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●最近の詰まらぬ日常。

2015.11.06 Fri

▼怠惰なる日々:

 なんかこう、体内のパトスが枯れ果てて、「趣味のテキストとか書きたい気分じゃなくて、ひたすらダラリとしてたいなぁ」というメンタリティに陥った今日この頃ですが(知らぬ)。

 けどまあ、11月になったし、がんばって日記を書くぞー、おぉー(ヤル気ねぇ)。


▼最近の邦訳アメリカン・コミックスとか:

 こないだ買った邦訳アメリカン・コミックスの『デッドプール:デッド・プレジデント』のオビに、「デッドプール邦訳シリーズ累計15万部突破!!」と書いてあった。

 んで、そのキャッチの周りには、7冊の『デッドプール』の邦訳単行本の書影が載っていたので、まあ、多分この7冊で15万部なのだろうな、と。すごく大雑把に15万÷7で計算すると、まあ大体1冊あたり2万1500部くらい刷ってる勘定になりますね。

 この数字がスゴいかスゴくないかは、ブッチャケ「何と比較するか」によりますが、まあ、出版社が自ら「15万部突破!!」っていってる以上は、邦訳アメリカン・コミックスの読者としては、「スゴい数字なのだ」と認識すべきかと思います。

 前も書きましたが、現在の邦訳アメリカン・コミックスなんてのは、初版数千部が普通ですんで。

「アメコミ史上最大・最高の初動」であり、初版は「平均的なアメコミ初版の2倍は刷った」と、出版社がのたまった『デッドプール:マーク・ウィズ・ア・マウス』が、重版分と合わせて累計1万部、ってのが今現在の現実ですので。ええ。

 でもね、数字で考えるとね! 2000円で15万部売れてる本(2000×15万=3億円)って、500円で60万部売れてる本(500×60万=3億円)と同じくらいの売り上げを計上してるコンテンツなんだよ! 実は! 数字のトリックだけど!(ヲイ)

※一応説明しときますが、「売り上げ」は同じようなモンかもしれませんが、刷り部数が多いと印刷代が安くなるので、「利益」が違ってきます。


 そういや、11月3日頃に、リイド社の「コミック乱」で『てくてく』を連載されてる山崎浩先生が、「『てくてく』1巻の初版は8千部。2巻は5千部。しかも5千部じゃ出版社に儲けが出ないので、協議の上で2巻は印税が10%→5%になりました」とかいうツイートをして一部で話題になってましたが。

 一方で、この5千部って数字は、現在の邦訳アメリカン・コミックスでは、割と「いい数字」なのよね、という。

 まあ繰り返しになりますが、「何と比較するか」って、話なのよね。


▼最近の一期一会:

 過ぐる土曜の、昼前の秋葉原をほっつき歩いてたら、秋葉原UDXビルの敷地内でフリーマーケットをやってて。

 んでー、何の気なしにアメリカン・コミック柄のTシャツを売ってる露店をひやかしたら、DCコミックスのマイナー・ヒーローの極北であるところの「ウルトラ・ザ・マルチ・エイリアン」の柄のTシャツが売ってて「やべぇ! スゲェ欲しい!!」となる。

 でも、サイズ的にはどうもオイラ(ウスラデブ)が着るには一回りサイズが小さくて、逡巡した末、買わずに立ち去る。

 でー、その後、電車に乗ってから「一応買うだけ買っといて、サイズが合わなきゃアメコマー菅野さんに上げてればよかったじゃん」ということを思いついたけど、アフター・カーニバル(「後の祭」を英語ではこういう<ウソをつくな)であった。

 そして試しに「ultra the multi alien t-shirt」で検索しても、やっぱりあの日見たあのTシャツは見つけられないという。

 情報求む。


▼最近のトランスフォーマーズ:

 まあ、今更な話ですが、トランスフォーマーズのトイの、高級ブランドであるところの「マスターピース」レーベルで、わたくしの大好きなホットロディマス(米名:ホットロッド)が出るとのことで、なんとなくロディマスブームが到来しております。

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 こう、最近のマスターピース・レーベルは、リペイントで同キャラクターの「ジェネレーション2」版を出すことが多いので、できればホットロディマスもジェネレーション2版が出て欲しいなぁ、と思った。



