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●面白いけど人には勧めづらい本、とか。その1

2009.05.15 Fri

▼前書き、っぽいナニカ:

 こう、メモリーカード内のフォルダを整理してたら、またぞろ「昔書きかけて忘れかけてたテキスト」を発掘。

 今回のは「はじめてのXX」とかいう課題が付いてて、まあ、ゴールデンエイジあたりのアメリカン・コミックスの「はじめて」についてのトリビアルなソレ。

 こう、適当に手を入れて仕上げようとしたんだけど、このトリビアの引用元を忘れてる上に、「現在の定説でこれらの“はじめて”は覆っているのではないか?」という疑念がフツフツと沸いてきて、手が止まる。

 とりあえず、信頼性の高そうなモンだけ貼り付けてみる。


・史上初の“アメリカン・コミックス”は、1842年にニューヨークの地方紙「ブラザー・ジョナサン<Brother Jonathan>」の9月14日号の付録として付けられた、ロドルフ・テプフェール<Rodolphe Töpffer>作の『オバディア・オールドバック氏の冒険<the Adventures of Mr. Obadiah Oldbuck>』英語版。版型は8インチ半×11インチで、針金綴じ40ページ。
「ブラザー・ジョナサン」のパブリッシャーにして、19世紀初頭の著名な小説家であったジョン・ニール<John Neal>は、この作品が国際的に通用する新たな言語であると、高く評価していたとか。
※これが一番「もっともらしいけど怪しい」ネタではある。

・“愛国的な”コスチュームをまとった史上初のスーパーヒーローは、キャプテン・アメリカ……ではなく、MLJコミックス社の『ペップ・コミックス<Pep Comics>』創刊号に登場したザ・シールド<the Shield>[1940/1]。ちなみに2番目はその翌月くらいにフォックス・コミックス<Fox Comics>の『サイエンス・コミックス<Science Comics>』 創刊号に登場したザ・イーグル<the Eagle>。

・キャプテン・アメリカの初登場はザ・シールドに遅れること約1年、1940年12月20日に創刊された『キャプテン・アメリカ・コミックス<Captain America Comics>』[1941/3]。で、その同月にクオリティ・コミックス社<Quality Comics>から出た『フューチャー・コミックス<Feature Comics>』第42号[1941/3]には、既に初の女性の愛国的ヒーロー、USA:ザ・スピリット・オブ・オールド・グローリー<USA, the Spirit of Old Glory>が登場している(ちなみにワンダーウーマンの初出は半年以上後の『オールスター・コミックス<All Star Comics>』第8号[1941/12])。

・スーパーヒーローもののコミックで、初めて死亡したヒーローはザ・コメット<the Comet>。彼はその名の通りに彗星のように空を飛び(設定上は薬品の効果で凄く体重が軽くなってるだけなんで、「空を飛ぶ」ってよりは「跳躍」だけどな)、目から破壊光線を出すという超人で、MLJコミックス社の『ペップ・コミックス』の創刊号[1940/1]が初出。彼の連載は同誌の第16号まで約1年半続いた。
 そして翌17号 [1941/7]、新連載作品「ハングマン<Hangman>」の冒頭でコメットはギャングに撃たれて死亡する。これを受けてコメットの弟が、兄の敵を討つべく新ヒーロー・ハングマンとして活動を開始するのだった。……要するに、新ヒーロー誕生の踏み台として、以前からいるヒーローが殺されるというギミックは、ゴールデンエイジの時点で確立していたのである。

・史上初のコスチュームを着たヒーローは、リー・フォーク<Lee Falk>の新聞マンガ、「ザ・ファントム<the Phantom>」の主人公、ザ・ファントム。キング・フューチャー・シンジケート<King Features syndicate>の新聞マンガを掲載している各新聞の1936年2月17日発行号に登場した。
 また(新聞マンガではなく)コミックブックで初めてマスクを付けたヒーローは、1936年にクオリティ・コミックスから刊行された『ファニー・ページズ<Funny Pages>』第6号[1936/11]に初登場したザ・クロック<the Clock>。

・史上初の単一テーマのコミックブックは、DCコミックス社の探偵ものコミック専門誌『デテクティブ・コミックス』……になる予定だったが、同社の当時のオーナー、マルコム・ウィーラー=ニコルソンが資金繰りに苦心したために、刊行が数ヵ月ほど延びた。
 その間に、セントール・パブリケーションズ社<Centuar Publications>が、探偵ものコミック専門誌『デテクティブ・ピクチャー・ストーリーズ<Detective Picture Stories>』[1936/12]を刊行して一番乗りとなる。

