品は「アメリカとドイツが中立であるのに、あえてドイツを悪くいう映画は公開できるのか?」などと公開を危ぶまれていたようだ。また、チャップリンも“公開できなかったら破産する”覚悟を決めて撮影していたらしい。

・そして公開後は、一部の評論家からナチスを非難する箇所を批判された。一方で、ユダヤ人からは声援が送られた。こうしたことは『キャプテン・アメリカ』にも起きたのだろうか。どうだろうか。


・もう一つのサンプル(2015/11追記):1940年7月頃に刊行された「ライフ」誌の世論調査を見ると、この時点(※つい1月前の1940年6月にフランスはドイツに降伏している)で、すでにアメリカ市民の56%は「欧州戦線でドイツとイタリアが勝利するだろう」と考えており、66%の市民が「枢軸国が優勢になることでアメリカも危険にさらされるだろう」と考え、そして88%ものアメリカ市民が「軍備を増強すべし」と考えていることが解る。

・ただしこれらは、個人的には「枢軸国がアメリカに侵略してくるなら、軍備をもって対応すべし」的な考えがメインであったのではないかと思う。当時はまだ一応中立の立場をとっていたアメリカの中で、積極的に「ヨーロッパ戦線にアメリカ人の兵隊を送り込め」といったことを考えていた市民は、少なかったのではないかと、個人的には思うが、どうだろうか(「あなたは自説にこだわりたいが故にそう思うのだろう」という指摘は実に正しい)。

・なお、「諸外国の侵略に対し、我々自身のために、南アメリカを防衛すべきだと思いますか?」といった質問を見るに、当時のアメリカ市民は、枢軸国が攻めて来るのであれば、「大西洋側」からであると考えていたのだろう。まさかハワイが攻撃されて、太平洋が戦場になるとは。


・1つの視点:とてもぶっちゃけたことをいえば、『キャプテン・アメリカ』を創造したのは、ユダヤ系のアメリカ人だ。

・1930年代を通じて、ナチスドイツはユダヤ人を迫害してきた。それに対し、義憤を燃やしたユダヤ系のアメリカ人は、欧州で行われている戦争にアメリカも参加し、ナチスドイツを正してくれることを願った。

・そして、コミック作家のユダヤ系アメリカ人が、アメリカ的なコスチュームに身を包んだヒーローが、ナチスドイツと戦うというアイデアを思いついた。そんなわけで彼は、「ヒトラーを殴るキャプテン・アメリカ」という、かの有名な表紙イラストを「そうあって欲しい」との願いを込めて描いた。

・その原稿を受け取ったのは、ユダヤ系アメリカ人の経営する出版社だった。彼らはキャプテン・アメリカ単独のコミック誌を創刊するという、破格の待遇で扱った。

・そうして彼らはドイツに対して中立の立場をとり、欧州の戦争に参加しないアメリカに突きつけたのだ。「こうあって欲しい」という彼らの願いを。

・つまりキャプテン・アメリカは、「アメリカの正義を体現した存在」として作られたのではない。「アメリカに体現して欲しい正義を仮託した存在」として作られたのだ。


 ……とかなんとか。


・今後の方策:とりあえず、ジェラルド・ジョーンズの名著『Men of Tomorrow: Geeks, Gangsters, and the Birth of the Comic Book 』を、部屋の中から発掘して、「キャプテン・アメリカ」について触れられてる章を読もうと思った。あとカービィの伝記か。


・余談:キャプテン・アメリカよりも先んじて愛国的なコスチュームに身を包んだヒーローである「ザ・シールド」のオリジンは、第1次大戦時、アメリカに潜入したドイツのスパイによる「ブラック・トム大爆発」事件(実際にあった事件)で父親を亡くした青年が、薬物とX-線によって超人的な力を獲得。愛国的なコスチュームに身を包み、FBIのエージェントとして、アメリカ国内に潜入したスパイと戦う、というもの。

・「アメリカ国内に入り込んだスパイと戦う(=国外では戦わない)」という話型は、アメリカ参戦前のコミックにおける、適切な落としどころだといえる。

・そういえば、ゴールデンエイジのコミックスには、ヒーローが「アメリカに潜入した某国のスパイ」と戦う話が多いが、これは実際にブラック・トム大爆発事件という、ドイツのスパイが引き起こした大事件があったことで、「スパイがアメリカ国内に潜入している」「しかも、大規模な破壊工作をしようとしている」という話に説得力があったからなのだろうな、と、ザ・シールドのオリジンを調べている途中で気付いた。<ヲイ。


