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●最近のコミックス・コードのハナシ(と見せかけて)。

2011.11.10 Thu

▼コミックス・コードのハナシ(らしきもの):

 こう、「TPPの影響で、マンガや同人誌が表現規制されちゃう!」云々の言説が飛びかってるのにかこつけて、

「TPPの影響でマンガ文化が滅びちゃう!」って真摯に思っている人って、「アメリカン・コミックスはコミックス・コードの影響で、勧善懲悪のヒーローものしか書けなくなり、衰退した」というザックリしたヨタ話を鵜呑みにしちゃってそうよね(<待て)。

 的な、強引な決めつけから始まるアジテートな文章を書こうと思った。

 けど、途中で「前にアジった内容と、大差ないよね」「ていうか、一からコミックス・コードの制定までの歴史を書く気か、完成するのか、そのテキストは」という冷静なツッコミが脳内会議で多数派を占めたが故に、まとめるのを断念する(飽きた、ともいう)。


「前にアジった内容」は下記を参照。
●検索ワードとコミックス・コード、な日々。
●最近のコミックス・コード。
●最近の野次馬。
●続・最近の野次馬。
●最近の都条例とか。

 ……多分、これで全部。


 とりあえず、書きかけの文章を適当にダイジェスト版にしたモノを、下記にコピペして、寝る(※)

(※)この文章は夜中に書いてますが、ブログの「予約投稿」機能によって、夕方にアップロードされます。<頭の冷えた昼間に読み返して、アレな箇所を修正するため。

 つか、アップロード10分前に、色々思い直して、無駄にケンカ売ってる箇所を削ったりしてるのよね! これが! @18時頃の俺


 っつーわけで。


(※ダイジェスト版なので、導入の小話とかは省略<落語かよ)

(※ま、上記の「TPPの影響でマンガ文化が!」的なソレに向けてのほどほどな皮肉が書いてあると思いねぇ)


 てかこうね、「コミックス・コードの施行→(略)→勧善懲悪のヒーローものしか書けずに衰退!」っていう論旨を見るだに、『いけない! ルナ先生』の「テストで0点→落第→退学→人生の落伍者→孤独な人生→自殺→わたるが死んじゃう!」とかいうアレを思い出すのね。なんか、考えうる限り最も極端な結果を連結してく感じが。

 もっともらしいこと言ってるけど、常識で考えればそこまで墜ちないでしょ? ほどほどなトコで落ち着くでしょ? って突っ込みたくなる感じというか。


(※ここから長々と、長々と、長々と、「ワーサム博士とかの抗議運動」「上院の公聴会」「コミックス・コード・オーソリティの設立」「コミックス・コードの制定と施行」あたりのお定まりのアメリカのコミック規制の歴史の解説が入ってると思いねぇ)


 でもね、大手コミック出版社は「こんなに厳しく自主規制してますよ(特定のジャンルだけな!)」って、対外的なポーズを取るためにコミックス・コードを施行したわけで、ぶっちゃけ、自分たちの出版社では、今まで通りにコミックを出してきたかったわけですよ。

 その彼らが、“ヒーローものしか書けなくなる”ような、馬鹿みたいにギチギチな規制を作るわけ、ないじゃないですか。

 ていうか、“単一のジャンル以外書けなくなる”様な自主規制コードなんて、どんなに細かく条項を規定していっても、作れるわけがないじゃないですか。常識的に考えてくださいよ。

(ま、第1条に「ヒーローものコミック以外禁止」って書けば作れますけど、それは「常識的」じゃないですよね?)


 そもそも、コードなり、物理的な限界(ページ数とか締め切りとか)なりの「課せられた縛り」をクリアしつつ、自分の書きたいものを書くっていうのは、創作に関わる人間であれば大なり小なり直面する、当たり前の通過儀礼じゃないすか。

 それを、「コードで縛られたから、ヒーローものしか書けなくなった」って、あなた、アメリカの作家の想像力を無自覚に馬鹿にしてますよ(あと、アメリカの編集者の営業努力も馬鹿にしてますね<ややどうでもいい)。


 ていうかね、アメリカのコミック界は、1950年代にコミックス・コードが施行されて以来、「コードを遵守しつつ、作家の創作衝動も尊重する」ということを常に考えてコミックブックを送りだしてきたわけですよ。