 この人相悪くて、紫色で、1990年代的な謎マシンガンを持ってるのがジェネレーション2版ホットロディマスであります(アメリカ版のコミックなので、正確にはホットロッドですが)。

 ちなみにオイラは、『トランスフォーマーズ』というコンテンツに本気で足を踏み入れた(要するにトイとコミックブックを買い出した)のが「ジェネレーション2」からなので、ジェネレーション2版にはそこはかとなく思い入れがあるのである。

 ……まあ、当時はコミックは、『ジェネレーション2』の1号と、『ジェネレーション2』とタイインしてた『G.I.ジョー』(メガトロンが戦車のボディで復活するハナシ)しか持ってなかったけどな(※当時マーベルが出してた「なんとなく関連するタイトルを4冊程度のパックにして売る」アレで買った)。


▼最近の自主規制:

 端的にまとめると、「上記のロディマスブームの影響で、昔よく行ってたリサイクルショップに売れ残ってたハズのロディマスのトイを買いに行ったのですが、その店が9月末日に閉店しててションボリしました」とかいう、読み返してみると実にどうでもいい話を25行ほど書いてましたが、まあ、面白くないので削除しました。


▼最近の自主規制・2:

 引き続き、「最近のヤフオク」というタイトルで、「最近またヤフオクに出品してるけど、微妙に面倒くさい落札者に当たって面倒くさいなぁ」という話を書いてましたが、今時点で精神的にダウンな気分になってる原因が、割と面倒臭い落札者とのやり取りに起因してたりもするので、この件について書き連ねて、今の精神状態を掘り下げると、多分、死にたくなるので中止、中止。


▼ソーセージおいしい:

 セブンイレブンのセブンプレミアムだかのハーブ入りな白っぽいソーセージがおいしいなぁ。

 おいしいなぁ。

(もはや何書けば面白いのかが解らなくなってる)

<完>
  
  
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●やくたいもなき日々、あるいは『有害都市』の感想的なソレ。

2015.10.16 Fri

 こう、久々に「俺の日記」的な、まとまりのない短文の連なるエントリを書こうと思ったら、1個のネタがひどく長くなって、結局それ単体でエントリにすることになってしまったという、いつものソレ。

 ていうか、前回のエントリとはまた違った方向性で、「外に向けて発信することに意味あるのかコレ」なエントリになっていることを先にお断りしておくものであります。

「読まない」という選択肢もあるのよ?(何様だ)


▼『有害都市』の最終回が掲載されてましたね、な日々:

 されてましたね。

 読みました。

 感想としては、「ふと思い立って、wikipediaで『時計じかけのオレンジ』について調べたら、『時計じかけのオレンジ 完全版』なる本が2008年にハヤカワ文庫から刊行されてたことを知ったので、そのうち買って、最終章だけ読もうと思いました」とかいう感じになりますかね(感想じゃねぇ)。


 全体を通じての感想としては、主人公がマンガ家あるいは表現者として、規制に真摯に向き合い「戦う」「逃げる」「間接的に戦う」といった前向きな選択をすることなく、「僕は描きたいものを描きたいだけなのに」という、感情論を繰り返し続けていたのは、どうにもアンチヒロイックで、感情移入できなかったなぁ、と。

 その、「規制を気にせず、自分の描きたい形でマンガを描き続ける」という選択は、主人公にしてみれば「戦い」なのかもしれないけど、個人的には「思考停止」あるいは「足踏み」にしか見えなかったのですね。


 それと、作品を通じて、主人公の描いてるマンガが「どのくらい面白くて、世間的にはどのくらい評判なのか」ってのが、あんま描写されてなかったのも、物語に没入しにくかったかなぁ、と。

 いや、主人公の作品が「単巻100万部くらいの大人気作品」か、あるいは「初版5000部程度」か、それとも「集英社とかあたりの普通の作家程度」(※一応、初版は万単位)かで、最終回の「自分の作品のプロットを後世の作家に託す」って行為の意味合いが変わるじゃない。