 以上。
  
  
Men of Tomorrow: Geeks, Gangsters, and the Birth of the Comic Book
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 ゴールデンエイジの基礎資料としてこの上ないノンフィクションなのでみんな読むよろし。作者はどうもボブ・ケーンが嫌いなようで、割と冷静にディスってて、読んでた俺もケーンが嫌いになったぞ。<ヲイ
  
  

●割と最近のライフェルド。

2012.05.16 Wed

▼最近のロブ:

 2月頃のニューザラマに掲載されてた、「イメージ・コミックスが20周年を向かえるに当たって、ロブ・ライフェルドに当時を回想してもらったよ」インタビューを、適当に訳した(どのくらい適当かというと、長々と書かれていた前書きをザックリ省略したくらい)。

 とりあえず、「ロック雑誌のアーティスト・インタビュー」風というか、インタビュアーが馴れ馴れしい口調で語りかけて、ロブがフレンドリーに答えてる感じで訳してみた。どうでもいいですが、ロブの一人称は個人的には「僕」なのです。

 しかし、過去の栄光を語る段になると、ロブがやたらと「僕の(my)」を多用するのね。これはとてもロブらしいなぁ、と思った。ウザイので微妙に削ったけど。


 今回訳しながら思い出したんだけど、オイラの初めての海外通販はロブ率いるエクストリーム・スタジオのバックナンバーを全部揃えるためだった。そして、初めて出したコミックの同人誌は『ヤングブラッド』本だった。どんだけ好きだったねん、当時。

 つか、当時そんだけ好きだったんで、今もロブを割と本気で支持してて、出されたコミックは漏らさず買ってんだけどね。

 オイラ的には、1990年代にイメージで精力的にクリエイター・オウンの作品を発表していたロブ・ライフェルド(当時もデッサン的には難はあったしスワイプもしていたけど、とにかくエネルギッシュで勢いのある絵を描いていた)という作家が大好きであったので、現状のロブに関しては「DCでの仕事をとっとと打ち切られて、『ヤングブラッド』他に集中してくれないかなぁ」と思う次第。

 ともあれ。




●ロブ・ライフェルド、1992年を回想し、クリエイターの権利を語る

ニューザラマ:やあロブ、まずは君らがマーベルを辞める直前を振り返ってみようか。君がマーベル/DC式のシステムを去り、イメージ・コミックスを創設するに至った最大の動機はなんだったんだい?

ロブ・ライフェルド:1992年にマーベルを去ろうとした動機かい? まず、僕のクリエイターとしての次なる発展の段階を求めて。それと僕の創作物を所有して、それらの行く末を僕自身が決められるように、ってところだね。
 仮に僕が『ニュー・ミュータンツ』と『X-フォース』のコミックスを数百万部売った後もマーベルに残っていたとしたなら……僕のキャリアは下る一方だったろうね。
 当時の僕はまだ23歳だった。僕は会社に僕の最高のストーリーとアート、それに創造物を送りだしていて、会社と僕は持ちつ持たれつの関係だった。
 僕はマーベルの雇用者として、やれるだけのことをやった。だからその次の段階として、僕の創作物をきちんと管理できる場で、僕の創造的なエネルギーを集中させるべきだと思ったんだ。
 僕は適切な場所、適切な時、適切な機会を求めていた。幸運なことに、僕には同様のことを感じていた仲間たちがいた――創造的な閃きを生みだすために力を合わせ、今でもそうあろうとしている仲間たちだ。

※仲間たち:一応解説しておくと、ライフェルドと共にイメージを創設した6人(計7人)のアーティストのこと。ロブ・ライフェルド、ジム・リー、トッド・マクファーレン、ジム・バレンティノ、エリック・ラーセン、マーク・シルベストリー、ウィリス・ポータシオ。


ニューザラマ:それは今もイメージ・コミックスの存在する動機であり続けてるのかい? それとも、“使命”は変わった?