(※本来なら、ここから長々と「コミックス・コードに異議を唱えてきた出版社の歴史を語るのですが、本筋がヨレるので、かいつまんで書きます)


 その結果、「コミックブックで“麻薬の被害”という現代的なテーマを扱いたい」という命題をクリアするために、スタン・リーらは「あえて、コミックス・コードの認証を受けずに、該当の号を出す」ということもしたし、DCの怪奇コミックの編集者にしても、杓子定規に言葉狩りをしようとするコード・オーソリティに、憤然と抗議をしたわけですよ。コードが施行されたからって、それに営々諾々と従ってたワケじゃないんです。

 1970年代以降は、「1950年代の常識で作られたコードなどナンセンスだ」って、幾度かコードの改訂もさせてるし、1980年代に入れば「成人向け」と表紙に銘打った(きちんとゾーニングした)、コード認可を受けないコミックを大手出版社が率先して出しもしたし。

 ――ま、当時に総編集長だったジム・スターリンいわく、スタン・リーは案外に保守的で、「大人向けコミック」をマーベルから出すことに難色を示してたそうですが(<あまり関係ないぞ)。

 一方で、1980年代以降勃興した中小の出版社は、ハナからコード・オーソリティをガン無視できる、ダイレクト・マーケットという市場を戦場としてたし。

 さらにはコード施行から半世紀を経て、マーベル、DCの2大出版社は「コミックス・コードに従うことに意味はない」と判断して、各社独自のレーティング、自主規制コードを導入するに至ったワケですよ。

 そういう積み重ねを経てるんですよ、アメリカン・コミックスは。その歴史は尊重すべきだし、参考にすべきだと、思うのです。特に業界内団体による検閲を受けていた時期を経て、各出版社が独自のレーティング・システムを作って、表現の自由に対して各出版社が責任を負うこととした、という流れなんかは。


(※ここから、比較対象として日本のマンガの規制の歴史について語っていくのがスジなのですが、その辺、簡潔にまとめようとすると、テキストが完成しなくなるので省略します)

(※日本の成人マンガの規制のルーズさとかについて噛みつくつもりでいたのですがね。<本筋から外れるってばよ)


 ま、結論らしきモノとしては、

 コミックス・コードという「業界を守るために取り入れたもの」に真摯に向き合い、時には抗い、最終的には大手2社ですらも独自のコードを制定することで、「コミックス・コード・オーソリティに責任を委ねず、自社で表現に関しての責任を取る」こととし、結果、コードを全面的に否定するに至った、それら半世紀に渡る試行錯誤の歴史は、非常に尊い積み重ねであった、と、思うのですよ。

 だのに、「コードで縛られたから、ヒーローものしか書けなくなった」だの「コードの規制によってアメリカン・コミックスは没落した」だの、利いた風なことをヌかして、その後の歴史的な積み重ねを省みようともしないのは、いかがなモノかと思うのです。

 あまつさえ「アメコミみたいに規制されちゃう」とかいう、無自覚にアメリカン・コミックスを馬鹿にした言い方をして、ジャパニーズの文化を守ろうとしてるあなたは何様ですか、と。

 前にも書きましたけど、自国の文化を守るために、他国の文化への誤解を広めるって、本末転倒じゃありゃしませんかね、と。


(※ここから、「日本のマンガブームの影響で、アメリカン・コミックスでもコードの見直しが行われたよ!」とかいう、ウソくさい話について「これ信じてる人、いませんよね?」的な文章が続くんですが、あまり面白くなくて、まとまりもなくて、本筋も見失ってるので削除。<ていうか結論めいたモノを語った後で更に話を続けるなよ)


 いじょう。
  
  
 余談:『まんが ホントに知らない映画ドラマ&漫画アニメ&特撮秘密大全DX』(タイトル長ぇ)とかいう本で、アメリカン・コミックスについてのもろもろ間違ったゴシップ(いちいち例示するのは面倒なんで書かないけど、戦後のキャプテン・アメリカについての記述とか、「どこをどう誤読したらそうなるのか」が理解できないほどにすさまじくステキ)を書いてたライターの、「昼間たかし」って名前に聞き覚えがあったんでググってみたら、一連の『マンガ論争勃発』シリーズを永山 薫と共著してた人だった。

