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●最近の邦訳アメリカン・コミックスの巻。

2013.10.05 Sat

▼最近の邦訳アメリカン・コミックスとわたくし・1:

 小学館集英社プロダクションから出た『R.I.P.D.』を購入した。

 感想:実は注文の時点で、この本を『ヘルボーイ』のスピンオフの『B.P.R.D.』だと思い込んでいた(マジ)ので、Amazonから届いた封筒を開けたら、中からミニョーラ系とは明らかにカラーリングの明度が違う表紙のイラストが出てきて驚きました。

 中はまだ読んでません。 <完>


▼最近の邦訳アメリカン・コミックスとわたくし・2:

『デッドプール:マーク・ウィズ・ア・マウス』を読んだ。

 久々に、それも単行本でまとめて読み返すと、まあ面白いは面白いけど、割合に間延びしてる話だったのだな、と、思った。あとゾンビバースに行って以降の足踏み感が、ちょい気になった。

 オイラの記憶が確かなら、このシリーズって当初はオンゴーイング・シリーズだったけど、途中で全12話のマキシシリーズに変更されたんで(確かね)、普通のマキシシリーズの「構成のカッチリ感」が抜けてたのかなぁ、とか、本当は全16話くらいで、あの間延び感が味になる感じのペース配分で行く気だったのかしら、と、思った。

※面倒なので、実際のトコがどうだったのかは調べないので、読者諸兄も「阿呆の妄言」と思って、話半分で受け止めることを望むものであります。


 訳者の人が「賛否あるのでは」と気にしてた「メタ翻訳」は、個人的には気にならなかったけど、解説冊子と自分のホームページで「メタ翻訳について」を延々と説明してたせいで、逆に悪目立ちして無いかしら、と思った。

 あと解説でケーブルの息子のタイラー(ジェネシス)が「ストライフの息子」って断言されてたけど、最近の設定だとそうなのかしら。

 オイラの記憶だと「ストライフが父親だとホノメカされてるけど、確定はしていない」感じだったのねん。近年のホープ絡みの話で設定変わったのかなぁ。


▼最近の邦訳アメリカン・コミックスとわたくし・3:

 小学館集英社プロダクションの公式ツイートとFacebookのページによれば、『デッドプール:マーク・ウィズ・ア・マウス』は、「アメコミ史上最大・最高の初動」で、重版が決定し、累計1万部に達するそうです。めでたいですね。

 ちなみに、この「累計1万部」というのは、「平均的なアメコミ初版の2倍は刷っていた」初版部数に、2刷りの部数を足した数字なのよね。このことから類推して、「平均的なアメコミ初版」の部数が3、4千部に過ぎないであろうということはご理解いただけますでしょうか。

 ええ、あなたの買っている邦訳アメリカン・コミックスというのは、日本の人口1億2千万人に対して、まあその程度の規模の市場なのです。

 小学館集英社プロダクションという、豪華な社名の会社の出す出版物ですが、本家・集英社なんてのは「ウチの初版は最低5万部ですから」なんて具合ですので、市場の規模が文字通り桁が違うのですね。

 ……ま、ちょいと人気のエロマンガ家の処女単行本でも初版で1万部行きますけどね。「深夜アニメのムック本」(5千部行けば御の字)あたりが、規模としては近いでしょうか。

※ああ、ちなみにこの辺の初版の部数とかの数字は「2013年現在」の数字ですんで。まだ景気の良かった1990年代頃の邦訳アメリカン・コミックスの市場のことは筆者は知りませぬ(しれっと)。


 ただ、邦訳アメリカン・コミックスというのは、特殊な市場でして、「規模は小さいけれど、ファンが底固い」のですな。なので、それなりにファンの需要にかなった本を出せば、毎回きちんともうけになるラインの部数は売れてくれるんですわ。

 それがたとえ、1冊2、3千円する本であっても、きちんともうけが出る部数まで買ってくれる(ていうか、その辺見越しつつ価格設定をしてるのですが)。この点が邦訳アメリカン・コミックスという市場の特徴ですわ。

 この「規模は小さいけど、底固い需要があって、儲けが試算しやすい」ってのは、この出版不況の現代において、中小の出版社にとっては割とありがたいもんなんすよ、割と。外注費だって、翻訳家とデザイナーの2人分しかかからないから、製作費もほどほどだし。