ライフェルド:全くもって、今も同じ動機さ。
 15年前にキャピタル・ディストリビューションが消滅したことによる流通の条件と状況の変化によって、イメージのような会社の再来は不可能になった。とはいえ、僕らが作り出したレーベルは、次の段階に進もうとしているグループや個人にとって重要な意味合いを持つものとして存在しているよ。

※キャピタル・ディストリビューション:正確には「キャピタル・シティ・ディストリビューション」。イメージ設立当初は、業界第2位のコミックス流通業者だった。1996年に経営が破綻し、業界第1位のダイアモンド・ディストリビューションに買収された。長くなるので詳細は巻末のオマケを参照。


ニューザラマ:コミック業界にとって、イメージ・コミックス創設の伝説はどんな意味を持ってると思う?

ライフェルド:イメージの伝説は、創作の幅を拡げることを望む作家らが2大出版社に対して取りうる重要な選択肢になったね。


ニューザラマ:うーん、とてもシンプルだね。話を戻すけど、イメージの創設は君のキャリアにとってどんな意味合いがあったと思う?

ライフェルド:全てさ。あれは僕のキャリアにおいて唯一にして最も重要な決断だった。


ニューザラマ:さっき、イメージ・コミックスが唯一無二であり、キャピタル・ディストリビューションの消滅がそれに大きく関与してるといったけど、その理由を説明してもらえるかな?

ライフェルド:キャピタルは倒産する前までは業界第2のコミックス流通業者だった。彼らはイメージのような人気出版社のコミックスの流通を確保できるよう、僕らに扶助金を出してくれてたんだ。ただ、起業を考えてる作家たちにとって残念なことに、この扶助金はもはや得られない。イメージの再来はないというのは、僕の私見じゃない。単なる事実だ。
 ビジネスは変わってしまい、そうした扶助はもはや存在していない。だから、次世代のイメージは、今のイメージ・コミックスを通じて誕生することになるだろう、なぜなら、イメージの条件は、業界でもベストだからだ。

※イメージ・コミックスは、ずいぶん前から「自分のコミックを出版したいけれど、出版社を立ち上げるほどではない」作家のオリジナル作品の出版・流通を代行している(もちろん有償だが、ライフェルドいわく「業界でもベストな条件」らしい)。ライフェルド的には、そうしたイメージを通じてコミックを発表している作家たちから、次世代のイメージ・コミックス的な存在が生まれると考えている模様。


ニューザラマ:OKわかった。つまりは君の動機ってのは、君が次の段階に行く準備ができてたからだった。ところで君は、大会社での創作の自由の限界については感じていたかい? 僕らがトッド・マクファーレンにインタビューしたとき、彼は「1992年より前のマーベルとDCでは、クリエイターらがコミックスの編集方針に関わることは希だった」といっていたんだ。そうした決定は、作家抜きで行われてきた、とも。それは本当かい? 今はどうなんだい?

ライフェルド:時にイエス、時にノーだね。そもそも僕とトッドでは状況が異なるしね。
 僕は大概、新規のキャラクターの舵取りに関わっていた――そう、誰もケーブル、デッドプール、シャッタースター、ドミノ、フェラル、ケーンのことなんか知らなかった。それらは全て僕の頭からあふれ出した創造物で、故に僕はとてつもなく自由に彼らを動かせた。
 一方でトッドは会社で最も重要な、古典的なキャラクターを担当していた。なにせ彼は「スパイダーマン」を担当してたんだぜ? そりゃ、山ほどの不自由があったに決まってるさ。
 とどのつまりは、僕とトッドは異なる道を歩んできて、同じ場所に着地したってことさ。
 それで、僕のイメージでのゴールは、僕の次なるキャラクターを所有することだった。それまでの僕は既に充分すぎるほどの創造の自由を享受していて、そいつはとても素晴らしいものだった。だから僕は、もっとそれらに深く関わりたかった。そういうことさ。


ニューザラマ:ではロブ、イメージ創立以降、2大出版社での創造の自由は前進したと思うかい? 具体的にいえば、それらの変化は、君ら7人が1992年にしたことに影響されてると思うかい?

ライフェルド:100%その通りだ。特にマーベルは。彼らは作家らに気前よく振る舞わねばならなくなった。結果、マーベルで仕事をしている奴らは、よりよい報酬を与えられている。ま、僕はDC出身じゃないから、DCについてはどちらともいえないけれどね。


ニューザラマ:イメージ・コミックスの創設はコミック業界でのクリエイターの権利にどのような影響を与えたと思う?