 あの本、読みやすいし、「識者に話を聞きに行く」というスタンスも好きで(小田切 博さんに海外コミックスの話も聞いてる)、割かし好きだったんだけどなぁ。


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※『マンガ論争』シリーズは、計5冊ほど出てるので(上はその第1弾)、興味を持った方はAmazonで「マンガ論争 永山 薫」とかのキーワードで検索してみると良いナリ。
  
  

タグ:コミックス・コード関連

●最近の都条例とか。

2010.12.16 Thu

▼最近の都条例:

 こう、都条例がらみの例のアレは、軽はずみに何かいうのはどうも、と思ったので、特に声高に何かいうツモリはなかったのですが。

 ないというのに、なんか書き出したら相応に長くなって、「あぁ、結局俺は語りたいのか」と空を見つめてみる、そんなエントリ。


 てかまあ、「非実在青少年」の頃のエントリで書いたことの繰り返しになるのですが、

 その、例の都条例に対して、コミックス・コードを関連付けて何かしら語るのは、まぁいいと思うのですが。

 ただ、例の都条例は「行政機関が作った規制条項」であり、対してコミックス・コードの方は「法律でコードが作られることを危惧した業界有志が作った自主規制コード」であるという決定的な差異は案外に見逃されてね? とか思うのですが、どうか。

 ……ということにつきるのですが(面倒くさいので前のエントリからまんまコピペ)。


 あとこう、その辺のライターさんとか、マンガについて一家言ある知性派の方々が「この機会に乗じて、私の胸の内を語りつつ、学のあるところも見せちゃうぜ」的に、規制について色々と語るのは、まぁよろしいのですが(オイラもこないだの「非実在青少年」の時にさんざ語ったし)。

 ただ、中途半端な知識でアメリカン・コミックスの「コミックス・コード」を引き合いに出しちゃうのは、どうかと。

「コードによってアメコミは白黒がはっきりした勧善懲悪な物語ばかりになってしまいました」とかいう言説は、邦訳のヒーローもののコミックスをかじった程度の人ですら「ああこの人、アメコミを知らないで語ってやがる」的なことがわかっちゃうじゃないですか。みっともないと思うのね。


 っつーか、副知事とかに対して「あんたマンガ読んでないだろ!」ってツッコミを入れてる人らがさ、「あんたアメリカン・コミックス読んでないだろ!」って突っ込まれるような言動をしちゃってるのはおかしくね? と。


 ……ていうかこの手の話は、書いてる当人が間違っていることに無自覚だったりした上に、そもそも情報ソース(えらい人のエッセイとか、知り合いの外国人の話とか)すらも、無自覚に間違ってるという、「引用元にさかのぼっても間違ってる」という根深いアヤマチがあるんじゃないかと思う。


 あとこう、前の非実在青少年の時に、ツイッターが情報の拡散に貢献した感じだったのを受けて、今回の騒動でもツイッターで色々と「自分語り」をされてる方(+Togetterでそれらの発言をまとめてる方)がおられて、情報の拡散がなされてますが、一方でツイッターってばデマとか誤認の拡散の方にもヒドく貢献してね? とか思った。

 こう、ツイッターってば、「ソースの信憑性よりも、即時性の方を重視して語る」な人の言説が、「よくソースを調べて慎重に発言する」人の言説よりも広く早く拡散しちまうんじゃないかと思うのね。

(いや、オイラ個人はツイッターに手を出してないので、印象論とか推測に過ぎないのですが)

※あ、ちなみにオイラがツイッターに手を出さないのは、「絶対、調子に乗っていらんことを書く」ことを自覚して、自重してるからです。書き直しのできないメディアなんて、無理。このテキスト自体、何度も何度も書き直してるし、ブログに載せた後も読み返して手を入れるし。

 今回のことが、条例への反対運動をされている方々のいい方に転ぶことを、まぁ、割と願ってはいるのですが、一連の騒動が収まった結果、自国の文化は守られたけど、他国の文化に対する誤解が物凄く広がった、とかいうことになったらいやだなぁ、と、思う。