 ……その、金を出してくれるファンの数字が読みにくいアニメのムック本よりかは、まあ、商材としては優れてるのではないでしょうか。多分。


 だからこそ、ここんとこ毎月、新作の邦訳アメリカン・コミックスが出ちょる訳なのですな。

 1冊ドカンと大ヒットする本は、まあ望めないので(“史上最大・最高”で累計1万部の世界ですんで)、毎月儲けが見込める本をコツコツ出してく、というスタイルというか。


 ま、そんな感じで。


 書きたいこと書いたので、唐突に終わる。
  
  

タグ:今日読んだアメコミ

●『ウルヴァリン:SAMURAI』を見た。

2013.10.01 Tue

▼『ウルヴァリン:SAMURAI』を見たぜ、の巻:

 見た。

 なんか見るタイミングが合わなくて見てなかったのだけど、先週日曜の夜18時ごろに、なんとなく「今見ないともう見ないな」と思ったので、近所のシネコンの21時からの回(2D字幕)を予約して見に行った。


・感想めいたもの:

 脚本が、なんつーか、部分部分はいい所はあるし、コミックから色々とネタを拾ってる(背中に矢が無数に刺さりつつも前に進もうとするウルヴァリン、っつーミラー的ビジュアルが見れたのがよかった)……のはいいけど、全体の整合性が大雑把で、ロクな説明もないので(物語の核となる「ヒーリング・ファクターを移植できる仕組み」くらい、きちんと「ソレらしいウソ」をつこうよ)、「この脚本はゴイヤーか? またゴイヤー脚本なのか?」って恐怖に打ち震えながらスタッフロールを見た。

 ゴイヤーじゃなかった。

 つか、ゴイヤーはもう少々はきちんとした脚本を書くので、ゴイヤーに失敬であったなぁ、と思った。……ってぐらいに大雑把な脚本だった。


 つか、ウルヴァリンが「ヒーリングファクターを捨てたい理由」「やはり、捨てるのをやめた理由」「物語が完結した後、何を指針に生きていく気なのか」っていう、物語のテーマ的なソレが解りやすく、明確に語られてないのはどうかと思った(ゴイヤーだったら、この辺きちんと書いてると思う)。

 その辺語られないと、なんつーか、200歳年下のマリコとエロいことしてスッキリしたんで死ぬのやめた。でもマリコと結婚する気はないので、特に目的も定めずアメリカに帰りますっていう、ヒドい話になりませぬかね。「不死だから関係を持った女が先に死ぬのがつらいので、エロいことはいたしたくありません」みたいな葛藤とかを挟むべきじゃねぇか、と。

 つか、タイトルにサムライって入ってるけど、サムライの特異な精神性とかを全然話に絡めず、むしろそういう精神性をスッパリ削ぎ落としたパワードスーツ・シルバーサムライを大活躍させちゃうトコが、なんかこの映画の有り様を短的に表してる気がした。

 端的な感想としては、ビジュアル結構いいじゃん! シナリオはロクでもないけどな! とかいう感じ。

 こう、「廉価版DVDが出たら買って、知り合いと一緒に見て、日本人的に面白いビジュアルを突っ込んでガハハと笑う」ってのが、この作品の適切な楽しみ方であり、評価だと思った。

 つかまあ、「望まずして得た力を捨てようとして、やっぱり捨てなかった話」としては、ゴイヤー脚本の『ゴーストライダー2』の方がね、アレはアレで大雑把だけど、割とその辺はスッキリしてて、爽やかげなラストであったなぁ、と。


・その他どうでもよき感想:

 ウルヴァリンが日本通でもなんでもないという改変に割とションボリした。そら店に入って自分で「イラッシャイマセ」いうわな。

 ユキオが「ガッチャ!」っていうのかと思ったらいわなかったけど、まあ、別にそんなにユキオは好きじゃないんでどうでもいいや。

 ……でも映画版のユキオさんのキャラとか、ローガンさんとの距離感は好きです。中盤でマリコに尺を割かなきゃならない分、割を食った感はあるけど、ローガンさんと合流以降はジュビリーっつーか、サイドキック的な立ち位置に収まってたのが、良かった。