・さて、史上2番目の探偵ものコミック専門誌となった『デテクティブ・コミックス』だが、その創刊号[1937/3]は、始めて「悪人」がカバーでメインを張ったコミックブックになった。
 この号の表紙には、当時の人気悪役ドクター・フー・マンチュー(イギリスの小説家サックス・ローマーの創造した、世界征服を企む中国人。この当時、映画化されて非常な人気を博していた)風のヒゲを生やした中国人の顔がデカデカと描かれていた。……ただし、この顔つきの中国人の悪人は、創刊号のコミック中には登場していない。
 ちなみにこの表紙イラストを描いたのは、同誌の編集者ビンセント・スリヴァン<Vincent Sullivan>。彼は元々はコミック・アーティスト志望で、『デテクティブ・コミックス』誌掲載の読み物の挿絵なども描いていた。
 ちなみにその後、DCコミックス社はフー・マンチューのライセンスを取得して、『デテクティブ・コミックス』第17号[1938/7]から、彼が主役のコミックを連載している(第18号では表紙も飾った)。これは“悪人”が主役となった初めてのコミックであった。

・アメリカン・コミック史上初の「イベント限定コミック」は、1939年にDCコミックスが発行した『ニューヨーク・ワールズ・フェア・コミックス<New York World's Fair Comics>』。その名の通りニューヨーク万国博覧会のみで発売された。また同誌は初めて25セントもの価格を付けて売られたコミックブックでもある(当時のコミックブックの一般的な価格は10セント)。
 が、その値段故に、このコミックの売り上げは芳しくなく、後に15セントに値下げされた。更にDCは、返品されたコミックを博覧会以外でも売り飛ばした(イベント限定を謳った品が余って、ヨソでも売られるのはこの頃からの伝統だったのだなぁ)。
 ちなみに同誌はDCコミックスの古参キャラの1人、サンドマンの初出号でもある。

 こんな感じ。


 でー、ですな。このテキストをまとめる上で、ゴールデンエイジ期のヒーローについて調べてたですが、

 ……なんか長くなったし、これからも長々と書くんで、一旦オワルか(<拾い食いの多いフリートークで本題に行き損なってCMに入る伊集院光か、お前は)。
  
  
 っつーわけで「その2」へ続く。
  
  

タグ:豆知識 資料本

●トラックバックと唐沢俊一の巻。

2009.05.06 Wed

▼前置き:

 もう、このブログもそれなりに長いことやってますが、「トラックバック」っつーもんが良く解らない。

 こないだ、Google書籍検索の記事を書いた時に、引用元の記事にトラックバックとやらをしてみたつもりが、どうもできてないっぽい。

 今回の記事も試しにトラックバックをしてみてるのだが、送れてるのかしら。
  
  
▼本題っぽいソレ

 えーと、4月の頭ですか。ウチのブログに珍しくもトラックバックがあったですよ。

 こちらのブログの、この記事から。

 まぁリンク先の記事を要約すれば、唐沢俊一が日記で、カート・ビュシークとスーパーマンについてのウンチクらしきものを書いてる、と。そのビュシークが挙げているとされる「スーパーマンは思春期のメタファーだ」的な論の引用がどうもアヤシゲだという感じで。
 でー、「スーパーボーイ」の設定について検索したらウチの昔の記事が出てきたんで引用&トラックバックをなされたようです。

 記事の結びとしては、色々ツッコみたいトコはあるけど、結局はカート・ビュシークの原文に当たりたい、けど出典元が書いてないので解らない、とかそういう具合。

 その後、続編の記事では、海外のコミックニュースサイトに掲載されたビュシークへのインタビュー(むろん英語)を引用して、この辺の発言を元に唐沢が日記を書いたんじゃないか的に、考察を進めてますが。
  
  
 でー。

 その、このトラックバック先の記事を読んだ時点でね、俺自身は、唐沢俊一が引用した原文がね、解ったんですよ。

 ブッチャケ、カート・ビュシーク作の『アストロシティ:ライフ・イン・ザ・ビッグシティ』の序文だよな、と。

『アストロシティ』なら、日本語版も出てているんで唐沢俊一でも容易に読むことができるし(※筆者は、唐沢俊一の語学力についてかなり過小評価しております)、多分ここから引用して、そしらぬ顔をしてるんだろう、と。