ライフェルド:イメージの創設は、コミックスの歴史において最も成功したクリエイター・オウンの運動だね。


ニューザラマ:現状のコミック作家の権利についてどう思う?

ライフェルド:これまで通りさ。「創造して、自分で所有する」「創造して、他者と共有する」そのどちらかさ。――他の作家と共有するか、会社と共有するかはさておいてね。


ニューザラマ:本当に、その2つに帰結する?

ライフェルド:選択肢は、いつだって同じさ。


ニューザラマ:アラン・ムーアが、DCと結んだ契約によってクリエイティブな権限を“だまし取られた”と考えていることは、とても重大なことだと僕らは思うんだ。それで、例えばアラン・ムーアの『ウォッチメン』や『V・フォー・ヴェンデッタ』が1992年以降に生みだされていたなら――もしかしたらイメージから出版されていたなら――、状況は異なっていたと思うかい?

ライフェルド:僕は 『ウォッチメン』での彼の実際の契約がどんなものか詳しくない。それらを見たり読んだりしたこともない。でも僕は、彼が『スプリーム』『ヤングブラッド』『グローリー』それに『ウォーチャイルド』を書く上でサインしてくれた1996年の雇用契約書については知っているつもりだ。
 アランは雇用者の立場で、物凄く沢山の作品を書いてくれた――おそらくは彼がクリエイター・オウンで書いたものよりも多く。そしてそれは、彼が申し出たことなんだ。
 彼は初期のイメージでの仕事で、新たな『ウォッチメン』や更なる『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』を生みだすこともできた。でも彼はそうしなかったんだ。
 彼が僕にしてくれた仕事は非常に素晴らしい。僕はかくも長きにわたって彼と一緒に仕事ができたことが嬉しいよ。

※アランは雇用者の立場で、物凄く沢山の作品を書いてくれた:この場合、それらの作品の著作権をムーアは持たず、彼と雇用契約を結んだライフェルドのスタジオ側に権利が帰属する。


ニューザラマ:最近のクリエイターの権利についての話題といえば、ムーア以外にはゲーリー・フリードリヒがコンベンションで「ゴーストライダー」の関連商品を売る権利について論議されているね。これは雇用者としてコミックを描く作家につきものの問題だと思うかい? 自分が生んだキャラクターを他の誰かが所有してるってのは、どんな具合だい?

※ゲーリー・フリードリヒ:「ゴーストライダー(ジョニー・ブレイズ版)」のオリジナルのクリエイター。劇場版『ゴーストライダー』の公開に前後して、同キャラクターの権利を巡りマーベルを訴えた。“コンベンションで「ゴーストライダー」の関連商品を売る権利”というのは筆者は知らないが、まあ、書かれている通りのことをして、揉めたか何かしてるのだろう。

ライフェルド:ゲーリーの権利については、僕は完璧に同情しているし、彼の苦境を憎んでもいる。クリエイターが被害をこうむっているところなんて、見たくないさ。やはり僕は「ゴーストライダー」についての彼とマーベルとの契約については詳しくない。その当時はもっとファジーだったろうしね。
 僕がケーブル、デッドプール、シャッタースター、ストライフ、ドミノ、X-フォースその他を生みだしたときにサインした内容はキッチリ覚えている。それで僕は、作品に関与できた範囲、関与できる範囲を知った。同時に、それらのキャラクターらを僕が所有できないという事実も知ったのさ。
 だから、僕が『ニュー・ミュータンツ』に新キャラクターらをもたらし、成功したことは、結果的にイメージの設立へ向けての燃料ともなった。それらの経験は常に僕と共にある。
「サインしようとするものを良く読んで、理解して」ってのが、僕の与えられる最大限のアドバイスさ。


ニューザラマ:80年代後半や90年代前半にコミックブック・アーティストと作家たちの組合を作ろうとした動きがあったそうだけど、映画業界やTV業界の作家組合に似た感じの「コミック作家組合」ってのは成立しうると思うかい?

ライフェルド:いいや、さほど希望は持てないね。あの頃が(組合が成立する)最大の機会だったんだろうけど、その頃ですら成功する望みは薄かった。抵抗が多すぎたよ。
 そしてキャラクターが人々の意識を支配している現代においては、クリエイターへの信頼は、あの頃以上に低くなっている。故に今後も成立することはないだろうね。


ニューザラマ:話はまた戻って、イメージがいかにして集ったかについて聞きたいんだけど。そもそも君ら7人はどのようにして集まったんだい? そして君個人はいかにしてその運動に加わることになったんだい?