 ていうか極論になるけどさ、各出版社が足並み揃えて東京国際アニメフェアに参加しない、とかいうことをするぐらいなら、業界内で足並み揃えてコミックス・コード作っちまわないかな、と思った。

 いや、コミックス・コードで全マンガを規制すんじゃなくてね、児童(まあ、小学校低学年くらいまで)向けのマンガに関するコードを作るの。当然、青年マンガとか成人マンガとかの大人の読むモンは、コード適用外な。

 要は「そういうのが気になる親御さんはコミックス・コード認可証のついてる本だけ子どもに読ませましょうぜ?」っていう。

 条例で規制して、天下りの役人とかが運営する検閲団体に金払うよりは、業界内でコミックス・コード・オーソリティを作って運営した方がマシだと思うんだけどさ(あくまで「マシ」ってだけね)。


 あと、この間連のTogetterを辿っててみつけた、「台湾マンガの法律による表現規制」の話と、それに対する台湾の本職の編集者からの冷静なツッコミが面白かった。

 こう、「コミックス・コードでアメコミはひどいことになった!」っていってるコミックファンと、「いやコミックス・コードだけが悪いわけじゃないから」的なツッコミを入れる人とのやりとりをホウフツとさせるというか。
  
  
 以上、毎度まとまりなく。
  
  
▼追記:
 ウチのブログの過去のコミックス・コード絡みのエントリを読んでみたい、という奇特な方におかれましては、右の方にある「検索フォーム」バーで、「コミックス・コード関連」のキーワードにて検索をかけてみてください。
  
  

タグ:コミックス・コード関連

●続・最近の野次馬

2010.03.26 Fri

▼コミックス・コードの話、まだ続いた(スマン):

 スマン、まだコミックス・コードの話が続く。

 山本弘氏(検索してみたら、ウチのブログで2度ほど話題にしてましたね)が自身のブログで、まあ、例の「非実在青少年」絡みのエントリを書いておりまして。

「非実在青少年」規制:目に見える形で反論を提示する [ 山本弘のSF秘密基地BLOG]

 で。

 その文中で、コミックス・コードについて触れられてた箇所があったよ、と。

 けど、微妙に事実誤認がない? と思ったので、ちょいと突っ込んでみようという、そんなエントリ。


 エントリの冒頭に、「トラックバック、転載はご自由に」と書いてあるので、遠慮なく該当箇所を引用してみる。

 以下は前掲のブログのエントリより抜粋。

 さらにアメリカのデータを見てみよう。
 アメコミ・ファンならご存知だろうが、アメリカでは1949年ごろから反コミックス運動が高まった。当時のコミックスには、残酷なシーンやセクシャルなシーン(斧で切断された首、目をナイフでえぐられようとしている女性、ムチで打たれている女性、きわどい衣裳で踊る女性、下着姿で縛られた女性などなど)が多く、それが青少年に悪影響を与えると騒がれたのである。出版社やニューススタンドには「俗悪なコミックスを売るな」という抗議が殺到。一部の地方では、大量のコミックスが学校の校庭などに集められて燃やされた。
 1954年、合衆国議会の少年非行対策小委員会は「コミックブックと非行」と題するレポートを発表、青少年に悪影響を与える可能性のある表現を規制するよう、コミックス出版界に勧告した。
 これを受け、全米コミック雑誌協会は「あらゆるコミュニケーション・メディアの中でもっとも堅苦しい」と彼ら自身によって評されたコミックス・コードを制定した。1954年8月26日のことである。
(中略)
 暴力表現や性的な表現にきびしい規制が設けられた結果、コミックス界全体から活力が失われた。そのため、読者の多くがコミックスを買わなくなった。コミックス・コード制定前、コミックス誌は650タイトルもあり、毎月1億5000万部も発行されていたのだが、ほんの数年で半減してしまった。多くの出版社がコミックスから撤退した。フィクション・ハウス社やベター社など、倒産した出版社もいくつもある。
 その結果が上のグラフである。アメリカの指標犯罪(凶悪犯罪や窃盗犯)の件数をグラフにしたものだ。
 まさに一目瞭然! コミックス・コードが施行された54年以降、アメリカの犯罪は減るどころか、急カーブを描いて上昇しており、1980年には3倍にもなっている!
 Wikipediaの解説にもあるように、80年代頃からコミックス・コードを破る作品(『ウォッチメン』や『バットマン/キリング・ジョーク』など)が次々に出てきて、現在ではほとんどコードは形骸化している。