 真田広之最高。でもヒュー・ジャックマンと並ぶと背がちいちゃいのが強調されるのが哀しいですね。本来、ウルヴァリンの方が小男なのに。

 ニンジャの皆さんが、ジャンプするときに何かとヒネリを加えるエクストリームぶりにイラッとした。あんな奴らはパニッシャーさんにロケットランチャーで粉々に粉砕されていただきたい。

 23区に土地勘のある観客全員が突っ込んだろうけど、増上寺から高田馬場経由して、秋葉原に行って、そっから万世橋を渡って上野に着くとかいうアレは、やっぱり吹く。あと長崎から東京まで車でカッ飛ばすユキオさんとか。

 新幹線でのバトルが、なんかドリフのコントみたいでした。

 妄想ジーンが常に下着姿なのですが、あれ、「ウルヴァリンさんの潜在的願望」によって常に下着姿で登場してると解釈しちゃうと、ウルヴァリンさんすげぇ童貞っぽくね?

 冒頭提示された「毒矢で射られた獣が暴走」というソレが何かの象徴かと思ったら、別になんでもなかったぜ!

 つか、この手の過去のシーンがちょくちょく挿入されるストーリーにありがちな、「昔、学んだことが、現在の勝利の鍵に!」とかいう定番の展開が、「日本刀は両手で持ちましょう」って……。真田広之が二刀流で戦ってたのにソレはねぇだろ。

 原田ケヌイチロウさん、その、ケイン・コスギばりのタドタドしい日本語でシリアスな掛け合いをやられましても……。

 マリコが村の武術大会だかで「ダガー」で優勝したってセリフが、ラストでウルヴァリンの切断された爪を短剣代わりに使う伏線になってたろうに(多分。オイラの聞き間違いかも知れぬが)、なんで「ダガー」を「剣」って訳しちゃったのか(※字幕版ね)。

 小川直也の無駄な存在感。


 いじょう。適当に。
  
  

●マン・オブ・スティールを見た。

2013.09.12 Thu


 見た。


▼利いた風な感想:

 つまりはかつてのドナー版『スーパーマン』が時代の最先端であったのに対し『スーパーマン・リターンズ』では時代の空気を読み損なった結果一般的な評価を得るこができずそれを受けての『マン・オブ・スティール』は色々と時代に合わせる形で作られている感があり──そもそも監督にザック・スナイダー、製作クリストファー・ノーランという布陣自体が既に時代に合わせているのだが──スーパーマンが葛藤の末に殺人をしたり派手な画面作りのためにビルを次々に倒壊させたりペリー・ホワイトが黒人でその恋人がアジア系だとかスモールビルの風景が理想的な田園風景ではなく薄汚い農村だとか言うのもポスト『ダークナイト』な状況下における選択s

 ……ごめん、ここまで書いたのを読み返して、自分でも「しゃらくせぇ」と思ったので、この路線の感想は中止、中止~。


▼仕切り直し:

 オイラ個人の感想としては、「ジョー=エル無双映画だコレ!」とかいう感じですか。

 前半部のあの無駄なアクションなにあれ。ゾッド将軍に格闘戦で勝つとか、お父ちゃん強すぎじゃね? 更に後半、ホログラム化して別種の無敵ブリを見せるし。

 てか、「どうせクリプトンは滅びるんじゃぁ!」のヤケクソ感で、あのガイコツ盗み出す大冒険を繰り広げる覚悟のできておるジョー=エルさんが、返す刀でゾッド将軍を「どうせクリプトンは滅びるんじゃぁ!」でブチ殺してれば、この映画大団円だったんじゃね? あるいは、ゾッドの宇宙船のコンピューターにアップロードされた時点で、宇宙船をファントムゾーンに送り返せばよくね?

 そもそもクリプトン関連の描写の適当さ──クリプトン人が英語を話してるのに何も説明が入らないのとか、ファントムゾーン周りの描写が全く掘り下げられてないのとか、挙句の果てに「この宇宙船をあっちの宇宙船にぶつければ、ファントムゾーンに封印されるよ!」とかいう説明してるようで何の説明になってないアレとか、悪人側のクリプトン人でスーパーパワーで暴れまわってるのがなんでゾッドとほか2人だけなのよ、とか──どうなのよ。あの大雑把さは。