ライフェルド:うーん、僕はその運動に参加したんじゃないんだ。なにせ、僕が運動を始めたんだからね。
 元々は、僕とエリック・ラーセン、それにジム・バレンティノがインディーズ・レーベルを作ろうと集まったんだ。トッドは僕らのそうした動きを最初から把握してて、僕らが準備を進めていることを知っていた。かなり早い段階で、彼は僕らに相乗りしてきて、僕らの運動に更なる燃料を注ぐこととなった。
 やがて、ジム・リー、マーク・シルベストリ、それにウィリスがこの舟に乗ってきて、この運動はモンスターと化した。
 で、僕は我慢できなくなって、マリブ・コミックスと提携して『ヤングブラッド』を出版してレーベルを始動した。いわば僕はモルモット、実験台、そんな感じだった。『ヤングブラッド』の初動が約50万部という結果が出て、僕らは僕らのしていることが成功しうることを証明した。

※マリブ・コミックス:当時、精力的に活動していたインディーズ系出版社。複数のレーベルを持ち、資金の少ない作家らのオリジナル作品の出版・流通の援助も行っていた。最初期のイメージの作品は、このマリブの出版・流通サービスを利用していたので、表紙にマリブのロゴが印刷されている。

 いいかい、僕は仲間たちの中じゃ、とびきりの若造だった。僕には嫁さんもなかったし、子供もなかった。……住宅ローンもね。
 一方トッドは数ヶ月前に最初の子供が産まれたばかりで、バレンティノは、その、5人ほど子供を抱えてた。ジム・リーは奥さんが妊娠中だった、エリックも……もう結婚してたんじゃないかと思う。そう、僕以外の面々は、その当時の僕には関係のない、様々な日常の問題に苦労していたのさ。
 僕は単に若く、精力的なクリエイターで、自分の機会を最大限に拡げる時をうかがっていた。あの頃の僕は、狭き門を正に見つけたところで、飛びこもうとウズウズしていた。30代のロブなら、そんな20代のロブに“思いとどまれ”って説得してるところさ――もちろん40代のロブでもね。
 で、仲間たちは、僕のセールスを途方もないものだと思ったけど、一方で彼らもそれに匹敵するか、それ以上のセールスを挙げられるという確信も持った。――本当さ、みんなそう思ったんだ。“俺ならもっと売れる”ってね。で、実際その通りになった。そう、僕が“フォース”を束ねるのは運命だったんだ。


ニューザラマ:ふーむ、君の“『ヤングブラッド』が7人の絆を結んだ”話を聞くに、その後君らがマーベルのオフィスに押しかけ、会社を辞めたのは自然な流れだったんだね。でも例えば、マーベル側がいくらかの要求を呑むことで、君がマーベルに残留していた可能性なんてのはあったかい?

※マーベルのオフィスに押しかけ、会社を辞めた:イメージ・コミックス創立のきっかけとなった伝説のイベント。1991年12月のある夜、当時のマーベルの社長テリー・スチュアートのオフィスにライフェルド、リー、マクファーレン(ついでにマクファーレンの奥さんワンダと生まれたばかりの長女サイアンもいたらしい)が押しかけて、「僕たちがクリエイター・オウンの作品を描ける体制を作ってくれ、さもなくばマーベルを辞める」と直談判した(そして交渉決裂した)。

ライフェルド:いや、全く。さっきもいったように、僕はマーベルにとどまっていたら、下り坂にしか向かえなかったんだ。彼らは僕に次なるタイトルを創刊させる準備にかかってて、アセテート・カバー(※プラスチック製の表紙。1990年代中頃に流行った)で100万ドルの売上げを生み出せるのかを検討していた。
 強調しておきたいんだけど、ジム・リー、トッド・マクファーレン、それにライフェルドだけが、マーベルで100万部ものコミックを売ることができたんだよ。僕らはファンに偉大なる経験を、コミックブックの新しいフレーバーを与えることで、それを達成したんだ。
 当時はみんな、全てはマーケティングの成果だっていってた。それらは簡単に操作でき、再現できるものだって。だけど、再現なんてできはしなかった。確かにマーケティングも大事さ。けれど僕らは単なるコミックが、より大きな熱狂を生み出せることを証明したんだ。