 これが1ヵ月前、クダンのトラックバック元の記事を読んだ時に思ったことでな。


 でー、その序文を確認しようと、邦訳版『アストロシティ:ライフ・イン・ザ・ビッグシティ』を探してたんだけど、手元になくてな。ようやく先日、実家に帰った折に本棚から『ライフ・イン・ザ・ビッグシティ』を回収して来たんですが。

 結論から言えば、ありましたよ。クダンの序文に、唐沢俊一が引用したとおぼしきブロックが。諸事情により引用はしませんが。


 ……が、『アストロシティ』を小脇に抱えて戻り、ブログを更新しようと思った俺さんは、とある事実に気付いたのですよ。

 クダンの唐沢俊一の日記が書かれたのは、2004年 12月 23日

『アストロシティ:ライフ・イン・ザ・ビッグシティ』の邦訳版が出版されたのが、2005年1月下旬(奥付は2005年2月6日)。

 『アストロシティ』の方が、唐沢俊一の日記の発言よりも後に出ている。

 これはどうしたことか。

「まさか唐沢俊一が時空を超えて引用を……!?」とかいうしょうもないことを一瞬考えたりもした筆者でしたが、真相は非常に単純で、単に「この邦訳版が原典ではなかった」っつー、ただそれだけですが。

 ……1ヶ月間、邦訳版『アストロシティ』を探した努力は無駄でしたね。ブッチャケ(涙)。


 でー、ですな。

 その、ちょっと古参のアメリカン・コミックスのファンの方なら覚えてるでしょうが、この『アストロシティ』のビュシークの序文(のみ)はね、邦訳版『アストロシティ』が刊行されるよりも前に、小田切博さんが翻訳して、自身のホームページ上にアップしてたですよ。

 オリジナルのホームページのキャッシュはちょいと見つからなかったんで、代わりに小田切さんがこれまた昔やっていた はてなブログの「箱男」に再録されたバージョンのウェブ・アーカイブ キャッシュへのリンクを張ってみる。


 クダンのトラックバック先の記事で突っ込まれてた「スーパーマンは思春期の擬人化」という特徴的な表現は、実は唐沢俊一発ではなく、小田切さんの訳したテキストにある言葉なのですな、これが。

 ていうか、この「思春期の擬人化」っていう表現を、唐沢俊一も使ってる時点で、唐沢が小田切さんのテキストを参考にしてる証拠になってる気もするが、どうか。

 ちなみに邦訳版『アストロシティ』では該当箇所は「スーパーマンは思春期の具現化」と訳されてますね。個人的には、こっちのニュアンスの方が好きかな。

 以上、どうでも良い発見をタラタラと書きたらしてみた。


 ……ていうか、クダンの唐沢俊一の日記の文章さ、わざわざカート・ビュシークの名前を出さずに、単なる一般論として「スーパーマンは思春期の具現化である」ってハナシをすればすむと思うねん。

 そもそも、あの日記の本題は『ミスター・インクレディブル』の感想っぽいんだから、別にビュシークの名前を出す必要ないし。

 まぁ、「僕は海外コミックにも詳しいのですよ」的な風を装いたくて、わざわざビュシークの名前を出したんでしょうが。――てか、ビュシークの名を出したおかげで「『アストロシティ』はマーベル・コミックス社から出てた」とかいう、恥ずかしい間違いを書いちゃってるですが(苦笑)
  
  
っつーワケで、カート・ビュシーク作品へのリンク

  
  

●どうでも良い解説:キリング・ジョークのラストのジョークについて。

2008.09.03 Wed

▼余計なお世話かもしれないが、あのジョークのオチを解説しよう、の巻:

 こう、突発的に『キリング・ジョーク』のラストでジョーカーの言ったジョークのオチについて(まぁオレ個人の解釈ではあるけど)、一度キチンと解説しとこうかと思った。

 ブッチャケ、某巨大掲示板の某スレッドに書き込みしようと思ってたねんけど、どうしても長くなるんで、面倒だからコッチで気の済むまで長々と書いちまえ、と思ってな。

 っつーワケで。

※以降の本文が丁寧語になってるのは、昔、このジョークの解説を書こうと思って書きかけてたテキストを流用してるからで、特に意味はないので気にするな。  

  


  
 さて、まずは件のジョークの全文を引用しますと、こんな具合です。

‘See, there were these two guys in a lunatic asylum
 とある精神病院に二人の男がいた

and one night... one night they decide they're going to escape!
 ある晩、二人はもうこんな場所にはいられないと腹をくくった 脱走することにしたんだ

So like they get up on to the roof, and there, just across the narrow gap,
 それで屋上に登ってみると、狭い隙間のすぐ向こうが隣の建物で……

they see the rooftops of the town, stretching away in moonlight... stretching away to freedom.'
 さらに向こうには、月光に照らされた夜の街が広がっていた……自由の世界だ!