 まあ、スタッフロールの「脚本:ディヴィッド・S.ゴイヤー」で、全部納得しましたけどね。ゴイヤーじゃ、しょうがねぇ。しょうがねぇ、ゴイヤーじゃ(反復倒置)。

※わたくし個人のゴイヤーの評価:「大筋はいい話だけど、細部は気にしない」


 あとこう、ノーランの『ダークナイト』三部作が、まあ、ポスト・クライシスの「バットマン:イヤーワン」を定本としてたのに対して、こっちはポスト・クライシスの「スーパーマン:マン・オブ・スティール」(+ジョン・バーン期の『スーパーマン』フランチャイズ)を意識した感じの内容だった気がする。ああ、だからタイトル『マン・オブ・スティール』なのか。

 今では忘れ去られてっけど、ジョン・バーン期には割合にいい味出してたサブキャラクターのハミルトン教授が出てたり(まあ教授はバーンじゃなくてウルフマン&オードウェイ創出だけど)、クリプトン宇宙船内にいたドロイドのデザインがまんまジョン・バーン版だったりとか。あと、クリプトン人がかつては宇宙開発してたけど、その後、母星に引きこもってたとかも、ポスト・クライシスのスーパーマン的よね(この辺の設定はバーンじゃなくてダン・ジャーゲンスな気もするけど)。

 つか、「北極の1万数千年前の地層に何か埋まってる」とかいうセリフで、「……まさか、スーパーガール(マトリックス)が埋まってるんじゃあるめぇな」とか、ドキドキしたよ!


 どうでもいいけどスクリーン中で元気に活躍してるハミルトン教授の姿を見てたら、「スーパーマンの親友ハミルトン教授が恐るべき極悪人ルインの正体だったのだ!」とかいう一発ネタのために結構長いことモッタイブッたストーリーを展開した挙句、何のフォローも掘り下げずにハミルトン教授を使い捨てたグレッグ・ルッカのことを思い出して、すげぇ腹が立ってきた(実にどうでもいい)。つか、あの時期のルッカときたら、ムクイズプトルクすら殺したし(ライター替わったらシレっと復活したけど)、なんかこう、一言でいえばどうかしてると思う。


 あとは、クラークさんの回想で出てくる自動車修理工場の看板に「スリヴァン」って書いてあって、「おお、ヴィンセント・スリヴァン(※『デテクティブ・コミックス』や『アクション・コミックス』の初代編集者)」と思った。<やぁねぇ、マニアって。


 個人的に気になったのは、1997年にお父ちゃんが死んでから2013年まで何してたかの描写が全くなかったとことかね。

 つーか、なんでクラークさん33歳なんだろ。ジョナサン死んだ後、1、2年放浪して20歳からスーパーマンとしてデビュー、とかでよくね?
  
  
▼結論めいたもの:

 とかまあ、色々書いたけど、何のかんのいっても面白くて泣ける映画でしたし、スーパーマンが全力で敵と殴りあう、っていう、「見たかった絵面」は見れたので満足ですよ、と。

 っつーかね、オイラは「パパ・ケントがクラークの目を見て話す」「ママ・ケントがクラークの目を見て微笑む」とかいった、「ケント夫妻が息子に誠実に人生について話す」という画を見ただけで泣ける位には「スーパーマン」という物語に思い入れがあるのだなぁ、と気づいた。

 できれば、も少し「大人のクラーク・ケント」と他の人間の関わりも見たかったけどね。──要は、大人になったラナ・ラングとピート・ロスとの絡みね。一言二言でもいいんで。それだけでもオイラは泣くから。

 つか、クラークの能力を知ったために、割と人生を踏み外しちゃったラナ(※バーン版の設定ね)と、スモールビルの中でよき大人に成長しつつあるピートって、あれはあれで、スモールビルの物語には欠かせない存在だと思うのさ。

 とかなんとか、毎度散漫な感想で。
  
  

●最近の負け犬。

2013.09.09 Mon

▼最近の小学生以下の感想:

『ヒットマン1』を読んだ。

 面白かった。

 <完>


▼余談:

 巻末の「奇天烈アメコミキャラ名鑑」という記事で、ドクター・ライトが「特徴:婦女暴行癖」として紹介されてた。

 その、ドクター・ライトさんというのは、1962年の『ジャスティスリーグ・オブ・アメリカ』第12号で初登場した古参キャラで、現行の「New52」でも設定を一新しつつ登場している、要は50年ほど地味に現役なキャラクターなのですが。