 仮に(仮にね)、全然人気なくて、3000部程度しか刷られてなくて、重版もかからない様な作家がさ、「後世の作家にこの作品を託す」とかいってもさ、ギャグじゃない。

 作者としては、まあ、主人公に自分をいくらか投影していて、それが故に主人公をヒロイックにすることや、売れっ子作家にすることに気が引けたのかもしれないですけど(勝手な推測ですが)。

 とはいえ、作中の主人公の数少ないヒロイックなセリフ「面白い漫画を描くってことを二の次にして 何かをごまかすことばかりを考え始めたら そうなったら本当に漫画は終わりなんだ!!」ってアレもさ、主人公の描いてるマンガが実は全く面白くなかったら、やっぱギャグになるじゃんね、と。


 ……ていうかそもそも、「未完成のプロットを70年後の作家に託す」って行為自体、あんま意味はないよね。

(作品的には、「70年前の作家のメッセージが入ってたアタッシュケースに、自分の未完成のプロットとメッセージを入れて後世に託す」という、象徴的な意味はあるのでしょうけども)

 こう、SNSとかを通じて、プロットをネット上に公開しちゃう方がよくね? とか、思っちゃうんだけどさ。

 その、現代のネット上だと、諸事情により完成しなかった作品のプロットを、ネット上の有志の作家が思い思いに描きたいページを描いて、完成させるみたいなプロジェクトって、ありそうじゃない。

 ちょっと違うけど、『AKIRA』を『シンプソンズ』のキャラで適当にパロディすることからスタートして、いつの間にやら『AKIRA』のストーリー全部を『シンプソンズ』のキャラクターでリトールドするとかいう壮大なプロジェクトになった『バートキラ』みたいなの。

 こう、日本じゃ規制された『有害都市』が、ネットを通じて世界中の作家の手を介し、形を成すぜ! みたいな?

 いやそれじゃ作者の意図したシンボリックなアレソレが台無しになるのは解ってるけどさ。


 あと、第9話で語られた70年前の事件で、ハーヴェイ・ゲインズなるキャラクターがアメリカ上院公聴会に呼び出されたエピソードは、

・出版社の社長であるゲインズが、

・一応、当時のコミック業界の一翼(怪奇コミックジャンル)を代表して公聴会に臨んで、

・それなりに反論しようと努力して(でも体調不良で失敗した)

・そして公聴会後も、“漫画家にしかできない戦い”と称して反権力のコミックを描き続けた

 という感じであり、

 一方、物語のクライマックス、主人公が公聴会に呼び出されたエピソードは、

・単なる一作家にすぎない主人公が、

・業界の何かを代表するわけでもなく、自己の作品の弁護のために、

・担当編集者の同行を拒んだ上に、何の理論武装もせずに公聴会に臨み、

・いつもの「僕は読みたいものを読みたいです」とかの感情論を叫んで

・公聴会後、“漫画家にしかできない戦い”と称して、自作のプロットを後世の作家に託した

 という具合で、ゲインズのそれとは、似て非なるモノであることは、指摘しときたいなぁ、と思った。

 多分、作者の中では主人公は70年前のゲインズのメッセージを継承して、更に70年後の作家にメッセージを託した的に、主人公とゲインズを重ねたいのかもしれないけど。

 重なってないよね、実際。


 あとラストで「小英社(架空の出版社)」の倉庫に保管されてる“歴代の自社刊行物”が、「週刊少年ジャンプ」、「おもしろブック」、「少年ブック」(全部、集英社が刊行してる/刊行してた雑誌)なのはね。どうかと思った。個人的に。

 いや、リアリティを大事にしたい系のフィクションで、こういう瑣末なディテールをオロソカにするのって、嫌いなのよ。小英社が出してるのは「少年ジャンク」じゃないのか、と。

 以上。


 長々とすみませんでした。

 その、書きたいことを書きたい様に書きたかっただけなんです、オレも(上手いこといったツモリか)。
  
  
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●どうでもよき資料:クリストファー・プリーストによる『デッドプール』反省会。

2015.10.15 Thu

▼前書き:

 今回は、『デッドプール』の初代オンゴーイング・シリーズ(1997年創刊の奴)の第34~45号のライティングを担当したクリストファー・プリーストが、自身のホームページだったかで「なぜ俺の『デッドプール』はあんな感じになってしまったのか」を愚痴ってたコラムの日本語訳をデロリと載せてみるエントリ。