 以上、引用終了。

※文中にある「上のグラフ」「Wikipediaの解説」は、まあ、オリジナルのエントリを見てください。


 まず、ウチの前々回のエントリで、「コミックス・コード(だけ)によってコミック業界は壊滅的なダメージを負った」という認識はすげぇ極論じゃね?という結論に至ったオイラ的には、

暴力表現や性的な表現にきびしい規制が設けられた結果、コミックス界全体から活力が失われた。そのため、読者の多くがコミックスを買わなくなった。コミックス・コード制定前、コミックス誌は650タイトルもあり、毎月1億5000万部も発行されていたのだが、ほんの数年で半減してしまった。

 って文章は「それはどうだろうか」と思うのですよ。

 いや、コミックス業界から活力が失われたのは事実ですよ。でもそれは、TVが一般家庭にも普及したんでみんながコミックを読まなくなった、なんて影響もあるわけで、「活力が失われた」原因をコミックス・コードだけに還元するのは極論でしょう、と。


 あと、
コミックス・コードが施行された54年以降、アメリカの犯罪は減るどころか、急カーブを描いて上昇しており、1980年には3倍にもなっている!
 って一文ですが。

 そのね、そもそも、「(コミックス・コードによって)コミックス界全体から活力が失われた」んなら、コミックブックという文化がアメリカの社会全体に与える影響ってのは、非常に小さくなってしまってるのでは? と、素朴に思うワケですよ。

 故に、そんな影響力のないメディアが、アメリカの犯罪発生率に与える影響なんて、テンで小さくなってるのではと。

 だから、
「コミックス・コードが施行されて以降、アメリカの犯罪発生率はむしろ増えている!」

 とか言われましても、

「それはたまたま1954年の前後にアメリカの犯罪発生率が増えてるだけで、実はコミックス・コードは――ていうかコミックという文化自体は――、それらの発生率になんら影響を与えてないんじゃ?」

 とか、素朴な疑問を抱くだけなのですが、どうでしょうか。


 ていうか、
「(      )が施行された54年以降、アメリカの犯罪は減るどころか、急カーブを描いて上昇しており、1980年には3倍にもなっている!」

 って一文って、( )内に、1954年にアメリカの文化史で起きた重大な事項(できれば、犯罪に関係がありそうなもの)を適当に入れ込んでも成立すると思うですよ。

「世界初のトランジスタ・ラジオが発表された54年以降、アメリカの犯罪は減るどころか、急カーブを描いて上昇しており、1980年には3倍にもなっている!」

 とか、

「ラジオドラマ版『ローンレンジャー』が最終回を迎えた54年以降、アメリカの犯罪は減るどころか、急カーブを描いて上昇しており、1980年には3倍にもなっている!」
 とか(いまいちですね、すみません)。
  
  
 追記:

 山本弘氏はその後のエントリの方で、今回引用しているエントリに関して追記やコメントへの返信等を行ってますが、そちらの方で、上記のコミックス・コードと犯罪発生率の下りに関して、伝えたかったことをまとめています。下記の引用文が、まぁ、一番わかりやすいですね。

 重要なのは、「コミックス・コードができたにもかかわらず、犯罪は増加した」という事実です。すなわち、コミックスの影響よりはるかに大きな、犯罪増加の要因があったに違いないのです。
 だから犯罪を減らすには、コミックスの表現を規制するより、まずその要因の方をどうにかしなきゃいかんだろ……という話なんです。[「目に見える形で反論を提示する」:Q&A]


 と、いうことで、上の方で、オイラが
「それはたまたま1954年の前後にアメリカの犯罪発生率が増えてるだけで、実はコミックス・コードは――ていうかコミックという文化自体は――、それらの発生率になんら影響を与えてないんじゃ?」
 とかツッコんでますが、このツッコミを山本弘氏にしても「うん、だからそう言ってる」って言われるだけですね、という。