※ジム・リー、トッド・マクファーレン、それにライフェルドだけが、マーベルで100万部ものコミックを売ることができたんだよ:この3人の部数の話についてはウチのブログのこちらのエントリも参照のこと。

 その良い例が『ニュー・ミュータンツ』第100号だ。こいつは18ヶ月も前から瀕死の状態で、生命維持装置に繋がれてたシリーズの最終号だった。僕らには何のギミックもなかった。カバーはビカビカしてないし、ヴァリアント・カバーもなしだ。単なるコミック、単なるカバーさ。
 でもこいつは、馬鹿みたいに売れた。――およそ60万部だったかな。売り切れて、3度も再刷された。ゴールド、シルバー、ブロンズ・エディションと出て、100万部を超した。これは、僕らがこの本の中、ストーリー上で築いたものが――新チームと新鮮なアイデアが、エキサイトを生み出したんだ。蛍光塗料のカバーかなんかから生まれたもんじゃない。
 事実をいおう。ジム、トッドと僕はイメージでも100万部の売上げを連発した、一方マーベルは、あれ以来(100万部を)出していない。彼らが映画で莫大な成功を収めている現在において、この事実はより重大な意味を帯び始めると思うね。
 当時の僕らは創造的な活力を持っていて、門戸は開かれていた。――ここで在野の若き才能に僕から助言させて欲しい。まず、「開かれた門戸ってのは、さほど長くは開いてない」ってこと。それと、ちょっとしか開いてないんだから、「開いてたら飛び込め」ってことさ。
 僕はこの10年の間、少なくとも1ダースの才能が完璧に開かれたチャンスを無駄にしているのを見てきた。彼らは次の創造的な飛翔を前に、非常に怖じ気づいてたか、あるいは見せかけの安寧に陥っていた。
 ああ、いつだってリスクはあるさ。でも、門戸が開いた時には、リスクを負わなきゃならないんだ。僕にとっては、1992年の時点でマーベルにとどまるってのはありえない選択肢だった。僕は僕のキャリアの次の段階を築かなければならなかったからだ。


ニューザラマ:トッドは、あなたたちがDCのオフィスも訪れてたといってたんだけど……。DCが適切な契約で君らを引き抜けた、ってことはありえた?

ライフェルド:僕はDCのオフィスに行ったことはないよ。多分、それには僕は呼ばれてなかったんだろうね。面白そうな話だけど、僕は知らないよ。当時僕らはDCと、彼らのキャラクターを扱った企画について話したことはある、でも、ほんの短い期間さ。


ニューザラマ:あれから20年がたつけど、イメージ創立当時の経験で、何を一番覚えているかい? 20年前を振り返るに――何が頂点だったと思う?

ライフェルド:あれは僕が今までコミック業界で経験した中で、もっともエキサイトな出来事だった。イメージの団結は空前絶後の嵐を生みだした。僕らは業界の誰もが忘れられないエキサイトに達したんだ。特にファンがね。
 僕らはファンのためのコミック出版社だった。彼らが僕らのキャリアを支え、僕らの成功を導き、僕らを頂点に押し上げてくれたんだ。
 そう、実にとてつもなかったよ。ゴールデン・アップル(※ロサンゼルスにある、著名なコミックショップ)で開かれた僕のイメージ・コミックス初のサイン会はね、1000人以上もの人が建物をぐるりと囲んで、店の裏手、隣のブロックまで伸びていったものさ。会は6時間もかかって、実にクレイジーなお披露目パーティだった。イメージは全てを変えてしまったんだ。
 このエキサイトが僕にとって最高潮だった。コミックに関わる全ての人々から受けたあの熱気……。あれはコミックスにとって真にスペシャルな時だったね。


ニューザラマ:当時のコミック業界からの反応はどうだった?

ライフェルド:うーん、イメージは、いわば“逆転サヨナラホームラン”で、業界の全てを変えてしまったんだ。そう、1992年8月に、7人の男たちが7つのコミックスを生みだしたことで、業界ナンバー2のコミック出版社が誕生してしまったのさ。
 そこに満ちていたのは疑念(僕らのね)、パニック(僕ら以外の出版社のね)、そしてファンと小売業者からのエキサイトだった。
 僕らは当時のイメージが到達したようなレベルの成功は想像だにしていなかった。本当さ。現実に対して、僕らの創造していたものは、遥かにちっぽけだったよ。そう、あれは、その一部であったことを誇りに思える、偉大な旅立ちだった。

※“逆転サヨナラホームラン”:原文では「the shot heard 'round the world」。まあ、意味は各自ググれ。


ニューザラマ:イメージとクリエイターの権利双方において、次なる20年に何を望むんだい?