 ……「何か知らんけど『デッドプール』の出版ラッシュだし、何かデッドプール絡みのエントリを書いて注目を浴びよう!」とかいうアサマシいことを考えて書き始めたエントリだったのに、なんでこんな、誰も求めてないネタに行き着くのか、俺は。

 とりあえず、このコラムでの発言を踏まえて、『デッドプール・クラシック』第6巻(プリースト期の『デッドプール』全話収録)を読むと、あのヤケクソな話の数々は、結構な苦悩と苦労と不本意さの中で書かれたのだなぁ、と思った。

 あと今回面倒くさいので、このコラムで言及されている「解説しといた方がいいディテール」に関しては、あえて解説しない方針を採った。そもそもクリストファー・プリーストという作家がどのような立ち位置の作家で、どのような作品を手がけた末に、『デッドプール』のライターに就任したかとか、前提として説明すべきだなぁ、と、気付いたけど、面倒なのでしない(最悪だ)。

 最低限の解説:本稿で言及されてるクリストファー・ジェームズ・プリーストは、イギリスのSF作家、クリストファー・プリーストとは同姓同名の別人。ちなみに元々はジェームズ・クリストファー・オウズリーという名だったが、色々あって1993年頃に改名した。

 そんな感じで。


▼『デッドプール』回想

『デッドプール』は俺にとって胸を張れた作品ではない。この件に関しては、長々とした泣き言じみた弁明を続けることもできるのだが──まあ手短にいえば、俺はこの仕事に関して最適な人材ではなかった、ということだ。ファビアン・ニシーザが創造したデッドプールは、いくらかの作家の手を渡り、それぞれの解釈で書かれてきたが、最も長く続いたのは人気ライター、ジョー・ケリーによる連載だった。実際の所、現在の『デッドプール』はジョー・ケリーの影響の色濃い作品だ。現在の『ブラックパンサー』が、俺の影響が色濃いように。そのジョーが降板した後は、『デッドプール』のけして多くない読者が離れていくことは明白で、それ故に俺は、ジョーの後任ライターになることを心底危惧していた。

 そもそも俺に声をかけたのは、同誌の担当編集者ルーベン・ディアズだった。何故なら俺たちは良き友人で、彼は俺にユーモアのセンスがあることを知っていたからだ。だがユーモアという奴は、非常に主観的なものだ。ジョーのユーモアはハードコアなファン(恐ろしく無名なキャラクターの歴史を驚くほど詳細に知っているタイプの人々)の感性に訴えかけ、その期待に応える類のものだ。一方、俺のユーモアは、そうしたファンからの期待を裏切る類のもの──要するに、『デッドプール』で3年の間繰り広げられていたユーモアの対極に位置するものだった。

『デッドプール』を担当することになった俺の元には、ケリーによる『デッドプール』のコミックブック一式(『エンサイクロペディア・デッドプーリカ』なる副読本も含む)が送られてきた。奇妙なことに、編集者はプールの過去の冒険の概要を説明する一方で、けしてデッドプールが誰で、どんな経歴を持つのかといった事柄に関して、簡単な説明すらしようとしなかった。一方俺は、ジョーのイシューは込み入っていて、連載の流れに乗ろうとする新規読者(例えば俺だ)に対して不親切な造りだと気付いた。

 それでも流れに沿おうとした俺は、編集者に依存するようになった。何となれば彼は、マーベルで最もデッドプールに通じた人間であるはずだからだ。結果、ライティングの過程で編集者が多大に関与することとなり、いくらかの全くアイデア不足のイシューとコンティニュイティ上のミスが生み出されることとなった。

 一方で俺の組んだアーティストは、エクストリームなプロポーションの絵を描く作家で、ストーリーテーリングのセンスはいまいち持ち合わせていなかった──こいつは『デッドプール』の様な本にとっては致命的だった。結果、俺の書いた視覚的なギャグは一切、ただの1つも成功せず、複雑なシーン(例えば第36号の救急車同士のカーチェイス)は救いようもなく混乱したものとなった。そしてまた、アーティストと俺との間には言葉の壁があったようで、重要なディテール(例えばグリーンゴブリンとホブゴブリンの差異だとか)の見落としも生じた。