 でー、その半世紀以上の歴史を持つドクター・ライトにですな、「婦女暴行魔」という設定が付与されていたのは、実は近年のホンの5、6年間──具体的には2004年の『アイデンティティ・クライシス』~2010年の『ブラッケスト・ナイト』までの期間──なのですが。

 その程度の扱いなのに、日本において「婦女暴行癖」が最大の特徴な奇天烈キャラクターとして紹介されちゃうのは、なんつーか、ドクター・ライトはブラッド・メルツァー(※『アイデンティティ・クライシス』でドクター・ライトに婦女暴行魔の設定を付与した人)を風評被害で訴えていいと思った。


 個人的にはポスト・クライシス直後の『スーサイド・スクワッド』作中で掘り下げられた、「負け犬」キャラクターなドクター・ライトが好きだったので、

「ドクター・ライトは婦女暴行魔なんかじゃないんです! 負け犬であり、自分が負け犬であることを自覚してるが故に、なんか色々と取り返しのつかないこと(※)をしでかちゃう、とっても哀れな人なんです!」

 とかいうエントリでも書こうか、と思った。

 けど、そんなに必死に擁護するほどドクター・ライトのことが好きではない、という結論に達したので、辞めた(いつものパターン)。

(※)色々と取り返しのつかないこと:自分のトラウマに触れられて暴走したら、倫理的にマズいキャラクターの胸に大穴が開いてた。


・ドクター・ライトの負け犬キャラの実例:『スーサイド・スクワッド』誌のサブプロットで、スクワッドの隊員にパイを投げつける怪人パイマンが登場(マジ)→でもライトは「負け犬」なので、パイマンの被害者にすらなれない→思い余ったライト、自分で自分の顔にパイをぶつける→ほらほら、俺を見て、顔にほら、パイが、クリームたっぷりで、ねえ、ねえ、俺もパイマンの被害者になれたんだよ、見てよ、俺を見てよ! 見てくれよぉ!→その場の全員、ライトに視線もやらず「自作自演でしょ?」とバッサリ→心底悲しげな顔でその場を去るライト(直後に彼めがけてパイが……)


 結論:DCコミックス社は、実は地道に『スーサイド・スクワッド』をデジタル・コミック化してるので、みんな読むがいい(紙の単行本の方は1巻出て以降サッパリだし)。

 ちなみにデジタル・コミック版『スーサイド・スクワッド』は今のところ第35号まで出てるけど……実は、続く第36号こそが、『スーサイド・スクワッド』におけるドクター・ライトの最大の見せ場なのよね……。なにこの計算されたタイミング。

 あ、第1号を読む前に、実質の『スクワッド』第0号である『シークレット・オリジンズ』第14号を読むのを忘れずにね。『シークレット・オリジンズ』はろくろくデジタル化されてないのだけど、この第14号はピンポイントでデジタル化されてるのぜ。偉い。

 ……でも、同誌の中盤の一大クロスオーバー「ヤヌス・ディレクティブ」の『キャプテン・アトム』『チェックメイト』『ファイヤーストーム』のパートはまだデジタル化されてないんだけど、そこは気合で何とかしてくれよな!(ヲイ)
  
  

タグ:今日読んだアメコミ

●最近読んだ邦訳アメリカン・コミックス、の巻。

2013.05.13 Mon

▼最近読んだ邦訳アメリカン・コミックス、の巻:

 最近、といっても、例によってエントリを書こう書こうと思っいつつ、更新する機会を逸してた感じなので、割と前に出た本ですが。


 とまれ、こないだ出た、『JLA:逆転世界』と、『JLA:バベルの塔』を読んだ。

JLA:逆転世界 (DC COMICS)
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 それぞれ1997年創刊のオンゴーイング・シリーズ『JLA』から、本編の1ストーリーアークな『タワー・オブ・バベル』と、外伝的な描き下ろし単行本『JLA:アース2』を日本語訳したモンで、この『JLA』オンゴーイング・シリーズが好きだったオイラ的に、「いえーい」な感じの2冊刊行であったなぁ、と。