‘Now the first guy he jumps right across with no problem. But his friend, his friend daren't make the leap.
 で、最初の奴は難なく飛んで隣の建物に移った。だが、もう一人の奴はどうしても跳べなかった。

Y'see he's afraid of falling...
 そうとも……落ちるのが怖かったんだ

So then the first guy has an idea.
 その時最初の奴がヒラメいた。

He says "Hey! I have my flash light with me. I will shine it across the gap between the buildings. You can walk across the beam and join me."
 奴ぁ言った「おい、俺は懐中電灯を持ってる! この光で橋を架けてやるから、歩いて渡って来い!」

But the second guy just shakes his head. He says...
 だが二人目の奴ぁ首を横に振って……怒鳴り返した

he says, "What do you think I am, crazy?"
「てめぇ、オレがイカれてるとでも思ってんのか!」

"You would turn it off when I was half way across."
「どうせ、途中でスイッチ切っちまうつもりだろ!」



 ポイントは、「最初の奴」の言ったこのセリフです。
Hey! I have my flash light with me. I will shine it across the gap between the buildings.
You can walk across the beam and join me.

 実は下線部「the beam」は懐中電灯の「ビーム(beam)」と「梁(beam)」がかかっています。

※「梁」というジャパニーズの意味がわからない人は辞書をお引きください。

 つまり「最初の奴」は、懐中電灯のビームでビルとビルの間に「梁」をかける、と言っていて、この光の「梁」の上を歩いてこっちに来いと言ってるのです。
(※うっかり「ビルとビルの間にかかっている梁を懐中電灯で照らしてやるので、こちらに来い」という意味に取ってしまわない様に)

 邦訳版だとここは「光で橋を架けてやるから」といった具合に、「梁」ではなく「橋」とした上で意訳してますね。


 さて、このテキストを読んでいるあなたは、とりあえず上記の発言に水平ツッコミを入れることを推奨します。なぜなら、光の上を人が歩けるわけはない。当たり前です。

 ですが、この男は真顔で「光の上を渡れ」と言っています。なぜならこの人はクレイジーだからです。わかりますね?


 さて、このクレイジーな男の発言に対し「二人目の奴」(無論、この人もクレイジーです)は、
「てめぇ、オレがイカれてるとでも思ってんのか?」と返します。

 1人目のクレイジーさんの「光の橋を渡れ」という常軌を逸した提案に対し、2人目のクレイジーさんが(自分もクレイジーなのにも関わらず)「俺をイカれてると思っているのか?」と返す。

 言うまでもなく、これはギャグです。こう、観客側がこのツッコんでる二番目の奴に対し、「お前が言うな」と心中でツッコミを入れるタイプの考えオチですね。


 ……で、このツッコミでギャグが完結したと思いきや、「二番目の奴」は更に続けます。

 この最後の1行こそがこのジョークの本当のオチ、2段オチの2段目なのです。

You would turn it off when I was half way across.
「どうせ、途中でスイッチ切っちまうつもりだろ!」

 わかりますか? この男の言ってることが。

 わからない人(<昔のオレ)の為に補足すると、この男はこのように言ってます。
「どうせ俺がビームの上を歩いていって、途中までさしかかったら、懐中電灯のスイッチを切ってビームを消すつもりだろう!(そしてオレをビルから落とす気だろう!)」

 ……そう、実はこの男は「ビームの上を歩くことができる」ことについてはツッコんでない、むしろ光の上を歩けることを前提に話をしてます。

 つまり、先ほどの「俺をイカれてると思っているのか?」というセリフは、「ビームの上を渡れ」という発言自体へのツッコミではなかったのです。

 本当にこの男が心配していたのは「ビームの上を半分まで歩いていった所で、向こう側の男にビームを消されること」だったのです(なぜなら、向こう側の男はクレイジーな人で、そんな野郎を信じるのは「頭がイカれてる」奴くらいだからです)。