 元『アクアマン』のアーティスト、ジム・カラフィオレによるフィルイン(※訳者註:レギュラー・アーティストのスケジュール調整などのために挿入される、ゲスト作家が担当するイシュー)が掲載された第37号から、事態は上向きになり始めた。この話を書く過程で、ついに俺は「デッドプールをバカみたいに書いてもかまわないんだ」という真理に気付いたのだ。

 このことは俺にとって大いなる天啓だった。それまでの俺は“ヒーローは断じてジョークの対象とすべきではない”と教えられていた。だがデッドプールは気狂いだ。おそらくは気狂いすぎて、自身が馬鹿げた振る舞いをしていることにすら気付けない類の気狂いだ。

 こうして俺はデッドプールをよりバッグス・バニー的なキャラクターとして書くことができた──仕掛け人にして扇動者、それと同時に自由な精神の持ち主で、何事にも全く動じないキャラクターだ。ようやくデッドプールというキャラクター──俺独自のデッドプールであり、ケリーの物真似ではない──が形を成し始め、ジムはその記念すべき第37号を絵にしてくれた。デッドプールがソーのハンマーを持ち上げる資格を得て、ベータ・レイ・ウェイドになる回だ。

 不可解なことに、編集者はベータ・レイ・ウェイドがハンマーを持ち上げている絵を表紙に使おうとせず、その上“ベータ・レイ・ウェイド”というフレーズも使わなかった。そんな訳で、この分水嶺となったイシュー(まあ俺にとっては、だが)は、他と同様に読者の目を惹く機会を逸した。

 やがて新編集者が来た。当時の『デッドプール』は致命的なまでに生煮えのスペースオペラの只中だった。しかもその話は俺が書きたかったものではなく、俺が担当になった時からルーが暖めていたアイデアだった。新担当が、この“ダーティ・ウルフ”の話について語りたがらなくなったのは、就任から1週間もしない頃だった。宇宙を舞台にした話を書くのは、去り行くルーへのたむけだったが、後任の編集者はこの話が全くの誤りであると嘆いていた。

“スーパービランによる『となりのサインフェルド』”という、俺の一連の連載で唯一マシに思えるアイデア、これも実際にはルーベンのアイデアだ。ルーベンはタイタニアとコンストリクターを選び出し(彼らの起用に関して誰とも話をしてなかったようだが)、俺にプールが彼らとルームシェアをする話を書かせた。ご存知の通り、我々がデッドプールを新たな舞台に置いた正にその号で、ルーはどうしたわけかプールを宇宙に放逐し、新たな登場人物から引き離したのだが。

 俺の連載のいくらかマシな時期は、正にこのスーパービランたちの平凡な日常生活絡みの話で、このテーマは遠くないうちに再考してみたいと思う。だが新編集者がやってくると、俺たちは互いに現状から逃げ出す方法を模索し始めた。『デッドプール』は大いなる負担となり、そのライティングは負け戦そのものだった。この頃の俺は、とにかく「俺のためにデッドプールの設定に沿った話を仕上げてくれる編集者」のいない仕事がしたかった。一方で、新編集者は負の売り上げのスパイラルに落ち込んだ『デッドプール』をどうにかしたがっていた。

 で、「お前はクビだ」と告げられた覚えはないので、多分、俺から辞めたんだろう。あるいは、新編集者(アクレイム・コミックスで担当編集だった友人で、マーベルでも引き続き援助してくれた)が、苦痛に満ちた電話をかける手間を省いてやったのかもしれない。何にせよ、俺らは共に『デッドプール』から解放された。俺は間違った人材で、俺の起用は間違った判断だった。今となっては『デッドプール』が継続し、新たな才能の元で大いなる成功を収める事を祈るばかりだ。──そして願わくば、ジョー・ケリーが(今何処にいるのかは知らないが)、俺を許してくれますように。

クリストファー・J.プリースト

2000年9月


▼以上:

 いじょう。

 ちなみにこのコラムが書かれた「2000年9月」というのは、プリーストが最後に担当した『デッドプール』第45号の刊行から1ヵ月程度しか間が空いてないことを申し添えておく。

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●最近の邦訳アメリカン・コミックス2015。

2015.10.09 Fri

▼どうでもよき宣伝:

 いつの間にやら、Amazon.co.jpで、『デッドプール・キラストレイテッド/デッドプール・キルズ・デッドプール』の予約注文が出来るようになっておりますね(棒読み)。

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 あと、版元のヴィレッジブックスの新刊案内にも、いつのまにやら紹介ページができてましたね。同日発売の『オールスター・スーパーマン』の紹介ページだけしか掲載されてなかった数日前は、「あれ、もしかして延期になる?」とか微妙にドキドキしてましたが。


 まあ、そんなワケで、2年前に出ました『デッドプール/パニシャー・キルズ・マーベル・ユニバース』収録の『デッドプール・キルズ・マーベル・ユニバース』の続編であるところの『デッドプール・キラストレイテッド』と、その更に続編の『デッドプール・キルズ・デッドプール』をひとまとめにした邦訳アメリカン・コミックスが出る感じで。

 すなわちライターのカレン・バンによる「デッドプール・キルズ~」な三部作、通称「デッドプール・キルロジー」が全部邦訳されるワケでありますな。

 個人的には、この3部作は、通しで読むことで、なんつーか、「3シリーズも手を変え品を変えバカを貫いた」というその事実に、何とはなしに心を揺さぶられる感じの作品かなぁ、と思う次第で、こう、前作『デッドプール・キルズ・マーベル・ユニバース』に何がしか捨てがたきものを感じたアナタには、「まあ、最後まで付き合ってみ?」とか、オススメしたく。どうでしょ。


 とりあえず、なんか感想とかありますか、本単行本の翻訳と解説を担当したゲストの小池なんとかさん(<このギミックまだやるんだ)。

「『キラストレイテッド』は登場人物が多くて、しかもその大半が古典文学に由来するキャラクターぞろいなので、セリフを訳す前に、図書館へ行って、原典をチェックする、ということから始めることになりまして、まあ、割と面白い体験でした」

 ほう。

「一方の、『キルズ・デッドプール』は、登場人物が全員デッドプールなおかげで、セリフが多くて、しかも脈絡なく映画だのポップミュージックだのからセリフを引用してたりもするので、これはこれで楽しかったです」

 ほうほう。

「今回のような翻訳&解説の双方を担当するというのは、翻訳の際にセリフの元ネタを調べつつ、その結果を解説冊子のテキストに反映できるのがいいですね」

 さいですか。

「あと、うっかりしておりまして、デッドプールのセリフを訳すにあたり、“オレちゃん”という1人称を1度も使いませんでした」

 2年前と同じこといってんじゃねぇ。

「一応、『キラストレイテッド』の方は、ホームズ・パスティーシュでもあるので、シャーロキアンのお友達を騙して買わせるといいでしょう」

 そうですか。

「やはり、ホームズの一人称は“僕”ですね」

 そうですね。

「ガイマン賞の投票をよろしく頼みます」

 Captain Yかお前は! ていうか10月下旬発売の本はノミネートしてねぇよ!

「……こんな感じでオチでいいですか」

 はい。


<完>

 Captain Yさんごめんなさい(伝統的事後承諾)。
  
  
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●『アベンジャーズ2』の思い出、的な。

2015.10.06 Tue

▼ここはオレの日記帳であるので:

 今更ながら、8月に見た『アベンジャーズ2』について思ったことを書き残すエントリ。

 ここはオレの日記帳であるので、書きたいものを書きたいタイミングで書くのである(開き直りとも言う)。

 日記帳というのは数年後に「2015年のオレはこの様なことを考えていたのか」と、振り返るためにも存在するものであり、数年後のオレからしてみれば、2ヶ月後に感想を書いていようが、「誤差」なので、まあ、今更書くことにした。

 つか、こないだ別冊映画秘宝の記事を書いたときに、このブログの過去記事がとても役に立ったので、記録というものはしておくべきだと思ったのだ。


▼っつーわけで、見た当時エントリにしたかったことを書く:

 その、ここ数年のアメリカン・コミックス原作映画とか、その他ハリウッドの大作アクション映画とかって、大概、クライマックスに「スゲェ大破壊」が起きるじゃないですか。

 こう、デジタル技術が発展して、お金と時間さえあれば「スゲェ大破壊」なシーンを作れる現状においては、多分、映画製作の途中でお偉いさんが「クライマックス派手にしたいから、デジタルでドカーンとやってよ」的な要請とかも来たりするのですかね。