 ──まあ、『JLA』オンゴーイング・シリーズが好きだった、といっても、個人的に面白かったのはジョー・ケリー期までだけどな。<余分なことをゆーな。


 でー、モリソンの『JLA:アース2』は、刊行当時にハードカバー版を予約して買って読んだっけなぁ、というのを思い出した。当時のDCコミックス社は、「描き下ろしハードカバー単行本」というフォーマットを模索してて、この『アース2』や『グリーンランタン:レガシー』みてぇな本をバンバン出してましたっけねぇ(遠い目<年寄りめ)。

 でまぁ、モリソンというのは荒唐無稽な理屈のSFを書く人で、そのモリソンがライターを担当していた『JLA』は、彼のセンス・オブ・ワンダーなところが存分に発揮されていたシリーズであるなぁ、と思う。

 また一方で、モリソンの『JLA』は古典的な少年もののコミックスの文法に則っていて、そのおかげで非常に読みやすかったなぁ、と。

 ──まあ、明快ではあるけれど、その分、無駄な展開はバッサリ切り落としやがるんで、端々の長い説明セリフをきちんと読み込んで、前後の流れを理解する必要があるのが手間ではあったけど。

 ああ、「古典的な少年ものコミックスの文法」っつーのは、要するに……毎回起きる事件は、悪役が「一定のルール」に則って引き起こしてるもので、主人公側は当初そのルールを理解していないせいで苦戦する、けれど、やがてルールを理解し、相手と同じ土俵に立った上で、ルールを利用して勝利を収める……って感じのアレね。

 日本のマンガでいえば、荒木飛呂彦のスタンドバトル、アメリカのコミックスでいえばガードナー・フォックスの『フラッシュ』といえば解るでしょうかどうでしょうか。

 でー、この『逆転世界』も同様に、「こちらの世界では○は勝利しない」「あちらの世界では●は勝利しない」というルールがあり、それを利用して世界に混沌をもたらそうとする黒幕にJLAが挑む、という構図になっていて。で、クライム・シンジケートが黒幕と思いきや実は彼らも……というヒネリがあるのが、また面白いなぁ、と。

 まあ、適当な結論としては、この本が面白がれた人はモリソン期の『JLA』を1巻から読んでくと、いい読書経験ができるのでは、と。モリソンの『JLA』が評判良いらしいけど、自分には合うかな、とか思ってる人は、まずこれ1冊買ってみればよくね? と。

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 一方のマーク・ウェイドの『バベルの塔』はね、その、むかし読んだ当時はね、「ううむ、ウェイドはSFが書けない、むしろSF書かせちゃいけない作家だよなぁ」とかいう感想を抱いて、「モリソンと比べていまいち」という評価だったんだけどな。

 これが、今になると別な読み方ができるというか、なんというか、「SFコミックとして読まなければ、普通に面白い作品である」ことに気づいた。

 いやな、当時この「バベルの塔」をモリソン期の『JLA』と比較しちゃったことには理由があってな。

 そもそも、ウェイドは、大団円で終わったモリソン期の『JLA』の後任ライターとして起用された人でね。んで、ウェイドってのは、市場のニーズに出来うる限り応えようとする、空気の読める作家で。

 だもんで「荒唐無稽なSF」と「バットマン=リーグ最強」とかいうモリソン期の『JLA』テイストを受け継ごうと、それらしく書いてた、という背景があって。そらどうしても当時の読者はモリソン期と比べちゃうし、モリソン期のように「SFコミックス」として読むよなぁ、と。

 で、ウェイド的にはそれらしく書いてるつもりでもね、モリソン期の『JLA』が「荒唐無稽なSF」であったのに対して、ウェイドの『JLA』って、「荒唐無稽な話にSFっぽいディテールを盛ってる」感じだったのよね。荒唐無稽だけど、SFじゃない、という。

 作中にはナノマシンとかなんとか、SFっぽい言葉は出てくるけど、でもモリソンの『JLA』をSFコミックたらしめていた「ルールの提示とルール内での知恵比べ」みたいなモンはなくって、それが(当時の)オイラ的には「こいつはSFではない」的に、反発してたというか。


 その、本質的にはウェイドの『JLA』って、「相手が提示したルールを、チームワークでルールごとブッ壊す」的な、ストレートでプロレス的な殴り合いなのよね。そんな瑣末なガジェットやディテールにこだわって読むようなコミックじゃあない。

 そんなわけで今回、「バベルの塔」を、当時の自分が「モリソンならこんなガジェットは使わない」的に気にしてた「瑣末なディテール」は、まあサラッと流して、本筋の活劇に集中して読むようにしたらね、普通にストレートな少年向けコミックとして楽しめたのさ。