ライフェルド:その辺の似たり寄ったりのコミックスよりも、よりエキサイティングなコミックスを見たいと思うね。お定まりの、教科書通りのもろもろにはもう飽き飽きしているんだ。
 単に、良いコミックブックが見たい。そしてそれらがクリエイター・オウン発だったなら、うん、そいつは実にファンタスティックだね。
 僕はコミックブックを愛している。それだけだ。僕はスコット・スナイダーの『バットマン:ザ・コート・オブ・オウルス』が、DCから出てるからといって嫌いにはなりはしない。そして、ブライアン・K.ヴォーンの『サガ』なら、どんなとこから出てようが愛せてたと思う。僕は単に良いコミックブックを求めてるんだよ。
 もしも作家らが自由な創造の場を与えられたなら――スナイダーやヴォーンのように――それは僕らの仕事全てにおいて良きことだ。委員会だか何だかから出るようなコミックは大概クズだよ。

※ブライアン・K.ヴォーンの『サガ』:『Y:ザ・ラストマン』他でおなじみ、ブライアン・K.ヴォーンが2012年から開始した新作。イメージ・コミックスから出ている。


ニューザラマ:では最後に……ロブ、イメージ・コミックスが20周年を迎えるにあたって何かいいたいことは?

ライフェルド:僕はイメージが導いてきた全てを、心の底から誇りに思う。イメージが1992年に在ったことは、業界全ての人々にとっての偉大なる成果だ。




▼オマケ:キャピタル・シティ・ディストリビューションの解散の流れ:

 キャピタル・シティ・ディストリビューションは、1990年代初頭までは、ダイヤモンド・ディストリビューションと並ぶ業界第2位のコミック流通業者だった。
 そのキャピタルが、何故にツブれたかというと……これが、当時のマーベル・コミックス社の行動が遠因だったりする。

 順を追って話すと、まずこの当時バブル景気に沸いていたコミック業界の中でも、ひときわイケイケだったマーベルが、1994年に業界第3位の流通業者「ヒーローズ・ワールド・ディストリビューション」を買収して、「自社で流通までも行っちゃおう!」としたのがそもそもの始まりになる。

 マーベルが自社流通を行うということは、従来の流通業者はマーベルの商品を扱えなくなる、ということだ(扱うにしても、卸値はマーベル側よりも高くなるので小売店に避けられてしまう)。この当時、マーベルはコミック業界で実に1/3ほどのシェアを誇っていたので、同社の商品を扱えなくなると、単純にいえば売上げが1/3減ることになる。

 実に、ひどい話だ(あまりにひどいので、後にキャピタルはマーベルを訴えたりもしている)。

 そんなわけで、売上げが激減することととなったダイヤモンドとキャピタルは、残った売上げを確保するために、DC、イメージ、ダークホースといったマーベル以外の出版社に対して諸々の便宜を図ることで、「販売特約」を結ぶ、という動きにでる。

 ――インタビュー中で、ライフェルドがいっていた、キャピタルから得ていた「扶助金」も、おそらくは「販売特約」のためにキャピタルがイメージに計っていた便宜の一環だろう。

 このダイヤモンド、キャピタルによる「販売特約」合戦は、最終的にダイヤモンドがマーベル以外の大手(DC、イメージ、ダークホース)と「販売特約」を結んだことで、キャピタルの敗北が確定する。

 結果、キャピタルは経営が破綻し、1996年にダイアモンドに買収された。

 しかも翌1997年、ヒーローズ・ワールド・ディストリビューションの経営も立ちゆかなくなり、マーベルはコミックの自社流通を辞めた(キャピタルにはいい迷惑だ)。

 そんなわけで、コミック流通業界はダイヤモンド1強になり、今に至る。

 なお、インタビュー中ではライフェルドはキャピタルを「倒産した(out of business)」といっているが、実際には上記のように買収されたのであり、倒産はしていない。
  
  
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