 まあ、ネコもシャクシもビルドカーンで土煙モコモコで巨大建築物がゆっくり傾いて、その後自重で崩れてズシーンで、津波と台風と地震でハルマゲドンな感じじゃないですか(適当)。

 でね、個人的に、ああいう「スゲェ大破壊」のシーンって、微妙に居心地が悪くってね。

 何故って、まあ、あれだけの大破壊がある以上、画面に映ってないトコでケガ人、死人が出てそうじゃないですか。それも結構な数。

 でー、大概「スゲェ大破壊」って、物語のクライマックスシーン──もうそんなに映画の尺が残ってないタイミングで起きるわけで、そうなると、主人公の正義の味方とかって「スゲェ大破壊」の被害の方に目を向けてる暇はなくって、「スゲェ大破壊」を引き起こした張本人の方へ向かわざるを得ないじゃないですか。

 それが、どうにも居心地が悪くてさ。


 近年のアメリカン・コミックス原作映画では、クライマックスで「スゲェ大破壊」が起きても、居心地悪くなく見られた作品って、『X-MEN:フューチャー&パスト』くらいですかね。あの映画じゃ、クライマックスでマグニートさんがスタジアムだかを「ゴゴゴゴゴ」って浮かすけど、幸い、人っ子一人いない、休場中のスタジアムを持ち上げてたじゃないですか。あれは良かった。マグニートさんも人類を憎んではいるけど、その辺、気遣ってくれてる優しい人なのだと思いました。

 一方で、『キャプテン・アメリカ:ウィンターソルジャー』のクライマックスの「ヘリキャリアーを舞台に大暴れ」なアレは、一応、「これだけ大暴れしてると、死人とかも出てそうですが、このヘリキャリアーに乗ってるのは、悪のテロ組織ハイドラのメンバーなので大丈夫です」的なエクスキューズがなされてた感じだったけどさ。

 ただこう、あのヘリキャリアーの中のハイドラ隊員の中には、「オフィスでよくランチを食べに行く同僚がみんなハイドラに入ってしまったので、なんとなく自分もハイドラに入ってしまったOL」とか、「父親もシールド職員兼ハイドラで、“ワシが在職中にハイドラが決起することはなかったから、お前も大丈夫だろうし、ハイドラ手当てがもらえるんだから入っておきなさい”とかいわれて、とりあえずハイドラに入ってみたシールド事務員」とかみたいな、“世界征服とか考えてなくて、割と適当な理由でハイドラに加入してた人”もいたんじゃないか、とか思って、でも暴れまくってるキャプテン・アメリカにはその辺の事情を個人個人に問いただしてる暇はないよなぁ、とか思ってしまうのですよ、オレ的には(考えすぎです)。

 んで、最近の作品だと、『トランスフォーマーズ』の4作目とか、今度の『スーパーマンvバットマン』とかで、「前作でヒーロー絡みで“スゲェ大破壊”が起きてしまった」ことでヒーロー側が非難されるとか、そういう、スゲェ大破壊をヒーロー側が目を向けてられなかったことの指摘、みてぇなのは、ボチボチされてるかなぁ、とか思いつつ。でもやっぱり「スゲェ大破壊」が起きている時に、そこに目を向けるのが、ヒーローというもののあるべき理想ではないかと、思うのよね。


 でー、ね。『アベンジャーズ2』でもそういうクライマックスの「スゲェ大破壊」はあるのですが、本作の場合はね、ウルトロンが「スゲェ大破壊を起こそうとしている」と、アベンジャーズが気付いた時点で、「現場から市民を逃がそう!」ってハナシになるのよね。

 しかも、それを提案するのはキャプテン・アメリカでさ。

 だよね。

 そうだよね。

 キャプテン・アメリカという人は、スティーブ・ロジャースという人は、真っ先にその提案をするよね、と。

 個人的に本作で一番の名シーンだなぁと、思いました。
  
  
 いじょう。全然『アベンジャーズ2』の話してないけど、いいたいことはいったのでオワル。
  
  
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