 オリジナルのテキストの方にその旨をもっときちんと明記してくれないかしら、というのは行間を読めないオイラのグチですね、はい。

 追記終わり。
 

 あと、
フィクション・ハウス社やベター社など、倒産した出版社もいくつもある。
 の一文。

 その、1950年代にコミック事業から手を引いた出版社は多いと思いますが(オイラの大好きなフォーセット・コミックスもその1つですね)、「倒産」にまで追い込まれた出版社って「いくつも」あったのか? と、思うのですが。

 例としてあげられてるフィクション・ハウス社にしてもコミックス・コードその他の影響で、出版事業から手を引きはしましたが(この件に関しては、コミックス・コードが与えた影響はかなり大きいと思います)、「倒産」はしてないでしょう、と。

 ……他方、ベター社というコミック出版社のことは、寡聞にして知りません。すみません。

 ――Better Publications社ってのはありますが、同社はコミック出版社じゃなくてパルプ雑誌の出版社だし、そもそも1943年以降Standard Magazines社に社名を変更しているので、多分違う。
  
  
 でもってラスト、
 Wikipediaの解説にもあるように、80年代頃からコミックス・コードを破る作品(『ウォッチメン』や『バットマン/キリング・ジョーク』など)が次々に出てきて、現在ではほとんどコードは形骸化している。  
 とありますが。

 文中で提示されているWikipediaのリンク先で、「80年代頃からコミックス・コードを破る作品」について全く解説されてないのは、いかがなものかと。

 そもそもコミックス・コードを破る作品って、1970年代からじゃなかろうか(Wikipediaの解説にもその旨書かれてますが)。

  
 以上。
  
  
 一応、いいわけガマシクいっておくと、別にオイラは都条例に賛成する立場じゃないですから。

 ただ、かつて「自国の文化の優秀さを誇るために、他国の文化を不当に貶めるのは許せない。特にその批判が、無知と偏見によるものである場合には」として、『日本型ヒーローが世界を救う!』を批判していた山本弘氏が、アメリカの文化に対して、ツッコまれるようなことを書いてるのはなんだかなぁ、と思っただけで。
  
  

タグ:コミックス・コード関連

●最近の野次馬。

2010.03.25 Thu

▼コミックス・コードの話、余談:

 こないだのエントリで触れた、

 Twitterまとめ「アメコミの表現規制~コミックコードとワーサム~」

 に対して、

 はてな匿名ダイアリー「非実在青少年とコミックス・コード」

 なる、田中氏よりの視点で書かれたエントリが掲載されてたのですが、

 この件に対して、当事者の1人であるnk12こと海法紀光氏が、

 自身のブログの「ワーサムと増田本について」

 なるエントリで語っているのを、今日見つけたぜ、というそれだけの話。
  
  
 こう、個人的に思うところとしては、この件で「海法紀光氏はアメコミ翻訳家だからシロウトじゃないぜ!」的な擁護があったけど、それって「戸田奈津子は映画字幕翻訳家だから映画史にも凄く詳しいぜ!」って言ってるのと変わらない気がするような気がするのですが、いかがでしょうか。

 あと俺的には、イヤミっぽくなってもいいので、海法氏には「私はこれだけの資料を読んだ上で、田中氏の意見に懐疑を投げかけるものであります」的に、参考にされている資料を挙げてもらえると(俺が後でその資料をAmazon.co.jpで買えるので)、いいのだがなぁと思った。

 こう、昨日のエントリで紹介した『企業家たち オリガークの生態学』にしても、田中秀臣氏のブログで紹介されてたんで買ってみたものだしね、と。


 ここまで書いて「……本当に、俺という男は、他人の論争とかよりも、そこで提示されている情報だとか、そのソースとなる資料にしか興味がないのだなぁ」という、俺自身もウンザリする結論に至った所で、オワル。
  
  

タグ:コミックス・コード関連

●最近のコミックス・コード。

2010.03.24 Wed

▼コミックス・コードの話で耳目を集めようというアサマしき考えのエントリ、の巻:

 ……どうして俺は、この手のエントリを書こうとする際に、露悪的なタイトルを付けるのか。

 それはそれとして。


 何となく、「フレデリック・ワーサム」の検索ワードでググって、見つけたブログの記事(毎度トラックバックのやり方が解らない)。

 コミックス・コードというものに対する、日本におけるステロタイプな(そしていささか誤った)認識に、流行の「非実在青少年」を絡めつつアジテートな方に振ると、かような文章に仕上がるのだなぁと、心を揺り動かされた。