 つまりこのジョークは、気の違った提案、絵空事の提案に対し、ちょいとオカしげな響きのツッコミをしたと思いきや、実はそのツッコミ自体が、まるで見当はずれな方向に放たれていたという、二重、三重にクレイジーなやり取りがミソなのです。


 なお、作中のジョーカーは、直前のバットマンが言った、
「我々の関係を、殺し合いで終わらせたくないんだ」
「どんな不幸がお前の人生を狂わせたのか、それは知らない。だがもし私がその場にいれば……お前の力になれたかもしれない」
「だからもう自分を追いつめるな。苦しみを一人で背負い込むな」
「我々が殺しあう理由などない」

 という、一連の真摯なセリフを聞いたことで、このジョークを思い出しています。

 つまりクレイジー極まりないジョーカーに対し、それでも「我々が殺しあう理由などない」と手を差し伸べようとするバットマンの提案は、実は「光の梁を渡れ」という1人目の患者と同じくらい、クレイジーで常軌を逸した発言に過ぎないことを示してるわけですね。

 ですがジョーカーは、その提案をけして受け入れません。なぜなら提案者であるバットマンはクレイジーな奴であり、そんな奴を信じて光の梁を渡るのは、頭のイカれた奴だけだからです。

 かくて、この2人の気狂いの間の溝は、永遠に飛び越えられることはないのでした。
  
  



 ……てな感じに、オレはあのジョークを解釈してるのですが、どうか。

「いやその理屈はおかしい」等、意見をお持ちの方は、コメント欄にいただければ幸いです。

 以上。
  
  
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今回引用した日本語版のセリフはこちらの単行本より。
  
  
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こちらは今年頭に出た新装版ハードカヴァー。
アーティストのブライアン・ボランド自身が彩色を1からやり直してて、質感がむやみに向上してます。
オリジナル版と比べてみるのも一興(とりあえず、上のオリジナル版の表紙と見比べてみ?)。

  
  
※追記:まさか、これ書いた後で「新装版」の方が邦訳版で出るとは思わなかった。
  
  

タグ:アメコミ講座 邦訳コミック

●どうでも良いトリビア:シルバーエイジのマーベルの出版点数のハナシ。

2008.08.29 Fri

 発作的書き逃げシリーズ。

 まぁ、このブログ、「書き逃げ」のカタマリですが。


▼どうでも良いトリビア:
 1950年代後半から1960年代後半にかけてのマーベル・コミックス社は、
 新雑誌を創刊したくてもできなかった。


 ソー(『ジャーニー・イントゥ・ミステリー』初出)や、アイアンマン(『テールズ・オブ・サスペンス』初出)、スパイダーマン(『アメージング・ファンタジー』初出)など、シルバーエイジのマーベル・コミックス社の人気ヒーローは、いずれも怪奇・SFコミックス誌に掲載された短編で、その初出を飾っている。

 何故か。

 理由はしごく単純で、当時のマーベル・コミックス社が「月8冊以上のタイトルを刊行しない」という契約を、流通会社との間に結んでたからである。

 何故、そのような契約を結んでいたかというと、1950年代のマーベル・コミック社(当時はアトラス・コミックスだったかも知れないが、面倒くさいのでマーベルで統一する)の経営が常から不振で、「拡大路線に走ろうものなら確実にツブれる」と、流通業者に見なされてたからである。

 この契約が結ばれた発端は、そもそも1957年10月に、当時のマーベルのコミックスの流通を担当していたアメリカン・ニュース社<American News>が倒産したことが遠因である。

 結果、マーベルは自社のコミックの流通会社として、新たにインディペンデント・ニュース社<Independent News>と契約を結ぶことになる。

 で、このインディペンデントは、マーベルが明日にもツブれそうな経営状況にあることを見て取り「月8冊までしか流通させない」との制限を課した。

※ちなみにインディペンデントは、DCコミックス(当時はナショナル・コミックスだっけか)の子会社だったりするが、別にDCの競争相手であるマーベルにイジワルしてたワケではない。

 要は、シルバーエイジのマーベル・コミックスは、いくらスタン・リーが華々しく新ヒーローを送り出したくとも、新雑誌を創刊させるキャパシティが無かった(正確には無いと見なされていた)のである。