「味方が秘匿していた弱点を奪われて窮地に立たされる」って話形は、熱血バトルコミックスとしては王道じゃないさ。燃えるじゃないさ。

 なんつーか、その、ウェイドの『JLA』は、日本のマンガでいうなら……ゆでたまごの超人プロレスよね。だからまあ、『キン肉マン』を楽しむ上で必要なある種の“おおらかさ”をもって読むべきである、と、イマサラにして気づいた。

 例えば、「バベルの塔」内でマーシャン・マンハンターを無力化するために「周囲の元素からマグネシウムを精製するナノマシン」とか出てくるけどさ、……周囲の元素から特定の金属元素を作り出せるって、どんだけ凄いテクノロジーだよって、話じゃないですか。

(つか、そんな便利なナノマシンを、なぜラーズは地球環境の回復のために使わないのか)

 でも、そんなスゴいテクノロジーなのに、物語の本筋とは何の関係もなくて、登場人物の1人を無力化するだけの些末なガジェットにすぎないのね。あの辺の、「しょうもない目的のために良く考えたらとんでもない手段を使う」って感覚はさ、正に「時空間を自在に操る能力」とかを、ただ単にプロレスの技の掛け手を入れ替えることにしか使わない『キン肉マン』に相通ずるじゃないですか。

 だから、そういうガジェットは「そういうもの」としておおらかにツッコミを入れつつ、本筋は本筋として楽しめばよかったのだなぁ、とね、今更ながら気づいた。

 つかそもそも、モリソン期の『JLA』の後に、ウェイドの『JLA』が続いちゃったことが、まぁ、不幸だったのだなぁ、と。

 っつーワケで、やはりこの『バベルの塔』を普通に楽しめた人は、以降のウェイド期の『JLA』も続けて読むといいのでは、と思った。

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 ……一応リンクを貼ってはみたものの、ウェイド期の『JLA』って、単行本にはなってるけど、現在では入手困難なので、デジタルコミックで買うといいよ(今iPadで確認したけど、『JLA』は全話デジタルになってた)。

 特に、ウェイドの『JLA』の最終エピソードである「テラー・インコグニータ」のオチ、「敵の頭脳的な作戦を腕力で強引に打破する」というあれは、プロレス的な展開として非常に秀逸であり、モリソンには書けないウェイドならではの作劇であるので、ぜひ読んで欲しいなぁ、と。できればモリソン期から通しで読んで、2者の作風の違いみたいなのも味わいながら読むといいかも知れぬ。


 ……などと、いった具合に、ウェイドとモリソンの書き手としての資質の違いってのが、明確に解るこの2作品がね、同時に翻訳されるというのは、多分、出版社側で意図してはいないんだろうけど、非常に興味深いカップリングであったなぁ、とかいう結論で締めてみたく思う(適当)。


・その他思ったこと:

 こう、現時点でDCコミックス社の作品の解説を書く場合、プレ・クライシス、ポスト・クライシス、ポスト・ゼロ・アワー、ポスト・インフィニット・クライシス、そしてNew 52と、それぞれの設定について出来うる限り言及しなきゃならないので、面倒極まるなぁ、と、思った。

 んで、『逆転世界』の巻末では、図を使って、マルチバースの設定を解説してて、その辺、送り手の苦労が垣間見えるなぁ、と。

 一方で、『バベルの塔』には、この時期の『JLA』のタイムラインとかを載せてもよかったんじゃないかしら、と思った。

 その、『バベルの塔』の解説テキストで当時の『JLA』のメンバーに起きた事件をツラツラと列挙してたけど、ああいう書き方をするぐらいなら、解説のページをまんま年表として組んで、挙げられてた事件をタイムラインで表した方が見やすかろうと思った。

 あと、どっちもデザインがバナナグローブスタジオだったけど、なんとなく、表紙のタイトル周りの赤の使い方とかが気になるなぁ、とか思った(いい/悪いでなく、生理的に「気になる」)。

 いや、邦訳アメリカン・コミックスといえば長年、真々田稔氏のデザインで、そっちに目が慣れてたんで、無意識レベルで「なんか違う」と思ってるだけかもしれないけど。


 そんなトコで。
  
  

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