 こう、割かしフラットな文章を書くクセが染みついているオイラには、書こうと思っても書けない文章であることなので、学ぶべき点があるかもしれぬ、と思った。

 書かれている内容それ自体について、何かしらを語る気はないので、感想は読者諸兄に放り投げる(ヒデェ)。

 ……書かれていることの主張や思想に何ら興味がなくて、そこに書かれた「情報」の多寡や精度、成り立ちなどに興味を持つという、オイラのこの姿勢が「フラットな文章しか書けない」遠因なのだろうな。うむ。
  
  
 でー。

 その、日本でのコミックス・コードの一般的(※)な認識って、こう、

悪の心理学者フレデリック・ワーサム博士「フハハ バットマン&ロビンはホモなのだ! 貴様らクライム・コミックスはすべて罰されよ!!」

世論「そうだーそうだー」

表現の自由を求める出版社「駄目だ、世論には逆らえない! しょうがない、コミックス・コード・オーソリティを作ろう!」

コミックス・コード・オーソリティ「ホホホ、厳格なコミックス・コードを制定して出版物を厳しく取り締まるザマス!」

出版社「これでは、コミックスの表現の自由と多様性が失われてしまう!」

 ……的な、その、なんつーか「表現の自由」を御旗に掲げつつも規制された側の出版社側が「善」で、表現の自由に制限を加えたワーサム側が「悪」って感じの、わかりやすい二項対立で捉えられてるのではないか、と愚考するのですが。

(※)ここでいう「一般的」ってのは、大雑把に「マンガというメディア自体に対して面白みを感じてるような“マンガ読み”で、しかしアメリカのコミックスは積極的に読むでもなく、一方で耳年増的にワーサム博士のことなどは知識として持っている」とかいう感じな層、こう、ネットでマンガの感想ブログとか書いてるような方々を想定しているのですが、どうか(知らぬ)。
  
  
 こうした前提がさほど的を外していないのでは的な、虫の良い仮定のもとに、今日買った古本『企業家たち オリガークの生態学』(サイマル出版会・刊)に載っていた、コミックス・コードの成立に関する記述を抜き書いてみることで、その前提に懐疑を投げかけるという、手短に言えば「自作自演で目に見えない何かと戦っているヤッカイな人」的エントリ。

※筆者註:「オリガーク」は大雑把に言えば「大企業家」「大資本家」とかそんな感じの意味合い。




※以下、斜体で記載されたテキストは前掲書P.152「自主規制の功罪」の項より引用(ブラウザ環境によってはあまり斜体に見えないけれども)。


 業界に対して騒々しく批判を行う者をなだめるための一つの方法は、自主規制を行うことである。規制法案が議会を通過した場合の結果に見られるように、こうして自主規制を行えば、企業の経済力の基礎をまったくおびやかすことなしに、こうした刺激の原因となっていることのうち極端なものを取り除くことができるとオリガークは考えるのである。
(中略)
 一九五〇年代のこと、漫画出版業界は、テレビ番組との競争で売上げにひどい大穴をあけてしまったが、それはともかく、有名な心理学者のフレドリック・ワーサム博士が、多くの漫画本に描かれた暴力、残忍、倒錯などが青少年の犯罪を育てるものだとしたことから、問題は大きくなった。
(中略)
 このワーサム博士の批判により、漫画本の販売禁止の法律を制定しようという動きを示した州も多かった。博士の見解を支持する運動が各地で起り、地方によっては売上げは史上空前の不振を記録したほどであった。そこで業界は重大な危機に直面し、それを防衛するためのあらゆる努力をおしまなかった。
(中略)
 結局のところ、新しい倫理規定に基づいて自主規制
(※筆者註:いうまでもなくコミックス・コードのことだが、一応注釈しておく)が作られ、極端なかたちで恐怖を表すことを禁止し、この規定の実施については一人の業界の実力者が管理に当たることになった。この任に選ばれたのは青少年犯罪問題に経験があり、また偶然にも、漫画本の売れ行きの悪さで悩む業界の問題を理解している現実的な人間だと考えられる一人の判事であった。
 自主規制が設けられ、判事は細心の注意を払ってこの管理にあたり、鋭い批判を浴びせていた多くの市民運動の指導者たちは、論争に勝利を収めたものと考えた。しかし、漫画本の出版者たちは、ワーサム博士が反論を唱えた暴力を描いた漫画のうち、もっとも極端なものだけが規定によって閉め出されただけであるから、勝ったのは自分たちだとも考えたものである。
 つまり、内容はいくらか変わっても、つねにその漫画本の特徴となっている基本的な材料は同じで、引き続き出版を続けてもなんの障害も起きることはないことは明らかであり、また業界はその営業上、暗に含まれている基本的な社会問題に取り組まないで、問題を解決したことも明らかであった。そして出版社の社長たちが出版物の与える感覚的な影響に対して責任を取ることは、どんな影響であるかは別として、まず当座は考えられないことだったのである。