 だから、新ヒーローの初出は『ジャーニー・イントゥ・ミステリー』誌などの、従来からあるアンソロジー誌を舞台とせざるを得なかった。

 だから、単独誌『アメージング・スパイダーマン』を創刊させるためには、既刊誌の中でも売れ行きの悪い『アメージング・ファンタジー』誌を休刊させる必要があった。

※ただし、元々SF雑誌『テールズ・トゥ・アストニッシュ』に掲載されたSF短編出身のヘンリー・ピム/アントマンのようなSF雑誌で初出を飾るべくして飾ったキャラクターもいるので、この時期のマーベルのヒーロー全てがジャンル違いな雑誌で初出を飾った、という訳ではない点には留意。


 逆にいえば『ファンタスティック・フォー』や『ハルク』といった、単独の雑誌を与えられた上で初出を飾ったヒーローは、当時のスタン・リーが、相応の自信を持って送り出したキャラクターだったのだろう(多分)。

 こうした因果を踏まえず、「シルバーエイジのマーベル・ヒーローズが、SF・怪奇雑誌で初出を飾った」という目に見えやすい結果に、何らかの意図や象徴を読み取ろうとするのは、その、どうかと思う。
  
  
 ちなみにこの制限は、1968年まで続いたそうである。

 筆者はその期間のマーベルの出版点数を正確に把握しているわけではないので、この期間のマーベルが本当に月8点しか出せていなかったかは確認できていない。

※コメント欄でアメコマー菅野さんが実例を挙げているので参照のこと。


 結果的にヒーローものがスマッシュヒットを飛ばし、マーベルは経営不振を脱せたのだから、この制限は年を追うごとに緩くなっていったんじゃないか? などとも思うが、実際どうだかは知らない。

 とりあえず、知ることのできた事実をのみ記す。
  
  

タグ:豆知識

●コミック原稿紛失世界記録、の話。

2008.06.12 Thu

▼どうでもよい豆知識:
記録として残っている、コミック作家の「原稿紛失枚数」世界一は、ジャック・カービィ。
その枚数は、少なく見積もっても6000ページ


 っつーわけで、雷句 誠先生はカラー原稿5ページ分をなくされたけど、世の中にはその1000倍もの枚数の原稿をなくされた作家もいるんだぜ、という、ウンザリするような豆知識。

 ジャック・カービィはマーヴル・コミックス社やその前身であるタイムリィ・コミックスで、『キャプテン・アメリカ』、『ファンタスティック・フォー』、『X-メン』、『ハルク』などを送り出した作家で、アメリカン・コミックス業界の“キング”として知られる人物。
 彼はマーヴル・コミックス社において、少なくとも8000ページ以上(一説では13000ページ)の原稿を描いたが、後年、彼がマーヴルから返却された原稿は約1900ページだった。
 実に6000ページ以上が紛失した勘定になる。

 この一件は、さかのぼれば1970年代に、マーヴルのライバル出版社であるDCコミックスが、それまで自社で管理していたコミック原稿を、作家たちに返却していったことに端を発する。
 現在では、当たり前である「原稿の作家への返却」だが、当時の(いわゆるメインストリームの)アメリカン・コミックス出版社では、原稿は出版社側が管理するのが慣例となっていた。
 このDCの活動は、競合相手であるマーヴル・コミックスにも影響を与え、やはり原稿を自社で管理していたマーヴルは、それらの原稿を順に作家たちに返却していく。

 ただしマーヴルは、原稿を返却するに当たり、各作家に対し著作に対する権利全てを放棄するという承諾書にサインさせた。
 権利全てを放棄するということは、返却されるべき原稿の所有権すらも放棄することに他ならないのだが、寛大なるマーヴルは、承諾書にサインした作家たちへの“贈り物”として、原稿を返却してくれた。
 何とも、お優しいことだ。

 ――やがて1984年8月、マーヴル・コミックスの上層部は、ジャック・カービィに対し88ページ分の原稿を返却することを提案する。
 打ち間違いではない。たったの88ページだ。無論、マーヴル・コミックス社の倉庫には、もっと沢山のカービィの原稿が眠っていたが、同社が彼のこれまでの功績に対し、充分な“贈り物”の分量としてはじき出した数字が88ページだった。