 以上、引用終了。


 筆者のデイビッド・フィンは、1950年代当時に漫画雑誌協会のパブリックリレーションズの顧問をしていたとのことで、上記は単なる歴史の叙述ではなく、現場の前線にいた人間の証言といっていい。

 これを読むと、その、コミックス・コードというものがコミックス業界をがんじがらめにした“常軌を逸した規制”でもないし――少なくとも、施行された当時に大手出版社が出してた一般的なコミックの内容を縛るものではない――と思うのですが、どうか。
 

 でー、ね。

 その、「コミックス・コードはコミックの内容をそんなに縛ってない」ってことは、「コードの施行によってコミックスのジャンルとしての多様性が失われていった」という(日本でよく言われがちな)認識は、実は極論ではないか、と思うのですよ。

 要は「コミックスのジャンルが多様性を失った」ことと、コミックス・コードとは、さほど関連しないのではないか、と愚考するのですよ。

 例えば、西部劇ものは1940年代後半がブームのピークだったわけで、コードに関係なくすたれてたワケだし。あとジャンルの内容的にもコードの影響は少なそうだし。

 こないだも書いたけど、コードがその内容を大きく規制していたロマンスものにしても、すでに1950年代前半にバブルがハジケてたし。

 SFコミックスなんか、1950年代のソレは「科学万能な明るい未来の啓蒙」的な側面もある、教育的なジャンルで、故にコードの影響はロクに受けてないにも関わらず、あんまりジャンルとして伸びなかったのは、まぁ、ジャンル自体のパワーがそんなモンだっただけだと思いますよ。

 コードによってトドメを刺された「犯罪・怪奇もの」にしても、大手出版社はあまり精力的には出していなかったから、大手出版社的には特に影響はないしねー(“暴力を描いた漫画のうち、もっとも極端なもの”を出して市場を荒らしていた新参者の出版社が大ダメージを受けはしましたが、大手には関係ないことです)。

 でもって、日本のコード関連のテキストでよく見かける「コミックス・コードに準拠すると、勧善懲悪なソレしか書けなかったので、ヒーローものが再びブームになった」的な論調のソレも、この際、眉にツバをつけてみるべきだと思う。

 ――ごく単純に、ヒーローものというジャンルの潜在的なパワーが、他ジャンルに比べて高いポテンシャルを持ってて、リバイバルした結果もう一度ブームを起こせた、とかいう認識でいいんじゃないかと思うよ、オイラは。

※そもそもコミックス・コードの施行された当時は、ヒーローもののジャンルはスッカリ衰退してたので、「コミックス・コード施行の結果、ヒーローものしか書けなくなった」とかいう文章は、認識からして間違っています。


 ……いやまあ、「コミックスのジャンルが多様化しなかったのは、コードに全く責任ないぜ!」とかまで極論する気はないのですが(ここ大事)。

 一方で「コードによってコミック業界は壊滅的なダメージを負った」というその認識が“すげぇ極論”であることに気付いていない人が、割と多いような気がするのですが、どうか。
  
  
 以上、毎度トリトメなく、何かの思想を含むわけでもなく、そこにある事実をただ羅列しつつ、素朴な感想を書いてみた。
  
  

タグ:コミックス・コード関連

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