 無論、マーヴルは、「カービィが創作に関わった全てのキャラクターについて今後一切権利を主張しないこと」を記した承諾書も、カービィに送りつけた。
 ファンタスティック・フォーや、スパイダーマン(の原案)、X-メンなど、その広大なるマーヴル・ユニバースの基礎となる無数のキャラクターを生み出したジャック・カービィに対し、それらの功績に関する権利の一切を放棄しろ、と言ったのだ、マーヴルは。
 しかも、カービィに送りつけた承諾書は特別製で、「返却した原稿は、マーヴルの事前の許可なしに再録、複製、展示、売却することを禁じる」なんて条項まで付け足されていた。

 無論、カービィはこの条件を飲まなかった。


 翌1985年夏、コミック業界紙「コミックス・ジャーナル」がこの一件を取り上げた。「コミックス・ジャーナル」は続く号でもこの問題を扱い、カービィとマーヴルとの対立は、広く大衆の知る所となる。

 これを受け、ニール・アダムスやフランク・ミラー、ギャリー・トルードーといった当代一流の(そして反骨精神溢れる)作家たちは、カービィ支持を公然と表明した。
 その他のコミック作家の大半もカービィを支持した――マーヴルを敵に回すことを恐れ、公式にはそれぞれの立場を表明こそしなかったものの。

 更には同年11月19日、DCコミックス社の重役であるジャネット・カーン、ディック・ジョルダーノ、ポール・レーヴィッツの3人は、マーヴル・コミックス上層部宛てに1通の書簡を送った。
 その手紙に書かれていたことを要約するとこうなる。
・DCコミックス社は、カービィとその権利を支持する
・法律上、原稿の権利はカービィに帰属することは疑いようもなく、この件に関してマーヴルに議論や交渉の余地はない
・故に、可及的速やかにカービィに原稿を返却すべきだ

 カーンは元々児童向け雑誌の編集者で、ジョルダーノはアーティスト兼編集者からDCの重役に上り詰めた叩き上げの人物、そしてレーヴィッツはそのジョルダーノ門下でライター兼編集者として活躍し、ジョルダーノに続いて重役になった人物だ。彼らはDCの重役連でありながら、現場の事情、作家側の事情に通じた人間であり、それ故、カービィに肩入れした。

 コミック・ファンたちは、特に、カービィがマーヴルで手がけた作品を読んで育ってきた世代のファンは、コンベンションやファンジンなどでこの事件を語り合った。コミック・コンベンションでマーヴルのパネルが開催されると、ファンたちは最新作の情報よりも、原稿返却についての質問をパネリストにぶつけた。

 やがてマーヴルは、過去にカービィが取り交わした契約書に基づき、彼の描いた原稿の権利はマーヴルに帰属するとの声明を発表した。が、1978年に改定された著作権法では、原稿の権利は法律上はカービィに属していた。
 ちなみにマーヴルは、この著作権法の改正にあわせて自社の契約書の文言を修正し、契約に同意した作家が自動的に作品に関する権利を放棄するようにしていたのだが、幸いカービィは、契約更改時に新契約書のからくりに気づき、マーヴル・コミックとの再契約を拒否していた(その後DCコミックスに移籍している)。

 その後もしばらく、マーヴル・コミックスの上層部や弁護士たちはゴネ続けたが、結局、作家、ファン、業界誌、それに競合会社までもが一丸となった抗議活動に折れ、カービィに原稿を返却することとした。
 双方の弁護士を交えた数ヶ月に渡るやりとりを経た後、マーヴル・コミックス社は1987年5月に、同社の倉庫に残っていた約1900ページ分の原稿をカービィに返却する。
 残りの数千ページの原稿の行方は不明だった。


 1970年代後半から1980年にかけて、マーヴルの倉庫に収められた原稿の目録を制作していた人物によれば、マーヴルの重役の間では、倉庫内の原稿袋から数ページを抜き、お得意さんへの“おみやげ”にすることが一般的であったという。

 また一部の原稿を収めた箱は、マーヴル本社の貨物用エレベーターのそばに――原稿の入った封筒をカッパらって、そのままエレベーターで逃げられるような場所に――無造作に放置されていた。
「あそこから流出したらしい原稿は、よく出回っているよ」とは、事情通のコミック原画ディーラー。

 ちなみにその後、マーヴルは原稿返却に当たって承諾書を書かせるというやり方を放棄した。カービィの原稿が返却されてからしばらくして、ニール・アダムスが自身の原稿を返却するよう求めた際、マーヴルは書類の一枚もよこさず、黙って原稿を返却したという。
  
  

  
  

タグ:編集者 豆知識

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